そろそろまた疑似二拠点生活として仙台に一か月ほど行くかな、という時期になって来た。

 

まだ確定申告が…

 

という「解決しなければならない」問題がほったらかしなので、ちょっと気が重いという面もあるが。

 

さて、そんな今日この頃、そうか一点付け加えると3月初旬にMクンとの東京散策本年第3回目も控えているのだった。

 

まあ色々と忙しい。(←ウソ。忙しい、という言葉を使ってみたいだけ)

 

そんなわけで特に新しいことも相変わらずないのであるが、

 

最近ちょっと胸の中をかすめたような事でも今日は書いておくとするか。

 

それは

いつ頃からになるのだろうな、こういう↑時代が懐かしく、好きになったのは…。

 

皇居前のあの通りである。都電がまだ走っているので昭和30年代の終わりか40年代初めごろの風景だろう、これは。

 

この頃は都電に乗ってよく東商ホールまで試写会に行っていた。

 

この写真のように、意外に都電は早かった。すいすいと街を走っていたのである。

 

便利な乗り物だった。

 

ずらっと並んだビル街の統一感にも洗練された都会味を感じていたと思う。

この写真の上の方は1993年ということで、古い昭和の時代ではなくなっているが、

 

それでもまだ昔の匂いが漂っている。この辺りの都電はもうとっくに姿を消していますがね。

 

下の写真、2025年になるとずいぶん趣が変わりました。

 

これからもどんどん変わる。

 

大きな工事があちこちで進行中だ。

 

そのこと自体は別に悪いことでも何でもないが、

 

自分が東京駅周辺を仕事でうろうろしていたのは70年代、80年代そして1990年代だったから、

 

やっぱりその頃の「景色」のほうがピッタリと胸に納まる。

 

近ごろの東京散策では辺りをきょろきょろしたり高いビルを見上げることばかりが増えた。

 

いや、新しさそのものが本来の東京の味なのかもしれませんが。

 

それでも、というかそれなのにというか、

 

道の真ん中を都電が走っている「昔の景色」の街並みを歩きたい

 

という叶わぬ思いがふっと湧いてきたりしてしまう。

 

その代替物として戦後昭和の写真集をついつい買ってしまうのでしょうね。

 

単なる老人の懐古趣味とは分かっていても。

 

古い時代に生きた

 

と決めつけられても構わない。

 

誰でも生きているのは「今」で、それがいつかは懐かしい「昔」になるのだから。

 

 

春を通り越して初夏の暖かさが急にやって来たようで、

 

おかげさまで目はかゆい、くしゃみ連発、そして鼻水も…

 

という状態に見舞われているが、ここ数年落ち着いたかと思った花粉症が今年は復活…

 

なぞという話は展開が膨らみそうもないので、今日は別のことを。

これ↑は2月7日の朝日新聞土曜版。

 

あなたがよくやる「失敗」は? という項目の一部である。

 

1番が「箪笥の角などに足の小指をぶつける」で、以下

 

2・口の中をかんで口内炎になる

 

3・相手の顔や名前を間違える

 

4・何でもない所でつまずく・転ぶ

 

5・鍵や財布、携帯(スマホ)の置き場を忘れる

 

と続き、

6・おならを我慢できない

7・メールを出す前に誤字脱字を確認せずに送信

8・電気を消し忘れる

9・冷蔵庫を開けた瞬間に取りに来たものを失念

10・服からティッシュやペンを取り除かず洗濯

11・衝動買いして後悔する

12・ズボンのファスナーの開けっ放し

13・電子レンジの食品・食材を取り忘れる

14・舌をかむ

15・静かな場所でお腹が鳴る

16・リモコンのありかがわからなくなる

17・くしゃみが止まらなくなる

18・携帯・スマホの充電を忘れる

19・落とし物をしたこと自体に長い間気づかない

20・火にかけた鍋を放置して焦がす

 

となっている。

 

ん~ん、皆さん結構失敗しているのですねぇ。

 

上から順番に見て行って20番までたどり着き、自分にも当てはまるなあ…と思うことが多かった。

 

多い少ないはありますけれどもね。

 

「何でもない所でつまずく・転ぶ」はよくかみさんに目撃されてその度に笑われかつ𠮟られた・・・とは、これまでにも何回も書いた。

 

さすがに転んだことはまだないような気がするけれども。

 

この程度の「失敗」にはそれほどの害はないですよね。

 

よくやってしまう、やってしまった、という項目も認めざるを得ないのだが、

 

でもですね、「これは過去に起きた、起こしてしまったことはない」と言い切れそうな項目が一つだけある。

 

え?こんなに上位に来るの?

