ベレン日記
11月22日(水)
サンパウロ市内のコンゴーニャス空港から夜8時45分の飛行機(TAM社)でベレンへ向かう。
ベレン到着は深夜1時(時差があるので、サンパウロ時間では夜中の2時)。
ブラジリア(一応ブラジルの首都)経由4時間半のフライト。
飛行機で4時間と言ったら、日本からシンガポールぐらいまで行けちゃう距離だ。
改めて、ブラジルは「広いなぁ」と思う。
そして、わが街リベルダーデからコンゴーニャス空港までは約30分の距離。
一応、国内線だから1時間前に着けばよいわけで、冷静に考えれば、家を7時に出れば十分間に合うはずなのだが、6時を過ぎるとサンパウロ市内は交通渋滞になる。
しかも最近管制官のストライキがあり、飛行機の離発着がかなり混乱している。
そこでなんと!家を5時に出た。
おかげで空港で4時間も待つことになり、空港内をウ~ロウロ。
上記の写真の撮影ポイントも見つけ、退屈をしのいだ。
ベレンでは、深夜にもかかわらずプリマヴェラさんご夫妻がお迎えに来てくださり、本当に大助かり。
いやはや、無事に到着して何より。
さて、明日からは何が始まりますやら・・・。
古本市で人生勉強
今日のリベルダーデは
のち
そして
。ひと雨後の夜は24℃です。
本日の日曜日、リベルダーデにある日本ブラジル文化協会(通称・文協)で古本市がありました。
前回の古本市で購入した本すら読み終えていない私は、本来、古本市へ行く予定は無かったのですが、普段からお世話になっている図書委員のT子嬢から「手伝って~」と言われ、ほんのちょっとだけお手伝いに・・・。
いやはや、自分が買っている時には気がつかなかったけれど、売る側に回ると、その本を買う人、ひと、人の凄まじさに圧倒!
文協図書館に眠っている古本を1冊1レアイス(約50円)とか2レアイスで売るんだけれども、「よくもまぁ」って言っちゃうぐらい山ほど買っていく人が朝も早くからどっさりとやって来ます。
朝9時から始まるというのに、9時には大入り満員、押すな、触るなの大合唱って感じ。
移民の人は皆さん、早起きですね。
その最初の1~2時間が地獄のようなテンヤわんやでした。
もっともその間しか手伝わなかったんだけれども・・・。
システムとしては、最初に番号が振られた紙が渡され、それが自分の番号になります。
そして広い会場内は1冊1レアルの本の列、次は2レアルの列というように、価格ごとにずら~りと並んだ本があり、そこを巡回して、袋に入れて購入するようになっています。
ただ、たくさん買うのと会計を明瞭にするために、列ごとに紙に金額を書き込み、本は番号を書いたレジ袋につめ、その袋は次の列にいく前に係りの人が預かっていってくれます。
預かった本は会計後の受け渡し場所に係りが持って行って、置いていきます。
購入者は会計をすませた後に、その受け渡し所で自分が買った袋に入った本を受け取るようになっていて、私はその本を渡す係りとなりました。
人によっては10冊も20冊も入った袋を5袋も6袋も買っていきます。
大美術図鑑20冊、30冊など買った人もおり、とても持ちきれずに、駐車場までボランティアの男の子たち2、3人が運ぶのを手伝ったりします。
そんな風に袋に入ったたくさんの「本の山」と「人の山」にあふれ、何が何だか分からないほどの混乱状態。
まさに本と人のごった煮です。
そ~んな中で、水性マジックやボールペンでレジ袋に書かれた消えそうな番号を探して出して渡すわけなんだけれども、これがまぁ大変。
人の良い人、おとなしい人、うるさいヤツ、ギャーギャーほざく人間と、さまざまな人間模様が醸し出され、思わず笑っちゃうようなことが多々ありました。
あるオヤジは「ワシの本が見つからない、見つからない」と周囲の人そっちのけ。
順番も無視し、あっちこっちのボランティアに言いまくる。
待っている人もおしのけ、おしのけ、大声で騒ぐだけ騒いで、自分からは一切に探そうとはせず、「これじゃ、ダメだ。こんなシステムは良くない」と文句ばかり。
たしかにシステムにも改善の余地は多々ありそうです。
でもT子嬢なんて、昨日も本の整理をずっとしていて、汗びっしょり。
ずっとタダ働きしているのに可哀想。
思わず、口の悪い私は・・・
