今日は母の日だったかな。

 

薔薇が咲き誇る良い季節だ。

 

 

 

といっても、ここは我が家の庭ではありませんけれどもね。

 

ご近所にこういう「薔薇ガーデン」があるのも「我が人生の幸運」のうちに入れてもいいだろう。

 

この時期はとてもそう思う。

 

この時期だけ、っていうのも身勝手ですが。

 

まあこだわらないコダワラナイ。

 

一昨日には会社員時代の同僚たちとの「不定期交流会」で明治神宮へと。

歩いた後の飲み放題ランチがメインというのが実態ですけれども。

 

大げさに言うと、神宮には日本人と同じぐらいの数の外国人の姿があった。

 

「都会の中の森」のような所になっていますからね、人気も当然でしょう。

 

母の日が迫るこの日も穏やかな良い天気に恵まれた。

 

8人の中には、記憶力がやや減退していたり、どう見ても歩き方がジジイそのものでしょうという人がいたり、飲み過ぎと言えるほど時間が経っていないのに体調がおかしくなる人がいたりと、

 

時間の経過から逃れられない人ばかりだった。

 

もちろん、自分もその中の一人ですけれども。

 

最近、他人の名前が直ぐ出てこないんだよなあ

 

というのが口癖のようになってしまっている……。

 

ま、そんなこんなの「母の日」間近の一日だった。

 

そういえば自分たちが結婚式を挙げたのも母の日だった。

 

1973年5月13日。

 

この日にちはこれからも記憶から拭われることはないだろう。

 

53年前も一昨日の散策の日と同じような晴れた穏やかな日だった。目白の椿山荘。

 

あれから53年か……。

 

53年のうち、実際には……

 

と数を数えたりしてしまう。

 

色々なことが蘇ってくるが、胸の外にそれが漏れてしまうようなことはこれからもあまり起こらないだろう。

 

そうだった

 

と、たとえ一部でも、思い返してくれる人はどんどん少なくなってきましたからね。

 

それに二人にしか分からないことだらけですしね。

 

自分の中だけで反芻されているような記憶は、年輪に飾られていくことも仕方ないだろう。

 

装飾されているばかりの思い出は、

 

もし仮に、いつか、どこかで

 

再びかみさんと話が出来る機会に恵まれたら、

 

そうではなくてね

 

と、訂正されてしまうだろう。

 

そんな過程があったとしても、

 

「もし仮に」の機会が起こって欲しい。

 

洗濯物がなびいているような、こんな当たり前の風景の中でも。

 

もし仮に、があったなら、お互いは照れたような笑みをまずは浮かべるのだろうか。

 

 

 

 

仙台から川越に帰ってきて丸3年ほどになるわけだが、

 

ここのところこの時期になると、我が家から百メートルあまり先にあるご近所の庭の薔薇の写真を載せている気がする。

 

 

 

 

何か毎年立派になって行くような気がする。

 

来年も見ることが出来たらいいな。

 

それはこのお宅のことを言っているのではなく、自分の健康問題なのですがね……。

 

このまま、このまま。

 

さて、そんなバラ鑑賞から帰ってきてからは

本の続きであった。

 

短編が4作収められていて、昨日には終わってしまった。

 

その中の「芒種のあさがお」を読んでいるとき、

 

物語から離れて、視線が、即ち心が本の向こうの遠くの方をぼんやり眺めているような気分になった。

 

帯には「これぞ、人情時代小説!」とあるように、4作とも市井のさりげない心の襞のようなものが描かれているのだが、

 

「芒種のあさがお」は、本を読むことが好きな父と娘が主役なのである。

 

本が好きな娘の姿を間近に見て、父親が「この子は親孝行である」と感じるような場面がある。

 

そうしたところを読んでいて、我が家のこと、自分のことを思い返していた。

 

自分が幼いころから父親は俳句が唯一の趣味のようなものだった。

 

創作ノートを横に、目を閉じて何やら思いを巡らせながら指を折っている姿を今でも思い出すことが出来る。

 

子どもには漢字ばかりが目立つ難しそうな本も数冊、数十冊程度はあったが、それほどの量ではなかった。

 

