板橋の自然健康ヨーガ教室 -96ページ目

2015/9/12本日の気づき

呼吸を観察する。


吐く息、吸う息の一つ一つを見つめる。


最初は意識的に呼吸をしている。


それから呼吸をしていることに意識が向いている。


いつの間にか流れる呼吸を見つめている。


しかしその状態に気づき、また最初に戻る。


途中、呼吸から意識が外れてしまい、気づくと呼吸へ意識を戻す。


流れる呼吸を見つめている時、自然の流れに乗れた時なのだろうと思う呼吸観察後だった。





2015/9/11本日の気づき

今日、走っていて大事な事に改めて気づいた。


動作を行う場合、何よりも大事なのは‘腰が入る’という事だ。


どんなに腿が上がっていても、足が前に出ても、腕をよく振れても、リラックスしていても、


腰が落ちていては、身体に相当な負担がかかり、前に移動するのにブレーキをかけていることになる。


腰位置を高く、腰を入れて最後までは走り切れるようにする事がまず第一だと思った。


これはヨーガ・アーサナでも同じことが言えると思う。


ヨーガ・アーサナは、‘気付きと観察’が基本であるが、


どのアーサナも腰が入っていないと正しく伸びない。


脚の裏を伸ばすポーズにおいても、


脚の裏が伸びてればいいということでは正しく伸びていない可能性がある。


脚の上の腰をきちんと入れて前屈する。


腰をきちんと入れる事が出来れば、あとは身体がどの位前に倒れるかは個人差によるもので、


大した問題ではない。


‘腰を入れる’


動作の基本であると改めて感じた本日の流しだった。

2015/9/10本日の気づき

呼吸をみつめる。


生には限りがあるから呼吸をみつめる。


生に限りがあるから何かをする。


生きるには、限りというものがある事も大事だと思った。


鼻孔で呼吸を観察し、生の証を感じる呼吸観察であった。

2015/9/9本日の気づき

最近は、夜、少しの時間があると、近所の路地で走りの確認をしている。


練習場としている競技場までは移動時間が少々かかるので、いつでも行けるものでもない。


ましてここ1週間以上の雨続きで、土のグランドである競技場では走れない。


近所の路地なので、走るといっても練習というよりは、


自分なりの良い走る感覚を少しでもつかむ程度で、10分足らずのものだ。


それでも得られるものがある。


練習とは言えないものでも、有意義な10分となる。


武井壮さんが、毎日1時間、表参道の道路で夜中練習しているところからの発想だ。


アスファルトなので、脚を痛めないよう気を付けなければならないが、


もう少し長い時間走っても通行人を気にしないでいられるような、


秘密の走る道路を見つけたいなと思っている。


‘塵も積もれば山となる’


集中すれば、ほんの短じかい時間でも中身の濃い時間になると感じている10分間である。

2015/9/8本日の気づき

父の映画を録画したビデオテープを見つけた。


もう10年前くらいのものだ。


生前、引退し、病気をしてから、やる事、やれる事がなく、


テレビで放映される映画をスケジュールして、録画するのが最期の趣味だった。


1本に付き、3本位録画され、ビデオの数は100本以上。


凄いのが、録画したビデオテープに全て番号をふって、


それを全てノートにまとめていた。


それだけならまだ普通だが、


もう一冊、「あ、い、う、え、お」順でもまとめたノートがあり、


その全てに製作年、主演名、監督名等も記されていた。


録画する事に一生懸命になり、結局はほとんど観ずに他界してしまった。


名作とされるものも多数収録されており、ビデオを再生してみたのだが、


地デジ前の収録だったので、画質が粗く、観れたものじゃない。


父は地デジに統一される前に逝ってしまったのだが、


もしもう少し長生く生き、不自由な体でビデオテープをまめに買いに行き、


録画したビデオが時期を境にこの様な状態になってしまったら、随分とがっくりと落胆したに違いない。


地デジの統一は、将来的に社会の利益になると踏んでの移行だったと思う。


実際、多くの人にとっては、綺麗な画質で見る事が出来るようになり良かったのだろうと思う。


私も良かったと思っている。


しかし逆の思いをした人も少なからずいるだろう。


多くの人が大したことないと思われる日常の一般的な事も、人によってはとても重要なことだったりする。


この世でどうでもいい事、つまらない事、


軽視していい事なんかないのだろうと思った父のビデオテープだった。