11回目の命日 | いなくなってしまった大好きな夫へ

11回目の命日

昨日は夫の11回目の命日だった。
共通の仲間達とお墓参りに行ってきた。



また、前日に誰か来てくれていた様で花受けのお花が新しかった。本当にありがたい。



早いな。
もう11回目か。
次の命日は、とうとう1周忌だね。



ここ数日は色々と思い出していた。
1年前の今日は、パパは病院に運ばれていて、すでに意識はなく人工呼吸器を付けられていた。



すでに会話はできなくなっていたから、もうパパの声は丸1年聞いてない。



それでも1年前の私は、パパが亡くなるとは夢にも思っておらず、何が何だか分からないまま眠れない日々を過ごしていた記憶がある。
あの時はキツかったなぁ…



すこぶる健康体だったパパは、2月26日に運ばれて、数時間は普通に会話していた。
その時、「早く帰りたい」とか「喉が渇いた」とか「明日のアポどうしようかなー!休めねーよー!」とか、いつもと変わらぬ会話をしていた。



私も、こんな事になるとは思わずに「とりあえず休暇だと思って少しゆっくりしたらいーよ!また忙しい毎日が待ってるんだから」とか言っていた。



でも、その2日後の1年前の今日2月28日には、私は生体肝移植の紹介状を持って、夫の弟と一緒に大学病院にいた。



何がどうなっちゃったんだか。
1年経った今考えても、やっぱり状況に追いついていけない。



それから丸1ヵ月ほとんど意識がないまま、パパはあっけなく居なくなった。
これからやりたい事もたくさんあったのに、行きたい場所もたくさんあったのに、全て夢の途中で違う世界に行ってしまった。



それから、娘と私はどうやってここまで来たかな。
記憶がある所とない所がある。



一生懸命頑張ってきたなぁ…と娘と自分に感心してしまった。
私は本当にズボラで適当な人間なのに、夫の事に関しては、肝臓移植も葬儀も告別式もその後の面倒臭い手続き関係もきちんとやったなぁ。
私もやればできるんだなって。
生きてるのもやっとだったのに、ここまでよく頑張ってきたなって思った。



娘も偉いなあ。
8歳でパパを亡くして、ママはメソメソしてるかイライラしてるかどっちかなのに、毎日元気に学校通って友達ともたくさん遊んで…


なんか自分の行動と気持ちが伴っていなくて、不思議な感じだったなぁ。
気持ちの中では、これ以上頑張れないって思ってても、何とかやれるもんなんだなぁ。



それでも、ここまでこれたのは色々な人に支えてもらえたから。



この先も、一周忌に向けて落ち着かない気分が続くと思うけど、それでも今まで生きてきたみたいに何とかやっていくんだろうな。



その先も、その先もずっと。
いつか心の底から笑える日は来るのかなぁ…



夫と2人でゲラゲラ笑った日の事、思い出すなぁ。
楽しかったなぁ…あの頃。