育ち盛りの子ども3人を抱え、好きなだけ本を買いそろえることなど出来ない時代だった。

 

あの難しいたくさんの漢字を父親はどこで覚えたのだろうか。

 

満足な高等教育も父親は受けていない(はずだ)。

 

それでも書く文字はキッチリと整っていて、多分自分には今でも読めないような画数の多い漢字ばかりが並んでいた。

 

書記官という仕事に就くことが出来たのも、自分の知らない頑張り、努力があったのではないだろうか。

 

父親はそんなような我が身の苦労話の類は一切しなかったので、「何が」については自分だけでなく子ども3人は誰も知らない。

 

ただ、俳句が好きだったことだけはみな知っていた。

 

あちこちに投稿していたし、NHKのラジオに入選したこともあった。

 

山本一力の「芒種のあさがお」に出てくるのだが、

 

父親が自分の好みである「本」を我が子も好きであることを知って満足感を味わう、という場面がある。

 

ここで読み進めるのが止まった。

 

ああ、自分の父親からそんな感じで褒められた経験はないかも…。

 

間違いなく父親の影響で、自分が俳句を始めたのは中学生になってすぐだった。

 

あちこちの文芸欄に投稿して、結構いい成績になった。

 

短歌や詩、エッセイなどにも広げて自分の名前が活字になることを喜んだが、

 

父親から直接「褒めた言葉」をかけられることはなかったのではないか…。

 

エッセイ(短文)で「父親の姿」について書いて、1席になったことがあり、

 

そこに「布団一枚を背負って田舎を出た父親が独り立ちし、宅地を買い、やがてそこに我が家を建てるのだ」ということを書いた。

 

大げさでなく、正にその通りの人生途中だった。

 

首席だったよと父親にもその短文を読ませたが、特に何も褒めず感想も言わなかったと思う。

 

ただ、きのう「芒種のあさがお」を読んでいるうちに、

 

あの時父親の胸に湧いていたのは、多少の誇りのようなものと、

 

我が子に対する「よく書いた」と褒めたくなる気分ではなかっただろうか。

 

褒めてもらった記憶はないが、きのうはそれが真実だと何故か確信できた。

 

物語の流れに添えたのである。

 

遠い昔の勝手な孝行自慢のようではあるが、

 

小さな含み笑いのような、誰にも知られないような苦笑いなようなものではあったが、

 

本から先の天井に、水たまりの反射のような光が揺れているような気がした。

 

 

 

 

外に出てみれば色々な花に巡りあえる季節である。

 

ぼんやり、のしがいもあるか。

 

と、そうばかりも言ってっていられないか、28日出発のオーストリアへの旅、ガイドブックも買っただけで全然読んでいないし、

 

準備、って何をすればよかったかな。

 

これではいかん、と

まずはこれ↑かな。

 

ただ部屋に出しただけのようにも見えるが、新たに「Book Off 」のシールを貼ったのである。

 

ここ2日間、Book Off では購入時にロゴ入りのシールをくれたのだ。

 

スーツケースの底にも貼った。

 

ま、シールを貼ることが旅の準備のうちに入るものかどうか、識者のご意見は求めない。

Book Off の本といえば、これ↑のうち1冊を除くと全部Book Off で買ったもの。

 

3階のスペースにはもう入りきらないだろう。

 

一応、「書斎」を気取って作った4畳?ほどの部屋があって書棚が置いてあるのだが、もう3階はすっかり「次男の領分」と化しているのでここ数年は入室もご無沙汰状態だ。

 

書棚の前にも本を置くスペースはなくなっている(はずだ)。

 

そんなこんなもあって、(恐らく)この10か月ほどでここに積んである本が増えてしまった。

 

あくまで「仮に」6畳の小上がりの脇の方に積んでいる。

 

洗濯物を干すハンガーだとか除湿器とかも置いてあるから、雑然もいいところだが、

 

やむを得ない。あくまで「仮に」だしね。

 

Book Off に行くと、盛んに「本をお売りください」のアナウンスが流れているし、

 

沢山持ってきた人に対しての「購入価格が決まりました」アナウンスも、しょっちゅうと言っていいほど流れてくる。

 

もらったシールのうち一つには「本をお売り下さい」と文字が印刷されている。

 

