地下鉄構内には地下鉄業務員や警備員がドッと押し寄せ、横倒しになってホームに突っ込んだ列車に飛び乗り、中にいる乗客を一人ずつ救出していく。居合わせた民間人も一緒になって救出にあたっている。事態を知った警察やFBIがこわ張った顔つきで構内に駆け込んできた。FBIはテロによる犯行ではないかと感ぶり、何事も無かったかのようにひょこひょことホームに戻ってきたケイクを、黒ずくめの捜査官達が一斉に取り囲んだ。


「貴様銃を所持しているな!」


と銃を突きつけ取り押さえようとした。ケイクは両手を挙げ、されるがままの状態だったが、その内の一人が呟いた。


「ケ、ケイク・アート・・・」


その言葉に聞き覚えのある捜査官は皆、一歩退いた。


そこに遅れてきた捜査官の親玉が姿を現し


「いや~ケイクじゃないか! 久しぶりだな」


とケイクに手を振りながら歩み寄って来た。


「お前なんで両手なんか挙げてるんだ?」


「もう降ろしてもいいかな?^^」


取り囲む捜査官達にケイクが尋ねると、


「も、もちろんです。失礼致しました・・・」


と慌てふためいてお辞儀した。FBIと言えども決して敵に回したくない存在がJusticeである。この捜査官の親分はFBI長官を勤めるジョン・エドガー・タンバーで、日本の今は亡き名優、丹波哲郎をどことなく思わせる彼はケイクがCIAに所属していた頃からの知り合いで、歳はタンバーの方が5つ程くっている。


「いや~それにしてもあれだ。なんだ、なんだ、、あれだあれ、ほれあれだよ」


ってこの人は何を言いたいのか、皆目検討がつかない。


「実に見事に転倒させてくれたもんだ。

 いや~あっぱれ!あっぱれ!

 衝突を避けて、よくもまぁ~ここまで綺麗に

 向かいのホームに収まったもんだな、こりゃ。

 おかげで大惨事になる所を救われた。

 あんがとよケイク!」


そういってケイクの肩を叩いてそそくさと去っていった。
が、最後に振り返って


「それと、お前等!Justiceの局長さんの顔ぐらい、しかぁ~と覚えとけ!」


と部下達を指差して叱り飛ばして去っていった。
が、再び立ち止まり


「あれ? そこにいるのはキャぁ~サリンちゃんじゃないか!
 これは、失敬、失敬、いやぁ~実に失敬」


「タンバー長官、相変わらずお元気そうで^^」


キャサリンは元FBI捜査官でタンバーはその時の上司でもあった。


「今度お茶でも誘っちゃうからぁ~! では、では!」


そういって背中越しに手を振りながら、今度こそ本当に去っていった。


「この状況じゃ地下鉄は無理ね。タクシーで行きましょう」


キャサリンとケイクは地下鉄を後にした。


 瞬時の出来事に対し、最善の手段を即座に導き出し一瞬のためらいもなく、平然と行動に転ずるケイク・アート。それは、彼の持ち合わせた卓越した本能的素質と感性と行動力がなせる技である。


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このストーリーは個人の趣味レベルで創作を楽しんでおります。
ストーリーはフィクションであり実在する国家・団体・企業・作品・HP・個人等とは一切関係ありません。


92

 ダーティー・ハリーでクリント・イーストウッドが44マグナムを片手で豪快にぶっ放すシーンにはしびれまくった。ショット・フォームが完璧である。技術的なフォームではなく、かっこよく魅せるフォームとして完璧だという意味ですね。ダーティー・ハリーシリーズでは、その完璧フォームがテンコ盛りの2が私は一番好きです。射撃大会のシーンはもう最高。


 私がイーストウッドに嵌ったのはこのダーティー・ハリーシリーズからで、中学生ぐらいでしたでしょうか。しかし、うちの嫁さんは、荒野の用心棒をみてイーストウッドに惚れ込んだ人なんです。実にませた小学生の女の子ですね^^