「私たちはボランティアで、タダで、この仕事をやっているんだから、おじさんもそんな非難ばっかりしていないで、ほら、自分で買った本なんだから、一緒に探そうよ」って、言っちゃいました。
心の中では
「このクソオヤジ!たかだか1レアル、2レアルで買った本がちょっと見つからないぐらいで、そんなにギャーギャー騒ぐんじゃねぇよ」と叫んでいたですが、オヤジがいなくなった後、いつの間にかそんな心の声がどこからともなく現われていたようで、そばで聞いていたT子嬢とつい笑いあってしまいました。
「他人のふり見て、我がふり直そう!」
忘れていた格言を思い出し、心なしか自分を戒めることができました。
オヤジありがとう。
反面教師としてのオヤジに感謝だね。
しっかし、移民の皆さん、本当に本が好きですね。
スパッと話す
今日のリベルダーデは
一時というかほんの一瞬
。31℃。
ご存知インターネット・ラジオ「ブラジル日和」の日。
3週間ぶりの放送でした。
南マットグロッソ州でお話をして下さった日本語学校の校長先生・城田志津子さん(70歳)のインタビューだったのですが、とても良かったです。
移民の方にお話を伺っていて、時々思うのですが、どうして移民の方はこうも開けっぴろげに自分の家が貧しかった頃の事、苦労した事、恥ずかしかったような事、身内の恥といったことも話してくださるのだろう、と。
それは1人ひとりに理由や違いがあり、一概には言えないことだと思うのですが、乗り越えたからこそ、話せるのだろうと、勝手に想像しております。
今回もスパッとお話し下さいました。
もちろん、1時間では話しきれない、もっともっと大変なこともきっとあったと思います。
そして、私はそんな話をしてくださる方と会うたびに移民のすごさやブラジルの大らかさを感じちゃいます。
もしも日本にいたのならば、そんなかっこつけたり、世間体があって、こんなには自由に我が身の事を話せないんじゃないかと思っちゃうから。
石鹸先進国
今日のリベルダーデは
。32℃。暑くなってまいりました。
日本も色々な石鹸があるとは思うんだけれども、私しゃ、ブラジルはけっこう石鹸先進国ではないか?と思っている。
ブラジルにたっくさんあるフルーツ、オレンジやパッションフルーツ、ライムなどが入ったせっけんや健康によいプロポリスや姫マツタケが入った石鹸。
トルマリンという身体によい石が粉になって入っている石鹸。
かのダイアナ妃も使っていたという亀の油石鹸。
本当に色々ある。
そして、先日発見したのは・・・
お洒落な石鹸の秤売りというか、チーズのように切って売っているんだよねぇ。
いやはや。
値段もけっこう高いですが、アメニティが充実しています。
もちろん、石鹸1つに26レアル(約1000円強)やそれ以上のお金をかけられるのは、ごく一部の人々でしょうが、そうした市場があるということが、ブラジル人のお洒落さ、清潔好きを感じさせます。
この店では、ちょっと柔らかめのトロトロとしたシャンプーにも使える石鹸もカップの量り売りで売られていました。
でも、私のお気に入りは、知り合いが作っている「姫マツタケ石鹸」です。
これはお世辞抜きで、本当にお肌の調子がよろしいです。
ただ今実験中ですが、シミも消えるとか・・・。
まぁ、実験結果が出ましたら、きちんとご報告をさせて頂きます!
サンタさんまち
本日はちょっと用事があって、2つのショッピングセンターを通りました。
すると早くもクリスマスの飾り付けがボチボチ始まっています。
まだ、完成はしていないようですが、1つ目の飾りつけは・・・
たぶん、このショッピングセンターの今年のテーマは「台所」ではないか?と思うのです。
だって、後ろに「砂糖」と書かれた麻袋があるし、大きなしゃもじや食器棚があるから。
ちなみに去年はこのショッピングセンターのテーマは「お裁縫」でした。
ツリーに大きなボタンが飾られ、ミシンや糸、ボビンなどがデコレーションしてありました。
次のショッピングでは・・・
そう!「音楽」だと思うのです。
だって、音符があって、傍らにはオルガンが設置されていたんですもの。
で・も・ね・・・まだまだ、本格的ではないのです。
どうして分かるかって?
