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Roots o TWO-J #33 "セルフメイド"

 

当然だけど、カリフォルニアは広い。

 

その広いうちの超小さな部分しか知らないけど、

 

その超小さな部分だけでも広くてデカイ。

 

会う事が出来てアポが取れるアーティストに会いに行くにもちょっとした小旅行とも言えるくらい移動したイメージがある。

 

 

見たこともないアメリカのいろんなパターンの景色や町並みを見ながら約束の地まで車を走らせるだけでもとても楽しかった。

 

 

なんていう街だったか地名は忘れてしまったけど、

 

あるアーティストに会いにいった。

 

彼はGFUNKという名前でアーティストをやっているチカーノラッパー だった。

 

GFUNKというと G-FUNKというサウンドジャンルを連想するのが普通だけど、

彼はそれを自身の名前として活動していた。

 

GFUNKは最初確か、My Spaceでメッセージして来て、

 

ビート聞かせてほしい、とかそんな感じで交流が始まったと思う。

 

 

数曲サンプルを送ったら、これで曲作っていいか?なんてリターンが来てて、

 

当時、面白さもあったので、そのビートは提供した。

 

 

後の2010年にTALK BOX RADIOと題してのちに発売されるアルバムにこの曲が収録されるけど、

 

最初はビート提供だけだったのが、RAPのFeat.でも参加した。

 

ちなみにこのアルバムはトークボックスを使った楽曲が全編に収録されてて、

 

今の季節にいい感じの曲もあるので、ぜひチェックしてみていただければと。

 

https://p-vine.jp/music/pcd-17330

 

 

この辺は年代が微妙に前後したりして申し訳ないけど,2012年にGFUNKとの曲、"What We Do" (feat. Djak, Big Stalks & Two-J) という曲を制作したけど、後の日本のWEST COAST系のDJたちが良くクラブでかけてくれてたり、MIX CDに入れてたりして少し日本でも流れてたかも。

 

 

という感じで色々と先に交流があったGFUNKに会いにいったのは何曲か制作してからだったから、実質ちゃんと会うのは初めてだった。

 

郊外な感じの街にある彼の家に遊びにいった。

 

GHETTO(ゲットー)とまでは言わないが、いわゆるよく海外のギャングスタラッパー のMVなどに出てきがちな一般的な平屋の住宅地、ローカルなフッドみたいな場所に彼は住んでた。

 

家の目の前に路駐する彼の黒いレクサスはビカビカに綺麗だったし、怪しい臭いを放ってて、まさにMVにみるそれだった。

 

家はお世辞にも大きな家とかじゃなく、新しくもなく、さっきから言ってるLAに見るいわゆる"それ"なんだけど、当時で現行のモデルのレクサスLSに乗ってて、不思議なギャップがあった。色々想像はつくが。

 

彼は家のバックヤードにある建物に自分のスタジオを構えてて、そこで制作物を制作していた。

 

日本の俺も含め、彼はここでイタリアやフランスなどのプロデューサーとも曲のやりとりをして制作し、各国にCDを手広く売るみたいな完全にインディペンデントしたやり方でLAY LOW INCというレーベルを経営していた。まだまだCDで曲を買う時代でもあったからそれなりに儲かってたのかもしれない。

 

 

いい曲を作るのは勿論だけど、

 

それを広めるという点においてもいち早く取り組んでたGFUNKは今まで出会ったアーティストの中でも自分のことを自分でビジネスとしても動かしてるという点で勉強になった。

ここではインディペンデントとして世界交流できるんだなという活動が自分にとって新しかった。

 

 

色々なアーティストがいるから面白い。

 

 

また別のチカーノアーティストの話に移ろう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Roots of TWO-J #32 "OVER SEA"

 

2007年以降、いろいろ国内でリリースやライブを沢山こなしてた。

 

いろんなアーティストが人気になり、国内のHIPHOPはブームの波を作り、

 

各地でHIPHOP系のイベントは大小問わず、毎週末必ず開催されてたと思う。

 

自分はあまり地元に居ないくらいの過ごし方だった。

 

いい意味で製作にライブにと忙しく動きが充実していた。

 

 

 

この当時、国内にいながらにして、海外のアーティストへのビートプロデュースややフィーチャリングも並行して製作していた。

 

アメリカが中心だったけど、中にはドイツ、フランス、イタリア、などといったヨーロッパ圏のアーティストとも仕事をさせて貰ってた。

 

この記事の話の初期の頃とは打って変わってインターネットの普及は当たり前な時代が一気に整っていた。

 

当時のMy Space(SNS)は比較的アーティストのホームページ的にも使えたし、様々な人が使っていて面白かった。海外のアーティストとの交流は容易になってたし、チェックできる事が増えてアーティストのプロモーションとしても有効だった。

 

データでのやり取りで楽曲が完成して、世に流通するなんてことも海を超えた国間で余裕でできるようになってた。

 

 

2009年に自分はSUPER STARっていう曲が入ったアルバム "Mr.Deuce "をリリースした。その中のSUPER STARはリリースよりかなり前に完成していて、当時はリリックも違ってた。できたばかりの頃はサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジをこれを聴きながら"これは気持ちいい"なんて思いながら走ってたのを覚えている。

 

 

てな感じでやはり自分はアルバムリリース前にカリフォルニアに居た。

 

 

 

やっぱり、ここでの感覚が一番自分にはストレスフリーに近いし、

 

自分にとってのガソリン補給のようなもので。

 

 

サンフランシスコに滞在中、あるアーティストからメールで連絡がきた。

 

SHADE SHEISTだ。

 

SHADEとは名古屋のDJ SIDE-2の紹介で以前から知り合って居た。自分の日本のラジオ番組にも出演して貰って居た。ただLAで会うのは初めてだった。

 

 

"ハリウッドでパーティーやるから来ないか?"

