【青天を衝け】をより楽しむ為に(2)...明治維新最強のコンビ【伊藤博文&井上馨】の友情物語 | MarlboroTigerの【Reload the 明治維新】

【青天を衝け】をより楽しむ為に(2)...明治維新最強のコンビ【伊藤博文&井上馨】の友情物語

 

NHKの大河ドラマ【青天を衝け】もいよいよ佳境を迎え、遂に明治編へと突入しました。ラストスパートですね。毎週ワクワクしながら見させて貰ってます(笑)。幕末編とは栄一を取り巻く人間模様がガラリと変わり...着いて行くのが大変と言う人も多いでしょう。

 

今日は、そんな人の為に...

 

これから頻繁に登場する脇役達の中から、初代総理大臣・伊藤博文(俊輔)と第五代外務大臣・井上馨(聞多)の友情物語をご紹介したいと思います。

 

まあ...明治以後の二人に関しましては、これからドラマでも頻繁に描かれるでしょうから、そちらはNHKにお任せします(笑)。今回は、明治維新前...つまり幕末に長州で誕生した、奇跡の様な悪友コンビの物語(笑)。気楽にご一読下さい。

 

...

 

...

 

...

 

 

幕末にも、奇跡の様な友情で結ばれたコンビが居た。昨今、長年連れ添った相方とあっさりと縁を切る漫才コンビもいるが、本当に命を賭けて結ばれて行ったコンビは...そう簡単に手を切ったりはしない。

 

今日は幕末の最強タッグ...伊藤&井上組についてお話しよう。

 

伊藤俊輔と井上聞多は共に天保年間に長州領(今の山口県)に生を受けた。だが、その生い立ちは全く異なる物であった。

 

 

伊藤俊輔(後の博文)は元々周防国(現在の山口県東部)の百姓の子であった。父が長州藩の足軽の伊藤家に入った為、彼も同時に足軽の身分となった。武士になったとは言え、最下層である。家は非常に貧しかった。生まれたのは天保十二年(1841年)で、西郷隆盛より13歳、大久保利通より11歳、木戸孝允より8歳、土方歳三より6歳、坂本龍馬より5歳、中岡慎太郎より3歳、高杉晋作より2歳、そして渋沢栄一より1歳......年下の人物である。大体の年齢差がお分り頂けただろうか(笑)?吉沢亮君演じる栄一が、歳は一個上なので、ご記憶頂きたい。見るからに(と言うと失礼だが...笑)泥臭い百姓顔の青年である。今日的にも、まあイケメンとは言い難い。

 

 

方や、井上聞多(後の馨)。こちらの方は毛並みの良い歴とした武士の子弟。伊藤と同じく周防国の出身だが、井上家は名門のお家柄。大組百石と言うから、高杉晋作の高杉家(大組二百石)と同様サラブレッドの血筋と言える。まあ...太平の世なら気楽に暮らせるご身分の家だ。歳は伊藤よりも五つも年上(笑)。見るかにヤンチャそうな風貌の若者だ。こう言う顔の若い奴...渋谷とかに結構いるよね(笑)?

 

二人が出会ったのは、安政六年(1859年)と言うから、伊藤が18歳、井上が23歳の時。伊藤は桂小五郎(木戸孝允)の書生(従者)となり、井上は参勤交代のお供として江戸に駐在。その時に知り合ったのだそうだ。

 

現代で言えば、高校3年生と駆け出し社会人...。そして5歳差...。友達になるのは結構難しい様にも思われる。第一身分が違う。方や百姓上がりの従者と、方や中堅藩士。世が世なら口も聞けなかった筈。

 

だが...

 

時は幕末(笑)...

 

小煩い両親の眼から離れれば...

