昨日は予定通り15:45大宮発の新幹線に乗り、無事に仙台に到着した。

 

無事に、といっても15:05川越発の電車に乗るのに少し余裕をみて早めに家を出たのだが、

 

駅に向かう道、いや何ともこれが暑い暑い。

 

手荷物も結構重く、歩いて行く途中で何度も荷物を道に置き、汗をぬぐった。

 

いやはや、びっしょり・・・になりました。

 

(中略)で仙台に着き、新幹線のプラットフォームに降り立つと、これが暑くはなかった。


やっぱり仙台は痩せても枯れても、まだ北国の仲間なのです。

 

中央改札口でベネチア旅行にご一緒したCさんが待ち受けてくれていた。

 

まだ17:00で街は明るいのだが、時間をつぶすでもなく、即食事に・・・ということでCさんが駅ナカのお寿司屋さんを予約しておいてくれた。

 

初めての店。

 

塩釜の有名店だか美味しい店だかが出店していて、やっぱり川越と仙台では比較にならないと言うことだろう。

ちょっと(←かなり)奮発して↑注文。

 

年金生活者には奮発より「贅沢」のほうが実感に近いかな。

 

ひと汗もふた汗もかいた後だったので、寿司はもちろん、ビールもキ~ンと旨かった。

 

しかし、そのビールが残りグラスに1/4ぐらいになると、すかさず「次のお飲み物は?」と店員さんがやって来る。

 

いや、あのね、飲むけど、まだ残っているビールがあるので・・・と一度間を入れた。

 

寿司も同じようで、残が少なくなってくると「お刺身も」「握りも」別注文でできますよ、と念を入れてくる。

 

この「念」の段階で(二人で話はしなかったが)「ビールをもう一杯飲んだら出よう」という合意が出来た感じになった。

 

あんなに、催促のように、「次のご注文は?」と畳みかけるように聞いてくる店は落ち着かない。

 

店を出たとき、時計の針は18:00を指していた。

 

ああお腹いっぱい。

 

ではあったが、何となくすっきりと店を出られなかったので、駅の反対側西口のワインBarに向かってしまうのは仕方のないことであった(?)。

小さな、カウンターの店で、

 

席の上はこんな↑感じ。

 

横丁の路地を人が流れていく。

 

開けっぱなしの入り口や窓からの風が心地よかった。

 

で、結局は3杯ぐらいは飲んだのかな。

お寿司屋さんを出るときには、まだ街全体が暮れていなかったが、この席を立った20:00には、夜の早い仙台では人も少なくなっている雰囲気だった。

 

そして一晩。

 

エアコンのない夜になったが、少しも汗をかかなかった。

 

さあ、そんな涼しい仙台での滞在は何日になるのかな。

 

明日、仙台に「行く」ことにした。

 

「行く」と言った方がいいか、「帰る」と言った方がいいか、もっと迷うかと思ったが、すんなり出てくるのは「行く」の方だった。

 

仙台生活15年を終えて、川越に帰ってきてから1年が経っているわけだから、それも自明のことなのかな。

 

でもまだ「帰る」気分は残っている。15年というのはかなり長いですものね。

 

でも、

 

アパートから車で30分ほどの名取市の海岸にある日帰り温泉の行き帰りで出会った景色↑に、

 

再会することは叶わないだろう。

 

この写真を撮ったのは2年前の今ごろだったが。

 

もう仙台まで車で行く元気はなくなったかなあ。無理すれば行けないこともないだろうけれども、よっぽどのことがない限り車での往復はもうきつい。

 

元の勤務先も車でなら30分ほどだが、わざわざ徒歩とバスで訪ねてみようかとは思わなくなった。

 

それじゃあ、何の目的で、何をしに仙台まで行くの?

 

と聞かれても答えに窮するかな……。

 

別に・・・としか言いようがない。

 

先月一緒にベネチアに行ったCさんをはじめ、元の同僚たち数名とは会えるだろうから、それは楽しみと言えるが、

 

そのために行くのか?と問われれば、どうもすんなりYesの答えだけにはならないだろう。

 

ま、懐かしい15年間をもう一度かみしめる、反芻するために、という理由が大きいのかな。

 

だいたい、1年に2,3回は「行く」「帰る」と引っ越す前からぼんやりと決めていたしね。

 

駅前の映画館も閉じられてしまっているはずだから、暇を持て余す時間も増えてしまうだろうが。

 

結局は元同僚との一杯がメインになるのだろうな、結局は。

 

暑いが、街歩きは嫌いではないですしね。だから、きっと歩くだろう、川越よりも。

 

あ、そうそう、アパートに住んでいる息子(長男)の様子を確認する、という重要な目的もあった。

 

しっかりしていないのでね……。

 

こっちの目的は決して「楽しみ」の範疇には属さないのが、ちょっぴりと言うかだいぶ残念ですけどもね。

 

まあまあ、人生は「楽あれば苦あり」とも言いますしね。(言わない?)

