金正日の愛と地獄

エリオット J.シマ
金正日の愛と地獄
エリオットJ.シマというのもよく分からんが、金正日ものは結局、イロモノが定石なのだろう。エンターテイメントとしても、スクープドキュメントとしても、分析レポートとしても、お好きなようにとのことだが、まあエンターテイメントが妥当などころか。将軍様関係では、経歴詐称に触れるのが定番なのだけど、素性を明らかにしないエリオットJ.シマも怪しさでは似た者同志だから、その辺を突っ込むような野暮なことはしない。まあ巷の北朝鮮本を「分析」して、まとめた以上のものではないのだけど、「スクープドキュメント」は、将軍様が首領様の棺桶を運ぶ際、豪雨で棺桶が滑り落ち、棺桶の蓋が開いて首領様の顔が覗け、一堂凍りついたという話か。韓国の東スポ辺りに載っていたのかもしれない。ミサイル発射を中止させたかったら、胡錦濤が直接来て将軍様にお願いすればいいじゃないかと北の高官が言って、中国政府関係者が激怒したというのも、韓国リークっぽいな。金正日が中国に嫌悪感を持っているのは東北工程が原因だとか言ってるけど、これは完全に韓国が流した情報(というかネタ)であることはすぐ分かる。まあ、金大中に次いで、小泉もホイホイ呼ばれて来てしまったんだから、胡錦濤を出せというのも連中にとっては自然なことなのかもしれない。ブッシュも呼びつけようとあれこれ画策している様だが、さすがに米中は「大国」の論理だ。そんなこんなの「内部情報」は外部機関が作って流しているものが多いらしい。なんだエリオットJ.シマも分かってんじゃないか。
★
イタリア・マフィア

シルヴィオ・ピエルサンティ, 朝田 今日子
イタリア・マフィア
この著者はイタリアもの新書を何冊か日本人女性と共著で出している人なのだが、今度はパートナーをより若い日本人女性に代えての登場。作曲科卒業というのも変わっているが、イタリアジャーナリスト国家試験合格というのも面白い。彼の地ではジャーナリストは国家資格なのだろうか。そんなイタリア男の面目躍如というか、これまでの軽チャー路線と打って変わって、「男たちの挽歌」イタリア・マフィアがテーマ。これが日本向けの書き下ろしなのかどうかは不明だが、読んで空恐ろしくなる様な話ばかりであることはたしか。日本のヤクザも世界では過剰に恐れられたりしているものだが、何がしらの関係はありそうだが、おそらく、日本を支配している闇社会は893とは別ものだ。山口組を恐れている香港人や台湾人は多いのだが、黒社会や黒道の構成員が人口の四分の一なんていう社会に比べれば、その筋と一般人の垣根が高いのが日本であろう。893と一回も接点を持たずに一生過ごすことも日本では可能ではなかろうか。その点はイタリアでも同じかもしれないが、映画の影響からか、イタリア・マフィアは世界のマフィアの元締めみたいなイメージがあって、この本はその「恐怖」を検証するのは十分であるとも言えよう。売春、賭け事といった市場には一切手を出さないというが、首相から検察から判事から、ありとあらゆる「敵」を皆殺しにしてしまう手法は、前近代的なマフィアの伝統を踏襲しているのだろう。伝統的に殺す「敵」は「裏切り者」であったことは間違いないのだが。
★★
ブッダの旅

丸山 勇
ブッダの旅 カラー版
岩波新書のカラー版。これも写真家著者なのだが、30年以上もこのテーマでやっている人なので、ブッダ誕生から、その死までの物語も分かりやすく、手馴れたものだ。逆に併催されている専門家によるブッダ解説の方が分かりにくい。ここに登場するブッゆかりの地のいくつかは、私も行ったことがあるのだが、例によって、暑くてウザイ野郎がつきまとってくるところばかりだし、元々宗教心の欠片もない人間なので、そこで精神世界の探求などしようもない。しかし、満員電車の中でこのカラー新書を眺めていると、何か無常を感じるから不思議なものだ。まあ単に暑苦しい追体験がフラッシュバックさせただけなのかもしれないけど。しかし、お釈迦さんも、若い頃は随分と放蕩をしたそうだが、ある日、待女たちのあられもない寝姿を見て出家を決意したというから、やはり「無常」を感じたのだろう。北の将軍様も「喜び組」に無常を感じていたなんて証言もあるのだから、誰しも宗教心の萌芽はあるのかとも思う。宗教はアヘンだと今でも信じている私も、人生の曲がり角にさしかかって、賽銭箱に10円くらいは入れる様になった。今でも家の宗派が何であるのかは知らんのだが、自分の墓や身内の葬式も、そろそろ考えなくてはならんだろう。今は俗世間の本をどれだけ読めるかが勝負なので、仏教本は死後にでもゆっくり読みたいものだ。
★★
異国を楽しむ

池内 紀
異国を楽しむ
「異国」とはヨーロッパであるということは、この年代の人たちにとっては自明のことなのかもしれないが、著者としては「サンプル」を一つ提示しただけということらしい。どうもこうした父親のヨーロッパ偏重主義が息子を「オリエンタリスト」の道に進ませたという気がしないでもないのだが、まあ、そんなことは余計なお世話である。で、親父の旅のスタイルというのは山下マヌーを知的にしたようなものなのだが、その辺りが「旅エッセイ」の名人と言われる所以なのだろう。『中央公論』に二年間も連載したというから、中公新書ということなのだけど、なんか新潮新書みたいで、「らしくない」。一つ気になるのは、この人も、その国の言葉で挨拶したら、現地で喜ばれるという神話を信奉していること。言葉は赤ちゃん言葉に限るとも言っているので、確信犯なのだろうが、果たして、バカの一つ覚えみたいに外人に「アリガト」とか「サヨナラ」とか言われて嬉しいもんなのだろうか。私の様な偏屈な人間は、少し日本語を言えば日本人は喜ぶだろうというのがミエミエに思えて頭にくる。母国語でまくし立てる奴の方が遥かにマシに思える。少なくとも十以上のボキャブラリーがなければ黙るべきだ。仕事柄、在日中国人にカタカナ中国語単語を交えて悦に入る日本人オヤジをよく見かけるのだが、日頃、日本語を使って仕事している中国人にとって、あれほど反応に困るものはないだろう(クラブの小姐とかは営業チャンスだけど)。そういう場合は「ミシミシバカヤロ」とか心でつぶやきつつ、相手の「好意」には反応ぜす、日本語で返事するというのが王道の様だけど。
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