だって
ほら、サンタが座る椅子はどちらのショッピングも空席なんです!
サンタクロースはまだ、ご到着していないのですよ。
ちなみにブラジルでは「クリスマス」のことを「ナタール」と言い、「サンタクロース」は「パパイ・ノエル」と呼びま~す。
バス18時間
15日は1日バスに乗っていた!と言っても過言ではない。
だって、14日の夜8時40分にドラードスを出発して、18時間バスに乗りっぱなし。
午後3時ごろにようやくサンパウロに到着したの。
本当はもうちょっと早く着くんだけれども、ドラードスから直接サンパウロへ行くバスがあいにくと無くて、CAMPINAS(カンピーナス)という町を経由して、1~2時間遠回りしちゃったの。
私のバス限界時間は24時間なので、何とか元気に、無事、サンパウロへ到着しました!
そうそう、このブログでお知り合いになったMIKIさん、目的地はこのサンパウロとこのCAMPINAS(カンピーナス)の間なので、私はたまたまちょうどこの日にその町を通り過ぎていたわけですね。
偶然だなぁ。
でも、ごめんなさい。
全然、覚えていませ~ん。
多分、普通の田舎町だと思います。
でも、基本的に田舎の方が治安はいいです。
大豆畑
旅も大詰めを迎えて参りました。
最後の日です。
ふらりとお世話になった方の家の周囲をぶらつきます。
その方の家の裏から見える風景。
地平線まで、まっすぐ、ずっとずーーーと大豆畑です。
トウモロコシを裏作しています。
今は植えたばかりの大豆が土の下に埋まっています。
これがほぼ視界全部続いております。
パノラマでお見せできないのが残念。
あの、地平線のかなたまで、見える所すべてがその方の家の土地なのだそうです。
それでも、「ウチよりも全然規模が違う人もいるよ」とおっしゃいます。
もう、視界1メートル、周囲500メートルぐらいで生活している私には想像をはるかに超えていて、それがいったいどのくらいの広さなのか、全然分かりません。
それでも、その方はブラジルへ来てから、まだ一度も日本へ帰ってはいないのです。
もうかれこれ、50年でしょうか。
私からすると、ものすごいお金持ちに見えるんですが、本人は「いやぁ、トランクいっぱいの金を詰めて、同級生に『それ、飲め』と、騒げるぐらいでなきゃ、帰らんよ」とおっしゃるのです。
何かうまく言えないんだけれども、ぐっと心に迫る移民の、意地のような、熱き思いが伝わってきました。
オクラの花
無事、写真展も終わり、お世話になっているお宅の食卓にきれいな食べ物がお皿に乗りました。
何だか分かります?
実は私は短い人生で初めて食べたのですが。。。(誰だ!「決して、短くないだろう」とチャチャを入れたのは・・・)。
これ、オクラの花なんだって。
どんな花かというと・・・
こ~んなきれいなお花が食べられちゃうの。
きゃー、うれしい。
それで、オクラは前に借りていた家で、私も育てていたので、ちょっとだけ分かるのですが、確かに日本やサンパウロで見るオクラの花はもうちょっと黄色が濃くて花がこぶりだったような気がします。
同じオクラだけれども、ちょっと種類が違うそうなのです。
実もあったんだけれども、それはたしかに我々が普段「オクラ」と呼ぶその部分がすごく太くて、このオクラでは、実は食べられないそうなんです。
でも、この花びらをきれいに洗って包丁で切ると・・・あら、不思議!
本当にオクラのようにネバネバが出てきて、食べられちゃうの。
特に濃い味は無いから、しょう油をかけて食べたんだけれど、私的にはすっごくお洒落!
フランス料理とかに使えちゃいそうな食材だわ。
しっかりと、種を頂いて参りました。
でも、我が家は土が無い上に、私しゃ、フランス料理なんて作れませんでしたー!
