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ブー子のブログ

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それはやりたくないことだから。

損してもいい、と思ったら、やればいい。
それはやりたいことだから。

ガンバレ!シャープ!

早川徳次(はやかわ・とくじ)略歴(プロフィール)
1893年~1980年(明治26年~昭和55年)シャープ創業者。東京・日本橋生まれ。二歳の時に養子に出され貧困の中で育った。丁稚奉公ののち、かざり職人として独立。大正4年、繰り出し鉛筆シャープペンシルを発明。関東大震災で全てを失い、大正13年大阪で早川金属工業研究所を設立して社長。昭和17年、早川電機工業に社名変更。昭和45年シャープに社名変更し会長。昭和51年、勲二等瑞宝章。86歳で没。著書に「私と事業」


平成23年6月9日

早川徳次の知られざる秘話

題名:震災で全てを失いそこから世界的な大企業をつくり上げた男 


「戦災でも焼けなかった資本がある。それはグリコという看板である。過去30年間営々として築き上げてきたわれわれ最大の資本である。」
グリコ 創業者 江崎利一(えざきりいち)

3月11日の東日本大震災は多くの人命を奪い、押し寄せた津波は一瞬のうちに東北の海岸沿いの街を幾つも呑み込んだ。家族を亡くした人、家を失くした人、職場を失くした人、工場を失くした人、中には命以外のあらゆる物を失くした人も少なくないであろう。どんなに立派な豪邸や美術品を持っていても地震や津波や火事などの天災がくれば一瞬のうちに失う。しかしどんな大災害に遭遇しようとも失わないものがある。それは「信用」である。それまでその人が培ってきた信用があるならば一早く立ちあがることが出来るであろう。どんな大災害もその人の「信用」まで奪うことが出来ない。

その象徴的の人物がシャープの創業者、早川徳次(はやかわとくじ、明治26年~昭和55年)である。何故なら彼は関東大震災で家族も工場も全てを失ったが自分を信用してくれる部下とともに一早く立ち上がり、世界的な大企業をつくり上げたからだ。

1950年(昭和25年)、前年のドッチライン(日本経済再建のための具体案)によってインフレ抑止策が実施され、不況が進行した。そのため商品が売れなくなり倒産する企業が後をたたなかった。シャープも売上高が前期に比べて45%減となりいよいよ資金繰りにも行き詰まった。創業者の早川徳次は遊休施設や不動産、個人の土地まで手放し対処して、いよいよ大詰めの銀行交渉となった。銀行は経営の合理化を図って再建するというのならば、もう一度融資をしてもいいという。588名の人員がいたがさらにその中から何人かの人員を整理しろというのだ。

早川はその時の気持ちを「私の履歴書」の中でこう語っている「しかし私に整理などできる話ではなかった。私は人員の整理をやるくらいなら、むしろ会社が閉ざされる方を選ぶであろう。会社がつぶれても従業員諸君と一連託生ならばもって瞑すべきではないか」

この早川の従業員を思いやる気持ちが伝わったのか社内の空気が変わり、「会社をつぶしてはいけない」という声が従業員から起こり「われわれ従業員側で自主的に希望退職者を募って、人員削減に役立てよう」、この痛切な社員の声は組合代表から会社に正式に申し出された。結局、退職者は210名になったが銀行の融資の道は開けシャープは再び発展することが出来た。

早川の人柄が現れるエピソードであるが、この男はとにかく人望の厚い男であった。技術力があったからシャープは世界的な家電メーカーになったといえるだろうが、それだけではない。早川がどの経営者よりも部下に慕われ信頼があったからこそここまで発展したといえる。そのことはシャープの創業のルーツをひも解けば見えてくるだろう。

早川徳次は1893年(明治26年)、日清戦争の起こる前年に東京の日本橋で生まれた。生家は枡屋(ますや)という袋物問屋であった。働きものの両親であったが過労がたたり父親も母親も相次いで病床の人となってしまった。

この時から早川は不遇の少年時代を過ごすことになる。3歳で養子に出されることになった。養子先は極貧だったうえ間もなく養母がいなくなる、そしてニ人目の継母が酷く早川を虐待した。新しい弟たちが生まれると食事をさせてもらえないことさえあったという。学校は小学校2年に上がったが退学させられる。そして内職にマッチはりを夜更けまでやらされることになった。こんな時に実家の両親が相次いで亡くなるがもちろん早川には何も知らされなかった。

9歳になると早川は錺屋(かざりや)店に丁稚奉公に出されるのだが、これが早川にとっての転機となった。錺屋とは、金属の簪(かんざし)などの細工物をつくる職人で、早川は金属加工の見習工として働くが、生まれつき手先が器用だったので仕事を覚えるのも早く機転も利いたので親方にもとても可愛がられた。その間、学校に通っていなかったがために字を読めなかったが、夜書物を開いて一晩一字ずつ覚えていった。これが評判になり本を読む夜店小僧といわれる程であった。