 

ぼんやりとした仙台復活生活(?)、明日から10日間ぐらいになるでしょうか。

ご近所の「バラ園」。(単なる庭なのだが、とても丹精して育成している)

 

この春、一度綺麗に咲きそろい、それも終わった・・・とばかり思っていたのだが、最近また、前ほどではないにせよ花を咲かせている。

 

 

駅やスーパーに向かう途中にあるので、ついつい立ち止まって眺めてしまう。

 

昨日にはスマホを取り出し、前回の「最盛期」と同じように写真に収めてしまった。

 

バラ、薔薇と書いた方が雰囲気が出るだろうか。

 

ここのお宅、接続する20坪ぐらいの敷地を買い取って、すべて薔薇で埋め尽くされている。(と言っても大きな間違いはないだろう)

 

我が家の貧弱な庭とは大違いだ。

 

かみさんが元気なころは、自分なりに庭仕事に精を出すようなこともしていたが、

 

それが元気に育ち始めた頃、仙台に行くことになり、1年で帰ってくるのは2,3回。多くても4回程度になってしまい、

 

不在の間にだいぶ庭の植木や植物は元気を失ったり、姿を消してしまったりした。

 

ま、興味、関心のない人にとっては「庭の面倒を見る」のは難しい。面倒くさいことなのでしょうね。

 

そのことについては諦めもついているのだが、

 

先月の1週間程度のベネチア旅行では、今度は仙台から持ってきていた鉢植えのいくつかが枯れてしまった。

 

「水は毎日やっていたのですけれど……」と息子のお嫁さんは釈明するように話してくれたけど、

 

いや、毎日・・・だったら「暑さが尋常でなかったので」という理由だけであっさり枯れてしまうようなことは起こらなかっただろう。

 

全部が枯れてしまったわけでもないし、仕方がない。

 

日ごろ植木や花々、鉢植えなど、庭を愛でる習慣がなければ、水の分量がどの程度なら・・・ということも良くは分からなかったかもしれない。

 

たとえ、「毎日」だったとしても。

 

近々、仙台に10日程度行っていようと思うのだが、残った鉢植えの運命がどうなるのか・・・運次第と言うこともあるのかな。

 

暑さも6月よりは酷くなってきていますしね。

 

まあ、人生は運次第ということで。

 

近くに庭の綺麗なお宅がある、ということだけでも「幸運」の方に少しは寄っている、と考えても間違いはないだろう。

 

まあ、そんなこんなの「雑念」のようなものが気持ちの中に混ざっているようなことなのだが、

 

昨日は、ちょっと急なお声がけもあって、いつもの同級生Mクン、Kさんと川越ランチ散策をした。

 

暑かったが丸広前の、行ったことのあるレストランで定食。その後はコエド川越テラスでもう一杯のビール、の時間だった。

 

「何の話」というようなこともない、いつもながらのお話。

 

Kさんは10月だったかな、ポルトガルに旅行だという。

 

旅行案内のガイドブックが古いものばかり・・・という話を聞いたので、自分の持っている案内書を貸してあげると申し出たが、

 

あの本は仙台に置いたままだったかな?どうだったか忘れてしまった。探しておかなければな。

 

リスボンの楽しさでしばらく話が盛り上がった。ファドなんかも聴きに行って欲しいなあ。

 

ま、こういう毒の無い当たり障りのない話でランチの時間を過ごすことが出来る、というのも「幸運」の部類なのだと思う。

 

幸運をつぶさないように、大げさでなく、大切にしながら過ごしていきたいものだ。

タイトルに「現実逃避」と書いてから、あれ?そうなのかなあ? と(?)印を付け加えた。

 