 

ということで、3の「相手の顔や名前を間違える」がそれである。

 

名前が出てこない、思い出せない、ということは年齢を重ねるのと比例して増えてきているが、

 

間違える

 

ことはない。なかったと思う。

 

見覚えはあるのに名前が出てこない

 

という設定があれば、文句なしにそれが一番になるかもしれない。

 

NHKの紅白歌合戦を見ていても、出場歌手の名前と顔はほとんど誰が誰やら分からなかった。グループが多かったしね。

 

歌謡曲時代、聖子ちゃん明菜ちゃん時代とは大きく変わりましたね。

 

この「相手の顔や名前を間違える」というのはそういうケースも含めてのことなのだろうか?

 

ダークダックスとボニージャックスをそっくり取り違えて間違え呼んでしまう・・・とかってこと?

 

たとえば仕事先の相手を(顔は覚えているのだが名前を思い出せず)間違えた名前で呼んでしまう…

 

なんてことでしょう?

 

てっきりAさんだと思ってそう呼んでいたら、実は本当はBさんだった・・・

 

いやいや、そこまでひどいことはなかったなあ。

 

「相手の顔や名前を間違える」というのはそういうことである、と解釈して

 

そういうことは一度もない

 

と若干自慢げに結論付けたわけである。

 

いや、だからどうこうという話ではありません。

 

今日もくしゃみ連発かな。


 

Book Off の会員になると中古の本とはいえ在庫のあるなしが分かるし、そこから注文も出来る。

 

これは便利だ。

 

もう必ずしも出来たてほやほやの新刊本、話題作を追い求めるという気はなくなっていますしね。

 

古くても自分にとっては初めて読む本なので、新刊と何ら変わることはない。

 

作者名を入力すると、出てくる出てくる「この人はいいな」と、読みながら、そして読み終えて思った作家の作品が。

 

けっこう在庫はあるものだ。

 

おまけに指定する店に届くので、それを買うために往復5Kmほどの「運動」にもなるのである。

 

歩く労力より最近は自転車を使ってしまうのだが、それでも「運動になる」という目的も達せられるわけである。

 

そうしたら

今読んでいるのは左上の「曲亭の家」で半分ほど進んでいるのだが、他に店まで「運動」して買ってきた未読の本が3冊。

 

今日も新しく「届きましたけど」と連絡メールがあったので、それを入手すると未読の本は4冊ということになる。

 

ん~ん、どうなのでしょう?

 

これから読む本が沢山あるということは、読書欲を刺激するものなのでしょうかね、一般的に言って…。

 

普通は「これから読むぞー」という本が多い方が刺激度は高いのでしょうかね。

 

多ければ多いほど、ということなのでしょうか…。

 

一応自分では子どものころから「本が好き」という自覚があるのだが、

 

現実にまだ新しく読んでいる真っ最中なのに、「次」もその次もその次も…

 

という感じで読みたい本、読むべき本が待ち控えている

 

という状況にどうも違和感、というと大げさだな、むず痒いような急かされているような居心地の悪さ

 

を感じてしまうようだ。

 

多けりゃいいってものでもないんじゃないかなあ、本というモノは。

 

せいぜい、次が控えている、読み進めている本が終わったらすぐに「次」が手に入れられる…

 

それぐらいの状況がベストのような気がする。

 

へそ曲がりですかね。

 

ちょうどいいぐらいの面倒臭さ、手続き、順番、のようなものを欲しているような気がする。

 

小学生の頃、月刊誌を毎月買ってもらっていたが、毎号新しい本が出るその日の朝、登校前に本屋さんまで小走りで買いに行っていた

 

あの頃の幸せ感が自分にはぴったりだった。

 