 

若者は悪さをしたくなるものだ...。

 

出自は違えど、二人の青年は大都会・江戸に【お上りさん】として同時期にデビューし...その華やかさの中で青春を謳歌しようとしていた。そんな時に...出会ってしまった(笑)。

 

伊藤俊輔と井上聞多は何とも不思議な関係のコンビである。いや奇跡の様な友人関係であったと言える。幕末と言う特殊な時代であったからこそ成立した友情...そうとしか考えられない。

 

 

先にも述べた通り伊藤は農民の出で、破産した父と共に萩に流れ、幼少より奉公に出された。ドブ板上がりの苦労人である。だが、別の一面も持っていた。上司であった来原良蔵の紹介を受け、松下村塾に16歳で入塾。当初身分の低さを意識し、最初は授業を室外で立ち聞きしていたらしいが、その闊達で明るい性格を松陰は愛した。塾における学友は池田屋で討ち死にした吉田稔麿だったらしい。公私とも相当世話になっている。身分格差の無い松下村塾において頭角を現そうとしていたが、生活の為に働かねばならない。その困窮ぶりを見て動いたのが...再び上司の来原良蔵であった。来原の紹介によって桂小五郎の従者に推挙された。これが彼が世に出る切っ掛けとなったのであり、この経歴が無ければ井上と出会う事もなかったであろう。

井上は逆に毛並みの良い上士の子である。高杉同様、何不自由無く暮らせる身分の若者であった。彼は松下村塾の塾生では無い。ヤンキーだらけの私塾では無く萩本藩の藩校明倫館を卒業し、晴れて社会人(笑)。参勤交代のお供として江戸でデビューしたのだ。緊張の連続であったろう。そんな時に伊藤と出会った。松下村塾の過激さは聞いていたろうし、相手は桂(木戸)の書生である。最初は身構えたかも知れない。だが、いかつい風貌とは異なり、伊藤の明るく大らかな性格が何とも愛らしく感じられた。

 

そこは流石に松陰と木戸の眼に止まった男である。二人は身分を超えて時勢を語り合ったろう。そして、共に感化し合った。意気投合と言うレベルを超えて、二人は互いに無い物を発見する。

 

やがて彼等は毎日の様につるみ始め...

 

お互いを【俊輔】、【聞多】と呼び捨てにし、悪さをするのも、仕事をするのも、いつも一緒と言う間柄になって行くのである。周囲からは御神酒徳利(おみきどっくり)と呼ばれ、藩内でも良く知られた名コンビとなって行く。

 

 

伊藤にしてみれば、井上の身分は諸事上層部に意見する上で便利だ。奥で控えてその交渉経過を共有すれば事が足りる。殿様に意見するにしても、井上が居ればそれが可能だ。井上にしてみれば、堅苦しい良家の仕来りから解放してくれるありがたいガス抜きこそ伊藤の存在であった。庶民の世界を知らぬボンボンにとって、伊藤がもたらす下々の世界の情報はワクワクする様な多様性に富んでいた。お互いがお互いを補完し合い、自分達の知らない世界を覗き見る事が出来る...。究極のバーター関係と言えなくも無い。

 

ニコイチはこうして結びついて行った。会津や薩摩では起こり様の無い奇跡の様な友情である。

 

その後、勃興する尊王攘夷運動に身を投じ、伊藤と共に過激な政治運動を展開した。

もちろん、二人して悪事も働く。女を抱きに遊里に行く時も、遊びで金を遣い果たし藩邸に無心に行く時も、喧嘩を吹っかけられて殴り合う時も、二人はいつも一緒であった。親にも言えぬ悪事の共有...青春とはそう言う物だろう。彼等はいつしか真の親友となった。

 

親の監視の眼から解き放たれ、自由を手に入れた二人の若者の姿が眼に浮かぶ。何とも微笑ましいコンビでは無いか。

 

...

 

...

 

...

 

 

高杉晋作と撮られた伊藤の写真である。一番右、力士の様に恰幅の良い人物が伊藤。ザンギリの高杉を中心に、左には後の戊辰戦争における長州最強の野戦軍司令官、山田顕義(日本大学の父)が座っている。凄いポートレートだ。山田は幕長戦における芸州口の司令官で、鳥羽伏見の戦いにおいては新政府軍副参謀。そして戊辰戦争では新潟上陸作戦の艦隊運用を担当し、河井継之助の野望を打ち砕いた。箱館戦争では参謀として大上陸作戦を立案、榎本海軍、大鳥圭介、土方歳三を打ち破った名将中の名将である。ご記憶あられたい。松下村塾トリオの極めて貴重な写真と言えるだろう。

 

伊藤は、ご覧の通り...松下村塾上がりだ。その在籍期間は、同じく塾生であった山縣有朋などよりも遥かに長い。

 

師松陰が処刑された時、自らの腹帯を解いて松陰に巻いてやったのは有名な話だ。ここから彼は先鋭化する。もちろん、相方の井上も激怒してこれに同調する。

 

