偶然と必然 & 『ヒューマン・ネットワーク』5 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<偶然と必然>

正月のお休みはうっかり紅茶にウイスキーを入れて外出を諦めた日以外、毎日外出。しかも室内以外ではマスクなしを通す。室内では同調圧力があるので「意味ない」と思いつつも仕方なくマスク着用。でも、室内ではマスクなしでおしゃべりや飲食して、ガラスの向こうの外ではマスク? おかしくない?

 

福岡はかなりの感染者報告があるので、既に暴露されている可能性が高いのではないかと思う。でも感染するかどうかはウイルス量によるし、まして症状が出るかどうかは個人差があるだろう。ここまでくると「偶然と必然」のような気もする。

 

モールの人出はほぼ戻った。

 

 

 

<XBB、あるいは偶然と必然>

ここで少し最近話題になっているコロナウイルス変異株情報を。

 

最近中国はゲノム解析を止めたとのニュースが流れているが、きっとやっているに違いないと思う。多分、重症化した例だけに限って解析しているのでは? 常識的に考えて止めるはずはない!

 

一方でオミクロンから派生したXBBという変異株のニュースが沢山流れているが、これと重症化との関連はまだ聞いていない。XBBというのはXが多分「組み替え」を示し、BBはそれぞれオミクロンB株由来(BJ.1, BA.2.75)を指すのだろう。下の模式図を見ると相当オリジナルの武汉株から離れている。

 

組み替えは、点突然変異に比べて遺伝子の大部分が置換するので表現型の変化は大きい。因みに点突然変異はRNAウイルスでは10^-4/bでDNA生物の10^-6/bpより100倍高いとされるが、これは突然変異抑制機構がないから。(RNAはbで、DNAはbpであることに注目。1本鎖と2本鎖の違い)

 

厳密には抑制機構が全然ないわけではない。例外的な2種類がある。1つはDNA用の変異抑制機構の横流し的利用、もう1つは最近明らかになったRNA独自の校正機構。それでも変異はRNAウイルスで圧倒的に起こりやすい。

 

問題のXBBは同じRNA分子間の組み替えで、これは異なった株(BJ.1, BA.2.75)の二重感染による。今のようにWith Coronaで感染拡大が起こっていると1人の人(=1つの細胞)が《別の株に同時に感染》するようなことが起こるので、組み替え=RNA置換は起こりやすい。さらに、ウイルスの1本鎖+RNA分子同士では組み替えが起こらないので、複製に伴う2本鎖RNA分子の存在が必要だ。つまり《複製》に伴う反応。

 

繰り返すと《二重感染と複製》が必要。

 

話を元に戻すと、10^-4/bの頻度は実は物理化学的変異の頻度そのもの。高校生物ではA:T,G:C塩基対合と習うが、正確には違う。ケト基(=CO)やアミノ基(-NH3)、イミノ基(=NH)などによる水素結合により、その塩基対合の組み合わせ頻度が他より非常に高いというだけ。平衡が極端に偏っていると言っても良い。だからある頻度で必ず変異が起こる。詳細は省くが下の図がわかりやすい。これはこの宇宙に存在する限り必ず起こる

 

考えて欲しい、一回複製するごとに新たに合成されたコロナウイルス遺伝子には3個の変異が生じる計算になる。 

 

29,903b x 10^-4/b=〜3 

ここで、29,903bというのはコロナウイルスRNAの塩基数。

 

それにより突然変異は常に起こるが、変異の大部分は通常、増殖に《マイナス》に働くのでドンドン生まれては、下水に流されるようにドンドン消えていく。選択圧がその変異が生き残るかどうかを決める。例えばオミクロン株は世界中で感染防御政策がとられたので感染力の強いこの株が主流になったという教科書通りのストーリー。

 

今、中国では感染抑制をやめたので、この選択圧はかからない。運がよければ強毒株の出現無しで集団免疫が成立し、コロナは歴史になるかもしれない。今後のことは誰もわからない。まさに「偶然と必然」。

 

注)遺伝子について:

インフルエンザの場合はRNA分子が複数(最大8セグメント)あるので、染色体の組み合わせが更に加わるが、コロナは1分子。以下のコロナの最初の報告をスクリーンショットで証拠写真を保存していた。この時点ではCOVID-19ではなく、Wuhan-Hu-1で登録されている。今ではWuhan(武汉)の文字は消されている。これによれば、29,903塩基の《1本鎖》RNAウイルス。日付は2020.1.23。

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12752240311.html

 

以上、《5年前の古い知識》によるもの。今はリタイヤ者なので、そこんところ、よろしくです(笑)

 

 

 

 

<夜になる前に>

元旦の日の出の写真をアップした時、突然ある本の題名が頭に浮かんだ。それは亡命キューバ人作家の『夜になる前に』。知ったきっかけはサルサ関連だが、本の内容とは直接関係ない。しかし題名が非常に印象に残っていた。

https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336037794/

https://www.youtube.com/watch?v=8I1_lUZzoA4

 

先の写真は「日の出」のものだが、同時に「日暮れ」にも見えなくはない。ここでの「日暮れ」は「人生100年時代」とも重なる。あと1回は活動できるとするなら、その1回は公的に価値あるものにしたい。あの宮台真司氏が何処かで語っていたことだが、

 

『私益的行為は《本人が諦めればそれで終わる》が、他益的行為はそうはいかない』

 

「あいつの為に!」と考えると、そう《簡単に諦めるわけにはいかない》。先日のMDさんのコメントにも共鳴する。

https://ameblo.jp/maxdad/entry-12781952130.html#cbox

 

 

 

 

『ヒューマン・ネットワーク』5

感染リスクと金融危機の違いは前者がお友達関係が多いほど、感染しやすくなるのに対し、金融危機は取引相手が多くいることでリスクを分散できる点だ。p109  これはインターネットも同じ。そもそも軍事利用のアーパーネットがそこからスタートした。

 

 

しかし、分散したことで逆にリスクが高まる場合もある。それは密に関わりすぎると危機が伝播しやすくなるからだ。これを図示した図4.1が判りやすい。p111

 

もう1つの決定的違いは集団の恐怖心による自己実現的側面があること。つまり性的接触で性病に感染したかもしれないと心配しても相手が健康なら当然感染しないが、「あの銀行は危ない」と皆が思えば、それは自己実現される。p112

 

リーマンショックの時、リスクがあってもそれを他に「ババ抜き」のように回せばいいと誰もが考え、それが社会全体に及ぼす影響など考える会社などは何処にもなかった。p116

 

さらに被害を拡大したのは、以前はグラス・スティーガル法で投資銀行、商業銀行、保険業務は分離されていたが、これが外れ、金融サービスが巨大銀行に統合されていたことが被害を拡大した。p117 つまり上の(d)の状況だった。

 

面白い事が書かれていた。それは、

 

『金融市場は自律的に動くという人は規模の問題や外部性、ネットワークの問題を無視するか、利害のために目をつぶる』p125  ←これは正確な引用ではない。

 

そう! 何と世の中はポジショントークの多いことか!!