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ケイクは腰を沈めて反動にそなえるでもなく

肩幅に縦に開いた両足は

無防備なまでに自然体で

上半身を支えている。


普通、マグナム系の大口径リボルバーは

スタンスを横に取り

腰を沈めて両腕で絞り込むように

して撃たなければ

その反動で腕ごと持っていかれてしまう。


しかし、今のケイクの姿勢は

全てに於いて相反している。


まるで、ダーツでも投げるかのようなフォームで

完全に力が抜けきっている。


暗闇から狂ったように悲鳴をあげて突進してきた暴走列車が

ケイクを飲み込もうとしたその時



悪魔の皇帝が叫びをあげた。



その音量は列車の警笛をはじき返す程の凄まじい衝撃波で


列車のライトが放つ真っ白な光のエネルギーと


シーザーの真っ赤な爆発エネルギーとが


真正面から激しく激突した。




シーザーが放った弾丸は、

列車の左側、ケイクから見て列車の右車輪前方にある
図太いレールをぶち切って

ムシリ取られたレールが変形し跳ね上がった。


跳ね上がったレールの上を

次々と列車の片車輪が火花を上げて突き抜けていく。


車両はねじれながら線路から離脱し

停車している列車の隣線路上の空いたスペースに

横倒しになって次から次へとホームになだれ込んで止まった。


ケイクは、両足を大きく横に開いて腰を沈め

シーザーを握りしめた右腕は片ごとダラリと前に垂らしている。

ワイルド・Bisonを放った時のフォームとは一変しているものの

力が完全に抜け切っている状態である事には変わりはない。

まるで野球のピッチャーが投球後に横に足を踏ん張って

腕を前に投げ出したような姿勢である。


一瞬の出来事の中で

ケイクがどういった身のこなしをしたのか

光のエネルギーで完全に目を奪われた者達は

それを見ることは無かった。


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このストーリーは個人の趣味レベルで創作を楽しんでおります。
ストーリーはフィクションであり実在する国家・団体・企業・作品・HP・個人等とは一切関係ありません。


 Justice情報局ケイク・アート局長は、ロンがエリア51から持ち出した資料を更に明確にする為に、ある人物に合うべく秘書のキャサリン・ローズと共にワシントンD.C.のとある地下鉄駅ホーム内にいた。ワシントンD.C.は、アメリカの首都だけにホワイトハウス、国防総省(ペンタゴン)、連邦議会議事堂、連邦最高裁判所、などの行政機関が集中している。FBIの本部もここにある。清潔な計画都市のイメージとは裏腹に、全米有数の犯罪都市のひとつでもある。


 平日のラッシュアワーを過ぎた時間帯ではあるが、それでも駅構内はビジネスマンや行政機関に用を持つ人達が急ぎ足で騒がしく動き回る。その流れに沿って停車中の電車にケイクは乗り込もうとしていた。


「待って、ケイク!」


右手を伸ばして真っ白なタイトスーツの袖を捲り、腕時計で時間を確認したブロンドヘヤーのキャサリンがケイクに告げた。


「それじゃないわ、次の電車よ」


 濃いグリーン系の渋めのジャケットにベージュのツータックのバギーパンツ姿で、両手をズボンのポケットに突っ込み、のそのそと列車から出てきたケイクは、スラリとした背格好。岩城滉一とクリント・イースト・ウッドを足して踏んずけたような顔立ちで、彫りの深い眼は、どこか遠くを見据えているようにも、単にぼ~としているようにも見える。物静かで落ち着き払った彼の風貌は、一緒にいる者に不思議な安堵感すらもたらす。


そんなケイクは既に45歳を過ぎた中年独身男である。


 歳の事を言えばキャサリンは怒るので彼女の年齢は30前後とでも言っておくが、彼女のケイクの秘書暦は長い。今でこそ人材も豊富なJusticeだが、ケイクが現役で活動していた頃は特殊部隊のDestinyはまだ結成されておらず、Justice上層部に特殊部隊の必要性を強く訴えてきたケイクは自らの手で特殊部隊Reverie(レヴェリ)を作り上げた。Reverieは、戦闘を専門で行う部隊だけに、DELTA FORCEやSWATから引き抜かれた20代の先鋭達によって形成されていたが、30代に入ってケイクはReverieを特殊部隊から情報機関に転換し、後輩のロンに新たな特殊部隊Barracuda(バラクーダ)を結成させ、自らはワシントンを中心とした東海岸を拠点とした活動をReverieのメンバー等と共に展開するようになる。そのロンも去年からBarracudaを西海岸を拠点とした情報機関に転換し、後輩のアドバンにDestiny(デスティニー)という名で特殊部隊を引き継がせている。