10年ほど働き一人前の錺職人となった早川は独立を考えはじめるようになる。当時ベルトは穴あき式だったが、穴あきでないベルトがあれば便利と思い、試行錯誤のすえバックルを考案。特許を取得して独立した。

早川20歳の時である。早川は後にシャープを創業してから日本初、世界初となる家電製品を次々につくり出したが、何か新しいものを生み出す才能は錺屋で技術を身につけることで芽生えたといえる。

錺屋で奉公したことが何よりも幸運であったといえるが、それに加えて早川にとっては人格形成をするうえでこの錺屋の親方との出会いは大きな影響を受けたようだ。

早川はこの親方との出会いを「私の履歴書」でこう語っている「主人の坂田芳松さんは昔気質のきっすいの江戸っ子で、人情にも厚い人であった。私は社会の第一歩で、こういう人にあったことは実に幸せなことで、ここで私は技術屋としての腕を磨くとともに、人の世の情けというものを授かったのだが、何物にもかえがたい収穫だった。逆境にあった私が、万一ここでも冷たいしうちをされていたら、はたしてどうであったろう。私は終生この主人から受けた情誼を忘れることはできない」

そして早川は独立する時、何よりもこの親方と別れるのが辛かったという。酒好きだった親方は早川のために杯を上げて独立を喜んでくれ酒がまわると「めでてえ、めでてえ」と何度も言いながら、鼻をつまらせた。親方夫婦には子供がいなかったのである。

早川は特許をとったバックルに「徳尾錠」(とくおじょう)という名をつけたが、便利さや新鮮さが受けて、やがて4千個まとまって注文が入ってきた。それからも早川は新しいものを次々と考案していく。水道自在器(水道のねじ)の新製品、万年筆のクリップや金輪など様々なものをつくり出した。そして早川徳次の名を世界に知らしめたのが「シャープ・ペンシル」の発明であった。鉛筆全盛の時代に世界に先駆けての発明であった。早川が23歳の時である。

当時のネーミングは早川式金属繰出鉛筆である。その合理性、新しさが人気を呼びまず評判になったのは外国においてで、横浜の貿易商館の一人が目をつけ輸出したところバカ受けした。国内でも売れはじめ人気が一層高まった。皇族、華族まで買ってくれるようになり前途羊々であった。利益金は全て設備投資にまわし工場も3つになり従業員も200名までになっていた。早川のシャープ・ペンシル事業は時代の波に乗って順調に発展しいく。

ところが1923年(大正12)年9月1日、午前11時58分、あの関東大震災がおこり一転全てを失うことになる。早川31歳の時であった。外へ出ていたが突然爆風にあったような激しい振動に襲われ、大波のゆれるような振動が起こった。早川は夢中で工場まで走り戻ったが、外はもう地獄のようなありさまである。倒壊した建物が道という道を塞ぎやがてあちらこちらから火の手があがった。3つの工場は全壊、妻と2人の息子も死に家族も亡くした。

関東大震災に出くわし全てを失った早川はそれまでいい気になって強がっていた鼻っ柱がいっぺんにどこかへ吹き飛んだ感じがしたという。見渡す限りあたりは廃墟である。文明は一瞬のうちに没落したように見えた。自分の事業復興の見通しはとうてい立ちそうもなく茫然自失するしかなかった。

悲劇はそれだけでは終わらない。無情にも取引先の大阪の日本文具製造が、シャープ・ペンシルが生産不能になったのだから特別契約金の一万円と融資していた事業拡張資金の一万円の合計二万円を「耳を揃えて即刻返済しろ」と矢の催促をしてきたのである。

返済できないと言うと先方は「それでは早川徳次の名義の特許48種を無償で使用させること。さらに当社の技術指導を6ヶ月間行うこと」という条件をつき出してきた。返済が出来ない早川はこの条件を呑むより他選択肢はなかった。失意のどん底で、単身で大阪に向かうことを決意すると、驚くことに若い14人の技術者たちがついてきた。「親方とどこまでも苦難をともにさせてください」と。全てを失い失意のドン底にあったが早川は感泣して再び力が湧いてきたという。この14人の信頼があれば再起出来る。再起して彼らに報いたいという気持が自身を奮いたたせた。