開拓先亡者
12日は共栄植民地から約20キロのドラードスという街に参りました。
実は到着した9日から11日までが共栄植民地で、12日にはドラードスの日本人会館で、「松本浩治の『移民Ⅰ』の写真展」 があったのです。
この日、ドラードスではブラジルの仏教連合会による開拓先亡者の慰霊祭が行われたのです。
この「開拓先亡者」って、何かと申しますと、ブラジルへ移民して、原始林の開拓をして、亡くなられた方をさすわけです。
それこそ家族全員がマラリアなどで全滅してしまったというケースもたくさんあるのです。
初期の移民の方は本当に大変で、最初の頃は皆、誰かが亡くなると、日本人は義理堅いから、日本から持ってきたお金で、「お香典」を包んでいたそうなんですが、だんだんとそのうちに自分たちの食べるものも、お金もなくなり、お香典袋に「次の収穫で得たお金で必ず金○○円也を払います」といった紙を入れたなんて話を聞いたことがあります。
さらに日本人墓地のあるサンパウロ州奥地では、最初の頃は近くの町の墓地まで男数人で担いで埋葬に行っていたけれど、毎日のように体力のない赤子が死んでゆき、往復何十キロの道を歩いて帰っていたのでは農作業も出来ないということで、日本人墓地が作られた経緯があるとも聞きました。確かにそのお墓の墓石というか墓標を見ると、0歳、1歳、3歳というのがとても多かったです。
墓地があるのはまだましで、もうどこに墓があるのかも分からないような状態もアマゾンを始め、あちらこちらにあります。
こうした事情はブログで文字で読むよりは、岡村淳さんの「アマゾンの読経」 や「郷愁は夢の中へ」 をご覧になって頂いた方がいいかも知れません。
さて、説明が長くなったけど、まぁ、この12日はそうしたブラジルに来て亡くなられた方々の霊を慰めようという、ブラジルに来ている仏教の方々が宗派を超えて集まって、お経を読んでくれたわけ。
私は初めて見たんだけれども、11日の共栄でも12日のドラードスでも皆さん、位牌のある方はご自宅からお持ちして、祭壇に祭ったら、お坊さんが一人ひとりの位牌の名前と享年を読み上げていってくれるの。
とても良い事だと感心しました。
そして、慰霊祭が終わった後、地元の方が、お坊さんに頼んで、次回から掲げるべき「開拓先亡者之霊位」と下書きなしで、スラスラっと書かれました。
さすが、お坊さん。
ちなみにこの「先亡者」というのは、そのままパソコンで書いても出てきません。
よく「戦没者」と間違えて書く人がいますが、決して、戦争はしていないから、間違いです。
ブラジル特有の言葉じゃないかしら?と、どうでもいいようなことに気を取られる相変わらずのぶらこです。
私もパソコンばかりじゃなく、書道をやろうかと、真剣に考える今日この頃であった!
10年の計と100年の計
11日、せっかく南マットグロッソ州まで来たのだから、地元の方にお話を伺って、インターネット・ラジオ「ブラジル日和」にご出演頂こうと、インタビューを行いました。
その時の放送は18日(土)にいつも通りに致します。
場所はね、共栄植民地内の日本語学校で学校が終わった後にインタビューをやらせて頂いたんだけれど、その教室の片隅にね、こんなものが掲げられておりました。
分かります?
「10年の計は樹を植えるべし
100年の計は子孫の教育にあり」
だから、日本人移民は「3人集まれば日本人会を作り、まず最初に日本語学校を作った」と言われているんですよね。
なんか、じ~んと、勉強になりました。
教育という身に付いたものだけは、泥棒に盗まれないものね。
私も小さい時に火事で何もかも失くしてしまう百恵ちゃんの赤いドラマシリーズの1作品を見ていて、母が「火事はすべての財産を失くして本当に怖いけれど、身に付いた教養だけは残るから」と珍しく忠告らしいことを言ってくれたのまでは覚えているのです。
ですが、残念ながら、未だに何の教養も勉強も身に付いておりません。 トホホ。










