Hiroshiのブログ -479ページ目

Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
アメジストリーグ 30XP。+30 二十一分钟。

https://www.youtube.com/watch?v=RBvTiSELGqs&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=6
HSK3, 5~6 背了五十四分钟单词。

https://www.youtube.com/watch?v=TK_-wS6_G08
看二十六分钟NHK电视。

https://www.youtube.com/watch?v=HRN6A5I0Jpo
https://www.youtube.com/watch?v=1OCMs9H6qYM
李姉妹ch 看十五分钟李频道

https://www.youtube.com/watch?v=zLAQdwt9ups
https://www.youtube.com/watch?v=7raZHynMw0k
https://www.youtube.com/watch?v=AcBoFQ9SpQ8
中国語李ちゃん, 背句子十一分钟李ちゃん频道。一共两个小时七分钟。
スローにスタート。

运动;跑步8727步,6.8km,20楼。

 

谷を挟んで南側の丘陵に向かう。途中、太陽光発電版が並んでいるのを発見。

反対側の丘陵から自宅のある団地の丘陵を眺める。丘陵の中程に霊場を発見。九州八十八箇所第8番霊場、隆照寺。

途中で道が私道になったので折り返す。谷川沿いに田植えがなされている。

途中で出会った猫と自宅によく訪れる猫。野良にしては毛並みが良いので家猫なのだろう。

 

 


『危機と決断』下巻9
2008年の秋の出来事を著者は「大恐慌以来の金融危機」と公の場で説明していた。今、彼はこのコロナ危機をどのように表現するだろう。経済指標をみる限り、リーマンショックを超えるものとされている。p91 今回の危機の規模はリーマンショック以上に大きく、深刻だろうが、問題は明らかでリーマンの時のように問題が複雑でどこにリスクがあるか不明ではない。感染が収まれば経済は元のように復活することがわかっている。不安があるとすれば「目に見える不安」=「お金が稼げない」ということだけだ。

ここまで読んで、改めて著者がこの時期のことを実に細かく覚えていることに驚いた。多分、覚えているとうよりも常日頃、日記をつけていたということだろう。あるいはこうした業務につく人は、政治家や官僚は後々、回顧録を出すということを頭にいれていたということだろう。これは単に、そうした人が回顧録を「飯のたね」にするというだけでなく、後進の情報元としても重要だから理解できる。実際、私も現下のコロナ危機で、この本を読もうと思った理由の1つでもある。

当時と今日の違いのもう1つの点は、中国の位置だ。リーマンショックの時は中国の政府系ファンドは救いの手の1つだった。p44 最初にモルガンスタンレーに融資をきめたのはこのファンドだった。今回は中国自身が震源地であること。

「空売りを禁止する」手段についても議論されたようだ。これは一番弱い企業を餌食にするという意味で著者は通常は健全な活動だとして当初から否定的だった。p44

ここで無謀なことをしでかした役員報酬を制限することについての著者はよく理解できるとしながらも、p68 こうした制限が引き起こす反作用に懸念していた。即ち、『悪い役者たちがいずれ天罰を受けるのは構わないが、火事が実際に鎮火するまで責任追及や罪悪の判断を先延ばしにすべき』だとの考え方だ。なぜならこうした条件が厳しければ銀行は参加を拒むかもしれないとのことだから。こうした政治家をポピュリストだと著者はいう。

しかし、どうだろう? こうした緊急事態の救済は、私にはモラルハザードをひきおこす基盤になると感じるのだが。p69 いずれにせよ、事故責任と「自由放任主義=レッセフェール」の立場をとる共和党政権が持ち出したこうした政策を議会で可決させるためのほとんどの票を民主党が提供しなければならないという皮肉な事態に民主党は不快感を持っていたとも。p70

 