あれもこれも手に入るから次々に注文してしまう

 

というのは、ちょっとセーブしたほうがいいのかな。

 

誰も聞いていないと思うが、そういうことにしたいと思いますのでBook Off さん、ご承知のほどを。

 

( お好きにどうぞ  by Book Off)

 

 

一昨日の18日は、旧友&現友・Mクンとの東京散策本年第2弾だった。

 

梅もいい時期だし、結構歩くぞ、となった。

 

目白駅からスタートして椿山荘方面から東京カテドラルにも寄って、護国寺まで回るという。

 

そういうコースで歩いたことはないなあ。

 

椿山荘は自分たちが結婚式を挙げた会場でもあるし、結婚する前プール(今はもう無いのかな)にも何回か行った。

 

懐かしいが、目白から歩いた、という記憶が一切ない。バスに乗って行ったのだろうなあ、多分。

今日は・・・という何かを期待する気分が溢れているのか、まずは川越駅に向かういつもの道でパチリ。

 

春は進んでいるのです。

学習院大学の前を抜けて行くと街並みのところどころに昭和の名残りがある。

 

ちょうど高台の端を歩いている感じで、進行方向右側の公園(旧・田中角栄邸側)からはガクッと坂道になっている。

いいよなあ、こういう坂道。

 

CMに使うにはぴったりの坂道でしょうね。

 

(毎日何回もとなると、住んでいる人は大変だろうが。)

2歳ぐらいのお友だちは元気に手をつないで下っていく。ま、下りだからね。

 

あのぐらいだと登りは大変よ、と思ってしまった。

 

坂の途中の左手に肥後細川庭園はあった。

うまい具合に土地の高低差を活かしたお庭だった。

 

ここには来たことがないなあ。

 

 

 

 

 

いやあ絵になる絵になる、と何枚も同じような写真を撮ってしまった。

 

何より人が少なくて、ゆったりとした気分になれる。

 

写真にも写っているお家に入ってお茶を頂くことに。

いやあ、とても上品なお味でした。

 

こんな↑景色を眺めながらですからね。贅沢というもの。

 

そういえばお庭そのものは入場無料なのであった。

奥の方が高台なのだが、下ったほうからだと高い木々もあって建物も見えず、自然の真っただ中にいる感じ。

 

この辺りは江戸時代各地のお殿様の下屋敷がずらっと並んでいた土地柄だから、

 

東京でも一等地中の一等地と言っていいでしょうね、今では。

 

お茶を頂きながら係りの人に聞いたのだが、この庭園は年間でも人でごった返すというようなことはないという。

 

いつでも落ち着ける場所ということ。

 

いやあ、知らなかった。来たこともなかった。

予定通り東京カテドラル聖マリア大聖堂にも寄ったが、内部はもちろん撮影禁止だし、

 

仏教徒の自分としては「写真に撮ってみよう」と前のめりになることはあまりなかった。

 

この建物が出来た年の朝日新聞報道写真集に「斬新な建物が」と紹介されていたのを思い出したが、

 

あれは何年前になるのか…もう半世紀以上前になるのじゃないかな。

 

内部も外部もそれなりの年輪を感じた。

 

と、その後は結構急な坂を下って講談社方向へ。

 

講談社には仕事で何回も来たことがあるが、こういうルートで歩くことなどもちろんなく、

 

大きな通りの後背地になっている住宅街の洗練された街並みというものを感じた。

 

最近はYou Tubeなどで外国人の方が

 

「東京の繫華街・巨大ビル街と、その後ろにあるこじんまりとした日常を支える住宅街の、そのマッチング」

 

を褒めているのをよく目にするが、正にそういうことなのですね、東京の魅力の一つは。

 

外にあるもの、と、内に秘めているもの、とでもいうのでしょうか。

護国寺に到着したが、その前にランチ。Mクンはこの店に目星をつけていたらしく、事実お蕎麦も美味しかった。

 

中華丼とのセットメニューというのも珍しく感じたのだが、そうでもないのかな。

 

護国寺に来るのも、それこそ何十年ぶり。

 

広い、という印象を持っているだけだったが、ここの中だけでも高低差はあるのでした。

 

