2015/9/7本日の気づき
小さい頃、駄菓子屋で透明のカップに入ったすももを買ってきた事を思い出した。
そのすももは、丸ごと二つ?(一つだったかもしれない)、赤い汁のの中に入って売られている物だった。
探せば今でも売っていると思う。
すももおをかじると、汁の酸っぱさで思わず唾液が出てきてしまう味だったが、
なんか癖になる食べ物だった。
ただそのすももを手にしているのを祖母に見つかると常に
「それを食べると癌になるから食べちゃダメだよ」
と言われた。
恐らく着色料の汁を懸念していたのだと思う。
しかし当時の小さい私は、‘癌’という言葉も病気も知らなかったので、
「がん」を「が」と聞こえていた。
要は、そのすももを食べると‘蛾’になってしまうと思っていたのだ。
そんな事があるのかなと思いながら、
これを食べ続けると最後には人間が蛾になってしまうのかと心のどこかで思い、
蛾になった人間を想像していたところがあった。
大分後になり、あれは‘癌’という病気の事だったのかと分かったのだが、
その時はいちいち祖母に確認もしなかった。
今では笑い話の様だが、今でもあのすももを見ると人間が蛾になっていく姿を想像してしまう事がある。
ポケットの中でビスケットが増えていくという歌もそうだ。
あの歌を聞いたり、歌う度に、どうしたらポケットの中でビスケットが増えるのかな?
といつも不思議に思っていた。
ポケットの中にビスケットを入れて‘増えろ!’と念じても一向に増えないから、
最後には、こぶしでポケットを軽くたたきビスケットを割り、
こうして増えるんだろうと勝手に解決策を作り出したものだった。
しかし今でも究極の答えはどこにあるのかな?
と心のほんの片隅であるような気がしないでもない。
子供の頃の思いは無邪気で、いくら思い、考えても疲れない。
それに比べ、大人になってからの思考は疲労に結び付く。
しかしそれが‘人が生きる’人生なんだろうなと思った無邪気な幼少の思いだった。
2015/9/6本日の気づき
これまで極度に追い詰められた時に、普段以上の力を発揮出来た事が何度かある。
その後、準備も体調も万端でもう一度と思っても出来ない力である。
これは追い詰められた事により自然とそこに集中され、
心身が無意識的に動いた事によると思う。
自己に眠る力は自分の思っている以上のものがあると思う。
’無意識的集中’、
これこそ自己の持つ素晴らしい力だと思い出させてくれた過去の数少ない経験である。
2015/9/5本日の気づき
昨日、一昨日とグラウンドで走ってきた。
まだまだ身体は動かず、一つ一つの走りが身体に堪える。
下半身の筋力がかなり落ちているのだと思う。
走った翌日、日頃、筋肉は伸ばしているので、筋肉痛というのはほとんどない。
しかし身体はぐったり疲れている。
明らかに無理をしているのだ。
それを考えるとヨーガは、心身に本当に優しいと実感する。
「無理をしない」
「苦しい、痛い思いをしない」
「気持ちよく呼吸が出来る」
これから外れるのはやり方が間違えている。
ヨーガは極めて自然なのだ。
今の自分自身に自然なのだ。
自然に従うのだ。
40歳を半ばにした、ブランク30年近くある身体には、
走る事も、もっと自然に行っていかなければならないのかもしれない。
自分にとっての自然な走り、心身両面から考えて行きたいと思った今日のぐったりとした疲れである。
2015/9/4本日の気づき
バンド再結成のニュースをみた。
今年になって何組か再結成ライブを行ったらしい。
十年以上の年月が経っての事だから、絶頂期の姿と比べると当然見た目は変わっている。
現役時代、上りつめたミュージシャンやアスリートがカムバックするにはそれ相応の壁がある。
しかしその壁を越えてまで再挑戦しようとするだけのしっかりとした理由がある。
ある意味、現役時代の栄光、プライドを捨てなくてはならない場合も大いにあるだろう。
それを分かっている上でのカムバックしようとする姿は、
私自身、若い時には分からなかった、この歳になって解かる心がある。
自身にけじめをつけなくてはならないのだ。
「挑戦」、‘戦いに挑む’と書くが、
挑戦する人は、自身の人生に一生懸命で大好きだ、
「挑戦」の素晴らしさを感じたニュースだった。
2015/9/3本日の気づき
起床時、9月に入ってからか、いやに眠い。
布団の上で大きな伸びをし、
そして腕、脚、上半身を少し上げ、身体全体に力を入れ、ゆっくり力を抜いた。
まだ起きない眠い身体の中、全身に血液が巡っているを感じる。
緊張と弛緩、
弛緩状態になるには、緊張状態も必要なのだと感じる両極状態であった。