岩田先生へ質問 & 『危機と決断』下巻8  お勧めの1冊

<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
アメジストリーグ 190XP。+20 十一分钟。

运动;跑步7261步, 6.0km,15楼。


朝から頭痛がして、なんとか連日記録を更新している「duolingo」は目標(20ポイント)をクリアーしたが、それ以外の勉強する気力はなし。午前中はソファーに横になりながら、TVを観る。午後になり「これではマズイ!」ということで起き上がるが、何もする気が起こらず。web検索と読書に暮れる。

中国では第二波が小さな山で治りそうだ。このところ感染者数が271(5/11)と非常に少ないので誤差が大きいので振れがあるが2月までの極めて高い増加率に比べるとかなり小さい。但し、これは厳重なロックダウンの効果なのでこれを緩めるとさらに第3波が来るだろう。

 


<失礼しました!>
更新されていないことを指摘したらお詫びが出ていた。ボランティアベースで運用だとか。それは知らず失礼しました m(_ _;m
https://www.codeforfukuoka.org/?p=308
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6164/trackback


<神戸大医の岩田健太郎先生に質問してみた>
昨日なぜ日本は欧米に比べ感染初期の患者数の増加速度が低いのは何故か?という疑問関して2つばかり個人的なアイデアを書いてみた。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6164/trackback

即ち、3)遺伝子説と、4)既感染説だ。特に4)については簡単に検証可能なアイデアなので、これについて専門家の批判を聞きたくなった。しかし、生憎知り合いがいない。著名な方はTVとかで見聞きするが、そうした方に聞くのは余りにも憚れる。そうこうするうちに神戸大学の感染症の専門家である岩田健太郎先生、あのクルーズ船で意見を述べられていた先生がHPを公開されていて、コメントが可能であることを知った。
https://georgebest1969.typepad.jp/blog/

それで、畏れ多いが『なぜ日本ではコロナウイルス流行が(それほど)起きていないのか、そしてなぜ東京で増えているか』という表題の論説に、検証可能な<アイデア>を記入してみたところ、記入後1時間もしないうちにコメントが表示された。コメントはその先生の承認が必要なので荒唐無稽なアイデアというわけでもないのだろう。
https://profile.typepad.com/6p0263ec18f419200c



<とんでも内閣>
第一次内閣でも「お友達内閣」と言われていたが、今度の検事長の定年延長の件で見る限り
とんでも内閣



さて、『危機と決断』の下巻に戻り、再び紹介する。

『危機と決断』下巻8
AIGの最大の危機は日常的な保険業務ではなかった」と著者はいう。すなわちデリバティブだった。p8 これらは日常的な保険業務をつかさどっていた規則やルールの対象外だった。其れゆえ、名目上の監督当局である貯蓄機関監督局はリスクや不透明さについてほとんど懸念を示していなかった。それだけでなく、AIG自身、身を守る対策も講じていなかったという。p9 このAIGも巨大で他の金融システムと密接につながっていた。世界最大の保険会社が崩壊すればどうなってしまうのか? 「Too Integrated to Fail」ということか?  

著者は、政府はAIGの株の80%を政府に譲渡する厳しい条件を求めた。これはモラルハザードを防ぐための処置だったと弁明する。しかし、これは後から厳しく批判されるということになる。その後、この事件はNHKの特集でも取り上げられたが、FRBが下した決定は見えざる危機を防いだ処置は危機が回避された後には評価されず、批判の対象となる。また予めこうした危機を防ぐ対策はしばしば「無駄」として批判される。これはキッシンジャーも指摘したこと。後にインタビューに応えバーナンキは以下のように述べた。

『あんなひどい賭け事をしていた会社にテコ入れするのは… 絶対不公平だと思います。しかし、私たちには安定化以外の選択肢はありませんでした』p27

こうしたFRBの行動を他の中央銀行の総裁たちは支持していたという。その中には日本銀行の白川総裁もいた。<金融システムと密接につながっている巨大な金融機関が無秩序に崩壊することはなんとしても防がないといけない>という点において。p36 しかし「異常なときこそ並外れた手段が正当化されることに連銀総裁は評価したが、同時にリーマンとAIGの対応が異なったことに<気まぐれの突発行動にようにみえた>ことを懸念する動きもあったよう。p37 