都落ちして日本文具製造の工場で、シャープ・ペンシルの企業秘密である製造秘密を伝授しながら6ヶ月間働き、1年後に大阪郊外の田辺で独立した。早川金属工業研究所(後に社名をシャープとする)の看板をかかげた。日本文具製造の契約期限がきたとき、早川は14名に向かって「きみたちは日本文具からは77円の月給をもらっている。早川金属工業にきても、その三分の二も支給してやれない。日本文具にとどまる方が賢明だよ」と言った。しかし14名は「苦難を共にします。親方がきっと素晴らしい発明をすると信じている」と言う。またしても早川は男泣きに泣いた。

シャープ・ペンシルの生産する特許権は奪われていたのだから文字通り無からのスタートであった。ペンシルはつくれない。そこで昔やった万年筆の付属金具やクリップの新型の物をつくって市内のメーカーの店に販売をして歩いた。
そうこうしているうちに間もなく早川にチャンスがやってくる。大阪の心斎橋にある時計店を訪ねた時だった。偶然にもそこに日本に初輸入された2台の米国製鉱石ラジオが到着した。飛びつくように財布をはたき1台を購入した。持ち帰って仲間と直ぐに分解に取り掛かる。

ラジオ放送が翌年開始することは決まっていたので電気器具商などがラジオの研究に乗り出したばかりであった。「事業を大きくするには新しい仕事を見つけ出すしかない、常に人より先を歩まねば」を信念にラジオ製造に没頭する。そして「国産ラジオ受信機第1号」が完成した。早川はこの鉱石式ラジオを「シャープ」と命名した。奪われたシャープ・ペンシルへの愛惜があったからにほかならない。

放送開始に合わせて市販すると飛ぶように売れた。事業が軌道にのっていく。しかし鉱石ラジオはさほど複雑ではなく、無線の知識があれば誰でもつくることが出来、つくれば売れる時代が続いた。そんななかで早川は真空管ラジオが登場するといち早く輸入品を手に入れて鉱石ラジオのときと同様に分解して研究を重ねた。

そして真空管ラジオを完成させ、売り出したのは1928年(昭和3年)であったが、その前年から起こった金融恐慌のため多くのラジオメーカーが倒産したが、早川はこの真空管ラジオを開発してたため危機を乗り越えることができた。

その後も早川は次々と新製品を開発していく。シャープは1951年( 昭和26年)他社にさきがけて国産初のテレビ第一号の試作に成功。NHKのテレビ放送がはじまる1ケ月前に、日本初のテレビ受信機を発売して成功を収めた。

その後、1960年(昭和35年)には初のカラーテレビを発売。さらに1962年(昭和37年)には日本初の電子レンジを発売した。続いて1964年(昭和39年)オールトランジスタ式の電卓を発売したがこれは世界初であった。

「初物の早川」と言われ「人に真似をされる商品づくり」をモットーに開拓者魂を発揮して早川はシャープを総合家電メーカーへと育てていった。

天災は忘れたころにやってくる。早川が関東大震災で全てを失ってもシャープという総合電気メーカーを築けたのは、それでも自分を信頼してついてきてくれた14名の部下がいたからこそであろう。

今後も日本にいるかぎり、いや地球上にいるかぎり天災を避けることは不可能である。しかし人からの「信頼」を培ってきた人は幾らでも復興が出来る。

以上

文責 田宮 卓

参考文献
青野豊作 「名言物語 人生の極意、経営の勘どころ」講談社
小堺昭三 「人望 この人間的魅力を見よ!」三笠書房
日本経済新聞社 「私の履歴書 経済人6」日本経済新聞社




早川徳次(シャープ創業者)語録全8件


「私に整理などできる話ではなかった。私は人員の整理をやるくらいなら、むしろ会社が閉ざされる方を選ぶであろう。会社がつぶれても従業員諸君と一連託生ならばもって瞑(めい)すべきではないか」
注釈:経営の合理化(リストラ)を図り、再建をするならばもう一度、融資をしてもよいと銀行が言ってきたことに対して


まねするより、まねされる商品をつくれ
「まねするより、まねされる商品をつくれ。ほかがまねてくれる商品は需要家が望む商品、つまり売れる商品である。だから、いつもほかがまねてくれる商品を出すように心掛けていれば、企業は安定して成長していく」


「私自身について言うなら、よいアイデアの生まれるのは儲からなくて、何とかしようと苦しんでいるときである。だから私は、儲かることをあまり喜んでいない」


「つね平生、よく勉強していて、ほかでできないものをたった一つ発見するなら、その人は成功するだろう」


「常に他より一歩先に新境地を拓かねば、到底事業の成功は望まれない。これは年来の私の信条である。それで私が異常なまでに新しいラジオ機械へ関心を持ったのも、当然といわねばならぬ」


「われらの事業の完成は、決して単なる個人の野心や自己満足だけでいいわけはない。事業の公共性という点から私は事業達成の目標は、よりよくより高い社会への奉仕と感謝の実行であると信じたいのである」