現在のJusticeの組織構成は、


Reverie---東海岸を拠点とした情報機関
Barracuda---西海岸を拠点とした情報機関
Destiny---特殊部隊


 となっており、それにニコラを中心としたドイツKampfer(ケンファー)支局が欧州情報機関として存在する。これだけ組織が整った現在、ケイクは自らが捜査に出向く事よりも、むしろ組織の管理と人材の育成に多くの時間と労力を費やしている。そんな彼が今、自ら足を運んで会おうとしている人物は、国防総省の長官をも勤めてきた大物人物。


 ケイクとキャサリンはホームの中央付近で次の電車が来るのを待っていた。


「それにしてもこの電車、なかなか発車しないわね。何かあったのかしら、、、」


 キャサリンは胸のポケットに収めている小型情報受信機のイヤホンを耳にセットして受信エリアを切り替え、地下鉄管制室の交信電波をキャッチした。


「やっぱりトラぶってる、、、」


 と、その時、別の電波で荒々しい叫び声が飛び込んできた。その発信者が次にホームに入ってくる電車の運転手の声である事は、叫んでいる言葉を聴けば直ぐに分かった。


「緊急事態発生! 列車が止まりません!」


「ケイク大変よ!」


 キャサリンが事態をケイクに告げ、停車している電車に乗っている乗客に対して非難を呼びかけるのと同時に、駅のアナウンスも緊急事態を告げた。


「列車が暴走してきます! 直ちに下車して下さい!」


ホーム内は一気にごった返し


Bon Jovi の It's My Life が緊迫感をもって鳴り響く


電車の乗車口に雪崩のように大勢の乗客が押し寄せ


皆必死の形相で我先にと押し合う。




そんな状況を余所目にケイクは一人


停車中の電車の最後尾に向かって静かに歩きだした。




最後尾を過ぎた所でホームから線路に身を降ろすと


ジャケット下のホルスターから銃を抜き取り


暗闇に向かって線路の枕木を一歩一歩踏みしみて行く。






暗闇の中から


暴走してくる列車の、叫び声にも似た警笛が


鼓膜を突き破る程の大音量で鳴り響く。

まばゆい程の列車のライトが


暗闇を切り裂き


ケイクの視界は


一瞬、白一色に飛んだ。



顰めっつらで突進してくる列車に立ちふさがったケイクは


列車に対して平行にスタンスを取り


左手はズボンに突っ込んだまま右手一本でシーザーを構えた。




次の瞬間




ケイクはサイティングした右手を降ろした。


ズボンに突っ込んだ左手をジャケットの胸ポケットに持って行き


「まぶしくて見えねぇって」


そうつぶやくと、取り出したサングラスを掛け


左手をダラリとたらしたまま


再び右手一本で荒れ狂う獣を迎え撃つ。


如何なる状況下にあろうとも


決して動揺することのない男


ケイク・アート


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このストーリーは個人の趣味レベルで創作を楽しんでおります。
ストーリーはフィクションであり実在する国家・団体・企業・作品・HP・個人等とは一切関係ありません。



 パンナム機爆破事件を期に、CIAという職務に誇りを持てなくなったケイクは、何かに導かれるようにJusticeに籍を転じる。そこで情報活動をしていく中で、彼にはどうしても必要なモノがあった。それは、部隊として活動するのであれば機関銃やバズーカ等の大型武器も導入できるが、一般人を装って活動する情報捜査員がそのような大型兵器を持ち歩く事は有り得ない。だが、Justiceの任務は、時としてFBIやCIA、そして軍隊をも敵に回す事が多く、捜査活動がそのような状況下に展開した際、ハンドガン1丁では太刀打ち出来るものではない。


