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Roots of TWO-J #30 "プロスタイル"

 

HOOD SOUNDに在籍させて貰って、アーティストとしての活動はより濃くなった。

 

どれだけライブしたかわからない位全国を回らせて貰ったし、

 

CDの売り上げもグッと伸びた。今まで以上に全国的に認知してもらえたし、

 

アーティスト同士での楽曲の共演もものすごく多くて、全てが幅広く大きくなった時代だった。

 

今のようにWEB上のものではなく、テレビやラジオや雑誌など、

 

一気にフィールドが拡大して行った。

 

 

レーベルとして全ての機能を自社でまかなえるようなようなシステムはとても強かったし、

 

レコーディングや、リリース後の著作権管理から、アーティストマネジメント、

 

アパレル、イベント、あらゆるジャンルをこなせたレーベルだったから、

 

アーティストはただ良い音楽を作る、

 

そんなテーマが念頭にあったし、

 

プロに徹しさせて貰った。

 

ここでの自分は更に更にアーティストTWO-Jとしてのレベルを上げさせてもらうことが出来た。

 

 

製作においての話だけど、音の良し悪しっていうのは作り手やエンジニアによって追求されるものであるのが当然だ。

 

贅沢な話だが、その道のプロフェッショナルたちとの製作でより高みが生まれる。

 

当時はCDがまだまだ主流だったからよりわかりやすいけど、

 

やはり音質にこだわって作ってある音源はどう考えても綺麗なのだ。

 

何が違うかわからなくても、音がいいっていうのは、普通に何気無く聞いても、聞けば分かるんだと思う。

 

 

今はオンライン上で聞く音楽が主流で、データの軽量化で圧縮されて配信されてるから、

 

実際少し薄れてしまう部分もあるだろうけど、今は携帯やPCからの配信に適した処理をする事でどんなスピーカー環境でも良い音という処理をあらかじめすれば、その辺はクリアできるところかも知れない。

 

 

まあ、車のオーディオにカセットデッキが消えたように、CDプレイヤーも消えた時代なのだから、それが今の聞き方で当たり前なんだけど。

 

 

ただ、この時代の自分のアルバムを今聞いても、

 

音がいいという点で、とてもクオリティが高いものに仕上がってる実感がある。

 

 

やっぱ音質が良いというのは、絶対に気持ちい物だと思う。

 

 

それくらい贅沢な製作を沢山させて貰ったし、いろんなジャンルのプロな人たちと仕事が出来たことが、勉強になって今の自分にも確実に繋がっている。

 

 

当時よく人に "いいねー楽しそうで" とか言われることがあったけど、

 

単純に言えば、楽しいに決まってる。好きなことやってるんだから。

 

ただその意味を、"楽でいいねーおいしいねー"的なニュアンスで言ってるなら

 

そんなわけないとここでは言っておこうかと思う。

 

きっと誰もが何か、一生懸命、真剣に、仕事でも趣味でもやることがあるとしたら、

 

自分も、何らそれと変わらないし、思ってる以上に労力や時間は使っている。

 

 

何事も一夜にして成らず 的なところはある。

 

 

いや、今の時代一夜にしてスターになれたり大金持ちになるパターンもあるか。

けどやっぱりそれは稀な話として。

 

 

自分の性格が少し古いタイプの考え方なのかも知れないけど、どちらかというと、これと決めたものは、真剣に極めたくなる性分なので職人的な考え方があるかも知れない。

 

良くも悪くもだけど。

 

 

結果何が言いたかったかと言えば、、

 

超真剣に音楽をやれてて、それが自分の飛躍にも繋がったし、仕事にもなったし、

 

やはり ”楽しい" 時間をフルに使っていたのだから、

 

感謝でしかない。

 

 

とにかく音楽を作らせて貰った。

 

 

しばらくはこんな時期が続いて行く、

 

 

 

この頃は何もかも順調だったと思う。

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

Roots of TWO-J #29 "045"

 

横浜 という土地には良く足を運んだ。

 

田舎者の俺にはとても魅力のある場所だった。

 

横浜には自分の好きな"カッコイイもの" が沢山あった。

 

当然DS455の地元でもあったし、オジロもそうだし、mighty crownだってそうだし、

 

他にも沢山かっこいい人達がいる。

 

20004年くらいにLAの菊池さんの先輩にあたる人を郷農さんに紹介して貰った。

 

川戸さんだ。 川戸さんは当時横浜でNATION WIDEというアパレルショップを開いていて、BALLERS NATION LOS ANGELESSというブランドを展開していた。

 

FROSTやFINGAZZ ,FOESUMなど本場のLAアーティストたちも着用してたアイテムだった。同時に彼らのジャパンツアーなどのライブも開催していた。

 

川戸さんはBALLERS NATIONを俺に衣装提供してくれるというのだ。

 