文久二年(1863年)に実施された英国公使館焼き討ちなどは、その最たる物であろう。

 

 

高杉晋作を隊長に、そして久坂玄瑞を副将として実施されたこの事件において、二人は火付け役として竣工直後のイギリス公使館を全焼させた。残っていれば、我が国最初の西洋建築であっただけに、何とも罪深い。

 

それだけ彼等も攘夷に狂っていたと言う事だ。

 

だが、一方で伊藤は考えていた。

 

(攘夷、攘夷と言うが...敵の事を、我等は何も知っちょらんのう...。)

 

180度真逆の考えではあるが、彼は敵を知ろうとした。直後に渡英を考え始めるのだ。

 

 

有名な長州ファイブの写真である。

 

彼等は渡英を決意した。この【長州ファイブ】とは日本人が名付けた呼称では無い。1993年にロンドン大学に顕彰碑が立ち、その事を知った西日本国際交流推進協会が「地元にも顕彰碑を」と運動し、2003年に山口市内に同様の顕彰碑を建てた。その碑文には、井上馨は外交の、遠藤は造幣の、山尾は工学の、伊藤は内閣の、井上勝は鉄道の【父】であると記されている。

 

彼等が英国に向け出港した文久三年五月と言えば、長州が馬関海峡を通過する外国商船に対し砲撃を加え、攘夷戦争が勃発した時期である。領内攘夷一色の時期に...良く長州公は彼等を渡英させたと思う。これは英断であった。

 

当初、洋行にあたって藩主の手許金から1人200両を支給されたのだが、これでは一年間の留学費用としては全く不足している。英国側に掛け合ってみた所、一年間であれば一人1,000両は必須であるとの返答であった。彼等が泣きついたのは...

 

 

後の日本陸軍の父、藩の留守居役・村田蔵六(後の大村益次郎)であった。鉄砲購入費用に一万両をプールしていた村田に、自決覚悟の談判を行い泣き落とし(笑)。見事5,000両をゲットして、渡航に漕ぎ着けた。あのヘンコなオッサンを納得させたのだから凄い...。そこからのドタバタ劇は、2006年に【長州ファイブ】が映画化されているので、そちらを見て頂きたい。

 

伊藤と井上の留学期間は僅か半年ほどだったのだが、他の三人を残し日本へ帰国したのは理由がある。

 

攘夷戦争に踏み切った長州に対し、列強四カ国が報復に出る事を察知したからだ。

 

帰国した彼等がアーネスト・サトウに長州攻撃を中止して欲しいと談判するシーンは、【青天を衝け】でも描かれて居た。

 

 

覚えておられるだろうか?決死の覚悟で母国に戻ったらば、祖国長州は京に大軍を送り込み、禁門の変にまっしぐら。更には列強が下関を攻撃するのだと言う。ギリギリのタイミングで伊藤と井上は帰国したのだ。

 

そこからは...

 

必死だった。

 

ロンドンのリアルを体験した彼等は、攘夷が如何に無謀であるかを痛感していた。だから、禁門の変に駆け付けようとはせず、長州に急ぎ帰国したのだ。そして、攘夷で凝り固まった藩上層部を説きに説いた。これがどれほど危険な行為であったか、ご想像出来るだろうか。

 

狂信的な排外主義者に何を言っても通じる訳が無い。【尊王攘夷】は長州の藩是である。誰もまともに話を聞こうとしなかった。

 

 

一縷の望みは、脱藩の罪で自宅牢の状態にあった高杉晋作であった。高杉は上海への渡航経験がある。数少ない開花思想の持ち主であった。

 

禁門の変で長州軍が敗北すると、藩上層部は手の平を返した様に伊藤と井上に擦り寄って来た。『緊急事態だから列強と和平を結びたい。その方どもには使者になって貰いたい。』と言い出したのだ。

 

当然、ブチギレた(笑)。二人は藩庁(山口)に乗り込み、高杉の赦免を喚き散らす。井上は有名な癇癪持ちで、一旦キレ始めると手に負えない。この時も並み居る藩の重役達を罵倒し、何とか高杉の自由放免を勝ち取ってみせた。

 

この...

 

高杉〜伊藤〜井上から成るトライアングルこそ...