「坂の街・東京」というような本が盛んに出版されていて、確か自分も一冊か二冊かあるいはそれ以上が正しいか、買ったことがあるのだけれども、

 

今回は高低差を実感しましたね。タモリさんに少しは近づけたかな。

 

さて、それから地下鉄2駅分を乗って行ったのは

小石川後楽園だった。梅が良い時期を迎えているというので。

 

 

 

 

満開でもそうでなくとも、花の下では歩みも自ずとゆっくり、ゆったりになる。

 

盛りでもこれからでも、いつ見ても梅は季節を、時の流れを感じさせてくれますね。

散っても梅の花は綺麗だ。

 

この日の歩数は久しぶりに20,000歩を超えた。

 

東京散策今年第2回目は満足の気持ちを遺してくれた。

 

(ああ、これでSuicaを落として失くしてしまうという失態がなければ最高だったのだけれど……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は急に思い立って銀座まで行くことにした。

 

あるSNSで映画「ツーリストファミリー」の「評判」を見てしまったのである。

 

もちろん素人の方で、書いてあることも「映画が終わったら拍手が起きた」というような単純なことだったのだが、

 

いやそうは言っても、拍手の起きる映画って珍しいですよ。

 

3000回は映画館で映画を観ている(だろう)自分も、過去にあまり経験はない。

 

最初の「ロッキー」を試写会で見た時には対戦シーンの途中から声援が起きましたけれどもね。

笑いあり涙あり踊りありのインド映画らしいインド映画とも言えると思いましたけれど、
 
それは決して悪口ではなく、どこかで気持ちを満たしてくれるようなものだった。
 
あ~、行って良かった。
 
今の境遇となっては、1,200円のシニア料金より川越ー銀座一丁目の往復料金の方が高くなってしまいましたけどもね。
 
こうして、銀座まで出る、ということが「当たり前」からちょっぴり頭を出しているような行動になっているのだなあ。
 
昔、かみさんは
 
東京に出る
 
というような言い方をして、その都度こちらは
 
「東京に」という言い方はやめてよ…。銀座とか新宿とか池袋とか、もうちょっと具体的な地名で言ってよ
 
と「お願い」したものだ。
 
何だか「田舎者」が花の東京に行くみたいな・・・
 
(いや、実際はかみさんもそんな感覚になってしまっていたのかもしれないが)
 
こっちはそれこそ毎日川越ー銀座間を行き来して勤めていたわけですからね……
 
「東京」という言い方はないだろう
 
と思っていたわけですね。
 
それが昨日は、全部というわけではないが、銀座に行くと決めた時に
 
若干、わざわざ映画を観るために東京に行く
 
という感覚が起きないこともなかった。
 
銀座、と呼ぶ前に意識の中に「東京まで出かける」気持ちになっていましたね、はっきり。
 
銀座まで出て行くサラリーマンでなくなって、もうずいぶん時間も経ちますからね。
 
仕方がないか……。
 
(仕方がない、っていう言い方も未練がましいか)
 
さて、そんな「東京行き」なのだが、実際には映画だけが目的という訳でもなかった。
 
銀座まで行くなら…
 
欠かせないものがあります。
 
実際には半分ぐらいはその理由に後押しされたのかもしれない。
働いている時には「行きつけ」とも呼んでいいかもしれないラーメン屋さんで、
 
この↑ワンタンメンを食べることです。
 
いやもう実に久しぶりだった。
 
狭いお店なのだが、昨日は店のオヤジさんが初めての若い人だった。
 
お客さんから「今日はオヤジさんは来ないの?」何て声を掛けられていたから、
 
あの若い店主は3代目なのだな、きっと。
 
自分はその前の「初代」の頃から通っていた。20年、いや30年以上たっているだろう。
 
ここの味は、バツグンに旨いというのとはちょっと違っていて、
 
一週間も空いてしまうと無性に懐かしくなってくる、お腹とのどが欠乏症のようになる「クセ」があるような気がした。
 
間が開いてしまったからか、昨日はあっさり食べ終えてしまった。
 
またそのうち、銀座にでも行きたいなあ
 
という気持ちが起こって来るだろう。
 
その時も、半分近くは「この店のワンタンメンでも…」という気持ちが隠されているだろう。
 
(何も、隠しているわけでもないか)
 