それでいいですよね。

 

もう「自分の書斎に読み終えた本を並べておく」ことは事実上できなくなっているわけだし。

 

でもね、中学生になった頃だったろうか、姉から初めてプレゼントされた「次郎物語」の文庫本数冊を並べた時の、

 

「胸躍る」と言っては大げさだが、何となく胸がこそばゆくなった一種の高揚感みたいなものは今でも忘れられない。

 

いずれこの本棚全部を埋めるように「自分の本」を並べるのだ

 

そういう気持ちが確かに湧いた。

 

あれから何百倍、何千倍の本が並んだのだろう。

 

小説とかの「自分で買った本」は、これまで古本屋に持って行って「売る」ということはしてこなかったのではないかと思う。

 

愛着と言うのですかね。

 

自分史の小さな一部分のような感覚がある。

 

気持ちを動かされたり、どうしても涙が止まらなくなるということもこれまで何回もあった。

 

本によって自分が形成されていく

 

大きく言うと、そんなことが何回もあったのだ。

 

昨日読んだ山本一力の「いっぽん桜」もそうだった。

 

時代小説なので「定年退職」と言ってはいけないのかもしれないが、

 

自分がその時期を迎えていた頃の動揺、やりきれなさが静かに伝わって来た。

 

うろたえてはいけない

 

しかし、なぜ

 

という「ままならないやるせなさ」が見事に描かれていたと思う。

 

もう一回

 

は読まないかもしれないが、読み終えたので即処分、という気持ちにはなれないのだ。

 

しかしまあ、部屋に積んでおくのが最終手段というのも何だかなあ、という気持ち。

 

旅も控えているし、どうするかは先のことですね。

 

 

我が家の庭にもこんな↑可憐な花が咲いている時期がある。

 

一週間ほど前だったか。

 

自分で種をまいたわけではないが。

 

熱心に、とはいかないまでも、時折り次男の嫁さんが庭をいじっている姿を見かける。

 

もう庭はすっかり人任せ状態になっているから、2階のベランダから下を眺めるばかりだが、こんな風に咲いていると近くに寄ってみたくなる。

 

ご近所の庭、勝手に「バラ園」と呼んでみたりするが、そこもいよいよ季節到来だろうか。

 

 

ここが満開になると見事だ。

 

よそのお家の庭ではあるが、通るたびに楽しませてもらっている。


20坪ほどだろうか宅地としては狭いスペースだが、それが一面全部が薔薇だらけとなるとなかなか世話は大変である。


いつもこまめにお手入れをしている姿を見かける。

 

もう自分にはそんな根気がなくなっているかな。

 

さて、365連休中のゴールデンウィークなので特に変わったこともないのだが、こちらはといえば

 

晴耕雨読

 

ならぬ、晴読雨読が続いている。

昨日読み終えたのがこれ↑。

 

たまたまBook Off で棚から引き抜いたので

 

という選択方法だった。

 

手にしたからという理由の他には、どうやら川越が物語の舞台になっている模様だったから、というのもあった。

 

ああこの辺りは…と、劇中に出てくる所在場所の姿が目に浮かんでくる。

 

なかでも「鶴間村」というのが出てくるのだが、若き主人公たちが幕末の青春を過ごしているこの場所は、

 

自分が実際に生まれた村でもあった。

 

現在の「鶴瀬」にあたる地域ではないだろうか。

 

確か昔見た自分の戸籍に「鶴間」の文字があったような気がする。

 

半世紀以上前のことになるが、東上線に乗っていて父親から「あの辺に家があった」と指さされた記憶もある。

 

戦後、札幌から勤務地が代わって東京になったのですね。

 

家賃も安かったので田舎の村に居住したということだろう。

 

戦後間もない頃は通勤するだけでもさぞ大変だったろう。

 

まあ、そんな自分史もほのかによみがえってくるような時代小説だった。

 

選択する理由が希薄な読書を続けていると「思いがけず」ということにしばしば直面する。

 

この「青山に在り」もそんな一冊だった。

 

篠 綾子。全く初めての作家だった。

 

この人の本が並んでいたらまた買ってみることもあるかもしれない。

 

