板橋の自然健康ヨーガ教室 -95ページ目

2015/9/17本日の気づき

本日は雨。


いつも自転車で通われているOさんが、今日は雨の為、徒歩でいらっしゃいました。


Oさんは、年齢で60歳半ばなのですが、レギュラークラスに参加されています。


少し遠方から通われているので、歩いて40分はかかるそうです。


雨の中、40分の徒歩は、正直少々面倒くさいという気持ちが起こってもおかしくありません。


そういえば先週も雨の為、歩いて来られてました。


けれども見方を変えれば、ヨーガを終えた後、更にウォーキングも行えるとなると、


結果、健康に更にいい時間を与えられたことになります。


良い事の裏には嫌な事がある。


嫌な事の裏には良い事がある。


表裏一体、そんな事を思わせてくれたOさんの帰宅姿でした。








2015/9/16本日の気づき

一人で川沿いを歩いていた。


前にゆっくり歩いている女性がいた。


どうも妊婦さんらしい。


その女性にすぐに追いつき、通り越し歩いていった。


途中右折出来る道があり、この道から行くともしかしたら近道かも?と思い右折した。


少し歩いたら道が細くなり、最後には行き止まりになってしまった。


しょうがないから道を戻って川沿いまで出た。


そしたら先程の女性はゆっくりと先を歩いている。


その川沿いのゴール?の橋にはその女性の方が先についてしまった。


その女性はゆっくりしたスピードでも最短距離を歩いたので、


倍以上のスピードで歩いている私より、結果早く着いた。


しかし過程を見なければ、時間の違いはあるが、共に同じ地点に到達している。


女性は、最短距離で、エネルギーの消費を最大限おさえ到達した。


私は、もう一本の道は行き止まりになると学んで到達した。


全体で見れば、得も損もなく、失敗もなかった。


ほんの些細な出来事だが、人生を歩むという事の本当の姿を見た気がした二本の道であった。



2015/9/15本日の気づき

ある本で読んだ事だが、


‘目を皿のようにして下さい’と日本人に言うと、目を大きく見開くという。


私も同じようにすると思う。


しかしアメリカ人に同じことを言うと、目を細めて小さくするらしい。


これは、日本人は皿を上から見てイメージするのだが、


アメリカ人は皿を横から見てイメージする違いだという。


結果、同じ皿でも表現が逆なものになってしまう。


一昨日から始まった大相撲。


横綱白鵬関が横綱になってから初の2連敗。


膝が痛むらしく、今日から欠場の可能性が高いらしいが、


もし欠場しなく15場所出場したとする。


今時点での2連敗は、輝かしい成績を残している白鵬関には過去に例を見ない結果。


これだけを見れば、周りも、また本人も穏やかではない。


しかしもしこの場所も残り13場所全て勝ち、13勝2敗で優勝したとする。


15取り組み中、2取り組みの取りこぼしは、白鵬関でも珍しい事ではない。


そしたら周りは、やっぱり白鵬は他の力士とは1枚も2枚も力が上だと評価するだろうし、


横綱自身も2敗時点とは心境が真逆になるであろう。


部分と別の部分で見る違い。


点と線で見る違い。


同じ物事でも、見方により逆な結果になってしまうと、


結果という実態を教えてくれる話である。

2015/9/14本日の気づき

本日も走ってきた。


左のアキレス腱に続き、両膝もを痛めてしまっているので、


しばらく休んだ方がいいかなとも思っていたのだが、ついついグランドに出てしまった。


しかしいつも5割位の流し(今では5割が全力みたいなもんだが)を


2~3割位から走り始め、ゴールまで無理のなく走り抜けられるようにしてみた。


このペースで走ると、脚に痛みは感じるが、これ以上悪化するような感じではない。


しばらくはこのペースで走り、走り抜けられるスピードが自然と上がってくよう続けてみたいと思う。


毎日走っていた現役時代には分からなかった事も、


今になり、動けない、走れない身体だからこそ考え、学べることが日々ある。


ヨーガも同じように思える。


始めたばかりで何も知らないからこそ、四方八方全てが気づき、学びとなり、


また続けているからこそ新たな気づきもある。


どんな状態でも学べ、有意義な時間と化すのだと思った、動けない自分の身体であった。










2015/9/13本日の気づき

レスリングの世界選手権で吉田沙保里選手が13連勝した。


試合後のインタビューでは涙を流していた。


世界選手権は今回で13回目の優勝と絶対王者だが、


今回、試合前は体調が悪かったようで不安があったようだが、


そこに王者にしか味わえない追い詰められた姿がみられ、


確証された勝利などなく、


勝利の価値を教えてくれた王者の涙だった。