 

長州を尊王攘夷から【開国倒幕】にシフトさせる起爆剤となるのだが、その道は簡単では無かった。

 

彼等は常に藩内の尊王攘夷派から命を狙われ、領内を逃げ回りながら列強との和解の道を模索する事となる。井上は自身の【キレ癖】が災いし、山口政治堂からの帰城途中、攘夷派の刺客に襲われ滅多刺しにされてしまう。全身六ヶ所を切り刻まれ、合計50針を畳針で縫い上げると言う大手術を受けて、かろうじて彼は蘇生する。手術は五時間を要したと言うが、その後生死の境を彷徨った。


犯人は、遂に分からなかった。しかし、三十年後...犯人の告白によって発覚する。襲撃犯は児玉愛二郎、中井栄治郎、周布藤吾の三名であった。この内、罪を告白した児玉愛二郎は明治後井上に引き立てられ栄達した人物であった。宮内省に勤務し、大書記官兼皇后宮亮を勤めながら、彼は井上を騙し続け、地位を築き上げた。ドラマに登場する事は無いと思うが、明治の初めその側近にかつて井上を殺めようとした犯人が居た。エグい話である。

 

 

嘆き悲しんだのは伊藤である。彼は満身創痍となった井上のもとに駆け付け、必死に勇気付けた。

 

しかし...

 

その井上はバケモノの様な生命力を持つ男であった。全身をミイラの様に包帯でグルグル巻きにされながら、しかし日に日に急速に復活して行く。半ば諦めていた伊藤や高杉の心配を他所に...ケロリと復活してしまうのである(笑)。

 

その後は、三者三様に長州領内を逃げ回った。列強との和解を成立させた後も、あちこちでトラブルを引き起こす(笑)。下関を開港しようとした時など、長州の支藩である長府藩の理解を得ることも無く、暴走(笑)。現地の藩士達をブチギレさせ、下関中を逃げ回った。高杉と井上は藩領から脱出する事に成功したが、逃げ遅れた伊藤などは浴槽に身を隠して難を逃れたほどだ。桂小五郎(木戸孝允)が亡命生活から帰藩し、寸での所で救われたが、ほぼ討死寸前であった。

 

伊藤・井上コンビの面白い所は、危機は絶えずついて回るのだが、それを脱するとケロリとそれを忘れてしまう所だろう。再び遊び人となって、悪さをする(笑)。伊藤が高杉にどやされていれば、必ず井上がやって来て伊藤を救い出す(笑)。そして適当な理由を付けて、遊ぶ(笑)。

 

僕はかつて【ベテルギウス】と言う長州物の小説を書いたのだが、この時期の長州を描き続けると内ゲバや暗殺、不可解な殺人事件だらけでホトホトげんなりとさせられた。終いにゃ内戦(笑)。そんな時、彼らのコミカルな登場シーンにどれだけ助けられたか分からない。

 

(こいつら...アホや...笑。ほんまもんのアホや!)

 

書きながら笑いコケそうになった(笑)。そう言うコンビなのである...。

 

高杉が藩内佐幕派を打倒しようと周囲を説得した時、誰も従おうとはしなかった。だが、伊藤だけは違った。一人立ち上がった高杉の前に現れ、彼は下関で火の手を上げた。井上もまた立ち上がった。

 

 

幕長戦前夜には、坂本龍馬の仲介によって薩摩藩邸に匿われ、二人して薩摩藩士に化けてみせた。渡英時に世話になったグラバーに、武器購入を直談判するためだ。

 

『長州に武器を販売する事は、禁じられている。国際法上、どうにもならない。解らないのか!?』

 

そう言い放つグラバーに対して、彼らはヌケヌケと言ってみせる。

 

『誰が長州が買うと言った!我々は薩摩藩士だ。我が家老、小松帯刀の指令書も持参しておる。坂本殿の親書もある!前回の(薩摩の)取引の第二陣である。嫌なら他を当たるぞ!』

 

『!?!?』

 

グラバーは面食らった筈だ。そして、悟った。密貿易を打診しているのだと言う事を...。

 

二人だから...出来たのだ。二人が手を組めば...不可能は無い。このお神酒徳利は、ただのコンビでは無かった...。

 

...

 

...

 

...