あったとしても次の舞台は川越ではないだろうから、この人の本はこれで終わりの可能性の方が強いかな。

 

さて先ほどメールで確認したのだが、Book Off で購入予約を入れておいた本が2冊届いているという。

 

昨日も2冊を買って来たばかりだが、読み始めた一冊は午後にも読み終えそうだし、

 

天気もいいので自転車を走らせて来るか…。

 

晴読雨読がしばらく続きそうである。

 

玄関前の椿も、葉にいっぱい日差しを受けている。

 

行春や 鳥啼魚の 目は泪 (ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)

 

4月最終日の昨日、朝日新聞の天声人語はそんな芭蕉の句から始まっていた。

 

何を言うのかな、何が言いたいのかな

 

と読み進めて行くと、

 

頭上でも、古くなった葉にかわって、柔らかな新緑が萌え出ていただろう。新旧交代。

 

と続いて、新年度とか新学期など「古いものが去って新しいものがやってくる」の季節になった、

 

ということが言いたいようである。

で、結局はこの「天声人語の筆者も代わる」ということが言いたかったことになる。

 

3人のうち2人が入れ替わるらしい。

 

正直、な~んだ、そんなことかぁ

 

と拍子抜けした。

 

いや、あんまり人の悪口に類することを書くのは気が引けるというか、申し訳ないような気持になるのですけれども、

 

昨日の天声人語もそうだったが、

 

ここのところの天声人語は昔ほど勉強にならない

 

もっと言えば、あまり感心したものではなくなったなあ

 

と思って来た。

 

いや、もちろん、なるほどうまいこと言うなあ、とか、知らなかった学修した、とか、思わず引き付けられた とか、上手な文章を書くなあ

 

とかの回もあるのは間違いないのですが。

 

その逆も増えた、ということ(を思っているのです)。

 

○○ということがあった

 

○○、○○を続けて、読んでいる方がその先の結末、言いたいことに関心が行くと

 

今後が注目される

 

と、どうでもいいような結末に帰着したりすることが増えた(と感じる)。

 

天声人語はその時代最高のエッセイ

 

であって欲しいとずっと思っているこちらの期待とは裏腹のことが多くなってきた(ように思ってしまうのだ)。

 

正直、3人のうち2人が代わってこれからどんな風になって行くのか、行く先は分からないのだけれども、

 

これまで(いい文章を書いてきてくれて)ありがとう

 

という気持ちは起こらなかった。

 

あ、それでもこの3年半の間に感じられたのは

 

昔より読みやすくなった

 

昔より文章を読むのに深い教養とか知識を要求されなくなった

 

とは言えるのではないでしょうか。

 

果たしてそれが良いことなのかどうかは分からないけれども。

 

何か今日書いたことは別に言わなくともよいことだった気がして、どうも気分はあまりすっきりしたものではない。

 

人の悪口ではなく、批評、感想だと思ってはみるのですが、そうだと言い聞かせてみても…

 

ということでしょうか。

 

そんな日もあるよね。

 

 

絶好の行楽日和だった昨日の東京散策は、まずは両国の江戸東京博物館へと向かった。

 

4年ぶりのリニューアルオープン後では初の特別展「大江戸礼賛」である。

 

連休前だというのに、チケット購入から入館まで1時間ほどかかった。

 

極めて効率の悪いチケット販売から入館までであった。

 

東京都の管轄?かな。能率の悪いお役所仕事を見るようであった。

 

しかも特別展のチケットでは常設展示は見られないという。同行のMクンによれば以前は両方見ることが出来たというのに。

 

特別展を観てからまた1時間近く並ぶのも面倒なので、昨日は特別展のみで我慢することにした。

 

最初から「両方見る」チケットにしておけばよかったのだが、後の祭りである。

 

 

 

南総里見八犬伝↑。

 

いやあ、なかなか見応えがあった。

 

その後は地下鉄2駅先の江東区・深川江戸資料館へ足を延ばす。

180年ほど前の江戸庶民の暮らしぶりがよく分かる展示になっていた。

 

そして、何となくではあるが自分が小さかった頃の母親の実家を思い出した。

 

見覚えがあったり使ったりしたこともある道具や用具が並んでいて、懐かしさを覚えた。

 

