異国を楽しむ

池内 紀
異国を楽しむ
「異国」とはヨーロッパであるということは、この年代の人たちにとっては自明のことなのかもしれないが、著者としては「サンプル」を一つ提示しただけということらしい。どうもこうした父親のヨーロッパ偏重主義が息子を「オリエンタリスト」の道に進ませたという気がしないでもないのだが、まあ、そんなことは余計なお世話である。で、親父の旅のスタイルというのは山下マヌーを知的にしたようなものなのだが、その辺りが「旅エッセイ」の名人と言われる所以なのだろう。『中央公論』に二年間も連載したというから、中公新書ということなのだけど、なんか新潮新書みたいで、「らしくない」。一つ気になるのは、この人も、その国の言葉で挨拶したら、現地で喜ばれるという神話を信奉していること。言葉は赤ちゃん言葉に限るとも言っているので、確信犯なのだろうが、果たして、バカの一つ覚えみたいに外人に「アリガト」とか「サヨナラ」とか言われて嬉しいもんなのだろうか。私の様な偏屈な人間は、少し日本語を言えば日本人は喜ぶだろうというのがミエミエに思えて頭にくる。母国語でまくし立てる奴の方が遥かにマシに思える。少なくとも十以上のボキャブラリーがなければ黙るべきだ。仕事柄、在日中国人にカタカナ中国語単語を交えて悦に入る日本人オヤジをよく見かけるのだが、日頃、日本語を使って仕事している中国人にとって、あれほど反応に困るものはないだろう(クラブの小姐とかは営業チャンスだけど)。そういう場合は「ミシミシバカヤロ」とか心でつぶやきつつ、相手の「好意」には反応ぜす、日本語で返事するというのが王道の様だけど。
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