「日本人の知らない日本語2」は先週紹介した「日本人の知らない日本語」の続巻で、日本語学校で日本語を教えている海野さんの面白ネタを蛇蔵さんが漫画にしたコミックエッセイである。
前作はなかなか面白かったし、為になるところもあったのは勿論なのだが、それだけではなく外国人が日本語を学ぶ視点だと疑問の持ち方がそもそも違っているということがよくわかった。
個人的には特にこの点が、日本語を相対化して見直すという意味でなかなか良かった。
日本人でも日本語について知らないことは沢山あるねぇ、と改めて思ったのは前作同様であったが、続巻では標準的なあるある話の先にあるネタとなっていたので今回も紹介することにした。
---以下、ネタばれあり注意---
前作の記事でも書いたが、学校で教えるという場面での独特の難しさの一つは、なんとなくわかっていることをハッキリ説明しなくてはならないところである。
話は「失礼極まる」と「失礼極まりない」はどちらがより失礼かを生徒にきかれるところから始まった。
海野さんの説明はでは、「失礼極まる」は失礼さが限度に達していることで、「失礼極まりない」は失礼さの限界を超えて限度がないということだから、「失礼極まりない」と言う方が失礼であるということだった。
ふむふむ、解答は概ね想定通りであったが、この表現が二通りあるというところに気づきがあった。
字面を追うと解答の通りなのだろうが、「極まる」というのだからそれはもう最大限なのだとすると、「極まりない」という言い方には別のニュアンスがあるようにも思われた。
次の話は「スッパ抜く」についてであった。
この「スッパ」とは何か?
言われてみると、わから~ん。(笑)
これについては海野さんもわからなかったので、後日回答としたそうである。
でその答えは「スッパ」は「透破」または「素破」で、これが忍者のことであり、情報を素早く手に入れるところから「スッパ抜く」となったということであった。
忍者は遠い昔に滅んだが、この言葉はよく現代まで生き延びたものだ。
簡単なようで案外難しいと思った説明は「うしろ」と「あと」の違いだった。
動かないものや場所・方向には「うしろ」、動くものや流れる時間には「あと」を使うことであった。
いきなりきかれたらこうは説明できないだろうなぁ。
全体としては、遠足での出来事やお正月の過ごし方など、前作よりも異文化ネタが多かった印象であった。
この手のネタで一番印象的だったのは、中国人の学生が銭湯の「湯」と書いてある暖簾を見て、湯は中国語ではスープのことだからスープ屋さんだと思ったという話である。
漢字と言う共通項が生活によって違うものになっていく、ということが強く感じられた事例であった。
日本語についての知識として勉強になったのは「ら抜き」言葉について。
例えば、「着る」や「来る」という動詞は、可能形だと「着られる」「来られる」となり、敬語(受身・尊敬形)でも同じく「着られる」「来られる」となる。
そのため、可能形の時に「ら」を抜いて「着れる」「来れる」とする言い方があり、一概に間違いとは言えないという。
現状では、話言葉ではOK、書き言葉ではNGとれる場合が多いということだった。
なるほどなぁ、と思ってしまった。
詳細は割愛するが、濁点と半濁点の由来を説明しているところも勉強になった。
続巻も、全体として面白く読めただけでなく、言葉は生き物であることが強く感じられてなかなか良かった。
シリーズは以下。
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