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監督ブログ  wecker

「時空警察ヴェッカー」シリーズの原作・監督 畑澤和也の個人ブログです。
現在中国広東省で活動中

短い帰省中、母を連れて映画を観に行きました。

前に記事にした辻村深月さんの小説「ツナグ」の映画版です。


法事が終わった後、母が「どうしても亡父に聞きたかった事がある」と言うのを聞いて、小説の中にもそんな一節があったので…ちょうど松坂桃李くん主演の映画版がロングラン中だったので、一緒に観に行った訳です。


一度だけ生きているものを死者に束の間の再会をさせてくれる「使者(ツナグ)」


母が父に聞きたかった事は映画の中での最初のエピソードである「本当の病名を知っていたのか?」という事だったよう。

その「答」は映画を観るなり、小説を読むなりして確認してもらうとして…


好きな小説(または漫画)の映画化。

やはり戸惑いは感じるものですが、この「映画」はホントに良かった。


オムニバス形式で書かれている小説を1本の群像劇にし、あらゆる世代の男女がどこかに感情移入できる、間口の広いエンタテイメントに仕上げている。

もちろん小説を読んでからだと、それぞれのエピソードに深みを感じれないのは仕方ないんですが。


やっぱり僕は「活字」より「映像」が好きなんだなぁ…とても今さらですが。


中間エピソード(見ようによっては中核エピソードになる)女子高校生の親友同士の確執と裏切りの話。

このエピソードが特に映像が活字(によって得られる想像)を越えたエピソードでした。


演じていた大野いとさんと橋本愛さん、二人ともずっと気になってたコたちですが、見違える程良かったです。

彼女たちを観たくて(超多忙の中)もう1回観に行ったぐらいだから。


そしてこの最後のエピソードである「7年待った行方不明の婚約者が実は死んでいた」という話。

「7年も待ってくれてありがとう。幸せになってね!」と背中を押される…という自分的にはいちばん泣ける筈のエピソード(実際泣きましたが)なんですが…


この映画を観たのをきっかけに29年前に亡くなった彼女……は、もしかしたら「死んでなかった」かもしれない。

…と思い始めています。

実際遺体を見た訳じゃないしね。


しばらくこの事について考えてみたいと思います。


人生の「大どんでん返し」があったりして(笑)。

短期間の帰国でしたが、いろいろあり、ホントーにいろいろあり、中国へ戻って来ました。

いろいろはおいおい書いていくとして…


「時空警察ヴェッカー デッドりーナイトシェード」の全公開日程が終わりました。


観に来てくださった方、また二度三度観に来て来てくだった方、来れなかった方も、応援ありがとうございました。

そして制作スタッフ、キャストの皆さん、この作品に関わった(巻き込んでしまった)すべての方々に改めて感謝致します。


改めて自分で観直してみると、あの頃(脚本を書いた頃)の自分の死生観がロコツに出ている気がします。

一瞬とはいえ心肺停止まで至った…ところから生還したベッドの上で書いた、僕にとっての「生きる」ことの意味。

誰かに、何かに生かされているから生きているのだという想い。


そして「どうして俺(に限って)がこんな目に…」という本音も(これは沢口慎也刑事がぜんぶしょってます)。


2008年春、「これから」という時に(文字通り)倒れ、周囲にいた人がことごとく離れていった。

企画が進行していた「ヴェッカーシグナ」の続編映画企画も、ヴェッカーzeroとなる新作映画企画も、(銀河劇場でやる予定だった)舞台化企画もみんな消えた。



その頃、確執があったにも関わらず、何度もお見舞いに来てくれた渡洋史のような人もいた。しほの涼ちゃんも来てくれた数少ない一人だった。そして何より、ココに今も来てくださる方々の中に僕の「生還」(ブログの復活)を待っていてくれた人はいた……けど、僕はいろんな意味でやはりあの時、一度死んだんだと思う。


それから

4年かかって

ヴェッカーシグナ続編としての「ハイペリオン」を

まったく構想を変え、文字通り舞台を変えて「ヴェッカーサイト」を

そして、今年になって、やっとヴェッカーzeroとなる新作映画も(まったく内容は変わったけど)公開できた。


最初の(倒れる前の)構想とはぜんぶ変わったけど…

これが歴史というものでしょう。


「デッドりーナイトシェード」はそのまま花の名前。「死に誘う女神」の名でもある。

この物語の主役は花の名前を持つ少女たち。

紫苑だけでなく、すべての少女たちに花言葉にまつわるエピソードを作ってあった(本編では全然描けてないけど)。

この物語はこの世には存在しないハズの彼女たちが、確かにそこに「いた」記憶。


唯一そうではない双葉蓮が見た記録に残らない記憶だ。紫苑の存在すらも。(それゆえに蓮は本作の「主演」である)。本当はこの物語はおばあちゃんになった蓮が死ぬ直前に孫(春日さりあ)に話した彼女の記憶をたどる物語だったので。

それゆえに「すべての歴史につながるzeroの物語」としたのだけど…


この作品はやはり「ヴェッカー」のzeroの作品にはなり得ない、これ1本単独で「デッドりーナイトシェード」という作品なんだと思う。

僕自身がすべての台詞を自分の言葉で書いている、唯一の作品でもあるけど(故に「脚本家」の力を思い知らされるのだ)。


画作りも、脚本も、人物描写もなるべくリアルに、を心がけた。唯一リアルではない(でしょ?)北島隼人はそれゆえにああいう結末となった。


実は後編の構想もありました、とパンフレットにもココにも何度か書きましたが、改めて観治すとあれはやっぱりあれで完結しているのです。


隼人は紫苑に刻まれた数少ない本当の記憶として、彼女の中で永遠に活きていくでしょう。


この作品も観て頂いた方の記憶に、どういう風にでも、少しでも残っていけば嬉しいです。


感想メール、長文メッセージ&レポート頂いていますが、さらに思うところあればなんでも、コメント頂けると嬉しいです。

DVD化が実現しますようにっ!!

