AI時代に生きる & 『神功皇后伝承を歩く』下 | Hiroshiのブログ

Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

<数値目標>

https://www.youtube.com/watch?v=rqCA-PAqcdE&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=12

HSK4~1 #12~#1背了四十分钟单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=J5NTjUTmyfo&list=PLPJh8_1ABGf8__S-OjKDIl0Zc6w4e9_f2&index=4

中国まる見え情報局, 十八分钟。

 

https://www.youtube.com/watch?v=-6LqOs2kZDI

誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,0~7.5min。听写十分钟句子。一共一个小时八分钟。

 

やる気なし。土曜日補習決定(涙)

 

运动;爬山散步 4.1km,6135步,8楼。(计划)

 

 

 

 今入ったニュース

 

 

 

 

<適応すること>

『AI入門講座』を読み上げた。最初は判りやすかったが、途中AIの仕組みとかで十分理解できなかった部分も、難解な部分もあった。しかしそれは想定内。例え2〜3割の理解度でもこれからAIについては勉強するつもりなので段々、理解が深まれば良い。別にプログラミングできる必要はない。

 

それで思ったことは、我々に必要なことはAI時代に適応することだ。確実にある種の仕事は無くなる。オズボーン教授に従えば半分以上の仕事が取って代わられる。そんな時代に備えろよということ。これは最終講義でも学生さんに最後のメッセージとして伝えたことでもあった。その時使ったpptの1枚。

 

 

 

 

 

<まわし者>

今読んでいる『AI入門講座』によれば、現在AI研究において世界最高の水準にあるのが中国で、この分野の論文発表数で見ると《日本は遥か下》だそうだ。

 

私はこうした分野は知らなかったが、自分の分野に関する限り10年以上前から感じていた。毎週届いていたNatureや Scienceといった超一流科学雑誌から日本発の報告が消え、中国発が急上昇してきた。更に中国の研究者と共同研究する過程でそれは肌感覚としてはっきりと認識できた。ところが今でも竹田某のように今でも「日本凄い」という馬鹿者は沢山いる。いや、もしかすると彼は某国のまわし者かもしれないが…?

 

民度とか言うが、所詮 <習慣や価値観はそれぞれ国で違う> 自分の世界しか知らない人は多い。

 

これはAK氏のblogに触発されたもの。

 

 

 

 

 

 

<猫猫小可爱>

先日AK氏のところでコメントしたことだが、

 

WeChatで唯一followしているサイトに「猫猫小可爱」がある。YouTubeでもサイトが開設されているのがあるよう。WeChat使用者以外へどんなものか紹介。栓抜きマスターだ(笑)唐風衣装?もいい。

https://www.youtube.com/watch?v=R4g9mvMJWzo

 

 

 

 

『神功皇后伝承を歩く』下

筑紫野市は当時浅瀬で「中つ海」と呼ばれていたとか。p13 これはその後、有明海と博多湾が太宰府付近の針摺の瀬戸でつながっているとの驚愕の文章に続く。p19

 

本当だろうか? 是非、発掘調査などで証拠が欲しいところ。国土地理院のHPによれば標高は針摺地区で30m以上ある。有史時代から今までに、それだけ堆積したとは思えないのだが?

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.483617/130.534025/&base=std&ls=std%7Cdisaster_lore_3&disp=11&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

 

三韓遠征の際、無数のナマズの群が水先案内をした伝承が那珂川町の伏見神社にあるとか。ナマズはこの地元の水軍のことだろう。この伝承に続いて新羅における地震とそれに伴う津波が記録されているらしい(AD200)。p45、p47

 

事実ならば、これを示す証拠も調べれば出てくるのでは?

 

同じく那珂川付近の現人神社には裂田の溝を作り、耕作地を広げたとか。これは遠征の際の地元の協力を得るためのよう。p49 この人工水路は総延長が5.5kmあるとか。p53

 

 

 

こうして集めた兵隊は「しきたりも言語も違う」部族だったとか。p58 ここらは重要な情報だと感じる。

 

安曇族の一族の玉依姫から神武天皇が生まれている。p60 安曇といえば水軍、やはり天皇家と海洋部族との関係は深い。当然彼らは半島にも拠点を持つ。天皇家が半島と深い関わりを持つことを示唆するだろう。農耕と金属器は半島経由でやってきたということと繋がりを感じる。だから神功皇后も半島の権益故に、気乗りしない仲哀天皇の代わりに三韓遠征を行った理由があるような気がする。ちなみに志賀島には安曇の神社がある。一度、現地調査したこともあるくらいだ。失われたblogに記載したくらい。

 

筥崎宮の由来は胞衣(胎盤)を筥に収めてその場所に埋めたことによる。p116

 

これは、宇美神社にも同じ言い伝えがあり、イタリアのベナンダンティーの世界との共通性が認められる。

 

大分八幡宮は三韓遠征を終えて、ここで軍隊を解散した(大分、おおわかれ)ことに由来する。p120