いなくなってしまった大好きな夫へ
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一周忌

先月末、一周忌の法要が無事に終わりました。
なんだか、ここ最近特に淋しくて、皆様のブログを読むこともなく、夜中まで友達とリモート通話したり、youtubeを見たり、現実から目を背けるようにして、ただ淡々と日々を過ごしていました。


もう1年経ったんですね…
必死だったこの1年。
意外と頑張れるものなんですね。
もうだめだ。未来はない。と思っていた最初の頃から比べると少しはマシになった気がしてます。


ちょうど去年の今頃は、お骨を持って暗い部屋の中で蝋燭の火に向かって話しかけたりしていました。
記憶も途切れ途切れで、よく分からないまま朝を迎えて、気づいたら夜になって…


この1年…
娘と協力しながら、周りのみんなに支えられて、私たちは少しだけ強くなりました。


以前の私は願い事も多く、欲しいものも多かったけど、欲しいものはなくなり、願い事は娘が幸せな人生を過ごせるように…と、これ一つだけになりました。


仕方ない。
どんなに願ってもパパには会えないからね。


あんなに毎日一緒にいたのが嘘のようだな…
私にもずっと一緒に生きてくれた相棒がいたのにな…


パパ、淋しくないですか?
私達のこと、見えてますか?
娘のこと、心配しなくても大丈夫だよ。
それだけは、きちんとやるからね…
約束…!!
安心してね…




1年前の今日

1年前の今日は、生体肝移植を終えた翌日で、朝早くICUから一般病棟に移動した。



昨日、3月15日は、今頃手術始まったなぁとか、パパも私も頑張ってた頃だなぁとか、今終わって喉乾いてたなぁとか、時計を見るたびに思い出した。



1年前の今日は、手術が終わった安堵感と、これからパパが回復することへの期待で、身体は痛くてしんどかったけど、気持ちはワクワクしていた。



1年後…

まさかパパが居ないとはね。

夢にも思わなかったな…



一般病棟に移動した日に、同室になった同年代の女性。

その人は肝臓をもらう側だった。

脳死の人からの提供で、優先順位が高いから長期間待たずに移植ができる事になったと言っていて、2回目の移植だと言っていた。

「2回目!?」と驚いていると色々話してくれた。



同年代という事もあって、いろんなこと話したな。

家族の事とか、仕事の事とか、恋愛についても少し話したなぁ…😊



後に、その女性の手術は成功して今は元気に生活されている。(もちろん移植後の服薬とか食事の制限とかはあると思うけど)

人生で2回も移植手術を受けるって大変だな。



その女性は、命の危険があるから移植の優先順位が高い。手術をなるべく急がないといけないって言っていた。



そんな状況でも手術が成功して今元気でやってるのに、健康そのものだったパパは何でダメだったんだろうか…

持病があるとかないとか、今まで健康だったとか、歳が若いとか、あんまり関係ないんだね。



その女性とはLINEも交換して、今も仲良くやり取りしている。入院中も、自分のことで大変なはずなのに、パパはきっと助かるから!と私を毎日励ましてくれた。

その女性の手術が成功し、元気になって心から嬉しい!!



移植したから繋がった縁だね。

人生って分からないね。

パパが良くなったら、入院中のことや、仲良くなったその女性のこと、色々話そうと思ってたのにな…



今のこの現実…

万が一にも想像してなかったなぁ…





11回目の命日

昨日は夫の11回目の命日だった。
共通の仲間達とお墓参りに行ってきた。



また、前日に誰か来てくれていた様で花受けのお花が新しかった。本当にありがたい。



早いな。
もう11回目か。
次の命日は、とうとう1周忌だね。



ここ数日は色々と思い出していた。
1年前の今日は、パパは病院に運ばれていて、すでに意識はなく人工呼吸器を付けられていた。



すでに会話はできなくなっていたから、もうパパの声は丸1年聞いてない。



それでも1年前の私は、パパが亡くなるとは夢にも思っておらず、何が何だか分からないまま眠れない日々を過ごしていた記憶がある。
あの時はキツかったなぁ…



すこぶる健康体だったパパは、2月26日に運ばれて、数時間は普通に会話していた。
その時、「早く帰りたい」とか「喉が渇いた」とか「明日のアポどうしようかなー!休めねーよー!」とか、いつもと変わらぬ会話をしていた。



私も、こんな事になるとは思わずに「とりあえず休暇だと思って少しゆっくりしたらいーよ!また忙しい毎日が待ってるんだから」とか言っていた。



でも、その2日後の1年前の今日2月28日には、私は生体肝移植の紹介状を持って、夫の弟と一緒に大学病院にいた。



何がどうなっちゃったんだか。
1年経った今考えても、やっぱり状況に追いついていけない。



それから丸1ヵ月ほとんど意識がないまま、パパはあっけなく居なくなった。
これからやりたい事もたくさんあったのに、行きたい場所もたくさんあったのに、全て夢の途中で違う世界に行ってしまった。



それから、娘と私はどうやってここまで来たかな。
記憶がある所とない所がある。



一生懸命頑張ってきたなぁ…と娘と自分に感心してしまった。
私は本当にズボラで適当な人間なのに、夫の事に関しては、肝臓移植も葬儀も告別式もその後の面倒臭い手続き関係もきちんとやったなぁ。
私もやればできるんだなって。
生きてるのもやっとだったのに、ここまでよく頑張ってきたなって思った。



娘も偉いなあ。
8歳でパパを亡くして、ママはメソメソしてるかイライラしてるかどっちかなのに、毎日元気に学校通って友達ともたくさん遊んで…


なんか自分の行動と気持ちが伴っていなくて、不思議な感じだったなぁ。
気持ちの中では、これ以上頑張れないって思ってても、何とかやれるもんなんだなぁ。



それでも、ここまでこれたのは色々な人に支えてもらえたから。



この先も、一周忌に向けて落ち着かない気分が続くと思うけど、それでも今まで生きてきたみたいに何とかやっていくんだろうな。



その先も、その先もずっと。
いつか心の底から笑える日は来るのかなぁ…



夫と2人でゲラゲラ笑った日の事、思い出すなぁ。
楽しかったなぁ…あの頃。



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