これはよく解る。実際、この本を読んでみてもリーマンとAIGの違いが、著者の説明にも関わらず判然としないことも事実。それゆえ、メディアの論説委員やエコノミストは<一貫性のない方針転換>だと批判した。著者は<状況が異なったから対応が異なっていたのだが>と弁明するが。p34

こうした事態下で何が起こったかというと銀行はお金を貸しださず、溜め込み資金は国債に向かって流れた。p36 

<日本は元々基本再生産数が低い?>
SIRモデルとかいう微分方程式によれば感染速度dx/dtと治癒速度dy/dtはそれぞれ、

dx/dt=R0(1-x-y)x-x  
dy/dt=ax        で計算されるとか。

コロナの基本再生産数=2.5(感染速度初期値)とされるので。R0=2.5
x=感染者数の人口比、 y=治癒者の人口比とおく。
仮説として、yは「再感染しない」という前提を置いているようだ。

これを見ると感染初期ではR0の影響が大きい。何故ならx y は十分小さいと考えられるから、事実上無視できる。では何故、日本は欧米に比べ感染初期の患者数の増大が低いのだろう?
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/index.html

勿論、これは日本では確定診断の基礎になるRT-PCR検査数が欧米に比べ非常に低いので(韓国の1/10、アイルランドの1/100)感染者数で議論するのは適当ではないという批判は正当だが、より信頼性が高いはずの死亡者数増加速度でも日本(日本<中国=韓国<欧米)は初期増加速度が低いのは認めていいだろう。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6143/trackback

 

それなら「元々日本では基本再生産数が低い」という可能性が出てくる。もしそれが事実ならば何故だろう?

これについて色々な仮説が提唱されている。例えば日本人の清潔好き(感染防止対策)。BCG接種説(自然免疫力が高い)。さらに日本人遺伝子説を入れてもいいような気がすると以前ここで議論した。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6142/trackback
『日本人の源流』という本を俄かに読み直したのもそれが理由。

今、新たに日本人はこれまでに似たようなコロナウイルスに「昔から感染していた」という可能性もあるのでは?と考え始めた。これは過去の保存献血からの免疫検査(抗原検査)で検証可能な仮説。

各種仮説
1)日本人の清潔習慣
2) BCG接種の有無
3) 遺伝子説
4) 既感染説

以上、ド素人の独断、偏見、あてずっぽうです。聞き流してくだされ!


(受診目安=37.5℃以上が4日以上)国民全員が誤解していましたか?! 誤解した国民が悪いのですね!

 




<福岡県のコロナサイト>
https://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/covid19-hassei.html#0509
上記のサイトでは感染者情報が連日報告されているのに以下のサイトは4/30を最後に更新されていない。何故なのだ? HP更新担当者が違うのか??
https://fukuoka.stopcovid19.jp

県のアンケートサイトに上の質問(批判?)を問い合わせる。




『12世紀の修道院と社会』5
最後に著者は第二部のまとめとしてこうした新興修道院が当時のグレゴリウス改革と関連しながら発展したことを指摘する。すなわち、教皇などの高位聖職者は民衆に信仰され、支持された隠修士およびその修道会を(主に司教や修道院をターゲットとした)改革の前線基地として使った。

ただ同時に、遍歴説教や女子の入会は伝統的キリスト教からすれば逸脱でもあり、そのため女子のためにフォントボーに修道士定住の地を提供した。さらにその後、増えた女子のため、この修道院を女子修道院とするなど伝統の枠内に止めようともした。p275

そのほかネーデルランドの都市部に生まれたベギン会など俗人身分のままで修道生活を行う人々や、フランチェスコ派などの托鉢修道会も出現するようになるこれはまたその後の話。p276 以前読んだ本のなかには、こうした新興修道会はしばしば異端の疑いをかけられていたことも指摘している。

