ボヤジャントの呟き。 -10ページ目

ボヤジャントの呟き。

過去に行った廃墟探索、今後行う廃墟探索を振り返りつつ、政治経済の話題、時事問題、雑談や長年の趣味であるバイクやギターなどについて雑談して行くのです。

取材日時 2007年 5月13日

コメント・
あの「廃墟ちゃんねる」管理人である楓氏と「過去の棲家」の管理人TEL氏とのコラボ探索がついに実現した。
待ち合わせは、なんと俺の会社の駐車場前(w
俺はその日休日出勤していたので、最初から行動を共にする事はできなかった。
彼らはその間別の場所を探索してその途中で俺をピックアップしてくれたのである。
楓氏の行動力の旺盛さも驚くが、それ以上に凄まじいのはTEL氏だ。
彼はおかしい、何かが間違っている。いや、まちがっTELとでも言おうか。
彼の生息地は愛知県のはず、しかし前日まで仕事をしていながら翌日には楓氏の居る神奈川県まで夜通し車を飛ばして走ってきて、その足で茨城県周辺の廃墟を合同探索するという無謀さ。おいおい無茶すると俺みたいに帯状疱疹になるぞ?www
以前は、「TOKYO Ruin Night」というイベントが今年の初めにあり、楓氏とTEL氏は阿佐ヶ谷でのイベントに深夜まで参加した後に、その足で埼玉県の「白岩」廃集落へと向かったという事も有った。
10年前の俺だったら、それくらいは朝飯前だったが、いまはねぇ・・・。
翌日の起きる時間を考えたら、それはちょっとねぇ・・・・・。(当時タンクローリドライバーだったために毎日が超早起き)
何故にそこまでして急いで「白岩」に向かったのか、後からTEL氏に聞いてみた。
その答えはこうだった。

「うえっへっへへ Tavitoさんの行こうとしている物件に先回りして、UPしてやるのが楽しいんですよ♪ゲヘヘヘヘ♪」

殴ったろか(w
んな個人攻撃あるかっての(w

ということで、すでにオフ会で顔を何度か合わせている楓氏とTEL氏と再会を喜び合い、立ち話もそこそこに現地へと向かった。
楓氏は手元に行き先のリストを用意しており、携帯電話で見る事ができるナビを操作しながら運転をするという、横から見て若干の不安を隠せない状況で三人の廃墟マニアを乗せた車は走り出した。
我々が行く先の物件は、全てネット未既出のものばかりだという。情報元は、巨大掲示板やまちBBSかららしい。
楓氏はどうやら、そういう所を巡回して物件情報をコンスタントに入手しているらしい。
俺みたいに「バーター」で物件情報を手に入れているような、腹黒いことをしないから彼は偉いもんだと思う。
一件目の物件に向う車中も、賑やかなものだった、三人それぞれが全く違うキャラクターなので、お互い言いたい事を言ってはゲラゲラ笑っている、、特に俺とTEL氏とのやりとりは、かなりヒートアップする。それを楓氏がハンドルを震わせながら爆笑する。そんな状況だから移動の時間もあっという間に感じてしまう。


まず一件目は、「湖畔に佇む廃旅館」というものだったのだが、半分ガセ半分本気で現場に向かった。
なんせ、ガセ情報が跋扈しているネット掲示板である、かくいう俺も何度もこの手の情報に振り回されて無駄足を喰らった事がある。
しかし、楓氏はその情報を元に物件が有るとされている現場周辺の地図までも用意してきたのである、周到とはまさにこのことだ。
ここまでピンポイントで探すとなったら簡単だろう、有れば有ったで「情報提供者THX!」だし、無きゃ無いで「やはりね・・・乙」と言えるからだ。
国道から離れ、県道を少し走り、「湖」があると思しき場所までやって来た。
しかし千葉県に大きな湖というのは、無い。確かに人口の湖はあるが、大きさはたかが知れている。我々が訪れた場所にも確かに「湖」はあったが、どうみても「水溜り」だ。というか「沼」に近いかもしれない、そしてその周辺の道路を歩いているうちに程なくして、怪しげなオーラを放つ建物を発見したのである。


