サイコパスの本である。
(サイコパスについてはNHK「心と脳の白熱教室」も参照されたい。)
著者は、ジェームス・ファロンという脳科学である。
ある時、著者はアルツハイマー病研究のために山積みされた脳スキャン画像の中に
異常なものを発見する。
その画像はサイコパスであるか、それにかなり一致する画像特徴を有していた。
そして、このスキャン画像のなんと著者自身のものだったのである。
なんと衝撃的な事件であろうか。
サイコパス・インサイド―ある神経科学者の脳の謎への旅
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研究対象の脳画像に著者のものが含まれていたのは、
正常者群の画像として、著者自身を含む家族の脳画像をスキャンしていたからである。
著者はサイコパス研究の専門家でもあり、
かつ、自分自身の脳がサイコパスに近いものであることを発見してしまった、
非常に稀な脳科学者である。
そして、2008年のTEDでの講演で自分自身の脳もサイコパスに近いことを公表した。
この手の本で当事者が語るというのは稀であるが、
当事者がその領域の専門家である点で更に貴重な本である。
著者がこの本を書いたのは、
サイコパスとは何であるか?ということの真実を、
当事者の立場と研究者の立場の両方から伝えるためであると言っている。
この本が出版されたのは2013年であり、
サイコパスであることを公表した後の周囲の反応についても書かれている。
この点もなかなか興味深い。
目次は以下の通りである。
プロローグ
第一章 サイコパスとはなにか?
第二章 悪の醸成
第三章 殺人者の脳
第四章 血のつながり
第五章 第三の立脚点
第六章 表沙汰
第七章 愛とその他の抽象的概念
第八章 私の脳内の一群
第九章 サイコパスの脳を変えることはできるのか?
第十章 なぜサイコパスは存在しているのか?
訳者あとがき
出版元の紹介サイトでは、
「プロローグ」と「訳者あとがき」の全文が読める。
・サイコパスの概念について
サイコパスとはなにかということについて、第一章から定義の観点での補足をしておく。
サイコパスとは正式な専門用語ではなく、「野菜」という言葉のように、
実用上の概念である。
正式に定義されたものに近いものとして、
DSM(アメリカの精神障害診断マニュアル)の
反社会性パーソナリティー障害の基準が紹介されている。
1. 社会的規範への不適合
2. 無責任さ
3. 人をだます
4. 他人の幸福への無関心
5. 無鉄砲・無頓着
6. 計画が立てられない
7. 易怒性、攻撃性
精神科医ロバート・ヘアのサイコパシー・テストに含まれる要因としては、
以下の4因子である。
対人関係因子: 浅薄、尊大、欺瞞
情動因子: 後悔のなさ、共感性欠如、行動に対する責任を引き受けることの拒絶
行動因子: 衝動性、目的欠如、信頼性欠如
反社会的因子: 易怒性、非行歴、犯罪歴
そして、それぞれの因子の強弱には個人差がある。
---以下、ネタばれを含む感想---
●サイコパスの有能性について
まず、サイコパスは社会的に有能な場合もあるということである。
これには、著者が有能な脳科学者であることからもわかる。
また、NHK「心と脳の白熱教室」でも強調されていた点である。
●サイコパスの病因論について
サイコパシーの病因論として、著者は三脚スツール理論と呼ぶ理論を提案している。(p117)
これは下記の3要因が満たされた場合に、
人はサイコパスになるという理論である。
1. 脳機能の異常(前頭前野皮質眼窩部と側頭葉前部、扁桃体の異常なほどの機能低下)
2. いくつかの遺伝子のハイリスクな変異体(有名なのは戦士の遺伝子)
3. 幼少期早期の精神的、身体的、あるいは性的虐待
著者は、3の幼児期の虐待がなかったために、典型的にサイコパスにはならなかったという。
しかし、サイコパス的な傾向を全面的に否定しているわけではない。
著者は自分自身を向社会的サイコパスであると位置づけている。
これは、サイコパシー・テストに含まれる4因子のうち、
反社会的因子が欠けているサイコパスという意味である。
(他の3因子には多数が該当する。)
著者は自分の人生を振り返ってみれば、
確かに他の3因子の結果として考えられるような出来事が幾つもあったと言う。
そして、行動的な特徴ばかりでなく、
他者に対する共感性が欠如していることも認めている。
(この共感性の欠如が脳機能の異常によることも確認されている。)
●当事者体験からの問題提起
当事者体験の観点で興味深いのは、この人生の振り返りの過程で生じた問題提起である。
「いかにして人は自分には共感が欠けているかどうか知るのか」(p161)
言われてみればもっともではあるが、意外であった。
この場合の共感の欠如は、一般の人が、共感はできるがそれがあまり意識されない、
あるいは共感を重要視しないというのとは根本的に異なった事態である。
我々は通常、共感性が低い人に対して共感に必要な脳機能がそもそも働いていない
とは思わない。
従って共感性は低くても、共感とはどういうものかということについての体験的な理解は
あると考えてしまう。
しかしながら、サイコパスの場合の共感性の欠如は異なった事態である。
脳の機能的な異常による欠如であるから、そもそも共感とはどういうものかという
体験的理解がないのである。
著者はサイコパスに共感を感じるか尋ねるのは、
青色色弱の人に青色が見えるかを尋ねるようなものだと言っている。
それ故に著者は、
しばしばあった自分の行動が周りに受け入れられなかったという経験について、
腹立ちや妬み、過剰な反応によるものだと思っていたという。
●サイコパスの治療的側面について(特に9章参照)
著者によれば、この脳の機能的な異常を修復することは、
行動的な側面を抑制するよりも困難であるという。
「食事や瞑想を含む早期介入は行動上の問題を軽減はするが、
共感性や後悔の念の欠如を導いている肝心要の神経心理学的欠損は
残存したままである。
特効薬は存在しない。」(p223)
これについては、今後の医学の進歩に期待したい。
●個人的な幸福感について
著者の問題提起は裏を返せば、
共感できる人には共感できないということがわからない、
ということでもある。
私は、共感の有無は幸福感にどのように影響するだろうかと考えてみた。
共感の有無は幸福感を下げるだろうか?
これはについては今のところ、
幸福感の源泉となる特定のチャンネルがないということであって、
直ちに幸福感を下げるということではないのではないかと考えている。
●サイコパスの存在する意味についてについて(特に十章参照)
「第十章 なぜサイコパスは存在しているのか?」、この最終章には、
9章までとは異なる趣きがる。
サイコパスの存在について、著者は次のように書いている。
「人類が存続するかぎり遺伝子プールに彼らの諸特性を保存しておくというコストがかかり、
平時にあっては社会のはみだし者であり、享楽的寄生者であるにせよ、
しかし非常時においては窮地を脱し、繁殖しつづける可能性がある。」(p244)
この章では当事者の個人的体験やサイコパスという性格特性の枠を超えて、
種の多様性という大きなテーマについて考察されており一読に値する。
著者の指摘している通り、
人類の遺伝的多様性を前提とするならば、
反社会的な部分の発現が抑えられるような、
遺伝と環境の相互作用を十分に考慮した社会作り、環境作りが必要であろう。