最後最後と い い つ つ、
懲りずにまたまた日本武尊関係の神社をご紹介(笑)
今回は実家のある山武郡横芝光町に残るタケル伝承だす!(興奮気味)
この伝承はあまり知られていないこともあり、
ウェブに載せて少しでも地元を盛り上げたい!
ビバ☆横芝!ということで取材にいってきました(笑)
東山ヒガシヤマ神社
山武郡横芝光町遠山トオヤマ字本郷612
狭い道を入った所に鳥居がありました
一昨年の台風被害でしょうか、山肌が崩れてます
足場のフカフカ具合いから、たぶん崩れた土砂の上に
草が生えたんだと
バランス取るのに難儀しました
しかも急坂
鳥居の側にあった小祠
坂を登りきると見晴らしがいい!
木々の向こうに見えるのは高速道路です
御本殿は保存のため覆われていました
立派な本殿
でも千木も神紋もありませんでした
手の込んだ組木細工です
宮大工さんの心意気を感じます
この東山ヒガシヤマ神社は「千葉県神社名鑑」に記載されている由緒沿革よると
社伝に「紀伊国熊野大御神をまつる。(元は 「千葉県神社明細帳」より)日本武尊東方十二道の荒振神及び不服従人等を征伐の折、上総に着船、武社姥ケ山に鬼神が栖み、郷人を悩ませる由を聞いてこれを退治、彼の鬼神を三段に切り、土に埋めた。その切り倒した地を三太刀台と称し、埋めし塚を鬼塚、賊師共の塚を并塚と名づけ、今に地名として残る。なお当山神社の地名を日向と云う。
すごく短い御由緒ですが情報がてんこ盛りですね!
ちなみに御祭神は伊弉册命と一柱のみ記載されています。
「横芝町史」には御祭神として早玉男命・武甕槌命・伊弉册命・事解男命となっております。
熊野神社が勧請されていることは間違いなさそうです。
武甕槌命は大正2年(1913)字神明前に鎮座していた鹿島神社を合祀しているので、この神社の御祭神でしょう。
タケルが倒した鬼神は姥ケ山に住んでいたとありますが、当神社のある遠山に隣接して横芝光町姥山があります。姥山は鵜羽山とも書いたそうですが、この「姥」という文字から「姥神社」を連想しました。
以前に掲載した市原市門前の姥神社はおそらく蘇我氏に係る神社であったために尽く手掛かりが残っておりませんでしたが(涙)
「千葉県神社明細帳」と自身で調査した範囲ですが県内の他の姥神社と比較してみると
■姥神社 市原市門前字人市場1-123付近
御祭神…不詳
(現在は八衢比古神・八衢比売神・久那斗神)
現在元宮地の近くに石碑として残る
■姥神社 市原市椎津字北ヘタ
御祭神…伊弉諾命・伊弉册命
所在不明
■姥神社 富津市花香谷字姥神下443
御祭神…志那都比古命・志那都比賣命
神社となっているが社の小屋の中には庚申塔のみ
■姥神社 君津市内箕輪法木作入会地字高嵜
御祭神…不詳
現在は塞神社の境内社
■姥神社 君津市俵田字姥神
御祭神…大友皇子の乳母
現在は子守神社として同地の白山神社の境内社になっている
■姥神社 長南町長南字愛宕町(台向)
御祭神…大光日
愛宕町会館の隣りに鎮座
■鵜羽神社 睦沢町岩井字宮ノ前831
御祭神…彦火々出見命・豊玉比賣命・鵜草葺不合命
大同元年(806)創建。一宮玉前神社の大祭に参加する一社。
元は鵜羽山大明神とよばれた
■姥馬神社 館山市犬石字尾馬1740
御祭神…不明
子供の疱瘡や咳をなおす神として信仰されていた
■姥山(優婆山)神社 香取市宮下
御祭神…一言主神
香取神宮境外社
里人は弁財天とよぶことから本来の御祭神は
市杵島姫ではないかと「香取志」にある
調べてみたので載せましたが、上記の通り姥(鵜羽)神社及び姥山神社は御祭神に一貫性がま~ったくありません。
参考にならない状態です。(苦笑)
あえてウバヤマ系の神社を取り上げると、睦沢町の鵜羽神社には御祭神に豊玉姫、香取市の姥山神社の御祭神は元は市杵島姫ではないかといわれています。
特に豊玉姫は記紀で火の中で出産し鵜草葺不合命が生まれています。このウガヤを乳母として育てたのが豊玉姫の妹・玉依姫です。
ですから姥神社の「姥」は元は「乳母」という意味であったと思います。そこに「鵜羽」の文字があてられたのは、玉依姫が鵜草葺不合命の乳母であったことにちなむのだと思います。
でも、それなら御祭神に玉依姫を奉斎しているはずですよね。