 

 

覚えておいて欲しい。これからドラマで栄一に深く関わって来る伊藤・井上とは、そんな最高のコンビなのだ。

 

栄一とは全く逆の...敵であった長州の出身。だが、考えてみて欲しい。所属する組織は違ったが、彼らは同じ様な人生を辿った。英国公使館焼き討ちに成功した伊藤と井上、それに触発され横浜焼き討ちを計画した栄一...。幕末の最も白熱した時期に渡欧し、攘夷の不可能を悟ったのも全く同じだ。

 

立場は違えど、見て来た風景が何とも似通っているのである。栄一が攘夷を捨てるのは簡単であったろう。だが伊藤・井上は違う。発狂する長州領内でそれを説き、命懸けで攘夷を捨てさせようとした。言わば、筋金入りの開花思想の人物なのだ。

 

 

明治の初めに撮られたこの写真を見て欲しい。前列左から伊藤(外国事務局・神戸)大隈(外国事務局・横浜)井上馨(造幣局・大阪)後ろは久世喜弘・中井弘(共に造幣局・大阪)だ。こんなチンピラ然とした風貌の若者が日本を動かしていた。

 

ここに栄一が加わるのは、実に自然な事と思える。

 

『元幕臣だから?百姓の出だから?それがどうした!僕も長州の百姓出身だ!』

 

伊藤ならば、そう言っただろう。【青天を衝け】の予告編で栄一の肩に手を置き『そうか君もやったんか!』と焼き討ち計画を褒めまくる伊藤の姿が映し出されていたが、恐らくは貴重な同志を遂に発見した心地であったろう。

 

伊藤にしてみれば、栄一は一個上のほぼ同世代。洋行帰りで百姓出身。しかも、かつては攘夷にかぶれていた時期もある。自分の分身の様に感じたのでは無いか。勤皇・佐幕などどうでもいい。【価値観】を共有出来る者を彼は求めていた。

 

それもそうだろう。とにもかくにも、彼は新政府内では若過ぎた。一回りも上の西郷や大久保の様なオッサンには頭が上がらない。各藩の重臣上がりの役人は真に西洋のなんたるかを知らず、攘夷かぶれの気質は抜け切ってい無い。そこに突如として、栄一の様な人物が現れたら...

 

自分ならば、死に物狂いでヘッドハントに動くだろう。

 

 

栄一にしても、目から鱗...では無かったか。攘夷気違いしか居ないと思っていた長州に、自分と同じ様な経歴の者が居た。そして伊藤と井上の関係を見て仰天する。身分の差も、年齢の差も関係なく結び付いた二人の関係性は、栄一が理想とする新しき日本人像に限りなく近かった筈だ。もう幕末長州には身分の差が無くなっていた。その事を知った時の衝撃はいかばかりであったろう。

 

かつては主義の異なる敵同士ではあった。だが、それを問題としない新しい価値観の共有が眼前に広がっていた。

 

栄一がグラついてしまうのも無理は無い。

 

...

 

...

 

...

 

それもこれも、伊藤の人柄が大きかったかも知れない。

 

師・松陰はともかく...

 

最初の主人・桂小五郎(木戸孝允)...兄弟子・高杉晋作...盟友・井上馨...そして同僚の大隈重信...。

 

どいつもこいつも、彼の周囲に居たのは度外れたヒステリーで知られた人物ばかりである。瞬間湯沸かし器に囲まれて育ったと言っても良い。相当に図太くなければ、常人には耐えられないだろう。それぞれにブチギレるツボも違えば、タイミングもバラバラ(笑)...。これだけのパワハラ大魔神揃いとは...昨今のブラック企業でも中々無いだろう。恐るべき処世術を持っていたとしか考えられない...。

 

やはり初代内閣総理大臣になる男は、何かが違う(笑)...。

 

軽妙洒脱。そう...その天性の明るさで人を魅了し、どんな相手でも引き込んでしまう。人たらしとしては、これ以上ない天性の資質を、伊藤は持っていた。

 

ドラマでは、栄一をどんな風に口説き落とすのか...山崎育三郎の演技に期待は高まる。

 

...

 

...

 

...

 

と、言う事で...今回は今後の【青天を衝け】のメインキャラとなる伊藤・井上コンビについて言及してみました(笑)。以上の様な青春物語を覚えておけば...ドラマをご覧になった時、更に面白みが増すでしょう(笑)。

 

さあ、また日曜日が楽しみです。

 

期待しましょう!!!