できれば本に埋もれて眠りたい -38ページ目

「ぼっけえ、きょうてえ」岩井志麻子

bokke

過去も未来もない妾の、地から湧き上がるような、ひと時だけの妖香が匂いたつ表紙は、甲斐庄楠音という画家の絵だそうです。良家の出らしいですが、奇行と奇才の大正・昭和に活躍した画家で、ネットで検索して

http://members.at.infoseek.co.jp/kainoshou/index.html

というサイトも見つけましたが、そう、以前紹介した田中一村と画壇からの不遇ぐあいが同じみたいです。

http://members.jcom.home.ne.jp/hakushou/

とこんなサイトもありました。

さてこの作家についてですが、少女小説やノベライズなどをやっている作家で、この作品は第6回日本ホラー小説大賞受賞作です。

ぼっけえ、きょうてえ」の表紙とタイトルには、目を奪われました。

内容は、というと、妾が客に寝物語で生い立ちをずっと岡山弁で語る、という技ありの設定で、岡山弁が土着の濃厚な気配を感じさせています。

が、語られていることより、背景の貧乏が何より恐ろしい。

「せんべろ探偵団」中島らも

せんべろとは、千円でべろべろになれること、または、飲み屋。

中島らも、というよりは関西の編集者小堀純が、中島らもや弟子やらもの息子と、安くてうまくて雰囲気のいい全国の店を飲み歩きます。

まず興味深かったのはらもがけっこう不機嫌で無口なこと。
意外。でも他人から見たらも像が「とっつきにくい人」という感じで、エッセイなどとは違い新鮮で、逆にらもが身近に感じられました。

らも自身リハビリ中らしく欠席したりあまり飲まなかったりしているところも、祭りの後、という感じで枯淡を感じさせます。

らも意外では、出てくる店はどこもおいしそう。
この時代に、安くておいしいものをだそうという店は、何かしらの職人のような「必要以上は金は取らん」的なポリシーをもっていて、行ってみたくなります。
雰囲気も店主の人柄を反映していることも多く、猥雑で暖かい庶民の店を楽しめます。

関西を中心に関東・中部・中国・九州と出かけているのもへんにローカルにならずよかったです。

どこかの店にいってみるかな。

「塩狩峠」三浦綾子

塩狩峠三浦綾子
ある少年が反キリスト教的環境から、だんだんとキリスト教に心頭していく様子を描いています。

とてもキリスト教が色濃く反映されていた作品でした。
主人公の出生から成人までの葛藤が書かれている部分は、古い時代ということもあり、時代の違いを面白がりながら読めたのですが、最後の方になると、心理描写も少し典型的になり、宗教色が強く感じられ、最後には、主人公の「らしさ」が感じられなくなり、よくあるような「聖人(人間らしさが感じられない)」になってしまったのが残念でした。

うーん。
書いてあることが道徳以上のには思えなかったので、主人公はえらい人だな、とは思ったり、恩を仇で返されている辺りは、「小人扱いがたし」で、あるあるという感じです。

きっと微妙に感じる違和感は、主人公には途中まで共感できるのですが、途中からキリスト教ってすごいでしょ、という部分が強くなりすぎて、小説の筋を作家の言いたいことの齟齬が出てくるところでしょうか。

うーん。
残念ながら、私にとって泣ける作品にはなりませんでした。

「ナマズ博士放浪記」松坂實

椎名誠ともナマズ釣りにいった、ナマズ大好き人間一代記。
ナマズのマニアックな話が続くのかと思いきや、波乱万丈な生活の中、ナマズの魅力から離れられなくなった、という話です。
博士、というよりも豪放磊落型の人で「金が稼ぎたかったら限界まで働け」という猛烈な人間が、ある日ナマズと出会い、そのかわいさにやられてしまう。
結果、マンションの床が抜けそうになるぐらい家の中に水槽を置いてしまったり、毎年アマゾンに出かけてしまうようになってしまう極端さが面白い。
そんな人なのに奥さんを愛しているのがすごくいいです。
出自についても書いてあり、そうか、こういう人がこういう人生を送ったりするんだ、という感じです。
とにかく、じっとしていられない、溢れるパワーがすごい本です。