実は一部の姥神社は後世「子守神社」や「子安神社」と別名で呼ばれている例もあるのです。房総大友皇子伝説の地、君津にも姥神社があるのですが、この姥神社は現在子守神社として大友皇子の墓であるといわれている古墳がある白山神社の境内にあります。
伝説によればこの姥神社は大友皇子の乳母を祀ったものとされているので「乳母=姥」というスタンダードな例になっているのですが、民間信仰の姥神にちなむ特徴である「子供を病気から護り育てる」という信仰から、呼び名が「子守神社」と変化したのだと思われます。
同じ名前の姥神社はたくさんあっても御祭神や由緒の一貫性のなさに反して「子育ての神」としての位置づけには、村境で災いが村に入ってこないように護る道祖神的な役割を担わされてしまったのかもしれません。
御祭神について姥神ははっきりとしませんが、横芝光町姥山の地名由来には姥=乳母=女性が関係しているのは間違いないと思います。
なぜなら東山神社の摂社にこちらがあるからです。
■子易神社 武射郡遠山村字瓜ケ作
御祭神…鹿葦津姫命カシツヒメ
鹿葦津姫は木花咲耶姫の別名です。
多くの子安神社の御祭神はサクヤヒメなので辻褄はあいますが、なぜ「鹿葦津姫」の名で祀るのかです。
鹿葦津姫は正式には吾田鹿葦津姫という名で「吾田」は鹿児島県西部の古い呼び名なのです。
鹿児島といえば隼人です。
遠山や姥山に住んでいた蝦夷たちは隼人族や松尾町八田という地名が残ることから秦氏であったのだと思います。
ところで鹿葦津姫で気が付いたのですが、鹿足爪姫と当て字できるな~と。もしかして前に記事にした開聞姫は隼人の血も入っている?
さて、東山神社の由緒に「鬼神」と記載があります。
日本武尊伝説の中で蝦夷を鬼と表現することはよく見るのですが「鬼神」と表現しているのは中々ありません。
なぜ忌むべき「鬼」に「神」もつけたのか。
もしかしたら神のように崇められる立場の人物、
神の意志を民に伝えることが出来る人物、
「巫女」であったのではないでしょうか?
一氏族の巫女=族長だとしたら畏れて「神」をつけるのも納得ができます。
その巫女を切り倒した地である「三太刀台」は姥山字三刀台ミトダイかと思われます。
埋めた塚である「鬼塚」は小字として残っていないようですが、賊師共の塚である「并塚」は遠山の小字にあります。
ちょっとトンデモなのですが、実は今回啓示のような夢をみて、すっかり東山神社の真の御祭神はこの巫女=女族長だと思い込み参拝したのです。
タケル関係の神社だ~(汗)と身構えて行ったのですが、不思議なことに鳥居をくぐって境内にいる間は全然フツーで。
「あれ?タケル関係の、しかも殺されてしまった人を祀る社なのに何も感じない。やっぱり族長だった女性だから器が違うわ~」
と思ってたんですよね。
取材を終えて裏参道から帰ろうと境内を出た途端、キタキタ~!
蜂と共に剥き出しの敵意というか「なんだお前!立ち去れ!」という空気!あーやっぱりここはそういう神社だよねーと逆に安心しました。
慣れはこわい(笑)
しかしその後、家族が体調を崩したりしたので、やっぱり参拝はあまりお勧めしません。(汗)
ではいつものように境内社。
境内社その1
境内社その2とその3
記録によると
日枝神社(大山咋命)
稲荷神社(稲倉魂命)三峯稲荷神社を勧遷
道祖神(道反命)
があることになっています
田圃を御寄進した方のことが刻まれている石碑
大事にされている氏神様なんですね
裏参道 めちゃ敵意ビシバシです
振り返って坂道具合を収めました
もしかしたらこの雑木林の中に
失われた「鬼塚」があるのかも
最後まで読んでくださったみなさまには由緒の続きを「千葉県神社明細帳」から原文のままお届けします。
是古墳宮牆之中ニ有 神樹雑木壱本ニシテ枝三ツニ分リ磐根堅所結者是可謂千有余年ノ樹也 自古郷人傳言尊■手植也ト 其樹称シテ三柱木ト云 斯古墳霊樹ノ繁栄尚崇神灮之凞々由緒紀録等者天正度ノ火難ニ罹リ焼亡スト 郷人云々依テ創立年月不詳細也
拙い訳ですが
「古墳は宮垣の中にある 御神木は一本が三又にわかれた千年余りは立っていると思われる木で里人によると日本武尊のお手植えだという その木を三柱木と呼ぶ その古墳は霊木が生い茂っているが、なお崇拝され御威光は広域に及ぶ 由緒記録は天正の頃火災により焼失し里人によれば創立年代不詳という」