7月に入って初日の今週月曜日、1日には神田神保町の学士会館で我が母校(高校)の同期会が開催されたのだ。

司会の話から5年ぶりということも分かった。5年ぶりかあ……。

 

参加者は50名あまり、とも言っていたと思うので、人数も前回と大きくは変わっていないだろう。

 

事前に、去年銀座で「二人同級会」をしたT君に連絡をしておいたので、久しぶりに彼とも会えるし、

 

そうなったら「次の旅行に一緒に行かない?」と可能かどうかを聞いてみようかな、とも思っていた。

 

そういう意味を含めて懐かしい人たちと会える同期会は楽しみだった。

会場の学士会館は近々立て直しされるらしい。階段の片隅に地元のお祭りの神輿が飾られていたのも、そういうことと関係があるのかな。

 

いや、それでですね、会そのものもそれなりに話が弾む、(まではいかなかったが)展開されたりして飽きることは無かったのだが、

 

何というか、こう、参加者全員の容姿と言うか様子と言うか見た目と言うか、そういうものが、

 

「積み重ねられた年月」というのもを感じさせたのですね。

 

ま、早い話が、全員「歳をとった」ということ。

 

話したことの内容はどんどん忘れていくのだが、見た目の印象というのはそれに反して次第に強く大きなものになっていく。

 

「衰え」の実感とでも言ったらいいのかな。

 

「次をどうする?」という話もあって、「来年にも」という声が上がっているのが聞こえてきたが、

 

来年?大丈夫かなあ?……というのが率直な感じ方だった。

 

自分を含めてですがね。

 

おいおい、みんなもういいお年でっせ。

2次会まで事前にセッティングしてあって、近くの博報堂の古いビル1階まで数名を除いて多くの人数が参加した。

 

昔話に花が咲く・・・まではいかなかったが、たまにはいいでしょう、こうして昔を思い出すのも。

 

「先」は無いように見えましたがね。

 

・・・そうか、もう、先は無いのだなあ・・・そんな想いに捕らわれると、何だか意気が上がらなくなった。

 

姿かたち、見栄え、様子・・・からだけそう決めつけても行けないのだろうが、何しろ「実感」として身近に迫って来たのは初めての経験だったかもしれない。

 

ん~ん。お年寄りの真実というのもなかなか難しいものだ。

 

そんな意気消沈を消し去るために(というわけではないが)今日は玉川温泉まで。

 

川越から1時間ほどの母親の実家近くの日帰り温泉である。

 

以前はここばかり行く時期があって、五十肩などもここに通って良くなったと思える絶妙のお湯。

 

だが最近はそこまでの距離が自分を遠ざける。

 

しかし、その近くまで行けば、

 

 

 

 

田畑の周辺は自分にとって正に桃源郷である。

(桃源郷、ってこういう場合に言ってはいけないの?か?)

 

確かに自分以外の人には伝わらないのだろうが、半世紀、いや60年、もしかしたらもっと前に、

 

自分はこの空間に身を置いたことがあるのだ

 

ここの空気を吸ったのだ

 

あれやこれやと、とりとめのないことを思ったりしたのだ

 

そういう感覚が、何と言うのでしょうね、自分を慰めてくれる何かの変化を生んでくれるような気がする。

 

遥か昔、あの山のふもとまで行ってみようか、と考えたことがあるような気がする。

 

あの山のふもと、は見える範囲の遠い場所でもあったし、山を越えて遥か遥かに遠い世界の向こう、見知らぬ世界、でもあったような気がする。

ふと我に返れば、こういう↑無人販売の案内がある。

 

ぼや~っとばかりしていないで、不思議な感覚世界にばかり身を置かないで、残酷な現実も当たり前に備わっている毎日を過ごしていこう。

まあ行ったからと言って、特に「これ」というやることもないのだが、7月早々には仙台に「帰って」みようかな、と思っている。

 

ベネチアから帰ってきてからは、「次は仙台行きだな」と自分の中の気持ちが勝手にそう決めているようだ。

 

用はないわけなので、「いつ」行かなければという制約もない。

 

でも、もう明日からは7月になるわけですわね。

 

そうなると、そんなに先でもないか……。

 

であるならば、そうか、あれでも手に入れておくか・・・、と昨日は駅前まで出向いてみた。

 

あれ、というのはJR東日本の株主割引券(?)のことである。

 

以前なら回数券をバラして安売りチケット店で売っていたのだが、もうその種の割引利用券みたいなものは無くなっている。

 

