黒人差別とアメリカ公民権運動

ジェームス M.バーダマン, 水谷 八也
黒人差別とアメリカ公民権運動―名もなき人々の戦いの記録
この著者の本を読むのもこれで三冊目かと思うが、前二冊は早稲田の同僚との共著で、今度は別の同僚による訳本で新書。テーマは一貫して出身地である南部の話なのだが、今度は集英社新書らしい硬質な話。曽祖父が「黒人差別」で有名な知事だったということが、この人のトラウマの様で、リンチ事件の時、KKKのパシリをしていた少年が著者の幼馴染であったり、事件の現場が実家から200メートルくらいのところだったということが、最近の裁判で明らかになり、そのトラウマが甦ったらしい。韓国の「親日罪」ではないが、最近こうした60年代の事件で、あらためて起訴され、収監される70代、80代の白人が後を絶たない。その是非については、なんとも言えないが、「従軍慰安婦」とか「強制連行」も、このように当事者を起訴する分には一向に構わないが、政府とか天皇の有罪をつきつけてしまうと、政治的理由があると判断せざるおえないのではなかろうか。ということは、あまりこの本とは関係ないのだけど、はじめから日本の読者(というか日本の学生)を対象にしてるだけあって、ほとんど翻訳とは思えない文章なので読みやすい。アメリカ人にとって「国民の歴史」である公民権運動については、サワリを知っている程度だったので、バス事件や登校事件の実際がドキュメント方式で分かるのは嬉しい。それがNAACPのシステム化した「運動」の結果であったことは、考えさせられるものがあるが、当時の絶望的な状況には、そうした「プロ」の仕事が不可欠であったとも言える。それにしてもわずか40年前(南アでは十数年前だが)に、こんな中世世界が存在していたというのも驚く。それが奴隷制という「歴史」を「伝統」として引き継いだ結果なのは明らかなのだが、人種差別が「女」をめぐる戦いに起因していることは識者が散々指摘している通りなのだろう。異人種間のセックスがタブーとされているのは、単にキリスト教の特殊事情とも思えないが、古来、戦争というものは「オンナ」の収奪合戦であり、オトコは奴隷とされたのが人類の歴史である。「オンナはソープ、オトコはマグロ漁船」という世界がこの国にも未だ存在しているが、アジア系がアフリカ系に比べて白人男の敵意をかわなかったのも、その男根が口ほどは、ものを言わなかったからということなのだろうか。
★★★
ブランドビジネス

高橋 克典
ブランドビジネス―成功と失敗を分けたもの
日本人のブランド好きについては色々な見方があるのだろうが、気になるのは「ブランドをもっていい人、悪い人」という上に立った視線。自分がヨーロッパ人に精神的同化していると思っている人間が、形式だけヨーロッパを偏愛し、中身が日本人のままの人間を軽薄だと思っている様ないやらしさを感じないこともない。この著者の立場は言うまでもなく前者なのだが、「ブランド」と「ブランドビジネス」は全く別物であるという主張がこの本の目的な様な気がする。ということで、前半はひたすらフランス崇拝話が続く(フランス人は手を洗わないという話も混ぜてバランスはとろうとしている)のだが、後半はライセンスの件とか、実践的な話が多い。「ブランド」というものがどれだけ崇高なものなのか、私の様なプロレタリアートには分からんのだが、少なくとも「ブランド」よりは「ブランドビジネス」の世界の方が魅力的に感じる。職人が作って、貴族が卸し、ヤクザが売るという商売は虚業の匂いが漂っている。著者が提案するのは、そうした虚業をなくし、製造から販売まで一貫する「ブランドビジネスモデル」なのだが、「ブランド」を看板にする以上、虚業に徹するのが筋ではないかとも思う。
★
鷲の人、龍の人、桜の人

キャメル・ヤマモト
鷲の人、龍の人、桜の人米中日のビジネス行動原理
「米中日のビジネス行動原理」だそうだが、なんか凡庸すぎてくだらん。著者は東大法卒の元キャリア外交官僚の様だが、何だよ「キャメルヤマモト」って。MBAが単なる金儲けの商法だとしているのは良いけど、優秀なMBA保持者といった表現が何度も出てきて、矛盾しているのか、正しいのかよく分からん。大体コンサルタントなんて職業はハッタリが命みたいなものなんだけど、こんな「外国人論」をありがたがって聞く時代でもなかろう。どれだけ、この人がアメリカ人とか、中国人とかを理解しているのかは知らないけど、あの国はこういう国だ。だからあの人の行動は、あの国の国民性を代表しているというのは、説得力があるようで、実は都合の良い事例だけを抽出したに過ぎない。その背後の膨大な例外は往々にして無視されるのは、それが「ビジネス」だから。アメリカ人は「基準」、中国人は「圏子」と決定すれば、後はそれにあわせたストリーを作るだけ。実際のビジネスの現場は、そんな単純なものではないのだが、まあ、これもこの著者の商売だ。一つだけ指摘しとくが、「日本人は一人ならナントカだけど、十人なら龍、中国人は一人なら龍」という中国人が大好きな言葉は、実は日本人に対する侮蔑表現なんだよね。つまり、いい気になってるけど、お前らは個人ではたいした事がない、個人では中国人の方が絶対優秀と信じきってるわけ。そんなことも知らずに名言だとか言って感心する日本人。そこで中国人の自尊心が満足されるという次第。
★
日韓つっぱり力

渡部 昌平
日韓つっぱり力
このハロワの元在韓日本大使館員の新書は2冊目なのだが、前回よりマシなタイトルとはいえ、新書十八番の「力」もの。基本的には「ああ言われたら、こう言い返せ」みたいな『正論』とかでよくあるパターンのソフト版といったところ。文春新書の『韓国の嘘を見破る』では外交官的にはよろしくないので、反論ではなく説得してくださいとい切なる願いも感じる。しかし、対話の重要性はよく分かるものの、そこまでして相手の土俵で相撲をとる必要はあるのかという気がしないでもない。著者が指摘する様に相手は「はじめに結論ありき」の絶対正義をかざしている訳だから、不毛な議論はしないという日本流も言下に否定することもなかろう。黙ってれば認めることになるというのが世界の常識という「定説」がまかり通っているが、果たして、それは本当なのだろうか。仮にそうだとしても、日本人の「常識」を「世界」に合わせる必要があるのだろうか。こういう忙しない世界で「負けるが勝ち」という「常識」があっても良いのではないか。『正論』にしても、これにしても、そんな簡単に相手が納得するとは思えないのだが、どうなんだろう。そもそも歴史認識など違っていて当たり前なんだから、「紳士協定」でそういう話はしないというのもアリだろうし、現実の社会ではそういう論理が働いている。ネットや活字の世界はあくまでバーチャルなものだ。私がこのブログで書いていることも、実存する私とは「別人格」のものなのだが、そいう「愉しみ」はあくまでバーチャル空間に留めておくものだ。ただ、韓国人について語ることが、「差別」という枷から解き放たれたことは感じる。そこで、バーチャル的にはこんなことを言ってみたいのだが、韓国というのは、他人には分からん「名誉」が命の運動部みたいな社会なのではないか。「暴走族」とか「旧制高校」なんかもそういう「集団的自己愛」の論理で動いてたことを思えば、それが日本人にとって理解不能なものではないことは確かだろう。
★★





