獅子舞の閑話休題 -10ページ目

学び舎を振り返れどもいまはなく統廃合も時の流れと

公立校の統廃合が進む中、獅子舞の母校も数年前気が付いたら消えていた。まあ、新設校ラッシュで数年間に五校位造った内の一校だから何処かは消えるのも必然だったといえるだろう。そこで、ふと考える。開発費、維持費、閉鎖に伴う費用と再開発、ト-タルでどれ位の赤字になったんだろうか、と。

教育や福祉は単純に金銭面だけでは考えられないのは当然の事で、それにしても「エコ」だの「限り有る資源」だのと叫ばれる今日、それを教える学校が統廃合とは情けない。
ヨ-ロッパは石の文化で日本は木の文化だと言われ、欧米で数百年を経た建物が依然現役なのに対し建物も又自然と共に朽ちていくもの、と考える日本文化では近年(古代には古墳や法隆寺に代表されるように全く別の価値観が在ったはず)都市計画にしても根本的に何かが足りなかった。それが偽装構造問題に象徴されている計画性、或は長期的展望のなさであり現在の日本の抱える問題の根本の一部だと思う。

東京タワーが新しく造られるという。成田空港も増築され、羽田空港も強化される。アメリカで航空会社の再編成が懸念され石油が1L200円になる、とも言われている現在である。計画書の根拠が知りたいものである。

社会ネタ書くと字数に苦労してエッセイストの才能を知る

で、前回の続き。
今政治が混乱してマスコミはしきりとそれを取り沙汰するけど、そんなマスコミに疑問がひとつ、「それじゃあ、今までなにを書いていたの?」。たとえば消費税ひとつとっても、もっと掘り下げて検証しそれを問いただしていくのが彼等の本来の役目なんじゃないか、と思うけど、実際テレビを観てると毒にも薬にも成らない番組が垂れ流しされニュースは同じ言葉を繰り返すだけ。観る人を思考停止に追い込む時点でこれは充分毒だと思う。
今回政治が再編されるかどうかに日本の将来は大きくかかっている、ということを、政治に携わる人達はどれくらい真剣に考えているのだろう?折しもアメリカでは大統領予備選の真っ最中で日々その動向を伝え聞くけど、日本の政治家達には是非人事と思わず我が身を振り返って貰いたい。そしてまた、国民みんながもう少し政治に関心を持って貰いたいものです。
獅子舞には二人の息子がいるけれど、この子達が大きくなる頃一体日本はどうなっているのかと心配になってしまいます。今のままで行けば第一次大戦の後ヒトラーが出て来たような状態に日本も成り兼ねない、と思えてしまうのは大袈裟に考え過ぎでしょうか。

人伝ての言葉は信に頼りなくされど己に計る術無く

先日社会ネタで書く!、公言(放言?)したので今日は固い話をひとつ。
中国毒餃子事件で食べた人の中には明らかに「味がおかしい」と思った人もいて、そういう人からの保健所への届け出が事件発覚後に明らかにされたけど、その一方でおかしいと思いながらも「食の安全神話」を信じて被害に遭った人がいた。賞味期限表示等「神話」の典型的なもので、獅子舞等良く期限切れの食品を貰ったりして結構利用させてもらっている。ところで、この表示を全面的に信頼していいか?というと今回の事件に限らずとも、毎年発生する食中毒が「NO!」と叫んでいる。
昔は結構いい加減で、必ず自分の舌でまだ大丈夫か?確認したものを、いつの間にかそういう習慣は忘れ去られ「権威の表示」を鵜呑みにするようになり、自己保存本能が退行してしまったのは誰のせいにすればいいのだろう?
政治、教育、文化等あらゆる場面でこの現象が見られ、日本人の思考停止は他の国の人々の笑いと軽蔑の的と化してる。
危機管理の低さは驚異的な物で、エコを歌いながら同じ人が平気で物を残し、無駄を無駄と思っていない。アフリカ各国を招いた洞爺湖サミットでたいした成果が得られ無かったのも必然でしょうね。