外に出ても、江戸深川の雰囲気は昔のそれを遺しているようにも感じられた。

 

こんな街で暮らすと性格も変わるのでしょうかね。

 

自分も少しはおっとりゆったりしていたら良かったのですけれどもね。

 

二か所の博物館が終われば、いよいよ本日のメインイベント、清澄庭園散策である。

 

東京には2歳から22歳までの20年間を過ごしたといっても、幼児、小学生、中学生、高校生、そして大学生だったわけだからほんの一部の東京しか知らないわけだ。

 

たぶん、清澄庭園も初めて。

 

 

 

 

 

 

 

園内には新しい緑が溢れ始めており、ゆったりとした時間が流れていた。

 

ベンチもそこここに設えられており、文字通り散策するには絶好の庭だった。

 

池やその向こうの緑を眺めながら何を考えるわけでもなく

 

風だけがそよかに流れて行く。

 

そよか、なんて言葉はなかったのか…

 

どうでもいいそんなことは、とすぐに答えが返ってくるようだった。

 

多少なりとも寿命が伸びるような気もしてくる、そんな昼下がりだった。

 

 

 

 

 

 

5月に出発する旅行まで1か月となった。

 

広告などでは「○○8日間」と宣伝されているが、実質は正味5日間という大急ぎ旅だ。

 

行き帰りの飛行機がロシア上空を飛べなくなって、時間がかかりますからね余計に。

 

オーストリアまで直行で行っても13時間か14時間ぐらいかかってしまうのではないだろうか。

 

働いていた昔は、なかなかたっぷり休めなかったから中1週間程度の旅でも(充分とは思えないまでも)そんなに不足だとはあまり考えなかったが、

 

今となってみると折角の旅なのにえらく短い気がする。

 

ま、代金と合わせて考えると仕方がないのですけれどもね。

 

出来れば実質10日プラスαぐらいの日程のツアー旅があってくれると嬉しいのだが…。

 

ま、そんなことを言っていても始まらない。

 

準備準備とばかり、「るるぶ ウィーン プラハ・ブダペスト」のガイドブックを買ってきたが、まだ真剣には読んでいない。

 

結局「行きの飛行機で読めばいいか」になってしまうのは、いつもの通りか…。

 

今回はオーストリアだけなのでプラハもブダペストもいらないのだが、るるぶにはこれしかなかった。

 

この3都市が組み合わされたツアーに行ったことがあるのを思い出した。

 

Kちゃんと一緒だった。

 

かみさんを亡くして一人でいる自分を、Kちゃんは慰める気持ちがあったのだろう。

 

今回も仙台のCさんと一緒。

 

ツアーに一人で参加したこともあるが、やっぱり仲の良い誰かと一緒の方が旅は楽しいですよね。

 

今回のツアーに申し込んだのは、もう半年ほど前になるだろう。

 

だいぶ前になるので、何だかこう気分が盛り上がってこないのはその所為なのだろうか。

 

次の旅、といえばこのオーストリアなのだが、気持ち的には「その次」に心が向いてしまう。

 

来年?今年の秋?

 

という具合に気持ちだけが先に先にと遠くを見つめてしまう。

 

おまけに、

最近はYou Tubeでこんな↑映像が流れているのを見つけた。
 
30分ほどのモノもあるし、1時間超というロングバージョンもある。
 
何のコメントもなくただ街を歩いているだけの映像なのだが、却ってそれが自分にとっては「旅情」をそそられる。
 
ああ、このアベニュー、ストリートは歩いたな、とか、この美術館この店には入ったな、とかと思い出してしまう。
 
そして、ああもう一度歩いてみたい覗いてみたい聴いてみたい、が膨らんでくる。
 
そういえば2016年に行ったのが最後なのだな。
 
1985年が最初で、こんなに間が空いたのは初めてか…
 
85、87、91、97、04、06、10、16と出張の短い滞在を含めて8回になるのか…
 
10年は空いていなかったのですね今までは。
 
You Tubeの映像を観ていると、NYもずいぶんと変わり、パッと見ただけではそれがどの辺りなのかすぐには分からなかったりする。
 
昔はあんなに細長くて今にも倒れてしまいそうな高層ビル何てなかったものなあ。
 
街角に並べられている(恐らくレンタル用の)自転車何ていうのもあんなにズラッとは並んでいなかった。
 
ブロードウェイ、ジャズクラブはどこが流行っているのだろう。
 
と、ここまで来て、いかんいかん行くのはNYでなくてオーストリアなのです、今回は。
 
まずはそっちを丸ごと楽しんできましょう。
 
これが最後の海外旅行になる可能性は50%を超えているでしょうしね。
 
でもねえ、縁があったらまた行きたいなNY。
 

 

