<日本は元々基本再生産数が低い?>
SIRモデルとかいう微分方程式によれば感染速度dx/dtと治癒速度dy/dtはそれぞれ、
dx/dt=R0(1-x-y)x-x
dy/dt=ax で計算されるとか。
コロナの基本再生産数=2.5(感染速度初期値)とされるので。R0=2.5
x=感染者数の人口比、 y=治癒者の人口比とおく。
仮説として、yは「再感染しない」という前提を置いているようだ。
これを見ると感染初期ではR0の影響が大きい。何故ならx y は十分小さいと考えられるから、事実上無視できる。では何故、日本は欧米に比べ感染初期の患者数の増大が低いのだろう?
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/index.html
勿論、これは日本では確定診断の基礎になるRT-PCR検査数が欧米に比べ非常に低いので(韓国の1/10、アイルランドの1/100)感染者数で議論するのは適当ではないという批判は正当だが、より信頼性が高いはずの死亡者数増加速度でも日本(日本<中国=韓国<欧米)は初期増加速度が低いのは認めていいだろう。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6143/trackback
それなら「元々日本では基本再生産数が低い」という可能性が出てくる。もしそれが事実ならば何故だろう?
これについて色々な仮説が提唱されている。例えば日本人の清潔好き(感染防止対策)。BCG接種説(自然免疫力が高い)。さらに日本人遺伝子説を入れてもいいような気がすると以前ここで議論した。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6142/trackback
『日本人の源流』という本を俄かに読み直したのもそれが理由。
今、新たに日本人はこれまでに似たようなコロナウイルスに「昔から感染していた」という可能性もあるのでは?と考え始めた。これは過去の保存献血からの免疫検査(抗原検査)で検証可能な仮説。
各種仮説
1)日本人の清潔習慣
2) BCG接種の有無
3) 遺伝子説
4) 既感染説
以上、ド素人の独断、偏見、あてずっぽうです。聞き流してくだされ!
(受診目安=37.5℃以上が4日以上)国民全員が誤解していましたか?! 誤解した国民が悪いのですね!
<福岡県のコロナサイト>
https://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/covid19-hassei.html#0509
上記のサイトでは感染者情報が連日報告されているのに以下のサイトは4/30を最後に更新されていない。何故なのだ? HP更新担当者が違うのか??
https://fukuoka.stopcovid19.jp
県のアンケートサイトに上の質問(批判?)を問い合わせる。
『12世紀の修道院と社会』5
最後に著者は第二部のまとめとしてこうした新興修道院が当時のグレゴリウス改革と関連しながら発展したことを指摘する。すなわち、教皇などの高位聖職者は民衆に信仰され、支持された隠修士およびその修道会を(主に司教や修道院をターゲットとした)改革の前線基地として使った。
ただ同時に、遍歴説教や女子の入会は伝統的キリスト教からすれば逸脱でもあり、そのため女子のためにフォントボーに修道士定住の地を提供した。さらにその後、増えた女子のため、この修道院を女子修道院とするなど伝統の枠内に止めようともした。p275
そのほかネーデルランドの都市部に生まれたベギン会など俗人身分のままで修道生活を行う人々や、フランチェスコ派などの托鉢修道会も出現するようになるこれはまたその後の話。p276 以前読んだ本のなかには、こうした新興修道会はしばしば異端の疑いをかけられていたことも指摘している。
なお、司教には敵対する者を「破門」に処すという力があったが、それに相当する力を修道士はもたなかったので「呪詛」の典礼を行うようになった。これは1274年の公会議で断罪されたが、そのこと自体がこの「呪詛」が広く行われていたことを示す。p281
呪詛をツールにしたことはパトリック・ギアリの『死者と生きる中世』の中でも語られていたこと。そこでも、『破門の権限は司教にしかなかったので、修道院としては呪詛とこの儀式が切り札だった』 と述べられていた。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/114/trackback
しかし、「呪詛」が1274年の公会議で断罪されたとは知らなかった。やはり正統なキリスト教としてはあまりに世俗的で逸脱あるいは異教的とみられたのかもしれない。
なお、この本は科研費の「公開促進費」と「奨励研究A」の交付により書籍化されたようだ。p283 確かにそうした出版費用のための特別な研究費があることは知っていたが一度も申請したことはなかった。基本、論文にするのが公開としては常道だったのでその必要も感じなかった。