明日16日夜、いつもの通りの渋谷食事(&カラオケ?)会を予定してたんですが、夜はどうしても外せない打ち合わせが入ってしまい、断念しました。終わってから急行しても22時は過ぎるので…


もしかして楽しみにされていた方がいらっしゃったらごめんなさい。

今回は3日しか東京に居れないので、久々に超過密スケジュールです。

明日の打ち合わせも今後のもろもろの展開に関して前向きなお話をいろいろ進めていくためのものなので、それを報告できるのを楽しみに待っていてください!



今回の帰国の目的のひとつである(;^_^A「009 re:cyborg」を観ました。


ある世代以上の年代の方には「サイボーグ009」は甘酸っぱいような、照れくさいような思い出のある作品ではないでしょうか?


前にも書きましたが、僕にとっても「初恋の人」(フランソワーズだけでなく)のイメージ。

中学生ぐらいの時殆ど台詞を暗記するぐらい何度もコミックスを読み返してました。


でも、ある時「卒業」してしまったのか、ぼくの場合は「上京」を機に、それから20年以上読み返す事はなかった。

大事な思い出として心の奥底に置いておきたかった。


だからなのか2000年代にリメイクされたテレビシリーズは「恥ずかしくて」観てられなかった(出来が悪くて、という事ではないです。同時期に制作されたアニメ版「キカイダー」も同じような理由で観てられなかった)


…で、「re:cyborg」

そもそも僕は「甲殻機動隊」とかが好きではない。いい悪いではなく「苦手」なんです。

それらの延長線上で「009」を捉えなおしているのか、というのが第1印象。次に角川アニメ版「幻魔大戦」を思い出した(わかる?)。


でもティーザーや予告を観てるうちに、俄然観たくなってきました。

各キャラのリデザインも、「ここまで変えられたらもはや別物」の領域になっていたし、オリジナルとして観ると(特にフランソワーズが)自分好みのアレンジだったので。


…で、本編。

専門用語が続く長台詞、難解(視聴者任せ)なテーマ、細密すぎる映像ディティール…と、ツラく感じた部分はあるんですが…それらも含めて…


僕は面白かった。もう一度(二度三度)観たいとも思う。


なぜか原作では一度もちゃんと描かれなかった「ジョーとフランソワーズのストーリー」として…

大人になった(推定60歳代!)フランソワーズと少年のままの(18歳を何度も繰り返す)ジョーのラブストーリーとして、愉しめました。

それを象徴している「トモエ」の存在がとても愛しかったです。


少しでも思春期に「009体験」をしている方なら、その30年後(40年後?)の「大人になった」ジョーたちを観て、自分もいつの間にか大人になっていた事に気付けるかもしれません。


「ギャバン」の30年後の「続編」をあんなにも受け入れられなかったのに…不思議です。

思い入れの強さは変わらないと思うのだけど…。



今更ですが、神山監督の(苦手だった)以前の作品も観てみたくなりました。



…先日上映を終了した拙作「デッドリー・ナイトシェード」をご覧になった方、ネタバレも含めて感想をお聞かせください。



明日から東京へ帰ります。(土日は関西へ行く予定)

16日夜は現状まだ予定通りで。


昨日久しぶりに、前にもココで話題にした広州のメイド喫茶「にゃんメイド」へ行ってきました。


行ってみたら、いつの間にか2号店、3号店が出来ていて、そっちにもご案内してもらいました。

道中メイド姿で中国の街を闊歩する彼女たちが、なんか不思議な光景でした。


約4か月ぶりでしたが、お店のクオリティもメイドさんのクオリティも格段にアップしてました。


来春にはステージもある4号店ができるそうですよ!

今や在籍も60人を越えたとか!

メイドさんたちはほとんど10代!個人的にはAK49(中国のAKB)よりクオリティ高いと思う。


経営も含めたこれらの仕切りをすべて店長のぴぐさん(23歳)がひとりでやってる事にびっくり。別にオーナーがいるわけではないらしい。


気になる(?)反日感情ですが、彼女たちの世代にとっては今でも日本は憧れの国。楽しそうな夢の国。

全然問題ナシでした。


彼女らを日本のメディアに紹介したいと、けっこう真剣に考えています(そのために日本から某プロデューサーを呼んだ!)


中国より根深く潜在してる(ように思える)日本人の反中感情を少しでも緩和できたらうれしいです。


監督ブログ  hyper-orion


彼女たちの一人に「夢は?」と聞いたら、「世界中がいつまでも平和でありますように」と(日本語で)話してくれました。