ざくざく文体何を斬る

レヴォリューション No.3金城一紀
GO
音楽でも、イントロがすごくいい曲とかありませんか。
ああ、ずっとこのイントロが続けばいいのに、と。

GO」もはじめの数ページがすごくいいんですね。
話としては、朝鮮系の日本人青年の青春ストーリーなんですが、
イントロで、その出自との気持ちのいい距離の取り方が新鮮でした。
本編ももちろんいいのですが、最初の数ページのスコンと抜けたは、今、金城一紀しか書けないのではないでしょうか。
この文体というか、ポジションというか、斬り方は、貴重です。
それは「レヴォリューション No.3」でも変わっていません。
これもバカ高校生の話ですが、ざくざくとした文体で貧乏やら不運やら家庭環境やらを斬りながら、溢れるような生命力と自分を含めた環境を笑える芸で押し切る様子が、読んでいて爽快でした。

最近の作家では純粋に楽しめる作家の一人として今回認識することができました。
似た感じでは、景山民夫トラブルバスターシリーズの、気取った感じをなくした感じでしょうか。
私にとっては民夫よりもずっとフィットしていますが。

ある奇妙な人生の味

アンダスン短編集
ワインズバーグ・オハイオ
シャーウッド・アンダスン

アメリカの井伏鱒二とでもいうのでしょうか。
名作、とは言いがたいですが独特な味を持っている短編作家です。
一部では有名な
ワインズバーグ・オハイオ
は、20世紀初頭のアメリカの誰の注意もひかないような田舎の群像劇です。
働きはじめる間際の少年の未来の見えない葛藤から、毎日どうしても女性の着替えを覗いてしまい、毎日懺悔する神父まで、人々のどこか奇妙な人生を淡々と描いています。

はたからみたら、ボタンの掛け違いを延々と続いているような所為を、本人もどこか気が付きながら、でもどこから直したらいいのかわからない、もしくはもう初めから直すには遅すぎると感じている、そんな主人公が多く現れます。

今、必要な文学かといわれれば、まったく必要があるとは思いませんが、何かふと忘れていた昔の偏向した情景を目の前に広げられたような短編です。

アンダスン短編集の「」は、語り手の親が養鶏場を始め、失敗し、レストランを始め、気の利いた店主を演じるため卵を使った手品を客に披露する話です。
もうそれだけで気の利いたものではないことは分かりますが、この短編を読んだ後は、舌の奥に奇妙な味が残るのを感じます。
安易に「人生の深い味わい」というには、重く、ユーモアを効かせるほどやりきれないような、ふと油断したときに忘れていた過去が立ち上るような、その「味」を確かめたくてたまに手にとる小説です。

日本の伝説について

週刊日本の伝説を旅する
モニターを頼まれて読んでいるのですが、面白くなってきました。
京都、江戸、北海道、鎌倉ときているのですが、面白かったのは

1、江戸編 「八百屋お七」
有名な話ですが、良く知りませんでした。
あらすじは火事で焼きだされて、お寺に避難したところ、お寺にいた若い男に恋をしてしまう。で、家に戻るが、男を忘れられず、「もう一度火事が起これば」と考えて・・・。
井原西鶴の「好色五人女」の巻四の話なんですね。
古典は何も知らないことに痛感します。

2、北海道編「武田信弘」
本筋はアイヌのコシャマインをだましうち、松前藩の基礎をつくった話なんですが面白かったのは、つかみの部分。
昭和23年函館で道路の拡張工事をしていたところ50万枚近い古銭が出土。
中学生から近所のおばちゃんまで大急ぎでバケツに詰め込んで持ち帰ったそうです。日本のエルドラドですね。ちょっと面白かった。

また、面白いのがあればちょくちょく紹介していきます。

今さら覗いたヨーロッパ

妹尾河童河童が覗いたヨーロッパ

うーん。やっぱり「河童が覗いた」シリーズは、印度や日本やトイレやお弁当がありますが、最初のヨーロッパ編が一番好きですね。
最近ではベストセラー「少年H」が有名ですが、私はアナーキーな手仕事感覚が一番溢れているのが「河童が覗いたヨーロッパ」が手放しで楽しめます。