その代わりの「株主優待券」である。距離が短いと大して安くはならないが、それでも「さあ、行くか」という出かける意気込みのようなものが固まる効果はある。

 

で、6月29日の昨日、駅前まで出かけてみたのだが、店員さんの弁によれば「6月まで有効」のチケットはもう無くて、7月から1年間有効の券が店頭に並ぶ、ということだった。

 

なるほどね、有効期間が7月から6月までだったら、29日に買いに行っても普通、店にはもう並んでいませんよね。

 

あ、そうなの、って感じで遠回りして家に帰ることにした。

 

自転車の距離を稼いで、多少なりとも「運動」の効果を高めようと。

 

そうでもしないと、運動不足の毎日が続いていますからね。

自宅と駅の間にも、まだこんな↑感じの農作地が所々に点在している。

 

さすがに最近ではどんどん少なくなってきていて、ここなどは数少ない「本格的」な農地の匂いがちょっぴりする。

いつものスーパー「ロヂャース」近くになると、早めに田植えの終わった田んぼは、もうずいぶんと穂先が伸びている。

同じく、いつもの日帰り温泉「川越温泉」を通り過ぎると、急に田舎感が増す。

 

遠くの方に見える家々も50年前にはほとんどなかった。

 

1970年に川越に引っ越してから、ご近所散策でこの辺りにも自転車できたことがあるのだが、

 

いざ帰ろうと自転車の向きをあちこちに変えてみたが、方向感覚が分からなくなり迷子になりそうになった。

 

それぐらい農地が一面ずーっと広がっていたが、最近では道を迷うようなことは無くなった。

ぐる~っと回って、自宅の方に舵を切ったが、途中でぶつかった田んぼは、まだ植え付けが終わったばかりのように見えた。

 

何となく田植えも下手な感じに思えた。

 

それこそ下手をすると一か月近くも遅いのではないか。大丈夫なのかな、このペースでも。

 

大回りして向かったのは

お馴染みの蕎麦屋さん。

 

昨日は「ごま汁そば」にした。1,300円也。ざる2枚なので、お腹は一杯。写真に写っていない下の段の蕎麦はちょっと素朴な田舎蕎麦(風)だ。

 

ここのお蕎麦はいつも美味しい。

 

ベネチアから帰ってきて初めて。

 

これで旅行の終わりのけじめがついた感じ。

 

さ、次なのだが、それは「特に用もない仙台に行く」こと。

 

すっかり「リタイア人生」が板について、定着して来ましたね。

今日の雨はずいぶんしっかりとしたものだったが、ようやく止んだようだ。

 

今年は梅雨入りが遅かったし、降る時には降っておいてもらわないと水不足ってことになりかねないから、まあ納得の雨降りということでしょうか。

 

さて、そんな雨の今日とは違って、昨日はまずまずのお出かけ日和だった。

 

お出かけと言っても、出かけてくれたのは自分ではなく、いつものMクンと、互いのアーチェリー仲間であるTさんだった。

 

TさんのTは旧姓のイニシャルなのだが、どうも未だに旧姓で呼んでしまう。

 

自分がアーチェリー教室に通いだしたのは大学3年の冬だったと思う。それからMクンも誘って、やがてアーチェリー・クラブの発足時から参加して……。

 

Tさんと知り合ったのも比較的早い時期だった。

 

軽井沢での合宿をはじめ、東北への旅行、関東近郊での小旅行・・・等々、楽しい思い出もたくさんある。

 

確か、自分の結婚披露宴にはMクン、Tさん、両方とも出席してもらったはずだ。

 

Mクンとは小学生以来、ほとんど途切れることなくお付き合いを続けてもらっているのだが、Tさんとは……?

