板橋の自然健康ヨーガ教室 -93ページ目

2015/9/27本日の気づき

偉大なるギターリスト、ジミ・ヘンドリックスが、


自身の曲を自分で歌うのに、歌唱力に自信を持てなかった時、


ボブ・ディランの歌を聴き、上手く歌おうとする必要はないんだと思い、歌う事が出来たという。


結局ジミ・ヘンドリックスは、魅力的にうたっている。


走る事においても、膝が高く上がらない、膝から下が思うように前に出なければ、


無理して高く上げる必要もないし、前に足を出す必要もないのではと先日思った。


形だけを見て、それを模写を試み、自身が出来る範囲以上の事をやろうとすると、


どうしても力が入り、自身の持っている力の発揮を妨げるようになってしまう。


その道の一流の人のパフォーマンスを見ていると共通している点がある。


それは、一見ぎりぎりまで力を出し切っているいるかのように見えるが、


そこは醸し出しているエネルギーがその様に観させるのであって、


必ず少しの余裕を持っているという事である。


持っている能力は個々それぞれ異なる。


外見に惑わされず、その本質を見出し、


身の丈にあったパフォーマンスこそ、


自分に出来る一番美しいパフォーマンスなのだとボブ・ディランの歌を聴いて思った。










2015/9/26本日の気づき

ドラマ『白い巨塔』で、


30代の女性が病にかかり、治療の施しようがなく、余命3ヶ月と告知されるシーンがあった。


予期もしない出来事に、女性は絶望的な落胆に陥る。


もし私がこの女性だったら、同様な状態になるだろうと想像し、目頭が熱くなった。


担当医は、この患者に「一日、一日を大事に生きて下さい」と告げた。


この言葉で思った。


余命3ヶ月は、‘不平等’を感じるが、不確かな事で事実ではない。


しかし一日を大事に、更に今を生きているという事は、誰しもが平等であり、事実である。


人間は、まだ起こっていない不確かな事を嘆く能力を持っている。


しかし今しか生きられないという事実があるのだという真実に気づかされるドラマのシーンだった。



2015/9/25本日の気づき

たまに生徒さんから「ヨーガのポーズはいくつ位あるのか?」という質問を受ける事がある。


その質問から改めてアーサナを考えてみると、


‘こうだからこれはヨーガのアーサナ、ポーズ’という決まりというか境界線がない。


この点から分かる事は、ヨーガは形は重要視していないという事だ。


どうしても身体の柔軟さや完成の形に意識がとらわれがちだが、


そこについて説かれていないのだから、ヨーガの追求するところは別であるというのが明白になる。


どんなアーサナも平等に大事、改めて確認出来た生徒さんからの問いだった。



2015/9/24本日の気づき

「病気というのは、からだのあちこちに汚物が蓄積しているのだという自然からの警告なのだ」


というガンジーの言葉を読んだ。


‘疲れ、ストレス、脂肪.......’


と様々な蓄積が健康を損ねるのだと改めて思う。


「食物を欲望のままに食べないで、ただ生命維持に必要なだけをとること」


心静かにし、‘欲’が介入しないところで、


自然の状態の声を聞いてみようと思ったガンジーさんの健康論だった。

2015/9/23本日の気づき

昨日、母校の中学のグランドを覗いた。


テニス部とサッカー部がグランドを半分に区切り練習していた。


地方の学校と比べると、とても狭く、詰め込んでる感じを受け、


これじゃまともな練習は出来ないと思うだろう。


しかし近所でいい様に走れる路地が中々見つからない私にとっては、


グランドの本当の端っこの幅1メートルの直線を与えてくれれば、


どれだけ実りのある練習が出来るのにと羨ましく思えた。


学校での授業、そして練習の場所、


今まで色々なものを与えられてきて、自由に使える時間があったのに、


随分と無駄にしてきたなと、


失ってから随分と時間が経ってから気づいた母校のグランドだった。