アーティストとして衣装提供されるなんて、自分にとって最高に光栄な事だった。

 

 

川戸さんにはそこからずっと可愛がって貰ってる。

 

いつも横浜に行けば、いろいろ連れてまわってくれた。

 

川戸さんはHIPHOPについても当然詳しいが、そうである前にロックンローラーである。

 

自身も過去にメジャーデビューされてるようなアーティストだ。

 

アーティストにおいても大先輩なのだ。

 

アメリカに居た経験もあるし、面白い話を沢山聞いた。

 

"ジャク ター"という名のカクテルがある。

 

 

これを教えてくれたのも川戸さんで、よくこれを飲みながら、俺の話を聞いてくれた。

 

自分に足りないことや、音楽的なアドバイスもそうだし、抱える問題や、この先の目標とか、とにかく俺に愛を持って接してくれた。

 

自分にとって重要なことを沢山学ばせて貰った。

 

もちろん現在進行形だ。

 

エピソードもいろいろあるが、ここではやはりこのくらいで。

 

 

 

2006年当時だったか、とても大きな変革が訪れた。

 

当時DS455が発足させたばかりのレーベル、

 

"HOOD SOUND"

 

 

 

のちに大きなレーベルへと成長することは、これを読んでくれてる当時からのHIPHOPフリークならご承知の通りだ。

 

全国各地で活躍するアーティストが集うレーベル。

 

その最初の最初、自分にもお誘いの声がかかった。

 

アルバムリリースにメジャーレコード会社を通した条件をいくつも提示して貰った。

 

自分がメジャーからリリース? とか半端ない話だ。

 

とにかく良いアルバムを作ってもっと広めたい欲があった自分にはもってこいの話だし、

 

周りはみんな各地で第一線を走るアーティストだし、何よりもHIPHOPさが1番の魅力を感じる点だった。

 

 

最初のメンバーはDS455, HOKT, BIG RON,GHETTO INC.  TWO-Jだ。

 

その後沢山のアーティストが参加していく。

 

 

俺はここで自分の名前の表記を " II-J "から " TWO-J "へと変更した。

 

 

変更理由は何点かあるけどこれも別の記事で。

 

 

 

やる気に満ちていた。

 

 

 

ここから先、自分の表現だけど、油に火を注いだ状態のTWO-Jになる。

 

 

そんな時代の始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Roots of TWO-J #28 "前夜"

 

2005年からずっとあらゆるところで駆け回った。

 

ずっとカメラマンに撮りためてもらってた初期の頃の映像も含め、いろんなオフショットとかインタビュー的な動画をまとめたDVDも発売になる。

 

このDVDもなんだかんだ製作秘話があるけど、これも本編で書いた方が面白いだろう。

 

 

更にPHOBIA OF THUGのアルバム"Hydrophobia"がリリース、このアルバムでfeat.1曲と楽曲プロデュースで2曲参加した。

 

 

そしてPHOBIA & II-Jのアルバムのダブルリリースパーティーとして遂にあのPHOBIA OF THUGと肩を並べて正式なライブを行う事ができた、互いのアルバムに参加しているアーティストも豪華なラインナップでライブに華を添えてくれた。

 

 

 

 

こんな感じで、PHOBIAと共にアルバムツアーで至る所でライブした。

 

岡山でのライブの時、すごくアツイ地元のHIPHOPを感じた事があった。

 

超満員になる程、まだまだ自分の存在はそこまでじゃなかった。

 

けど、その岡山でのLIVEで、目の前で真剣な眼差しと声援をくれたヘッズ達がいた。

 

何年も後に、その漢と話すきっかけがあった。

 

" II-Jくん、あの時自分はめちゃ若かったけど、一番前で、見てましたよ! あれ俺ですよ!"

 

っていってくれた当時のその少年は、

 

後の"紅桜" だった。

 

彼のスタイルはとても素直に入り込んで来る歌だし、音楽としても、人としてもとても魅力があると思っている。

 

時が経ちいろんな現場で会うたび、

 

"ビートいいのあったら聞かせて聞かせてくださいよっ! " なんていつも言ってくれてた。

 

本当に嬉しいことだ。

 

少々タイミングがズレてしまったが、

 

次に会うときは絶対に曲をお願いしたいと思っている。

 

その時を待っている。

 

 

 

 

そんなこんなで、相も変わらず、俺はHIPHOPをしまくっていた。

 

 

そんな中、のちにさらに大きな変化が訪れようとしていた。

 

 

日本において、WESTCOASTスタイルのサウンドやスタイルをモチーフにしたアーティストが全国各地に増えて、もっと大きな"ブーム"がやって来ることになる。

 

話が戻るが、木こりの野郎、(#3) もう俺に何も言えまい。

 

 

 

 

 

そしてこの後、自分は思いもしなかった "横浜" というフィールドへと身を置かせてもらう事になる。

 

 

続く