いなくなってしまった大好きな夫へ -5ページ目

悲しい夢

夢を見た。
夢の中で、夫は普通に生きていた。



そして私の携帯の留守番電話に、何故か夫と私の会話が録音してあって、私がその録音を寝転んでる夫の耳にあてて聞かせていた。(実際はそんなのやった事はない)


 
夫と私の会話っていう設定なんだけど、私の声が全然違う女の人の声で、夫に「ちょっとこれ聞いてみて!私の声じゃない!」って言ったら、夫はそれを聞いて「なにこれ〜」と半ばびっくりしていた。



誰かの陰謀で、夫と私の会話をでっちあげたという事になっていて、私達だまされないよね!これ私の声じゃないよね!っていう意味不明な夢。



でっちあげたといっても、会話の内容も普通すぎて記憶にもない。



その後、私から見て夫は後ろ向きに座っていた。
まだ生きてるけど、これから死んじゃう設定になっていて、その事は口に出したらダメな雰囲気。



私は何も言えなくて、後ろから夫を抱きしめて大泣きした。
そしたら、夫も下を向いて大泣きしていた。



私が夫に「これから何が起こるか分かってるんだね」と言うと、夫は何も言わずに下を向いて悔しそうに泣き続けていた。



実際は夫が大泣きしているところなんて見た事ないし、後ろから抱きしめるとかやった事ない。



でも本当に悲しくて、どうすることもできなくて、辛くて苦しくて、そこで目が覚めた。
目が覚めた時にも悲しくて淋しい気持ちは続いていた。



亡くなって今月で7ヶ月になる。
これからも会えなくて、今よりもっともっと辛くなるのかな…



それとも会えないことに慣れて、だんだん平気になっていくのかな…



なんか、どっちもやだな…



夫がいなくなって7ヶ月経って、最近思うことがある。



人生を終える最期の瞬間まで、私の夫でいてくれた事。
私に、夫の大事な人生を捧げてくれた事。



別れは本当に突然だったけど、最期のその時まで私と一緒にいてくれた事。
今までずっと守ってくれた事



ありがとうね…
これからもずっと夫婦でいようね…



この広い世界の中で、たくさんいる人の中から私を選んでくれた。
それは、今となっては夫がくれた自信と勇気。



離れていても、いつも想っています。
決して忘れる事はないです。
いつでも、どこにいても、夫との想い出で溢れたこの世界は、すごく生きづらいけど何とかやっていくね…



ちゃんと見ててね…



仕事始めと運動会


ついに10月1日から仕事を始めた。
平日の週5で、9時〜17時半まで。




週5でフルタイムだけど9割以上在宅。
敢えてそういう仕事を探したのだけど。
今月の出社回数は、あと3回。
今の私にとっては本当にありがたい環境。




初日は出社の日だったので本当に疲れてヘトヘトだった。
翌日の土曜は娘の運動会だったので、早起きしてお弁当を作った。
日曜日は娘の事で用事があって朝から外に出た。




あー…そうだった。思い出した。
私、以前はこんな風に忙しかったなぁ。
なんか久しぶりに以前の生活に戻ったようだった。




ただ、いつもいた夫がいない。
それが本当に違和感。




娘の運動会、パパも見たかっただろうな。
どんなに仕事で忙しくても、娘の行事には必ず参加していたもんね。



今年は、1家族2人までの参加と決められていた。
パパとママ揃っての参加が多かった中で、私は一人で参加した。
でも、私には遺骨ペンダントがある。



パパ見てる?
娘が頑張って踊ってるよ。
家でもずっと練習してたもんね。
パパに話しかけたい時には遺骨ペンダントを握りしめた。



見たかっただろうな…
見たかったよね…



娘のダンスの曲が流れ始めた。
銀河鉄道999。


「さぁ行くんだ!その顔をあげて。

 新しい風に心を洗おう

 古い夢は置いていくがいい。

 再び始まるドラマのために
 
 あの人はもう思い出だけど

 君を遠くで見つめてる」


なんだか娘と私への応援歌のように聞こえてしまって、思わず涙が滲んでしまった。



前から知ってる曲なのに、環境が変わると歌詞がこんなにも身に沁みるんだね。



娘の成長がとても嬉しかったけど、隣に夫がいなくて、私にとってはとても淋しい運動会だった。



6回目の命日

9月27日、夫の6回目の命日だった。
娘とお墓参りに行ってきた。
墓石をピカピカに磨いて、ビール2本と、いつも飲んでいたブラックのアイスコーヒーをお供えしてきた。


いつの間にか6ヶ月。
そんなに会ってないのか。
あんなに聞いてた声も、毎日見ていた顔も忘れそうで怖い。
忘れるわけないけど、薄れてほしくない。



夫が亡くなり、保育園から付き合いのあるママ友が、付かず離れずの良い距離感で私の事を気にかけてくれていた。

子供達は同級生。同じ小学校に通っている。




コロナワクチン1回目を打った時に、いつもの事だが夜中寝れずに朝を迎えて昼寝をしていた。




その時、そのママ友が突然訪ねてきた。

インターホン越しに、「どうしたの?」と聞くと、「ワクチンの副反応が心配で!倒れてるのかと思って!良かった!元気そうだね!」と。




「わざわざ来てくれたの!?少し家に上がっていって!」と言ったが、ママ友は「そこまで用事があって帰りにちょっと寄っただけ!またこれから用事あるから!」と帰って行った。




その後に携帯を見たら、私が寝ている間に「ワクチンの副反応は大丈夫?」「返事ないから心配です。」「連絡下さい。」

その後、着信も入っていた。




外の気温は36度くらいある夏の暑い日だった。

私からの返事がないので、わざわざ下の子を抱っこして汗をかきながら、うちまで訪ねてきてくれた。

涙が出る程嬉しかった。




そのママ友は中国人。

保育園からの付き合いだけど、夫が亡くなるまで特にプライベートで会ったことはなかった。




日本に20年程いるので日本語はペラペラ。

仕事もしている。

そのママ友が2年ほど中国に帰ることになった。

子供達も連れて。




日本での家も持ち家だし、パパは仕事の関係で日本に残るので、2年間限定で必ず戻ってくるとのこと。




2年なんてすぐだろうけど、淋しいな…

いつも一緒にいたわけじゃないけど、何かあると気にかけてくれて心強かったな。




夫が亡くなって、人付き合いについて感じた事があった。

今まで特に関係の深くなかった人達が支えてくれた事。付かず離れず、ちょうど良い距離間で連絡をくれたり、会いにきてくれる。

決して押し付けがましくなく、自然に。




逆に今までとても仲良しだと思ってた人は、意外とそうでもなかった事に気付いた。




本当に辛い時、苦しい時、支えてくれる人達が自分の思っていた人とは違う人だった。




そこはそんなに動じてはないけど。

夫がいなくなった今、色々な事に動じなくなった。




それでも支えてくれた人達には感謝の気持ちで溢れている。

もし、自分がいつかどこかで逆の立場になったら、同じように支えてあげたい。

自分がしてもらったように、程よい距離感で、近すぎず、遠すぎず。




中国人のママ友は、支えてあげたい人の一人。

また2年後会えるよね。

私達は生きてるんだし。

生きていれば何年離れててもまた会える。




そんなこんなで過ぎていった6回目の月命日。

パパ、娘と私は色んな人に支えてもらって今を生きています。

パパは今どうしてますか?