写真学生(君はやっぱりカメラマンだ)
写真学生
小林紀晴
上京したカメラの専門学校生のお話。
「写真学生」の中で、写真とは、ただ風景を撮るものでなく、自分の思い描くイメージを表現する手段で、撮らされるのではなく、撮る、という事がかかれています。
なるほど、だから小林紀晴の写真には、撮らされた写真ではない何かしらの違和感を感じていたんですね。
が、しかし、文章は写真ほど洗練されてはいないような気がします。
写真で言えば、余計なものが入ったり、ズームを多用したり。
実は「写真学生」は写真も当時のを使用しているので、今と比べるとイマイチです。
君はやっぱりカメラマンのようです。
これからもカメラで君の才能を見せてください。
しかし、表紙の魚喃キリコの絵はなかなかいいですね。
猛スピードで母は
猛スピードで母は
長嶋有
文學界新人賞受賞作「サイドカーに犬」
芥川賞受賞作「猛スピードで母は」
という組み合わせです。
小品佳作、というのでしょうか。
「サイドカーに犬」は、両親が夫婦喧嘩をして母が家を出たところに、頓着なく家に入ってきた父の愛人と、それを特に驚かずに受け入れる「ぼく」の話です。
「猛スピードで母は」
も、微妙に社会になじめないものの腕力と無頓着で押し切る母と、なんでも受け入れながら少しずつ無理が出てくる子供との、静かな物語です。
両者に共通しているのは、登場人物がお互いにお互いの領域に立ち入らない、ということです。
愛人であれ、父であれ、母であれ、子供であれ、それぞれが自分の思いを抱えて生活している。
そして本質的には、人が人に関わることはできない。
できるのは、本人が自分で何かを取り込もうと思ったときだけ。
両編に描かれている静かな世界は、他人のことを思いやれない余裕のなさか、思いやっても通じないあきらめか、他人の干渉がけして届かない、音のない世界で生活しているように思えてきます。
その悲しさが、少しだけ胸を打ちます。
両編とも、顔の見えないポートレイトような、ちょっとひっかかるタイトルがいいですね。
なんでも長嶋有は俳句もやるそうで、そのあたりの感覚でしょうか。
しかし、この表紙は。
この表紙のイメージだと
「性に奔放だけど自分にはまっすぐな母とまじめな私」とか思ってしまいます。
そんなのよりはずっといい話です。
もったいない。
90年代のもものかんづめ
「もものかんづめ」
さくらももこ
「百年の誤読」に薦められて手にとりました。
90年代のベストセラーといいながら、
「本業はマンガだけど、いつのまにかエッセイを書くことになっていました」
という、ちょっとした投げやり感と
「やるからにはおもしろく」
という気負いが妙にまじっています。
ベストセラー作家の巧いエッセイというよりは、身近すぎ、普通すぎ、でもちょっとマヌケな話題を、きっちりと書ききるプロ魂が見事です。
今、隆盛の身近ネタエッセイマンガの先駆を漫画家エッセイという逆バージョンで先行したと考えればよいのでしょうか。
ただ、今読むと、最初だけにすこしあざとすぎる感があります。
先にすすめばもっと肩の力がぬけるのかな。