 

という誘いだったけど、サンフランシスコとLAの距離は600キロ以上、車で行くなら6時間は要する。

 

ただ、飛行機なら1時間ちょいだ。

 

てことで飛行機でLAに向かった。

 

LAでは菊池さんと合流。菊池さんは俺のカリフォルニア滞在には欠かせない人だ。

いつも付き合ってくれて本当にありがたい。

 

そしてハリウッドの彼らのイベントに遊びに行った。

 

久しぶりの再会で嬉しかった。

 

LAでみる彼はやはりラッパー SHADE SHEISTとしての存在感があって更にイケてた。

 

その会場クラブのバックヤードはいい感じな造りで、広くてそこでみんなワイワイやってた。

 

そのバックヤードで、なんか見た事ある人がいるなーと思って、気になってよく見てたら、

 

" やべ、COOLIOじゃんっ! "

 

と気がついた。そう、クーリオがバーカウンターに居たのだ。

 

俺が今回カリフォルニアに来る少し前に、クーリオはジャパンツアーとして来日してて、その名古屋のライブを俺は見に行ったばかりだった。

 

今思えば、ここでもまた宝クジ運が運ばれて来てる感じだ。

 

少し遠慮がちに、ちょいちょい彼に近付いて、思い切っていろいろ話した。

 

"日本のライブ行ったよ"とか、"俺は日本でラップやってる" とか

"今日はSHADEに誘われて来た"とか。

 

で、俺はすかさず、

 

"よかったら俺のアルバム用ににシャウトアウトくれないか?"

 

といって、手に持ってたボイスレコーダーを差し出した。

 

そこでCOOLIOが放ってくれたのが、

 

アルバム"Mr.Deuce"のイントロにも収録されてる。

 

COOLIOといえばHIT曲が沢山あるがその中のFANTASTIC VOYAGEは1969年結成のファンクバンド "LAKE SIDE"の81年のヒット曲をネタにカバーアップされた曲。

これを同じスタイルで後の2011年に自分も公式に使用許諾を取ってリリースできたのはかなり光栄な話だ。大きく関わって貰ったレコード会社に感謝です。

 

 

という感じに、この話の#1から読んでくれてる人からしたら、あの時のガキがここまで来てしまうのだから、人生面白いと思いませんか?w

何があるかわからないというか。

そう、何があるかなんて未だわかってないのですが。

 

 

 

 

他にも、日本国内からのやり取りで、曲を提供して居たアーティストたちにも会いにいって、更に現場で新しい曲を作ったりと、より自分が一番好きなHIPHOPをカリフォルニアでしていた。

 

 

 

 

この滞在期間にチカーノのアーティストたちとも、現地で更に新しい製作や遊びをすることになる。

 

 

この辺の話も続けて書こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Roots of TWO-J #31 "修行"

 

 

音楽の制作の中で、自分は早くからオリジナルでビートも作っていたので、

 

タイミング的にも多くのアーティストの曲のプロデュースをやらせて貰ってる、

 

意外と、え、これも?あれも?と言った具合に、みなさんが聞いたことある曲の音を俺が作ってるっていうのが実はある。

 

HIPHOPの聞き方に敏感な人はプロデューサー表記までチェックしてくれてるとは思うけど、そこまで見ない人の方が多いのかも知れない。

もう前々からずっと思ってたけど、自分のプロフィールとして全てワークスを書き出さなくてはと思ってるんだけど、、

 

正規でリリースされてるだけでも、少なくとも多分50曲はあると思う、

いやもっとあるだろうな。

 

しっかりまとめます。w

 

 

 

結構沢山のアーティストの音のプロデュースやfeat.をさせてもらう事によって、

経験値や実績を積む事ができた。

 

 

時に映画の挿入歌も2曲ほどやらせて貰った。

 

 

かなり前の話だけど、

 

2007年公開の映画 "阿波ダンス" と、同じく2007年公開の "ヒートアイランド"

に楽曲参加させて貰ったりした。

 

 

 

 

ちなみにヒートアイランドのサウンドトラックのメンツを今みるととても面白い。

 

1. ヒートアイランド/ROCK'A'TRENCH…… 映画 主題歌

 2. Catwalk/SOUL'd OUT 

3. UNITY/BENNIE K

 4. 花火の色/UPLIFT SPICE 

5. I'M STILL IN LOVE WITH YOU[feat.SASHA]/SEAN PAUL 

6. あわいいろfeat.TeN/A Hundred Birds 

7. Are yu ready/MINMI 

8. SUNSHINE/LUPE FIASCO 

9. So Crazy!feat.So'Fly/I THE TENDERNESS 

10. Midnight U.../さかいゆう 

11. No Way/AI 

12. IN THE BACK STREET/TWO-J 

13. Fly For You/Mary 

14. ニューウェーブ/ROCK'A'TRENCH …… 映画 イメージソング

 

 

この錚々たるメンツに自分が混ざっているという時点で超光栄だ。

けど実際本人としては少し唖然とするし、なんか面白い。

このメンツにTWO-J?みたいに思う人も少なくないだろうw

 

 

 

ただ,、素晴らしい仕事の経験をいただいた事に今も感謝している。

 

 

急にこの2本観たくなったから、観てみよう。w

 

 

仕事としての音楽制作の面白さを十分に体験した。

 

逆にあまりにも仕事としての製作が多すぎると、

 

やはりマインドが崩れて、スランプに陥るみたいな独特の体験も重ねることもあった。

 

それでもむちゃくちゃ音楽ライフを生き続けた。

 

修行になった時代。