 ハンドガンでありながらも、大型兵器にも匹敵するモノがどうしても必要であった。彼がその相談をしに私の工房に訪ねて来たのは、かれこれ15年前の話。私は丁度ワイルド・Bisonを完成させていた。


取り出したシーザーをカウンターに置くと、ケイクは興味深くそれを手に取った。


「これは・・・」


手にしたそれは、今だかつて見たことも無いブレイクGUNで、そのGUNから伝わる「なにか」が彼の全身を激しく貫いた。


「ブレイクさせてみろ」


言われるまま、彼はその銃をブレイク・オープンさせた。


「!」


めったな事で顔色を変えないケイクが、目を見開いて視線を注いだその先には、えたいの知れないシリンダーが不気味な形相をあらわにしていた。


「カートが無い・・・」


「シリンダーそれ自体が一つの大きなカートになっている」


その異様な構造が何を意味するかをケイクは即座に悟り得た。


「ワイルド・キャットか・・・」


「そんなもんじゃない。ワイルド・バイソンだ」


「ワイルド・バイソン・・・野生の猛牛、、、か」


「撃ち終わったらどうやって再装填する?」


そういってケイクはオープン状態のシリンダーに手を掛けた。


「そういうことか、、、」


シリンダーは無抵抗なままフレームから分離した。


「シリンダーごと交換するんだよ」


わたしはスペアのシリンダーをケイクに手渡した。そこには通常の44カートが納まっている。


「44マグも撃てるのか・・・」


その銃のポテンシャルは、まさにケイクが必要としていたそのものだった。


「これを俺に使わせてくれないか?」


「お前の頼みとあってもそれは断る」


「なぜだ?」


「人が撃てる銃じゃないんだよ、こいつは」


私はそう言って私の左腕を彼の前に差し出した。


「見てみろ。俺の左腕はこれ以上上げる事が出来ない。

 この恐るべき破壊力を身に付けた銃が、

 俺の左肩の関節を完全に粉砕した。

 利き腕をかばって試射して正解だったよ。

 こいつは、Devil's・シーザー、悪魔の皇帝だ」


そう説明してシーザーを直し込もうとした私にケイクが言った。


「悪魔の皇帝か、、、面白い。

 その悪魔をねじ伏せてみせるぜ」


「ねじ伏せる? そんなアマな銃じゃないよ」


「ねじ伏せる事が出来ないなら、ねじ伏せなければいい」


ケイクはくわえタバコで笑みを浮かべながらそう言った。


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このストーリーは個人の趣味レベルで創作を楽しんでおります。
ストーリーはフィクションであり実在する国家・団体・企業・作品・HP・個人等とは一切関係ありません。


(B.O.C.理念)


 客観的にみて、人の道に反した行為は許されない。

 しかし主観的に見れば許しえることもある。


 先日放映された「復讐するは我にあり」の殺人犯、榎津巌にしても奈良少女殺害事件の小林薫にしても、完全に人としての人格が崩壊する程の、悲惨な人生経路を歩み最終的に絞首刑という形で無慚な人生を閉じている。遺族の方々の生命の奥深くに刻み込まれた憎しみは、「絞首刑」をもってしても決して癒されるものではないでしょう。しかし、彼等が現代社会に投げかけた波紋を我々一人一人が客観ではなく主観で受け止めていくならば、犠牲となって亡くなられていった被害者の方々の悲運の人生も含めて大きな意味が生まれてくる。


 人は、人の心に触れてこそ、人としての心が養われていく。


 人としての心が失われつつある現代社会に

 自らの命を犠牲にして訴えた
 深く尊い意味を持った人生であったと、、、


意味の無い人生など無い。意味を見出せるか否かである。


両者に対して私は追善回向を送る。

AI Story



(B.O.C.理念)


 ここで一つ皆さんに深く考えて頂きたい事があります。


 父親が貧しさのあまり飢えに耐え切れずにいる子供の為に、思い余って窃盗を働いてしまったとします。


 さて、果たしてこの父親は、悪人なのでしょうか善人なのでしょうか?


