<三社参りへの招待>
三社参りと言っても、宇美八幡宮の本殿の北東に位置する「奥宮」から「本殿」さらに南西に向かって鳥居沿いに頓宮(産宮)への往復のバーチャルツアー。メタバースへの招待! 下の案内板に従うと右上の山の部分(3古墳あり)から斜めに2つの川(宇美川、井野川)を渡り、左下の別の山裾に移動するツアーです。間に宇美八幡宮本殿があります。
https://www.google.com/maps/@33.5685501,130.5056553,17z
以下の3D地図で自由にご覧あれ。下の条件では高さは5倍に拡大しています。
上の断面図で凸出している部分は高速道路の位置。国土地理院のツールはとても便利。
スタート地点:
宇美八幡の駐車場(無料)はこの時期、何十分も待たないと、とても入れないので地元民の知恵、「奥宮」上の線状の右端(中央部)の無料駐車場に停める。ここはいつも空いている。ここから頓宮(産宮)までの往復をバーチャルツアーで経験あれ。
まず、「奥宮」の周囲には下の掲示板で分かるように西側の尾根伝いに古墳が三基ある。
天皇制イデオロギーで脚色される以前の弥生時代から古墳時代にかけて、ここが地方豪族の拠点であったことが判る。それに関しての説明が上の宇美公園の看板に記されているが、メンテナンスが悪く判りづらい。これは後で役場に連絡予定。
最大古墳の頂上から八幡宮を見る。下の写真の右上の小さな森が宇美神宮の場所。
まず、「奥宮」は応神天皇の生誕時の胞衣=胎盤が収められていると伝えられている。これはイタリア北部、ベナンダンティーの世界の話と共通する。特別な能力を持つ人の胞衣に注目するという意味で。
下の写真が「奥宮」。非常に小さく、ほぼ地元民しか行かない。
そこから階段を降りて宇美八幡の方へ徒歩移動。道路と宇美川を陸橋で超えていく。正面に見えるのが宇美八幡宮の森。さらにその先の霞んだ小山の麓までこのトリップは続く。
振りかえって「奥宮」をみる。 本殿の混みように比べると参詣する人はわずか。地元民だけか?
下の写真の左手がスタート地点で古墳三基がある。
本殿周囲の大木、楠は非常に有名で「衣掛の森」とか「湯蓋の森」とか言われているが、これについては今回省略。いずれも応神天皇の生誕時の逸話。楠は人と共に移動したとされる植生。
参詣の列が半端なく続く。八幡宮の外の道路の先、100mくらいまで続くが、地元民はいつも来ているので、この列には並ばず、横からお参りする(笑)。
でも、こうして辛抱強く、ちゃんと行列を作る日本人の習慣は悪いことではない。否、寧ろ誇りにすべきこと。
出店が沢山、ここで買う「よもぎ大福?」の半額で隣のスーパーで入手(5個で200円弱)、これも地元民の知恵。夜、堪能しました。境内では2個で税込200円程度。ま、雰囲気と同時性を価値に入れれば2倍でもOKの世界かな?
行列を横目に地元民は南西に向かって鳥居沿いに頓宮(産宮)へ歩きます。結構長いアプローチ。井野川河畔に立つアカデミーレジデンスの横を通る。これは日本語学校。
学校付属の寮には各部屋に沢山洗濯物が出ていたので、このコロナ下でもかなりに研修生がいるよう。実際この地域の農家や工場にベトナム系と思われる研修生が多く働いている。この悪名高き?研修制度で日本に来た彼らに対し、何らかの支援が必要だと思うが、これはまた別の話。
頓宮(産宮)から本殿を眺める。先の小さな森が宇美神宮。
すぐ井野公園に入る、この奥に頓宮(産宮)が鎮座する。誰もいない。知られていないということ?
名前から推察するにここで応神天皇が生まれたのではないかと思うがどうだろう? 当時の感覚として出産は聖域=正殿では「汚れ」と認識されたはず。おそらく本殿から離れたこの地で出産したのではないかと想像するが、これについての記載はこれまで見たことがない。もし、ご存知の方があればコメント希望!
そのあと再度、本殿—「奥宮」へ移動して元旦の三社参りを終了した。移動距離は4.9km、6903歩、上下運動14階分の移動を伴う参詣。