「社会に対してお返しもしない事業をもって、事業は趣味(遊び)ではないなどとは言ってもらいたくない」


「規制された予算どおり実行できる企業があれば、その企業は必ず安定堅実である」

・被害少年の祖父母は市内で銭湯を営んでいる。加害者に恐喝されたカネの大半は、孫かわいさで
 祖父母が渡したものだと言われる。祖母は、言葉少なにこう語った。
 「(マスコミには)なんにも言うなと言われてる。先生がな・・・、知っててな・・・、
 なんであんなかわいそうなことに・・・(肩を落として涙ぐむ)」

 少年は自宅マンションの14階から飛び降りて自殺したと見られる。同じマンションに住む女性住民が言う。
 「あの朝、高校生の子供を見送って、仕事に出ようと家に鍵をかけたところで、ドスッ!って大きな音が
 聞こえた。下に降りたら、広場にあの子が仰向けに倒れてた。目は開いたままでね・・・。隣にはあの子の
 双子のお姉ちゃんが、涙をポロポロこぼしながらしゃがんでた。あんな明るい、面白い子が、なんであんな
 ことになったんか・・・」
 これらはいずれも、本誌記者が現場を歩き、直接聞いた肉声である。

 一方で、この国にはいまこんな言葉が溢れている。
 〈クズをはびこらせるな。奴らは同じ人間じゃない〉〈屑の親の遺伝子から屑の子ができたんだな〉
 〈犯罪者庇う国ってなんだよ。人の人権奪っといて自分の人権守ろうなんざ甘いんだよ〉
 いずれもネット掲示板に躍っている。匿名で、いじめの加害少年とその親に罵声を浴びせている。
 ネット上には、加害少年の実名と顔写真、さらに親の実名と顔写真がまとめてアップされている。

 事件について語っているという一点では同じだが、両者の間にはあまりにも大きな隔たりがある。
 孫を失った後も番台に座り続ける祖母の、身体性をともなう哀しみ。
 まったく無関係の匿名の人々がまき散らす、インターネット上での怒り。
 どちらに重みがあるか、論じるまでもないだろう。
 だがこの国ではいま、後者の怒りの炎が猛烈な勢いで広がり、前者の切実な哀しみは
 すっかり置き去りにされている。

 ネットの書き込みはさらにエスカレートする。
 〈加害者の父親が元警察官ならしょうがねーよな〉〈加害者は在日コリアンと判明した!!〉
 いずれも事実とは異なる情報だ。だが、こうした誤報がまたたく間に拡散し、さらにバッシングが
 繰り広げられる。




 「凸」というネット用語をご存知だろうか。凸=突撃を意味する。
 「ネット上で晒されたこれらの情報に基づき、いきなり押しかけて抗議することを凸と言い、電話で
 文句を言うことは『電凸』と呼ばれます」
 そう解説するのは『ネットと愛国』の著者・安田浩一氏だ。安田氏は同書で、ネットの書き込みや
 デモで在日コリアンのバッシングを行う「在特会(在日特権を許さない市民の会)」の実態を
 レポートした。安田氏が続ける。
 「私のところにも取材で知り合った在特会の会員や元会員から次々と電話がかかってきました。
 『加害者の親は在日だと聞いています』『さもありなん、という事件ですよね』
 彼らは一様に興奮し、むしろ事件を楽しんでいるように聞こえました。新たな『敵』を発見して
 『正義』の名のもとに集団で攻撃する。そこにはもはや、自殺した少年に対する思いや、いじめ問題に
 対する深い考察はない。むしろ『祭り』を楽しんでいる。

 『ネット右翼』と呼ばれる彼らのような存在が、近年急増しています」
 ネット上の「祭り」は、現実世界では「デモ」という形を取る。ネット右翼を中心とした人々が参集する。
 大規模なものだけで以下の5件が確認された。

●いじめ抗議大津市大・散歩・会 7月14・15日、中学校前~大津警察署
●いじめ隠蔽の撲滅を目指した市民によるデモ 7月17日、大津地方裁判所
●××中学校再生祈念OFF会 7月18日、中学校前
●いじめ厳罰化 官邸前抗議大・散歩・会 7月19日、首相官邸前
●イジメを無視する日教組教育を許さないぞ!デモ 7月22日、大阪・靱公園

 14日のデモでは、加害少年の実名と顔写真を掲載したプラカードを持っていた男性が、滋賀県警に
 連行される騒動も起きた。

 本誌は今回、大阪のデモを主催した女性(35歳)に話を訊いた。彼女は元在特会の会員で
 ネット上では「ジェリー」のハンドルネームで知られている。

 ---なぜデモをしたのか。
 「大津市が日教組の強い地域だと知ったからです。若者の道徳心の欠如は教育勅語を知らずに
 育ってきたから。いまの教育現場が許せないんです」




