右ひざの裏の筋肉痛は劇的に治っているわけではない。
相変わらずソファーから立ち上がるときとか、信号で止まっていて歩き始めるときとか、
何かの拍子に痛かったりして動きが不自然になるのが分かる。
それでも幾分かは楽になりつつあるかな。
歳をとるのもなかなか大変であると(多分初めて)実感しているのである。
そうなのではあるが、家でじっとしていると体力が減退していることも分かってしまうので、
まあ、その辺りでも歩いておくかと特段の用事ではないが出てみることにした。
お隣の榴岡神社の梅も真っ盛りであった。
そのまま仙台駅の向こう側まで歩いていく。
途中には
早咲きの桜だろう、青空を従えるように我が世の春を満喫していた。
やっぱり目的がなくたって外に出てみなくちゃ、ね。
街路樹だって控えめに春を迎えていた。
ま、昨日は
この本↑を読み終えたので「次」を探しにBook Offまで行こうと思ったのである。
山本兼一は旧友・Mクンのお薦めもあって「弾正の鷹」をすでに読み終えているのだが、
個人的にはこちらの直木賞受賞作のほうがはるかに面白いというか胸に響くものがあった。
利休を巡る人々それぞれの人となり、立ち居振る舞い、個性が際立っていて引き込まれた。
ある時点から過去へ過去へと遡っていく構成も、
事件、事態を振り返ってみれば
という観点が鮮やかに浮き上がってくる。
その力に驚かされた。
別の山本兼一でも…と出かけたのだが結局は見つからず
買ってきたのはこれ↑だった。
帯にもあるが、葉室麟も「蜩ノ記」は最近読み終えている。
「外れ」はないだろう。昨日1/4ほどを読み終えたが、
物語、事件の展開に多少「現代から見た時代劇」のような、ドラマ性を盛り上げようとする志向を感じさせられるような気もする。
だがそれだけに「次はどうなる」の期待を持ちながら読み進めている。
しかしまあ仙台のBook Offも時代小説の棚はちょっと物足りないかな。
ほかの分野に比べるとあまり人気がないのだろうか。
それにしても「利休にたずねよ」は、読み進めている途中でも読み終えてからでも、
かみさんが春風に乗って飛んできて、こちらを笑い顔で眺めているような感じがした。
利休の話なので「お茶」「茶道」の細かい描写があれやこれやと出てくる。
かみさんは子どものころからお茶をやっていて、自分では自慢するようなことはひとつも言ったりひけらかすようなことはなかったけれども、
先生からはよく褒められた。
そう母親から聞いたことがある。
声もかけられることが多かったようだ。
こっちは「お茶」とは無縁で、かみさんの言うことのほとんどは分からなかったし関心も持たなかったが、
「利休にたずねよ」の中に出てくる様々な描写は、もしかみさんが読んだならば「絵」として浮かぶに違いないだろう。
利休の「美」に対する考え方、表現の仕方、工夫などははっきり絵として浮かんできて、
ワクワクするような気持で読み進めることだろう。
ああ、今、かみさんにこの物語を読んでもらえたら……
きっと自分は小説の中に出てくる様々なことどもをかみさんに問いかけるだろう。
どんな答えが返ってこようとも、
なるほどね
そういうものなのだね
と、自分は感心するだろう。納得するだろう。
「利休にたずねよ」はもっと深い物語として自分の中に安住するだろう。
かみさんとの暮らしの一片も含まれているこちらの壁側をぼんやり眺めて、そんな風に思った































