保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書2018/第2部・第三課 「士」の矜持と道と徳の哲学(2) | 日々是本日

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 保立さんの「現代語訳 老子」を少しずつ読んでいる。

 

※本の概略についてはこちらを参照

 

■第2部 星空と神話と「士」の実践哲学

   第三課 「士」の矜持と道と徳の哲学

 

 「道」と「徳」の説明の後は、実社会の話へ進む。

 

 取り上げられるのは原典63章である。

【現代語訳】
世の中の困難は細部に原因があり、大問題は些細なことに宿っている。

【書き下し文】

天下の難事は必ず易きより作(おこ)り、天下の大事は、必ず細(ちい)さきより作(おこ)る。

 

※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p245-246

 保立さんはこの部分について、「老子は社会というものは個々の人間という小さな場から見通さなければならないことを説いている」(p247-248)と言っている。

 

 これまでも度々述べられてきた「微かなものを見よ」ということ、「大国を治むるは、小鮮(しょうせん)を烹(に)るが若(ごと)し」といったことが思い出される部分である。

 

 そして、在り方として原典51章が取り上げられる。

【現代語訳】
「徳」は、生み出しても私有せず、為てやっても恩にきせず、成長させても支配しようとしない。だからこれを神秘な玄徳と謂うのである。

【書き下し文】

生じて有せず、為すも恃(たの)まず、長ずるも宰(さい)たらず。これを玄徳と謂う。

 

※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p254-255

 この私有せず支配しないという在り方については保立さんの解説をそのまま引用しておきたい。

老子が「道」に男性的なニュアンス、「徳」に女性的なニュアンスをみていることは何度かふれた通りであるが、老子は男は女性的な「徳」をもたねばならないということを強調する。これは老子のもっていた一種のフェミニズムが、「道」が男性、「德」は女性という単純で固定的な役割分担の図式を描かせなかったと考えることもできる。「徳(いきおい)、生み出しても私有せず、為てやっても恩にきせず、成長させても支配しようとしない。」というのは、男にとっても「玄徳、神秘な徳」だというのである。

 

※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p257

 基本的に男性が支配を手放すというのは相当にしんどいことであるが、ビジネスにおいて上意下達式のマネジメントが疑問視され始めている今日にあっては、現代的な意味もあると思われる。

 

 更に、何を拠り所にしていくかということが原典79章で説明される。

【現代語訳】

深く大きな怨恨を和(なだ)めるのは無理だ。それは必ず別の怨恨を引き起こす。無理するのは本性(もちまえ)(善)にあわない。それだから有道の士は契約にもとづく根拠ある主張は続ける。ただ割符の半分を突きつけて人を責めるようなことはしない。

 

【書き下し文】

大怨(だいえん)を和すは、必ず余怨(よえん)有り。安(いず)くんぞ以って善と為すべけんや。是を以って聖人は左契(さけい)を執りて、而(しか)も人を責めず。

 

※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p258-259

 保立さんによれば、ここでの「大怨」とは社会における和解し難い利害の対立のことである。

 

 そしてここでの契約とは、信頼し守るが税金の取り立てのように剥ぎ取るものではないということであり、背後には第1部・第二課・10講で取り上げた「信」という考え方があるだろうと言っている。

 

 私は、

 

「過去の軋轢は捨てて、今、目の前にある信によるべし。」

 

と読んだ。

 

 以降は別の話となるので次の記事とする。

 

 

▼保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書2018

 

現代語訳 老子 (ちくま新書)

 

【目次】
序 老子と『老子』について
第1部 「運・鈍・根」で生きる

 第一課 じょうぶな頭とかしこい体になるために
 第二課 「善」と「信」の哲学
 第三課 女と男が身体を知り、身体を守る
 第四課 老年と人生の諦観
第2部 星空と神話と「士」の実践哲学

 第一課 宇宙の生成と「道」
 第二課 女神と鬼神の神話、その行方
 第三課 「士」の矜持と道と徳の哲学
 第四課 「士」と民衆、その周辺
第3部 王と平和と世直しと

 第一課 王権を補佐する
 第二課 「世直し」の思想
 第三課 平和主義と「やむを得ざる」戦争
 第四課 帝国と連邦制の理想