 ---今回の担任の先生は日教組なのか。
 「安易に結びつけるのは危険だと自覚していますが、日教組に代表されるやる気のない教師だと思います」
 ---ネット上の加害者バッシングをどう思うか。
 「加害者が反省していないという情報が次々上がってくるので、そりゃ許せないですよ。
 ただ、ネットの情報を鵜呑みにするのは危ないとは思う」
 ---あれもまた、新たないじめだとは思わないか。
 「加害者が反省していて、罪を償うつもりがあるなら話は違うが、そうじゃないからね。
 親にも責任があるし、転校して同じことしているという情報もある。だからバッシングは納得です。
 『そこまでやらなくても』と思える人間ではないんですよ、私は」

 「ネットの情報を鵜呑みにするのは危ない」と語るものの、今回ネットで仕入れた情報を精査
 している様子はない。前出の安田氏はネット右翼の傾向をこう分析する。
 「ネットでの言論は『シンプルでわかりやすく、アグレッシブであればあるほど』受け入れられる。
 情報が正しいかどうかより、受けるかどうかのほうが大切なんです。加害者への加罰感情を
 爆発させ、賛同を得ることに快感を覚える。ネット右翼の人々の暗い情熱の向こうには、強烈な
 承認欲求があるんです」
 自分自身の「満たされない思い」のハケ口を、ネットの書き込みやデモへの参加に求める。
 そんな彼らの行動は、事件現場に近い人たちにとって、時に事件そのものよりも不気味な存在となる。

 中学校校門付近に住む70代女性が言う。
 「週末に、日の丸をつけた大きな車で『日教組粉砕!』『いじめを許さない!』って拡声器で
 怒鳴ってましたよ。気持ちのエエもんやないね。孫が『ばあちゃん、犯人の顔見るか』って
 携帯電話の画面を突きだしてきましたよ。そんなもん、よう見ませんわ。ホンマに怖い時代です。
 人の心の悪いところだけが大きくなってきてるのと違いますか。パソコンは便利なものかも
 知れへんけど、得体が知れなくて、ホンマに気持ち悪いです」




加害少年と名字が同じというだけで、ネット上に「祖父」として実名と勤務先の写真を晒された人もいる。
 ガセ情報をブログに晒して話題になったのがデヴィ夫人。「その方はまったく無関係でした」と後に
 謝罪をしたが、その後も「ニコニコ生放送」に出演してこう語っている。
 「(加害者の)顔写真を出してもいいし、名前を出してもいい。過保護にしてはいけません。
 たとえ顔を出しても、5年もすれば忘れられます。加害者は被害者に万引きをさせたり、40万円も
 貢がせたり、ヤクザ顔負けです」

 デヴィ夫人に代表される「攻撃的な女性」をネット上では「鬼女」と呼ぶ。
 「暇な主婦が事件について徹底的に調べて、情報をどんどん2ちゃんねるなどに上げる。彼女らが
 集う掲示板は『鬼女板』と呼ばれて注目されます。生活保護問題でも、次長課長・河本の自宅を
 突きとめた鬼女がもてはやされていました」
 ネット右翼や鬼女は書き殴って溜飲を下げるのかもしれないが、ガセ情報を流されるほうは
 たまったものではない。デヴィ夫人らに「祖父」と名指しされた男性は、名誉毀損で滋賀県警に
 被害届を出した。当事者が否定しようとも、鎮火するのは容易ではない。

 ネット社会の病理をまざまざと見せつけた今回の事件。津田塾大学の萱野稔人准教授はこう語る。
 「当該の中学校には全国から苦情の電話が殺到し、業務に支障をきたしたため、関係者しか
 番号を知らない新しい電話を架設したそうです。加害者と学校は全国から猛バッシングを受けており、
 これはある種のリンチ状態。プライバシーが暴かれる背景に、フェイスブックなど個人情報を
 ネット上に掲げる人が増えたことも挙げられます」




 精神科医の香山リカ氏はネット上に「二元論」がはびこっていると指摘する。
 「たとえば私がいじめ事件一般についてコメントをすると、『加害者の肩を持った』とすぐに
 非難されるんですね。怖いのは、非難する人は面白おかしくやってるのではなく、真剣に
 『あなたは加害者に非がなかったと言うのか』と極論を言ってくる。世の中を善と悪の二つに分けて
 その判定をみんなでし合っている。すごく表面的な反応で、事件の背景を探る発言も許されないんです」