2,3日前の新聞一面の記事は

これだった。↑

 

こちら↑を見ると、戦後日本の武器輸出の変遷が分かりやすい。

 

だんだん武器を輸出しやすくし、その範囲を広げて行ったことが分かる。

 

そして人を殺せる武器も輸出できるように、となった。

 

この事態に対しては色々な意見があるだろう。

 

賛成も反対も。

 

ただ、日本が戦争に負けて、戦後の平和教育を受けてきた世代の自分としては

 

もはや戦後ではない

 

とつくづく思う。

 

戦争に挑んで悲惨な経験をした日本が、もうそんな馬鹿なことはしません

 

と高らかに世界に宣言した。

 

出来る出来ない、やるやらない、そういう範疇を超えて謳い上げたといってもいいだろう。

 

議論を超えた立場の鮮鋭化。

 

「戦後」をずいぶん長く生きてきた自分だけれども、もうその依って立つところはなくなったのだ。

 

子ども、孫、その先の人たちの日本はどうなっているのだろう。

川越に帰ってくればMクンとのランチ&散策は当たり前の日常なのである。

 

お互い、時間とお金のうち一つの要素は足りていないが、ヒマなお時間はそれこそいつ売り出してもいいほどたっぷりなのである。

我が家玄関前の椿の新芽も「部屋の中でじっとしていては惜しいよ」と言っている。

 

川越駅で落ち合ってからぶらぶら歩き、いつもの「天ぬま」で美味しく彩り定食&ビール1杯を頂いた後、喜多院裏手から蔵造りの街方向に歩き出した。

 

歩き始めてすぐに、あ、そうだと気づいたのは

 

行ったことはないのだが行ってみたい、と思っているCafeが近くだった。

 

外観で、ここなら良さそう、と気になって、これまで4,5回はドアを開けようとしたのだが、その度お店の休業日だった。

 

あそこに行ってみよう。

 

いつもは「なるべく安い」を基準にして選んでいるような気もするが、なに久しぶりだものたまにはお洒落そうな行ったことのない店でもいいじゃないか。

 

外観は

これ↑。

 

特別ではないが、初めて何かいい感じを受けたのはもう半年、いや1年以上前だったのではないかな。

 

それ以降、閉店日ばかりで中も覗けず店内の様子は分からなかったのだが、

 

何と言うのでしょうね全体に雰囲気の良さを漂わせている

 

と自分は感じたのだった。

 

この日はようやくオープンしている日に当たった。

 

 

いや、それほどどうということもないのでは…

 

と言われてしまうかもしれないが、

 

川越在住の無趣味・年金生活者にとってはなかなかの感じがやっぱりした。

 

店構え、部屋の雰囲気、小物の並べ方、どれもお洒落だなぁ、と。

 

我々が行った時にはたまたま他のお客さんがいなくて、よりのんびり出来た。

 

店長さんらしき人の「客あしらい」も和やかで、店の特徴やイベント情報なども伝えてくれた。

 

今度はランチに来てみよう。

 

ビールはなくてもいいよね、とMクンと意見が一致した。

 

やがてやって来た他のお客さんの様子も、そう思って見るからか何となく小洒落た感じがした。

 

いや、実際、川越ではなかなか見つけられませんよこんな感じの店は。

 

人の賑わう蔵造り通りや大正浪漫通りからは少し離れているからでしょうね、気づきにくいのは。

同じ通りの数軒先には、こんな↑「古い民家喫茶店」もあった。

 

こちらは休業日でガラス越しに中を覗いたが、それはそうだろう、新鮮なお洒落感ではなく「懐かし感」が前面に出ていた。

 

