
Roots of TWO-J #29 "045"
横浜 という土地には良く足を運んだ。
田舎者の俺にはとても魅力のある場所だった。
横浜には自分の好きな"カッコイイもの" が沢山あった。
当然DS455の地元でもあったし、オジロもそうだし、mighty crownだってそうだし、
他にも沢山かっこいい人達がいる。
20004年くらいにLAの菊池さんの先輩にあたる人を郷農さんに紹介して貰った。
川戸さんだ。 川戸さんは当時横浜でNATION WIDEというアパレルショップを開いていて、BALLERS NATION LOS ANGELESSというブランドを展開していた。
FROSTやFINGAZZ ,FOESUMなど本場のLAアーティストたちも着用してたアイテムだった。同時に彼らのジャパンツアーなどのライブも開催していた。
川戸さんはBALLERS NATIONを俺に衣装提供してくれるというのだ。
アーティストとして衣装提供されるなんて、自分にとって最高に光栄な事だった。
川戸さんにはそこからずっと可愛がって貰ってる。
いつも横浜に行けば、いろいろ連れてまわってくれた。
川戸さんはHIPHOPについても当然詳しいが、そうである前にロックンローラーである。
自身も過去にメジャーデビューされてるようなアーティストだ。
アーティストにおいても大先輩なのだ。
アメリカに居た経験もあるし、面白い話を沢山聞いた。
"ジャク ター"という名のカクテルがある。
これを教えてくれたのも川戸さんで、よくこれを飲みながら、俺の話を聞いてくれた。
自分に足りないことや、音楽的なアドバイスもそうだし、抱える問題や、この先の目標とか、とにかく俺に愛を持って接してくれた。
自分にとって重要なことを沢山学ばせて貰った。
もちろん現在進行形だ。
エピソードもいろいろあるが、ここではやはりこのくらいで。
2006年当時だったか、とても大きな変革が訪れた。
当時DS455が発足させたばかりのレーベル、
"HOOD SOUND"
のちに大きなレーベルへと成長することは、これを読んでくれてる当時からのHIPHOPフリークならご承知の通りだ。
全国各地で活躍するアーティストが集うレーベル。
その最初の最初、自分にもお誘いの声がかかった。
アルバムリリースにメジャーレコード会社を通した条件をいくつも提示して貰った。
自分がメジャーからリリース? とか半端ない話だ。
とにかく良いアルバムを作ってもっと広めたい欲があった自分にはもってこいの話だし、
周りはみんな各地で第一線を走るアーティストだし、何よりもHIPHOPさが1番の魅力を感じる点だった。
最初のメンバーはDS455, HOKT, BIG RON,GHETTO INC. TWO-Jだ。
その後沢山のアーティストが参加していく。
俺はここで自分の名前の表記を " II-J "から " TWO-J "へと変更した。
変更理由は何点かあるけどこれも別の記事で。
やる気に満ちていた。
ここから先、自分の表現だけど、油に火を注いだ状態のTWO-Jになる。
そんな時代の始まり。