この本は、妹尾河童が留学資金をもらってヨーロッパを巡る間、
「お金をもらっているんだから何かしよう」と考え、ヨーロッパを巡る間、見たかった各地の城と、なぜか泊まった部屋を中心に、細かなスケッチを旅日記代わりに描いた本です。
なので、人に見せる意識があまりなく、そのこびていない好奇心が読みどころです。
なんでもはじめは友人の間で回覧していたものがあまりにも面白かったので出版にいたったそうです。

城の簡単な由来から、泊まった宿の場所や値段を細かに書いたり、文章も奇をてらわず見たままを、ほのかに見える若さのスパイスをかけて、気持ちのいい文章になっています。
それともちろん絵です。
見ていないのに、天井からの部屋の鳥瞰図を書き(これも部屋の構造を分かるようにと工夫の末でしょう)、寺院の文様を1日かけてスケッチし、北欧から南欧までの窓をくらべる。
その細部から立ち上がる発想は、さすがはモノ作りの人、こんな絵日記なのになぜかしっくり。
あまりにも有名でもう古典になってしまった感もありますが、絵好き・閑ありの人は、ゆっくりと線一本から見てみてください。
しばらくすると思わず自室の鳥瞰図を描いて見たくなってしまいます。
やってみると、以外に簡単で面白いものです。
中学時代、美術の先生にさじを投げられた私でも楽しめました。

そういえば、旅行先で自分用絵日記を書くようになった源流はここにあったのかな。

灰の中

火宅の人」下
壇一雄

にも書きましたが、図書館にありました。「火宅の人(下)」よかったです。

壇一雄について、当時担当だった嵐山光三郎は、他の作家との壇一雄との違いについて、その体の頑強さを挙げています。

確かに「火宅の人」を読んでいても、身体的な憂鬱さはほとんどなく、自分の生命力に焼かれるような焦燥を抱え、その場の勢いで右往左往している様子が描かれています。

体から溢れる名状し難い衝動が、我が子への愛、妻への愛、愛人への愛、そして自分自身への愛よりも強ければ、世間にもとより身の置き場は、ありません。
その原体験を、大戦中の、現地人がいなくなった中国の地を敗走するときの漠とした寂寥感と開放感に求め、戦後は、日本中・世界中を爆ぜる薪のように先も分からず跳ね回り、そしてそれを諦観している様子は、最後の無頼派に相応しい生涯のように思え、またそれが悲痛でもあります。

途中、生や愛について書いていたりもしていますが、すでに書かれてきた生の衝動が他のあらゆる説明を超え、壇一雄を語っています。

生に目的はなく、ただ尽かぬ身を焼く衝動がある、と。

写真家の結実

小林紀晴の本を最初に読んだのはご多分にもれず
ASIAN JAPANESE」でした。
ASIAN JAPANESE」は、アジア各地で、その地に長く滞在している日本人を写し、その話を書いたものです。
1995年に書かれたもので、そのころはちょうどアジア旅行が一般的に流行りだしたころでしょうか。
一般化したアジア旅行の陰で、その地に「沈没」した分けありの人々。
その重みのあるたたずまいは、写真からも文章からも日本本土とは違う違和感を感じます。

小林紀晴は、元新聞社のカメラマンで、社内の人間を見渡し、自分の才能を再確認してフリーになったそうです。

なるほど、確かに才能はありますし、着眼点も面白い。
希望をもって猥雑な地にやってくる若者。
職を辞し自分を再度探しにやってきた中年。
人生の終焉の地として、流れ着くように貧民窟に居座る老人。
写真を見ると、底深い人の業のようなものを感じます。

沢木耕太郎藤原新也ではなく、若い視点でアジアでの漂流感を読める作家の一人です。

多作家で、その後も
ASIAN JAPANESE 1-3
ASIA ROAD
DAYS ASIA
旅をすること
写真学生
japanese road

など、色々です。

いつかその違和感が何かに結実するか、楽しみです。

あと、文章が少しうまくなれそうな気がします。
出ている本には必ず文章がありますが、写真家・作家としての立ち位置がなかなか難しいのかもしれません。