ふたたび車に乗り、次なる物件を目指す三人衆。
今度の物件は少し離れた南房総の山中にある、廃旅館だという。
その道中も、相変わらずバカ話をしていたのだが、途中まで俺とTEL氏の掛け合いを聞きながら爆笑していた楓氏が急に無口になったのである。
俺が気になって楓氏を見ると、起きている事は起きていた。
しかし、どこか様子がおかしい。ハンドルを握り携帯も離さずに居るのだが、焦点が定まっていない気がした。
集中しているのか、先ほどの建物の中で憑依されたのか、心ここに有らずという感じに見えた。
「ちょっと、楓さん?楓さん!
呼びかけられてハッと我に返ったその直後、有り得ないセリフを楓氏は口にしたのである。

「えっと、どこをどうやって走ってここまで来たんでしたっけ~?」(^^;)

Tavito「・・・・・(汗」(; ゚д゚)
TEL氏「・・・・・(汗」(; ゚д゚)

どうやら楓氏、瞬間的に寝ていたようだ。

おいおい!命預けてんだからちゃんと運転してくれよッッッ!!!

一瞬の生命の危機を感じたものの、その後は楓氏ももちなおしたようで、あちこちの道に入り込みながらも、次第に捜索範囲を絞り込んでいき、地元の車しか通らないような山の中の道を登り始めた刹那、どうみても怪しい建物が峠の付近で目に飛び込んできたのである。

関連画像はこちらhttps://photos.app.goo.gl/nqBQjkzMUbrTb13q7

取材日時 2007年 5月4日

コメント・栃木県のブルースカイから翌日探索する水戸のクイーンシャトー(聞こえだけはカタカナだけにイイ)へ移動している道中で、たまたま見つけた廃テーマパークである。
茨城県内ではそれなりに知られた施設らしく、廃墟になった後もそこここの廃墟サイトで紹介はされていた。しかし取り壊し開始が早く、詳しい内部状況を知らないまま今日にいたってしまった。
日も暮れ始め、直ぐ近くを通る国道の車が薄暮灯を点けながら走っているのを眺めながら、施設の内部へと進んでいったのだが、これがとんでもない所にあった。
行った人なら分かると思うが、入り口から奥へと進むアプローチの道路が恐ろしく急なのだ、まさに胸突き八丁。
それまで一日中歩き回って探索をして、疲労が溜まっている体には非常に堪える上り坂だった。
その苦労の割に、頂上をすぎて目の前に広がった考量とした風景を見たときには、その場に倒れてしまった(実際に)。
では、その脱力すること間違いなしの物件へ、アリスに案内してもらいましょう。

関連画像はこちらhttps://photos.app.goo.gl/VUdnvrotArAXsduG7

物件96 神奈川県 大磯の廃洋館

取材日時 2007年 5月3日

コメント・最近更新停滞中の大手廃墟サイト「廃墟エクスプローラー」の掲示板に書かれていた情報を元に発見した未既出物件。
周辺は住宅密集地、近くには交番も有る。道路は極めて狭く迷路のように入り組んでいる。近くに車を停めて探索する事は難しい。少し離れた所に酒屋があったので、そこに車を停めて歩いて物件を探した。
なるべく通り過ぎる人とは、目が合ったら会釈する位の余裕をもって行動した方が良いと痛感した。
とにかく、見慣れない顔の人間である事には間違いないのだから、、不審者と思われてもおかしくは無い。
藪に囲まれた洋館は15分程度で見つけることはできたが、絶え間ない一般通行者とどこから見られているか分からないという警戒心に遮られて、数枚の写真しか撮影する事が出来なかった。

  明らかに手入れされていない生垣が、表からは見えない廃墟の存在を教えてくれた。
 
  和洋折衷の様式のかなり大きな建物である。
庭師が入らなくなった、庭園はジャングルと化している。
当時は、裕福な外国人(西洋人)が住んでいたらしいという情報がある。
この建物が2階建てだったら、まず見つけることは出来なかったと思う。
立派な造りの正門は、有刺鉄線で入れないようになっている。ガードは甘いようにも見えるが、前を通る道路は国道の抜け道となっているらしく、車の通行が頻繁である。
是非とも許可を取って、中に入りたいと思う物件だ。
所有者はいずこへ。