 窃盗の被害者からみれば間違いなく悪人でしょう。また社会的にみても悪人と判断されるでしょう。しかし、この父親の子供から見ればどうでしょう?子供にしてみれば優しい一人の父親である事に変わりはないと私は思います。客観的に言えば悪人ではありますが、この子供の主観で言えば優しい父親です。


 この視点の違いが西洋哲学と仏法の違いです。


 と言われても全然ピンとこないでしょうから、もう少し分るようにお話すると、哲学は実在主義であって物事の実態、本質を追求します。このケースで言うなら、社会倫理に反した行動を取った父親は、結果として社会的処罰を受けるといった実態をとって父親の反社会的行為を戒めます。


 それに対し仏法の捕らえ方は、物事には実態も本質もない(無我無自称)と説きます。このケースで言えば、被害者から見たらこの父親は悪人だが子供から見たら優しい父親。・・・という事は、この父親の実態また本質は把握しようが無い。これは以前にも書きました、モノに価値が有るのではなく、それに人がどうかかわるかによって価値が生じるといった考えと同じです。この考え方は間違ってはいませんが、物事には実態も本質もないのだったら、なにがどうなるの? と言いたくなります。


 しかし、哲学と仏法では物事を捉える視点が全く違うという事、アプローチが全く違うという事をまずは理解して頂きたいのです。例えば、100人の人が集まれば皆それぞれ色んな事を話し出します。話の内容は千差万別で、誰一人とっても全く同じようには話しません。九州弁で喋る人もいれば関西弁で喋る人も居るでしょう。しかし、人が口を使って喋っているという点に於いては皆一様に共通しています。客観的というのは誰がしてもそうなる、誰にでも当てはまる、といった捕らえ方で、どうして人は口で喋るのか、どのような構造になっているのか、といった客観的な角度から真実を追究していくのが科学であり医学であり哲学です。


 それに対し、一人一人が話している内容はというと、これはもうその人の主観で話している訳でして、そういった主観の部分に於いては科学も医学も哲学すらも解釈に及びません。その主観の部分を詳しく説いたのが仏法なのです。


 宇宙の中心はどこだと思いますか? と問われて自分ですと答えた人は正解です。自分以外に基準となりえる位置はないでしょう。あなたが生きてきた人生は、あなたが体験してきた体験世界であってあなたの主観の世界なのです。だからお釈迦様はその主観の世界を仏法として説き現したのです。その主観の世界をどう説き現したのかは、、、、めんどいので止めときます^^


 ただ、

相手の立場を理解するという事は、その人の主観の世界に自分の視点を移動させて考えて見るという事が大事だと言いたかっただけです。


 現代社会は、あまりにも客観的に物事を処理し過ぎてはいませんか?


 客観的にみて(誰から見ても)人の道に反した行為はしてはいけません。それは許されない行為でしょう。しかし主観的に見たら許せる行為もあります。



(B.O.C.理念)


 昨日、テレビ東京系列でドラマスペシャル 「復讐するは我にあり」が放映されていた。柳葉敏郎扮する殺人犯の榎津巌が、どうしてこのような凶悪犯罪に至ったかを少年期の出来事などを通して、彼の人格が崩れていくさまを鋭く描き出していた。


 以前、奈良少女殺害事件の被告小林薫の死刑判決が下った際、小林被告の弁護士が朝のワイドショーに出演し、妻がその番組を見ていたらしく、その時の様子を語ってくれた事があった。妻の話では、弁護士が、小林被告が幼時期に母親を亡くし様々ないじめのを受ける中で次第に人格が崩れて行った経緯を説明しだすとゲスト陣がいっせいに反論。


 「そんないいわけ通じませんよ」「彼は反省してるんですか!」と噛み付く有様。


 「この様な不幸な事件が今後起こらないようにする為にも、被告がなぜその様な犯行に至ったかを掘り下げて追求し、それを訴える為に私はここに来ました。」と、弁護士が一生懸命訴えるが司会者までも批判を繰り返すだけで、そこに至った経緯を全く理解しようとしない。結局、弁護士の「あんたらにはわかんないだろうよ」といった無力感とあきらめに満ちた苦しい顔がアップされてそのコーナーは終わったらしい。


