『12世紀の修道院と社会』3 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

 

<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
アメジストリーグ 150XP。+30 十二分钟。

https://www.youtube.com/watch?v=NYwFD0jP_Ks&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=5 
HSK2~3, 4~5 背了三十三分钟单词。一共四十五分钟。
朝から外出、昼から料理と読書で勉強する気なし。来週からまた心を入れ替えよう!

运动;跑步5310步, 4.0km,6楼, 40分钟。




このところの連休で書きだめが10以上に増えたので、今日2回目の放出。

『12世紀の修道院と社会』3
第二部の「使徒的生活をめざす隠修士と社会」に入る。冒頭著者は『11~12世紀の隠修士の活動が社会や教会の動きと密接に連動していた』ことを示す研究が盛んにはじめられたのは1960年代になってからだとする。p137 

シトー会は多くの俗人を助修士として受け入れた。p167 これは生計を支えるためであると同時に必要な外部との接触をできるだけ修道士が避ける手段でもあったのだろう。事実、あとで話題となるグルノーブルのラ・グランド・シャルトルズでは上の家に修道士が、下の家に助修士が住み、p207 農業、牧畜、パン焼き、靴の製作などを行った。その高度差は345メートルもあった。p199 なお、定員はグランド・シャルトルズでは修道士13人、助修士16人に限定し、p200 これは、人員の規模が増えて修道院の存立が危うくなることを防いだとか=托鉢や放浪を防いだ。また、寄進も極力抑え死者に対する祈祷=寄進も禁じた。p202 なお、助修士はほとんどが文盲で、p213 祈りの言葉は土地の言葉だった。p211 これは重要な情報だが、あの映画『薔薇の名前』でも描かれていた。
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この頃、俗人の女性を中心とするべギン会が当時ネーデルランドに成立したが、p176 これは異端との疑いを持たれた組織でもあったことが別の本で書かれていた。

いずれにせよ、クレルヴォーのベルナルドウス(ベルナール)、クリュニィーのペトルス、そしてグランド・シャルトルズの5代修道院長グイゴはお互いに親交があり、この時代を代表する人たちである。p189 こうした人たちが同じ時代に存在しただけでなく、相互に関係を持ったという事実はこの時代が大きな変革期であったことを意味するだろう。
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やがて、このグランド・シャルトルズ修道院は本院を母院として30の支院も含め、1176年、カルトゥジア会と認可される。p215  巻末に地図4としてヨーロッパにおける当カルトゥジア会に属する修道院が示されているが夥しい数にまで増える。


<データーベースとして>
ベネディクトウスの『戒律』によれば食事は1日2回。1食につき調理したもの2皿、果実や野菜1皿、パン1日300グラム。肉食は禁止され、魚はOK。飲み物は1日250cc。これは多分、ぶどう酒のことだろう。p160  1斤の食パンが大体350グラムなので、これが1日分強。カロリーにして1,000カロリー弱? 副食の内容によるが、それなりの分量?