なお、司教には敵対する者を「破門」に処すという力があったが、それに相当する力を修道士はもたなかったので「呪詛」の典礼を行うようになった。これは1274年の公会議で断罪されたが、そのこと自体がこの「呪詛」が広く行われていたことを示す。p281

呪詛をツールにしたことはパトリック・ギアリの『死者と生きる中世』の中でも語られていたこと。そこでも、『破門の権限は司教にしかなかったので、修道院としては呪詛とこの儀式が切り札だった』 と述べられていた。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/114/trackback

しかし、「呪詛」が1274年の公会議で断罪されたとは知らなかった。やはり正統なキリスト教としてはあまりに世俗的で逸脱あるいは異教的とみられたのかもしれない。

なお、この本は科研費の「公開促進費」と「奨励研究A」の交付により書籍化されたようだ。p283 確かにそうした出版費用のための特別な研究費があることは知っていたが一度も申請したことはなかった。基本、論文にするのが公開としては常道だったのでその必要も感じなかった。

<2008 Lehman vs 2020 Corona>
米国の4月の失業率は14.7%で、リーマンショック時の10%を超えた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200508-00000091-mai-bus_all

リーマンの時は金融危機で誰もが疑心暗鬼になり経済が混乱した。今回は、この疫病が収まれば直ちに経済は回復する。余り心配することではないのではと考える。ただ問題はこの疫病が何時収まるかだが…

 

<小雨の日の読書>
ひさしの下に机を置いて半分屋外で読書三昧の土曜日。だんだん小雨が吹き込むので最後は撤退して部屋で読書。文字解読の難解さに頭がパンパンになり、気分転換に本棚から別の本を取り出して読み始めた本が『構造主義とは何か』。 いやはや、線文字Bの解読より難しそう(汗)

 

<小さな村の物語イタリア>
9日は327回目のフロンティーノ/マルケ州。 フィレンテェの東、アドリア海側の山間部。撮影は今年の1月だったとのこと。ワイン片手に観る。夕食はサラダとパスタのイタリアン。

 

まさかこの直後にコロナが襲うとは予想もできなかっただろう。番組に登場した「哀れな年金生活者」と自嘲的に語る、村のためのボランティア活動に励むオッパイ大好きの素晴らしき老人、マウロは無事なのだろうか? フロンティーノのロゴの入ったパーカーが印象的。

兄GIGIをなくし落胆したマウロを励ました150人のサッカーメンバー。感動した! 

人口35人!?の村というが立派な建物(塔や城壁や石造りの町並み)が多い、過疎化が進んでいるということか。
https://www.bs4.jp/italy/articles/7ebhnr7azz8t0zdt.html



『12世紀の修道院と社会』4
二部の第三章は「正統と異端のはざまの隠修士たち」という興味ふかい題名を持つ。以前より、この時代:ロマネスク時代というのはキリスト教がより<内面化の時代>だと考えている。それゆえ、それまでの裕福な修道院に対し、使徒的生活の下に清貧を旨とする修道院刷新運動を展開した。また、それ以外の社会情勢として、貨幣経済がだんだんと発展する時期でもあり、社会の流動化により上層部から凋落する者も増えてきた。p262 そうした流れの中で、時に極端な清貧運動に走り、それが伝統的な教会からは断罪されることもあった。またその後、こうした過激な原理主義的運動は異端運動とされることもあったが、それはもう少し時代を下らないといけない。

いずれにせよ、この時代から「奇跡」よりも聖人の「内面」を重視する傾向がスタートし、「言葉」による布教が盛んになったことも指摘されている。このことも先の宗教の<内面化の時代>と重なる。p227

ここでは2つの修道院群。ロベルトウスの開いたフォントヴロー修道院、のちに女子修道院となる特異な修道会と、俗人の参加に大きく門戸を開けたグランモン修道会に焦点を当てる。前者はその時代に弱者であった女子に門戸を開け1106年に教皇から「修道女の共同体」とされるに至った。p250 また後者は先にのべた凋落した者、社会的弱者の救済を通じて広がり、p262 また多くの俗人を助修士として受けいれただけでなく、共に同じ館に住み修道会の運営すら彼らが主になっておこなった。p257 特にグランモン修道会が聖職者と俗人の「平等」を公言したことは画期的であると著者は指摘する。p264 しかしながら、それにともなう俗人と修道士の軋轢も生じた。