取材日時 2007年 5月5日

コメント・2007廃墟探索ローラー作戦の最終探索物件。
某情報筋からのタレコミ情報を元に探索を敢行。
詳しい地図を提供してもらっていたので、物件の発見は全く労せずに果たせた。
山の中の静かな集落に、忽然と巨大なドームが姿を表した時には、少なからずの衝撃を受けた。
こういう田舎町にスケートリンクってどうなのよ?
そう思った。
内部は当然氷は張っておらず、ガランとしている。
これといって遺物と呼べるような物は無く、一部にはしっかりと施錠されている所もあり、ここが完全な廃墟ではないという事も分かった。
しかし、管理されていると言ったらそれも疑わしい。
とにかく吹さらしの放置プレイ状態なので、一旦中に入ってしまったら、外からの視線を感じる事も一切無い。
それ以前に周囲は人の通りが少ない田舎の集落である、外に出てうろついている方がよっぽど目立つ。
北茨城にあった「新日本窯業 山工場」の時と同じで、中に入って静かにしていればなんの心配もする必要は無い。
今回は、スライドショーにコメントをつけるところが殆ど無かったので、画像だけご覧頂く形となります。

関連画像はこちらhttps://photos.app.goo.gl/r5pAUi7YwjrStCUx8

取材日時 2007年 5月4日

コメント・仕事でよく通る大幹線国道からいつも見えていたので気にしてはいた。
しかし、建物そのものはさほど大きいと言うほどのものでもないし、車が停められる場所が無い、通り過ぎ様に見ると凄まじいまでのDQN爆撃を受けていることも分かっていた。
しかし、その物件が立っているロケーションは、川沿いの眺めのいい高台に有り、明日の東北行きの為にそこを夕刻に通過すると、夕日に照らされて赤く燃え上がるように佇む姿を見て、「中身はともかく、とりあえず見に行ってみるか」という気持ちになった。
この廃墟、実は結構有名で(あの目立つ場所に立っていればそれも頷けるが)有名どころのサイトや、中堅のサイトでも紹介されている。
この廃レストラン、実は営業拠点を近所に移転させて、今でも営業しているのだと言う。
目の前を走っている国道が4車線化され、通過スピードが大幅に上がり、「あ、レストランだ。」と思ったら通り過ぎてしまっていたという現象が起きるようになり、客入りが劇的に経減ってしまったというのが店じまいをする事になった理由と聞いている。
故に建物だけが取り残され、目立つ場所にあるのでDQNの格好の標的にされ、火は放たれるわ、徹底的に破壊されるわで、目も当てられない惨状に成り果ててしまったのである。
遠くから眺めただけでは、熟成の進んだいい感じの廃墟としか見えないが、いざ近くによって中に入ってみると・・・・。
余り語ることは出来ない廃墟だった。


としか言えない。関連画像はこちらhttps://photos.app.goo.gl/TUPNG6Sq8gKg3pAt8

取材日時 2007年 5月4日

コメント・お馴染み某情報筋からのタレコミ物件である。
横浜の某所に大型病院廃墟があるという、耳を疑うような情報に当時は色めきたった。
しかし、場所を調べるとこれまでの廃墟のロケーションとは明らかに違う、非常に危険極まりない環境に囲まれている事が分かった。
まず、おもいっきり都心に有るという事。そして、直ぐ近くには24時間稼動している巨大現役病院と警察署が有った。
一日中人の出入りがある場所の近くに廃墟が有り、そこへ人目を盗んで突入するなどと言うのは、これまでの廃墟探索キャリアの中ではもしかしたら初めてかもしれない。
それ以前に、人目がある場所で廃墟に凸するなどという、自殺行為を自分は過去に一度もした事が無い。
正直かなり悩んだ。凸時期、オーバーフェンスする場所は有るか、機械警備の有無はどうか、内部は探索できるのかとか色々とネットを駆使して調べてみた。
結局、作戦実行前に入手できた情報だが、殆どなかったと言うのは正直な所だ。まず、WEB地図を見ても名前が無くなっている、建物のシルエットは残されているのだが、地図上からは消滅させられた状態になっていた。つまりは、かなりの廃墟年数が予想されたのだ。
日中は横浜市郊外数箇所の廃墟物件を廻り、夜になってから横浜市内まで戻ってきた。
すっかり日も落ち、車中泊をするための場所を探していた時である。たまたま明るい表通りから明かりの殆ど無い、車を停めて中で仮眠をするにはうってつけの一角があったので、そこに車を停めた。
車を降りて、食事に行こうとして周囲を見渡した時である、自分の目の前に明かり一つ無い、古く薄汚れたを通り越しておどろおどろしいオーラを放つ大きな建物が目に入った。周囲を取り囲む生垣や木々は延び放題に伸び、枝葉が道路にまで飛び出している。塀の周辺には不法投棄されたスクーターやゴミがあった。この建物が現役であれば間違いなく掃除したり撤去したりするはずだ。なにせ、横浜のドマンなかなのだから。
「この建物がそうなのか?」
廃病院を探すのは翌日になってからと決めていた。ところが、その前に目的の物件の直ぐ側に、自分は何気なく車を停めてしまったのである。
廃墟がまるでオレを呼び寄せたかのような気分になり、最初は不気味だったが、周囲を歩いて下見をしているうちに不思議とシンパシーを感じるようになってきてしまった。普通の神経の持ち主なら「こんな気持ちの悪い建物の側で夜を明かすなんて、どうかしてる!」と思うに違いない。
しかし、結局近くのラーメン屋で腹を満たしたオレは、この廃病院の直ぐ近くの路上で朝まで爆睡してしまったのである。