 一方で、ネット住民たちが大津警察署へ「電凸」を繰り返したことで、警察が重い腰を上げて
 捜査に着手するという現象も起きた。ネット発のデモに詳しいジャーナリストの津田大介氏が言う。
 「少年の親からの被害届を3度も突っぱねた滋賀県警が、1万件レベルのクレーム電話に音を上げた。
 ネット上の『怒りの共有』が社会の状況を変えた意味は大きい。間違った情報も多く『ネットは
 ろくでもない』という意見が出るのもわかりますが、現実を動かす肯定的な部分もある」

 少年の最期を目撃した前出の女性住民は、こう言って泣いた。
 「ここのマンションは地元以外から来た人も多くて、自治会では『ネットで情報が出回ったら
 売値が下がる』と心配する意見が大多数。あの子が落ちた場所もすぐに片付けられて、
 何事もなかったかのようです。私は、誰もあの子のことを考えてないように思えてならんのです」



(以上、抜粋)


 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33184




警察なんか1度捕まえたら誤認逮捕だろうがなんだろうがお構いなしに逮捕まで持っていっているだろう。

ネットが怖いとか良く言えたもんだ。

1番怖いのは香山リカのような偽善者が、明後日の方をみてペラペラと喋る事。

それを無理やり正当化して誰かさん達にとって都合の良い法案をビシバシ決められてしまうからねぇ。

精神科医って危ないんですね。

ヤダヤダ。

6月にブラジル・リオデジャネイロで行われた「国連持続可能な開発会議」(リオ+20)。この会議におけるウルグアイのムヒカ大統領の演説が話題となっている。
7月22日、若いリーダーや芸術家の活動を紹介するサイト「Hana.bi」で「もっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ」として、動画とともに日本語訳が記載されて以降、SNSなどを通して、じわじわと話題が拡がっているのだ。


8月5日現在でTwitterのリツート数6000超、Facebookの「いいね」は6万9000にも及んでいる。スピーチの内容は、「ハイパー消費社会」の問題点を上げ、生活スタイルを見直し、幸福とは何かを問うたもの。
冒頭で、「ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか」と疑問をなげかけ、「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」などと説く。

同サイトによれば、ムヒカ大統領は口だけではない実行を伴う政治家で、「個人資産を87%寄付して家とトラクターだけで暮らしている」という。そのため、「世界で最も貧乏な大統領」と呼ばれていて、その人となりにも感銘を受けた人が多かった。この記事を読んだ人は、Twitterで
「じんと、きたスピーチ」
「もっともグローバルな問題であると同時に、もっともプライベートにも考えさせられる問題ですね」(原文ママ)
「日本には豊かだけど貧乏な人がたくさんいる」

6月22日のリオ+20閉幕から1カ月もたってから更新された記事が、最終的には大きな反響を得ることとなった。速報性だけではない、評価されるネットニュースの特徴が見られた好例ともいえるだろう。(記事引用元: web R25)

※動画には日本語訳が入っています



>>>ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ

リオ会議(Rio+20)は環境の未来を全世界で決めて行く会議で、日本メディアも新聞やテレビで大きく取り上げてきたのに、もっとも衝撃的で環境危機の本当の問題を唯一­示し、考えさせられるウルグアイ大統領の本音スピーチを誰も日本語に訳していません!


リオ会議に期待を寄せ、Youtubeで各首脳のスピーチや、かの有名な伝説のスピーチをしたサヴァン・スズキさんの映像も見ていました。リオ会議では各国首脳が集まり、­地球の未来を議論し合う場なのに、各国首脳は自分のスピーチを終わらせたら、一人一人と消えて行ってしまいました。世界中から何時間もかけてこの場に来ているのに、みな人­の話は聞かず自分のスピーチで済ませている代表者が多いリオ会議だったと思います。

ウルグアイのような小国の大統領は最後の演説者でした。彼のスピーチの時にはホールにはほとんど誰もいません。そんな中、カメラの前で残したスピーチは、その前まで無難な­意見ばかりをかわし合う他の大統領とは打って変わって、赤裸々に思っていることを口にしています。世界で最も「貧乏」な大統領と言われているエル・ペペ(愛称)が世界に対­してどんなメッセージを残したのでしょうか。私にとってはいつも考えなければならない重要なスピーチにもなりました。



国連持続可能な開発会議(リオ+20)(2012年6月20日~22日ブラジルリオデジャネイロ)

ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)