食べ終わって、まだ映画には少し早い時間だったので、昔働いていた会社方面をぐるっと回って行った。
25年ほど前に建て直された(元)本社ビルは、周りに新しいビルが建てられ、何となく肩身の狭そうな感じがした。
 
もうこのビルから引っ越して今は別の場所に会社は行ってしまったが、まだ所有はしているはずだ。
 
だが
ガラス張りでピカピカの感じだったビルも、斬新という感じはしなくなっていた。
 
加えて中央通りに面したメインの入り口は修理工事中のように見えた。
 
高級宝石店がテナントから出てしまい、その後はまだ空いたままのようだ。
 
何だかうら寂しい気がしてさっさとこの場所からは離れて行き、映画館へと向かった。
 
もう関係はないけれど、こちら方面ももう少し華やかな印象のままでいてくれればいいのだけれどもなあ。
 
なぞと、余計な思いが浮かんだりすぐに消えたりしていた。


 

 

川越のBook Off 店にお取り寄せを頼んでいた本2冊の「届きました」の連絡(メール)がまだ来ない。

 

そうなると、まず今日明日の土日はどうする…?

 

と考えてしまって、結局、注文の本はまだでも「偶然の出会い」が出来た本でいいから読むことにしよう、

 

と決めてお店まで自転車で出かけた。

 

家でじっとしているよりは多少なりとも運動にもなりますからね。

 

Book Off 会員になったので、とりあえずのポイント100円もありますからね。

 

で、一冊見つけた。

 

これもここのところの定番、直木賞受賞作だった。

 

レジでスマホのアプリをかざしながら初めてのお買い上げ体験。

 

ちょっとドキドキした(←ウソ)

 

でもスマホを使った他の体験もないから、初めては初めてだった。

 

買った後に「他にも二冊頼んであるのですが」と念のため店員さんに聞いてみたら、

 

届いていた。

真ん中と右の2冊が配送されてきた本で、西條奈加と澤田瞳子。

 

直近でいいなと思った作家である。

 

左が「本日の偶然」直木賞作である。

 

さて、結局いっぺんに3冊も読むべき本がそろってしまった。

 

どれから読もうかな。

 

ま、自分にとっての新しい作者から読み始めるとするか。

 

何か、こう、読みたい本読むべき本が「どれでもいいですよ」状態になっていると若干の高揚感があるような気がする。

 

昔からそうだったな。

 

デート中に買ったばかりの本を読み進めてしまって、かみさんを悲しい気持ちにさせてしまってからもう半世紀になるのか……。

 

趣味のなかで一番「使った時間が長い」のは映画だろうが、二番となるとやっぱり読書になるのでしょうかね。

 

いや、本だけでなく雑誌や新聞を含めるといい勝負か…。


いずれにしても映画を観たり活字を読む時間は、累積するとずいぶん長くなるだろう。

 

これからも続けられるだけ続けることが出来たら、

 

それはそれで幸せな時間の使い方が出来た一生といっていいだろう。

 

今日も、まだ読み始めていないのに、何だか「平均」よりは幸せな気分が漂っているような気がする。

 

さて、余計なことはいいから……っと。

昨日はバスツアーでいちご狩りに出かけた。

 

こういう1Dayでのバスツアーに参加するのは久しぶり。

 

こちら川越に帰ってきてから2年半ぐらいになるが、帰ってきてからは初めて。十数年ぶりということになるだろう。

 

仙台生活15年の間にもサクランボとか冬景色とか温泉とか滝とかお花見とか、最初の頃はよく出かけた。

 

元々仙台暮らしの予定は8年だったので、その間になるべく東北を見ておこうという気持ちがあった。

 

8年が過ぎて後半の7年になると、あちこち見ておこうという気持ちは次第に薄れた。

 

代わりにMクンが毎年のように来てくれたので、2,3泊の小旅行で足を延ばすようになり車でもう少し遠くまで出かけるようになった。。

 

さて、昨日。

 

一応「ミステリー」と名前が付いており出かける先は当日まで分からない、という設定だった。

 