グランモン修道会は清貧を旨として私有財産を禁じ、十分の一税や死者の祈祷による収入も禁じた。しかしながら著者が度々指摘するように、この時代(=11~12世紀)は修道院が俗人の支援(=托鉢)で修道院経営を成り立たせることができるほど、社会が経済的に成長していなかった。p268 そこで、修道院の存続のため、前者は主に貴族の子女、未亡人の入会などを通じての寄進。後者は創設者の「奇跡物語」を積極的に流布して広報活動を行い寄進や収益を求めざるをえない状況があった。これがその後、13世紀に起こった托鉢修道会との違いでもあろう。しかし、其れであるが故に、異端の疑いをかけられることもなかったと言える。

 

<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
アメジストリーグ 150XP。+30 十二分钟。

https://www.youtube.com/watch?v=NYwFD0jP_Ks&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=5 
HSK2~3, 4~5 背了三十三分钟单词。一共四十五分钟。
朝から外出、昼から料理と読書で勉強する気なし。来週からまた心を入れ替えよう!

运动;跑步5310步, 4.0km,6楼, 40分钟。




このところの連休で書きだめが10以上に増えたので、今日2回目の放出。

『12世紀の修道院と社会』3
第二部の「使徒的生活をめざす隠修士と社会」に入る。冒頭著者は『11~12世紀の隠修士の活動が社会や教会の動きと密接に連動していた』ことを示す研究が盛んにはじめられたのは1960年代になってからだとする。p137 

シトー会は多くの俗人を助修士として受け入れた。p167 これは生計を支えるためであると同時に必要な外部との接触をできるだけ修道士が避ける手段でもあったのだろう。事実、あとで話題となるグルノーブルのラ・グランド・シャルトルズでは上の家に修道士が、下の家に助修士が住み、p207 農業、牧畜、パン焼き、靴の製作などを行った。その高度差は345メートルもあった。p199 なお、定員はグランド・シャルトルズでは修道士13人、助修士16人に限定し、p200 これは、人員の規模が増えて修道院の存立が危うくなることを防いだとか=托鉢や放浪を防いだ。また、寄進も極力抑え死者に対する祈祷=寄進も禁じた。p202 なお、助修士はほとんどが文盲で、p213 祈りの言葉は土地の言葉だった。p211 これは重要な情報だが、あの映画『薔薇の名前』でも描かれていた。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/81/trackback

この頃、俗人の女性を中心とするべギン会が当時ネーデルランドに成立したが、p176 これは異端との疑いを持たれた組織でもあったことが別の本で書かれていた。

いずれにせよ、クレルヴォーのベルナルドウス(ベルナール)、クリュニィーのペトルス、そしてグランド・シャルトルズの5代修道院長グイゴはお互いに親交があり、この時代を代表する人たちである。p189 こうした人たちが同じ時代に存在しただけでなく、相互に関係を持ったという事実はこの時代が大きな変革期であったことを意味するだろう。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1256/trackback

やがて、このグランド・シャルトルズ修道院は本院を母院として30の支院も含め、1176年、カルトゥジア会と認可される。p215  巻末に地図4としてヨーロッパにおける当カルトゥジア会に属する修道院が示されているが夥しい数にまで増える。


<データーベースとして>
ベネディクトウスの『戒律』によれば食事は1日2回。1食につき調理したもの2皿、果実や野菜1皿、パン1日300グラム。肉食は禁止され、魚はOK。飲み物は1日250cc。これは多分、ぶどう酒のことだろう。p160  1斤の食パンが大体350グラムなので、これが1日分強。カロリーにして1,000カロリー弱? 副食の内容によるが、それなりの分量?