10万時間の電球を作れるのに作らない
私が昨日発狂した事柄に相通ヅル。
すぐに壊れる物を作らなくては消費が減る。
それは分かるが責めて消費者側にも正しい選択権を与えて欲しい。
でなければ、
モノは大事にするものだと言う前に『子供にも新しく買った方が得だ』と教えていかなければならない。
このような教育で未来を生み出す子供が育つとは思えない。

http://imogayu.blogspot.jp/2008/06/blog-post_30.html

2008年6月30日月曜日

 今日はニチイ学館が偽装請負をやっていたのを注意されたことをネタにブログを書こうとしてましたが、今もやっているNHKニュースで突然ビッグニュースが入ってきました。そのニュースというのも、あのヤマダ電機のものです。
 私は以前からこのヤマダ電機が非常に嫌いで、買い物も絶対にここではしないようにしてきました。というのも、ヤマダ電機はそれまで首位であったマツヤ電気を追い抜き、専門量販店企業で初めて売上高一兆円を越した企業ですが、わずかに耳に入ってくる情報だけでも法律違反のオンパレードで、いわば不正を行って利益を多く受け取っているのが明白だったからです。

 その代表的な法律違反の例というのも、数年前から始まった家電リサイクル法の代行です。この法律が定められてから、家電製品の大半はその処分する際に税金がかけられるようになりました。たとえばテレビだと2835円、エアコンだと3150円を処分の際に業者や自治体に支払わねばならなくなりました。
 そこにつけ込んだのがこのヤマダ電機です。この家電の処分はヨドバシカメラやビッグカメラといった家電量販店でも代行をしてくれ、その際には他の場合同様に処分品を引き渡す際に費用を払わねばならないのですが、なんとヤマダ電機は処分費用を消費者から受け取るだけばかりか、そうして集めた家電を処分せず、そのまま中古家電製品として中国などに輸出、販売していたのです。本来、消費者が払った処分費用はヤマダ電機を仲介して自治体に納められ、中古家電製品も各自治体の処分場で処理されるはずなのですが、それをヤマダ電機は処分費用をタダ取りするどころか、国際条約でも禁止されている、廃棄物の海外輸出までやって二重に不正に儲けていたのです。

 こう言ってはなんですが、何故この問題が大きく取り上げられなかったのか、強い不満と憤りを感じます。厳しいことを言いますが、恐らくヤマダ電機が各メディアに多くの宣伝費を払っているのがその一因でしょう。まだほかの民放はチェックしていませんが、今回明らかになった事実もNHKで私は知りましたし。

 そんなこんだで今日のハイライトです。たった今入ったニュースによると、ヤマダ電機はこれまで取引先のメーカーやその関連会社の社員を集め、タダで店の手伝いをさせていたそうです。主な作業内容は新規店舗開店時の商品陳列や販売員で、少なくともこの一年間で二万六千人はかり出されていたようです。なおその方たちへの報酬は一切なく、費用は派遣した企業側が負担したようです。まぁ普通の給料扱いだから、実質タダ働きの派遣ですね。
 今回、公正取引委員会はこのヤマダ電機を、販売店側の強い圧力、人員を派遣しないとそのメーカーの商品を販売しないなどのプレッシャーで、不当に人員を働かせたということで厳重な注意を行いました。

 なんというか、反省のない会社です。知らない人はしょうがないですが、知っててこんな店に買い物に行く人の気が知れません。それにしても、真面目に法律を守っている企業が落ちぶれて、こういう不正をやりまくっている企業の羽振りがいいなんて、どんだけ狂った社会なんでしょうか。そりゃこんな中で生きている人間も狂ってくよ……。
投稿者 花園 祐 時刻: 19:04


アホヤマダ電機に修理を出した物が返ってきたんですけどね、

『どこを直したんじゃゴラァパンチ!

人の話聞いてんかゴラァパンチ!


と、ここまで口汚く罵りたくなるくらいに腹が立ったので、

ヤマダ電機の搾取と不正の記事を貼り付けてみました。

そしてこいつ等の悪かろう悪かろうのスパイラルな仕事ぶりは、本当にどうでも良い。

だけども、このように自分の身に降りかかった時、

仕事や確認の遅さと1回で対処出来ない無能ぶりのおかげで反日はヤマダの為にイラつきながらも対応待ちをしないといけない事。

なんでそこまで仕事が出来ないの?と問いただしたくなる。


今年の8月は陽線になるんだってさ。


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3段下げをしているから6月からはその調整中なのですね。

思うことが結構あるのですけど、

今日はもう時間切れなのでまたです(o・・o)/~



ECB総裁発言、直接的支援を意味するなら歓迎=安住財務相

$ブー子のブログ[東京 27日 ロイター] 安住淳財務相は27日、閣議後の会見で、ドラギ欧州中央銀行(ECB)総裁発言を好感してユーロが対ドルで上昇に転じたことに関連し「これまで個別行に直接的な資金(支援)はできないこともあった。もっと思い切って、直接的な支援をする意味であれば歓迎する」と述べた。
また、米ボルカ―ルールの適用で、当初案で規制対象だった日本国債を除外する方向であることを日本側に伝えたとの報道に関しては、具体的な報告はまだ受けていないと述べた。