自分の中では行き先候補①は栃木、②が山梨だったが、

向かった先は②の山梨だった。南アルプスもすっきり見えて気分が晴れた。

 

前日から一転して天気も良く、圏央道、中央道と道も混んでいなくスイスイと進んだ。

 

 

 

いちごだけでは物足りなかろう、と笛吹市の浅間神社に寄ったり

 

勝沼の庭園やワイン売り場に寄ったりしてくれた。

 

ま、お蔭でお土産を買う羽目に陥ったわけですけれども。

 

 

 

 

 

 

それでもやっぱり、この時期にこんなに沢山お花を見られるのは嬉しいものですよね。

 

主目的はあくまで

 

 

いちごに間違いはないですけれども。

 

いやぁ、食べた。

 

いくつ食べたのか、勘定はしていなかったけれど、五十ぐらい……になったのでは?


そんなにはいっていないか。

 

もう二十年も前になるだろうか、同じようにいちご狩りツアーに行ったことがあったけれども、

 

お腹がいっぱい、というほどには食べなかったような気がする。

 

春を先取りするようなバスツアーだったが、たまにはいいものですね。

 

参加者平均年齢もだいぶ自分に近いし、参加しやすかった。

 

さてと……

 

ああ、届いた確定申告用紙封筒をまだ開けてもいなかった。

 

まだその前にBook Off で買う本が2冊あるのだった……。

 

3月になってからで確定申告の方は大丈夫、かな。

 

 

 

 

 

 

昨日は早速Book Off まで澤田瞳子の本を探しに行ったのである。

 

歩いて行こうと思っていたのだが、雪もすっかり溶けて道もきれいになったし自転車で。

 

往復で5Kmほどの距離は、そりゃあ歩くより自転車の方が遥かに楽だ。

 

この際、「運動のため」というのは置くことにして楽を選んだ。

 

あああ、我が人生なんてそんなものですよ。

 

通い慣れた、と言ってもいいぐらいになっているBook Off では、偶然に見つけた本を買うことが多い。

 

多い、というより、圧倒的に、ほとんどの場合そうなる。

 

そのあたりは新刊本の一般の書店とは違うところですよね。

 

澤田瞳子の

これ↑もそうで、パラパラとめくって、まあ直木賞でもあるから「悪い」ということもないだろう…と決めたのだ。

 

そうです、たまたま、とか、ひょんなことから、とか、偶然の本との出会いもまた良し!という具合ですね。

 

そんななかでもこの「星落ちて、なお」は気に入ったので、他の作品も読みたくなったわけなのだ。

 

しかし……

 

やっぱり、というか、案の定というか、もう一冊同じ本があっただけで他の作品は並んでいなかった。

 

それはそうですよね。

 

そういうところが古本屋さんならではというわけだ。

 

そのまま帰ってくるのもシャク(?)なので

やっぱりポツンという感じで棚に挟まれていた「心淋し川」を買ってみた。

 

同じく直木賞受賞と帯にあるしね。

 

まあそんなに「外れ」ということもないだろうと思って。

 

帰ってきて、本当は澤田瞳子が良かったのだけどなあ…という気持ちを残しながら読み始めたら……

 

これがまたいい話ではありませんか。

 

短編6作が収められている本なのだが、あっという間に2作を読み終えて、

 

このまま行くと今日中に読み終えてしまいそうなので、明日にとっておくことにした。

 

いや澤田瞳子の「格調の高さ」とはまた違う平易な文章で、第一読めない漢字読みにくい漢字がほとんど使われていない。

 

それでいて「的確」という感じがする。

 

人の姿が浮かんでくる。

 

人となりにひきつけられる。

 

いたわったり声をかけてあげたくなる。

 

「江戸の片隅、どぶ川沿いで懸命に生きる人々の ささやかな喜びと深い哀しみが胸に沁みる感動連作!」

 

と帯のうたい文句にはある。

 

ちょっとありきたりの誉め言葉のような気もするが、まあそんな感じであるのは間違いないだろう。

 

そうなると、藤沢周平に繋がるものもあろうと言っていいはずだ。

 

好きなわけですね。

 

西條奈加のこの本はまだ読み終えていないが、この他の作品も読みたくなる。

 