椅子のない部屋と、あっても背もたれのない丸い椅子が置かれてあった。

 

年寄り二人には不向きかな。

 

でもまあ、こういう店が点在しているところも川越の良さかもしれませんね。

 

今度誰かが川越散策にやって来るようなら、どちらかの店を案内してみよう。

帰りがけ、大正浪漫通りには鯉のぼりが飾られていた。

 

今が一番いい季節でしょうかね。

 

 

昨日は日比谷まで映画を観に行った。

 

二三日前の新聞夕刊で紹介記事があったので…

 

というのは実は第二の理由で、本当は護国寺のとある場所に行く用事があったからなのである。

 

しかもそれは4月中に

 

という期間限定の用事なのであった。

 

わざわざそれだけのために行くのも何となく癪に障る、という理不尽な(?)気持ちもあった。

 

それはともかく、行く気になった映画は

 

「人はなぜラブレターを書くのか」

 

綾瀬はるか主演でなければ多分行く気は起こらなかっただろう。

 

この予告編も見なかった。見ていれば逆に行くのを躊躇したかもしれない。

 

ありきたりの映画です

 

って言っているような予告編ですね、これは。

 

まあ見終わった後の結果論で言うと予告編通りの映画であったが、綾瀬はるかだしその辺はまあいいかということ。

 

それより  映画の内容 < 映画館の立地 なのであった。

劇場のあるビル4階まで行くと、窓の外はこの↑景色。

 

日比谷公園もまるで森のように見える。

 

このビルも新しいし、こういう眺めは初めての経験だった。

映画が終わってからも念のためもう1回撮った。

 

ああ、お堀の前のあの辺り、東商ホールにはよく通ったな映画の試写会で。

 

都電に乗って日比谷公園まで来たのはもっと前の、中学1年の時だった。

 

お昼まで公園で待って、父親の勤めるお役所の購買部のようなところで初めての「自分のカメラ」を買ってもらったのだった。

 

あの通りには自分の「青春」があったのですね。

 

ビル群はすっかり様変わりしているけれど…。

 

映画の感想などはどこかに吹き飛んで、撮った後もしばらく外を眺めていた。

 

平日のお昼過ぎって、こんなに車が少なかったでしたっけ…。

 

自分が働いていた頃の銀座・日比谷界隈を思い出して「隔世の感」の漢字が浮かんできた。

 

この辺りまで来たからにはランチはここと決めていた。

 

銀座・松屋の並びの横道にあるラーメン店「共楽」である。

長いこと食べるのは「ワンタンメン」と決まっていた。

 

醬油っぽくて味は変わっていなかった。

 

この「狭さ」が売りになっているような店には、週に1回ぐらいは来ていたのではないかな。

 

そんなことを思い出していると、我が「銀座時代」が懐かしくよみがえって来る。

共楽のある道の街路樹も大げさでなく倍ぐらいの高さになって、道を覆わんばかりだった。

 

時代はどんどん過ぎて行く。

背の高い街路樹の下には、シャリンバイかな、その花がちょうど真っ盛りだった。

 

あの頃もこの花を見ていたのだったか…

 

もう忘れてしまった。

 

さてこの後は有楽町線に乗り護国寺で下りて、この日のメインと言ってもいい大塚警察署まで行った。

 

逮捕?

 

ではなく、2月にMクンと一緒に目白周辺を歩いたときに失くした落とし物を受け取りに行ったのである。

 

SUICA

 

それを届けてくれた人がいたらしい。

 

連絡を受けたと川越の自宅から知らせがあったのは、仙台で疑似二拠点生活をし始めていた頃で、

 

3月まで保管というのを4月まで伸ばしてもらっていた。

 

4月中には受け取りに行かねばならなかった。

 

まだ1万円近くチャージが残っているはず。

 

ただそれを受け取るだけの「仕事」にしたくなかったので、映画と組み合わせたわけだ。

 

映画はともかく、4階からの景色もあって共楽もあっておまけにシャリンバイの花もあって、

 

この日の行程は概ね「良」ということで終わったのであった。

 

こんなことでも「平凡」からは脱した「満たされた」一日の部類に入れておく。

 

ま、実際は平々凡々を絵にしたようなお年寄りの一日ということだった。