『12世紀の修道院と社会』4 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<2008 Lehman vs 2020 Corona>
米国の4月の失業率は14.7%で、リーマンショック時の10%を超えた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200508-00000091-mai-bus_all

リーマンの時は金融危機で誰もが疑心暗鬼になり経済が混乱した。今回は、この疫病が収まれば直ちに経済は回復する。余り心配することではないのではと考える。ただ問題はこの疫病が何時収まるかだが…

 

<小雨の日の読書>
ひさしの下に机を置いて半分屋外で読書三昧の土曜日。だんだん小雨が吹き込むので最後は撤退して部屋で読書。文字解読の難解さに頭がパンパンになり、気分転換に本棚から別の本を取り出して読み始めた本が『構造主義とは何か』。 いやはや、線文字Bの解読より難しそう(汗)

 

<小さな村の物語イタリア>
9日は327回目のフロンティーノ/マルケ州。 フィレンテェの東、アドリア海側の山間部。撮影は今年の1月だったとのこと。ワイン片手に観る。夕食はサラダとパスタのイタリアン。

 

まさかこの直後にコロナが襲うとは予想もできなかっただろう。番組に登場した「哀れな年金生活者」と自嘲的に語る、村のためのボランティア活動に励むオッパイ大好きの素晴らしき老人、マウロは無事なのだろうか? フロンティーノのロゴの入ったパーカーが印象的。

兄GIGIをなくし落胆したマウロを励ました150人のサッカーメンバー。感動した! 

人口35人!?の村というが立派な建物(塔や城壁や石造りの町並み)が多い、過疎化が進んでいるということか。
https://www.bs4.jp/italy/articles/7ebhnr7azz8t0zdt.html



『12世紀の修道院と社会』4
二部の第三章は「正統と異端のはざまの隠修士たち」という興味ふかい題名を持つ。以前より、この時代:ロマネスク時代というのはキリスト教がより<内面化の時代>だと考えている。それゆえ、それまでの裕福な修道院に対し、使徒的生活の下に清貧を旨とする修道院刷新運動を展開した。また、それ以外の社会情勢として、貨幣経済がだんだんと発展する時期でもあり、社会の流動化により上層部から凋落する者も増えてきた。p262 そうした流れの中で、時に極端な清貧運動に走り、それが伝統的な教会からは断罪されることもあった。またその後、こうした過激な原理主義的運動は異端運動とされることもあったが、それはもう少し時代を下らないといけない。

いずれにせよ、この時代から「奇跡」よりも聖人の「内面」を重視する傾向がスタートし、「言葉」による布教が盛んになったことも指摘されている。このことも先の宗教の<内面化の時代>と重なる。p227

ここでは2つの修道院群。ロベルトウスの開いたフォントヴロー修道院、のちに女子修道院となる特異な修道会と、俗人の参加に大きく門戸を開けたグランモン修道会に焦点を当てる。前者はその時代に弱者であった女子に門戸を開け1106年に教皇から「修道女の共同体」とされるに至った。p250 また後者は先にのべた凋落した者、社会的弱者の救済を通じて広がり、p262 また多くの俗人を助修士として受けいれただけでなく、共に同じ館に住み修道会の運営すら彼らが主になっておこなった。p257 特にグランモン修道会が聖職者と俗人の「平等」を公言したことは画期的であると著者は指摘する。p264 しかしながら、それにともなう俗人と修道士の軋轢も生じた。

グランモン修道会は清貧を旨として私有財産を禁じ、十分の一税や死者の祈祷による収入も禁じた。しかしながら著者が度々指摘するように、この時代(=11~12世紀)は修道院が俗人の支援(=托鉢)で修道院経営を成り立たせることができるほど、社会が経済的に成長していなかった。p268 そこで、修道院の存続のため、前者は主に貴族の子女、未亡人の入会などを通じての寄進。後者は創設者の「奇跡物語」を積極的に流布して広報活動を行い寄進や収益を求めざるをえない状況があった。これがその後、13世紀に起こった托鉢修道会との違いでもあろう。しかし、其れであるが故に、異端の疑いをかけられることもなかったと言える。