目覚めは携帯のアラームで朝の5時に起床した。
しかし、既に周辺は明るくなってきている。急いで着替えパンをかじって撮影器具の用意を整え、6時半頃には突入できる体勢が整った。
ネットでは未既出の大型物件。しかも久し振りの廃病院とあって、いやがうえにもテンションはあがる。

関連画像がこちらからhttps://photos.app.goo.gl/YuXASy1EHLF9HTKt5

取材日時 2007年 4月29日

コメント・埼玉県から群馬県へ至る幹線国道の沿道に、廃墟がいくつも点在する場所がある。日本全国でも北海道を除いては、なかなか見ることは出来ないものだ。
ここのエリアは近くに新幹線の新駅があるにも係わらず、あまり経済的に反映しているとは思えない。
仕事でよく通りかかるのだが、いつも「ここは廃墟がやたらと多いな」とは感じていた。
しかし、物件の内訳は「廃パチ」「廃ラブホ」「廃カラオケBOX」という、オレの探検欲求を駆り立てない物ばかり。
だが、いずれかは寄り道程度に覗いてみようとは思っていたので、廃煉瓦工場探索の後、カッ○ピアへの移動途中で歩き回ってみた。
中には、リニューアル工事を始めたラブホや、野良人が住んでいると思しき廃パチ屋の社員寮などがあるという発見は有ったが、これといった収穫という物は無かった。

取材日時 2006年 8月15日

コメント・2017年以来久しぶりに更新できる時間が出来たので早速。
終戦記念日である本日は東北3大鉱山巡礼の旅の最後を飾る秋田最大の産業遺跡「尾去沢鉱山」。
前日の幕営地はかつて東北ツーリングをしていた7年近く前の夏以来の再訪問となる、大沼キャンプとした。
そこから尾去沢 までのアクセスは約1時間弱。日の出と共に出発すれば午前中の涼しい時間帯には鉱山の中に足を踏み入れている事だろう・・。
そう企んでいた。しかし予想以上に気温は上がり、携帯していった飲料水も探索の中盤過ぎには枯渇し、バイクのところに戻ってきた頃にはフラフラになっていた。探索途中で三菱マテリアルの社員が出勤してきて、建物の中から出るに出られなくなると言う危機にも苛まれたが、どうにか探索は終了。しかし山の中腹にそびえる大煙突へのアタックが実行できなかったのは残念だった。
もっと涼しくて、社員が出てこなければ間違いなく挑戦していたかもしれない。

https://goo.gl/photos/KSDagbxQL9FaEMAz5尾去沢鉱山全ての画像はこちら。

取材日時 2006年8月14日

コメント・松尾鉱山の圧倒的なスケールの余韻を残しつつ、キャンプ場から幕営装備一式を引き揚げ、秋田は尾去沢 へと移動する途中に発見した、新規物件である。アスピーテラインの最高地点「見返峠」の直ぐ手前の分岐県道に差し掛かるあたりに立っている。
冬の間は猛烈な季節風に晒されるであろう場所で、遠くから見ても建物の雰囲気が明らかに現役のそれとは違うオーラを放っていた。
物件が視界に入った瞬間に「あれは廃墟だ」と直ぐに分かった。これも廃墟レーダーか。
場所が場所だけに、DQNの身体能力では簡単にたどり着けないので、人為的な破壊は僅かであり、建物を着実に崩壊させているのは自然の力だ。
そして、この施設は廃業してから相当の年数が経っているようで、正面玄関から中に入ると、見事なまでの緑の絨毯が敷き詰められていた。
探索活動中も直ぐ近くを通る県道を大型観光バスや乗用車が通り過ぎていくが、この建物の中に人が入りカメラ撮影をしている等と分かる人はまず居ないだろう。同じ趣味を持った同志以外には。

関連画像はこちら。