 本人がどうしてそのような人格に崩れてしまったのか、そこ(原意追求)が一番大事なのに、結果だけをことさら取り上げて批判を繰り返す。物事を深く掘り下げて考える事をしない日本人の悪しき風潮が如実に現れた一場面であっただろう。妻も「どうしてそこを分かろうとしないの」と呆れ返って語っていた。


 その根本的要因を我々一人一人が真摯に受け止めていかない限り同じような犯罪人格者を世の中が生み出していくだろう。これは決して個々人の問題では無い。なぜなら人間は決して独立して存在しえるものでは無いのだから。


 アメリカという国は、常に力でものを言わせてきた。勝てば官軍であり勝者が全て正義である。しかし、「バランス・オブ・チェンジ(B.O.C.)」という思想は、そうではない。弱い立場の者と強い立場の者とが対立したさい、どちらが正しいかと言う前にまずは両者の力関係が均等になることを優先する。


 分かりやすく言えば、一人の子供が万引きをしてそれがクラス中に知れ渡り、クラス全員からその子がその事でいじめられていたとしたら、例えその子に火があるにしても問題の有無は関係なく、その一人に味方するといった具合である。


 アメリカはテロ攻撃に対し持国の正義を振りかざし報復攻撃をやたらと正当化するが、果たしてアメリカという国家がそんなに正しいのか? 自分達はやましい事を一切やってきていませんとでも言うのか?


 ナチスのユダヤ人大量虐殺は批判されても、アメリカが日本に行った原爆による大量虐殺は正義なのか?


 それも勝てば官軍で済まされる問題なのか?


 ケイクの心の中で同じような疑問符が飛び交っっていたに違いない。


 他国を攻める前に自分達のやって来た行いに目を向けてみたら、他国を批判攻撃出来る程、立派なお国でない事に気づくであう。いや、気づかない国家だからこそ、それを白昼に晒けだし、今日のアメリカの傲慢な力の暴走を押さえ込み、力の均衡を保たなければならない。それが「バランス・オブ・チェンジ」、世界の均衡を保つという思想であり、ケイクが指揮を取る「Justice」の信念である。




    見せ掛けのかっこだけの正義など


    「真実の力」を身に付けた本物の正義の前では脆くも崩れ落ちる



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このストーリーは個人の趣味レベルで創作を楽しんでおります。
ストーリーはフィクションであり実在する国家・団体・企業・作品・HP・個人等とは一切関係ありません。


(B.O.C.理念)


 母親が子供に「そんなくだらない物を買って、、、」と良く言ってるのを耳にする。しかし、それは母親の価値観であって子供にとってはそれに魅力を感じるから買いたいのである。


 親として子供に共感してあげる事は大事な事であり「それ、いいわね」と言ってあげるだけで子供は嬉しくもあり、自分の価値観に自信を持ち、しいてはそれが子供の精神の自立にも繋がっていく。


 逆に、親が親の価値観でもって絶えず子供の価値観を否定したり押し付けてばかりいると、子供は自分に自信が持てなくなり、いつも人の同意を求めたり他人の評価ばかりを気にするようになって、精神の自立が出来ないまま大人に成っていくものだ。


(B.O.C.理念)


 自分の価値観と異なる人達の価値観、人間性をどれだけ理解してあげる事が出来るか、そのキャパシティーがその人の人間としての器だと私は思う。


 お宅や、秋葉系の人達の事をキモいとか世間では良く言っているが、彼らに対して失礼だとは思わないのだろうか、、、私は、お宅でも秋葉でも無いが、彼等のそういった趣味を理解する事は出来る。好きなコレクションを眺めているだけで、その世界に自分が浸ってしまえる程の豊かな想像力を持った感性の人達ではないのでしょうか。ちょっと変わった風貌や行動にしても、私はそれがその人の個性だと解釈している。


 そういう風に人を見ていくと世の中、実に個性溢れる人達が大勢おられる訳でして、個性の無いありきたりな人達に限ってそういった人達を馬鹿にしているようにも思えるし、そういった人達の方が私は寧ろ癡だとも思う。