そうなると…、また「行っては見たが棚には無い」ということが起きてしまうだろう…。

 

というわけで、写真で本の横にあるチラシからダウンロードしてBook Off 会員に登録してしまった。

 

検索して注文すると、他店の在庫からいつものお店まで送ってくれるという。

 

これは便利だ。

 

何気なく手にした本が思いのほか面白かった

 

という経験は減ってしまうのかもしれないが、注文した本、読んでみたくなった本と必然のように出会うという機会も捨てるわけにはいきませんしね。

 

まあいいだろう。

 

さて、そろそろ西條奈加を読み続けるかな。

朝起きたら窓からの明かりの様子がいつもとちょっと違う。

 

覗いてみたら雪が積もっていた。

 

新聞を取り出しに玄関に出てみると、まだ人足で踏みにじられていない辺りはきれいな雪化粧だった。

カーポートの屋根があるのに我が家の車の上にも雪。夜の間はゆったりとした風だったのでしょうね。

 

お隣りの高校のグラウンドから声がする。

何もこんな雪の中で練習することもないのに…

 

と思ってしまったが、いつもの野球部のようだった。

あれ、練習というより雪遊びみたいなもののようにも見える。

 

高校生、男の子。まだまだ若いのだなあ。

 

自分にもあんな頃があったのだが、最近はその時分の未熟な溌溂さを忘れてしまいがちだ。

 

昼を迎えるころには雪もやんできて、道にもそれほど積もっていないようだったので、いつものスーパーまで往復した。

 

一日中家でじっと・・・

 

だと、身体がなまってしまいそうで。

 

ついでに日常風景の一環で雪の様子を撮った。

雪の、というより薄っすらお化粧をした家並みの一角で、みたいなものでしょうか。

 

少なくとも午前中いっぱいは本を読んでいた。

Book Off で買ってきたこれ↑を読み終えた。

 

窓の外にはちらちら舞う雪が。

 

部屋には流しているシャンソンのラブソングが。

 

そして暖房の他に体に巻き付けた電気毛布が。

 

このトリプル・セットが本をぐんぐん読むのにちょうどよかった。

 

シャンソンと雪と読書はリズムが合うのですね。

 

残りの四分の一ほどが一気に進んだ。

 

澤田瞳子の小説は初めてだったけれども、文章の格調の高さには驚いた。

 

もちろん黙読で進んでいくのだが、読んだそばからその文章を誰かが読み上げているような感覚があった。

 

上品なアナウンサーが肩を張らずにゆっくり読み進めているように極々自然であり、それでいて登場する人物たちの心根までが伝わってくるようだった。

 

こんな経験は初めてですね。

 

澤田瞳子、恐るべし。

 

午後にでもBook Off まで足を延ばして、澤田瞳子探してみるかな。

そうだ昨日は決められた時間があって急いで通り過ぎてしまったけれど、

 

あの家の道際にもう満開のように咲いていた花があったな。

 

そう思って自宅から四百メートルばかりを歩いてみようと決めた。

 

スマホで撮ろう、というわけだ。

 

歩き出す前に今、家の梅はどうなっているのかも比較のためには撮っておこう。

 

まだまだだな。

 

うちの庭は午後は陽が回ってしまって日当たりは必ずしも良くないしね。

 

一方、どなたのお家か知らないけれど歩いて5分ほどの狭い庭には

こんなにも花盛りの感じが。

 

塀と家との間はせいぜい1メートルぐらいなものだろう。日当たりも抜群というわけでもないから、種類によって違いがあるということですね。

 

当たり前か。

 

ま、それでもそれまでの厚手のコートを薄手のものに替えて出かける気になったのは、

 

春の気配、が部屋の中でも感じられていたからだろう。

 

「四百メートル」の帰りには、いつも薔薇を熱心に丁寧に育てて綺麗にしているお宅の庭にも

小さな春を見つけたような気がした。

 

一転、今日は何ミリとも呼べないような細かい雪のくずのようなものが時折舞っている。


出たくはないな。

 

まっすぐ一気に季節は進んでいるのではない

 

一進一退ですよ

 

とあたらめて告げられているような昨日と今日である。