26日の海外市場では、ドラギ総裁発言を好感し、ユーロが対ドルで2週間ぶり高値に上昇した。ドラギ総裁は26日、ECBにはユーロ圏を守るためにあらゆる対応を行う用意があると語った。

ドラギ総裁発言の背景にはスペイン国債の利回り上昇に対する「危機感」があると述べ、「経済の底上げは欧州危機の収束に不可欠な問題だ」と語った。

<ボルカールールで日本国債適用除外、具体的な報告はまだきていない>

米金融規制改革法(ドッド・フランク法)では銀行の過度なリスク投資を抑えるため、米銀の自己資金による売買(自己勘定取引)を禁止する「ボルカールール」の導入を目指している。この金融規制について、米金融当局は当初案で規制対象だった日本国債を除外する方向で最終調整に入ったことを非公式に日本側に伝えたと一部で報じられたが、安住財務相は「具体的な報告はまだきていない。報道通りであればうれしい」と述べるにとどめた。

この問題では日・英が共同で意見書を新聞紙上に寄稿するなど、各国から問題の指摘が噴出している。安住財務相はリーマンショックを教訓に「資金のあり方についてある程度厳しく規制をかけようという流れは十分理解できる」としながらも、一方で「金融市場を収縮させては世界経済の減速を招きかねない。同時に、規制が厳しすぎると邦銀等の国内取引に支障が出る」として、ガイトナー米財務長官には再三再四、日本の立場を伝えていることを明らかにした。そのうえで「(米側からは)日本の立場は十分理解できるので何らかの対応は考えたいという話をいただいているのは事実だ」としたが、報道のような報告はまだきていないとした。

衆院での採決日程で協議が続く特例公債法案については、「今国会で、なんとしても成立を期したい」とした。一方、消費増税を含む社会保障・税一体改革関連法案に関しては、参議院での採決の前提となる中央公聴会の日程は決まったが、本会議採決の日程をめぐって与野党の攻防が激化している。通常なら8月10日の採決が可能な日程だが、採決の見通しについて安住財務相は「院としての結論を出す時期が、与野党円満な形でくることを望む」と述べるにとどめた。

(ロイターニュース 吉川 裕子)


<ボルカールールで日本国債適用除外、具体的な報告はまだきていない>

日本国債の暴落の負のスパイラルを引き起こすボルカールール。

欧州のポジショントークに反応するよりも、

安住は日本を狙っているボルカールールに死に物狂いで抵抗するのが当たり前。

だけどこのヘラヘラ感。

( ・∀・)っ(*>∀<)ダメダヨーこんな奴。


Bloomberg 8月2日(木)6時29分配信

  8月1日(ブルームバーグ):国際通貨基金(IMF)は日本の銀行による大量の国債保有が金融システムのリスクになっているとの報告を発表した。
.日本の金融システムの安定性を審査したIMFスタッフ報告は、「大量の国債保有により、金融システムは急激な利回り上昇の影響を受けやすくなっている」と指摘。国債エクスポージャーが「日本の金融システムが抱える中心的なマクロ金融リスクの一つとなっている」と続けた。
.今回のリポートは、国債を過去最高水準近くまで抱え込むことで銀行は数兆円を失うリスクがあるとの日本銀行の懸念を裏付けるものだ。
.IMFスタッフは「ストレステストは、100ベーシスポイント(bp、1bp=0.01%)の市場利回りショックを伴う悪いマクロ経済シナリオでも影響は管理可能であることを示しているが、こうしたエクスポージャーには厳格な監視、リスク管理の改善、緊急時の計画が必要だ」と記している。
.一方、IMFは1日公表した別のスタッフ報告で、デフレ対策として日銀に一段の金融緩和を求めた。日銀の資産購入プログラムの拡大は融資を促し、円高対策になると指摘した。
.原題:IMF Warns Government Debt Holdings Risk Bank Stability inJapan(抜粋)



日本はIMFに5兆円の出資表明しました。

5兆円出すのはやめましょうね。

日銀にも口出ししてきましたね。

うるさいですね。

世界恐慌に陥っている時に投資しなくなっているから銀行はジャブ付いた資金で国債を買っている。

まだ起きていない日本国債の負のスパイラルの心配をするよりも、

安住の坊ちゃんが勝手に買い込んでいる米ドルで大損中の負のスパイラルの方が、

はるかに危機的のように思う。

ところで財務省ってのは、

東大の法科ばかりなのですね。

畑違いは何かとご苦労が多いようですね。


『柔道』をしようと言う気持ちがみなぎっていましたね。





ギリシャのイリアス・イリアディス選手と西山将士選手の嬉しそうな顔がとっても可愛い。

小学生のダチ同士のフォトショットみたいで和めた。