 

と考えたら自分が仙台生活を送った15年間、会うことは無かったような気がする。

 

そんなTさんとも久しぶりにお会いできたのが昨日の11:00川越駅前だった。

 

Mクンがいつもの「天ぬま」を予約してくれて、小部屋を確保することが出来た。

 

お蔭でゆっくり、落ち着いて話すことが出来た。

 

駅前でお会いした時から「16年ぶり」という感じは全くせず、「数週間ぶり」と同じように「どうも・・・」と自然に話が進んだ。

 

こっちはどうか分からないけれども、Tさんは16年前とほとんど変わらない感じがした。

 

話し方も、その内容も、見た目も、「いつものTさん」そのままだった。

 

16年も会っていないと、互いの家庭環境などはずいぶん変わっていて、子どもや孫の話も聞く方も話すほうも新鮮な感じで繰り広げられた、って感じだったかな。

 

いやあ、こんな風に「昔」の友人関係がすぐさま復活できるのはありがたいですね。

 

気張らず自然体で過ごすことが出来たというものです。

新しいカフェがオープンしたというMクンの情報に従って、喜多院隣りの仙波東照宮の方に足を延ばしてみたが、満席だった。

 

その代わりに、駅方向に向きを変えて小江戸蔵里(産業観光館)に寄って、これも久しぶりである「かき氷り」を頂くことにした。

いやいや、かき氷り何ていうのも何年ぶりだろう。十年ということは無いだろうが、それでも数年ぶりであるのは間違いないのではないかな。

 

自分は写真の「抹茶アイス」ではなく「いちごアイス」を頼んだが、どちらも税込み770円。

 

氷は山盛りで頭の芯までズキーンと冷えた。たまにはいいですね、かき氷り。この夏はもう少し食べてみることにしよう。

 

そんなこんなで、Mクン、Tさんとのランチ会は正に「旧交を温める」感じで自分らしい時間を過ごすことが出来ました。

 

やっぱり大切なのは友ですね。

 

 

さて、帰ってきてからもう軽く一週間は過ぎたというのに、まだ時差(?)に体が迷っているのか、毎夜2時か3時に目が覚め、そこから寝ると10時を過ぎる・・・

 

というようなことがたびたび起きている。

 

気をつけよう暗い夜道とお年寄り。

 

そんなこんなと、大したことの起きない毎日を過ごしているわけなのだが、ああそうか「書く」といって書いていないことがあった。

 

一組は60歳前後の男性と、それより20歳は若いだろう女性の「カップル」。

 

どう見ても「夫婦」には見受けられない。事実、鍵を渡す際などで氏が違っているということが分かった。

 

別にいいけど。

 

で、書いてしまおうかなと思っていたこっちのカップルのことは省略して、もう一人いたのがもっと自分に年齢が近いだろうご年配の男性。

 

一人参加で「旅慣れている」と自称していた。

 

ベネチアも数回目とのこと。

 

ああ、それなら話を聴けば何かの参考になるかもしれない……

 

と、一瞬は思ったのだが、世の中そんなにうまくは行かない。

 

別に邪魔になるわけでもないのだが、

 

まず、「旅の自分ごと経験」を発言することが滅茶苦茶多い。

 

歩いていれば「ああ、この建物は以前ホテルだったのでよく泊まった」の話も、だから・・・の続きがないから「ああそうですか」で会話は続かない。

 

何か面白いことでも起きたの?その(元)ホテルに関するエピソードは無いの?

 

そして添乗員さんや現地のガイドさんに対する質問がやたら多い。

 

それもガイドさんたちが喋っている隙間を突くように話しかけるから、ガイドさんたちが構想、予定しているであろう「流れ」が寸断される。

 

問いかける内容も「持参した切手はどこでいくらぐらいで売れるか?」とか「趣味の模型電車○○型はどこへ行けば幾らぐらいで買えるか?」・・・

 

等々、極めて狭い範囲のポイントを突くような質問をする。

 

ちょっと考えれば、添乗員さんだからと言って、現地の人だからと言って、同じような趣味趣向が無ければ普通知らないでしょ、そんなこと・・・

 

というような事ばかりを聴くのだ。

 

ワインについても「瓶ではなくて量り売りしている店」の存在の有無を聴いていた。

 

たまたまそんな店もあるようだったが、あれ、本当に行ったのかな?行くのかな?

 

旅慣れたその方が、夕食に近所のマクドナルドで買い物をして帰って来たのにホテルの入口で遭遇して、

 

会話が弾まないだろうなあ感は、より増した。

 

集合時間、出発時間に遅れる、なんてこともあったなあ。

 

旅慣れてる、という割には(たまたまお隣りだった)部屋の鍵が開かない、と苦労している姿も見たな。

 

最初は「こうやって開けるんですよ」と聞いてもいないことを話しかけてくれたのだけどもなあ。
 

自分もツアーの一人参加の経験はあるが、何日か過ごすと「ご一緒に」と誘われることが何回かはあったし、今回もあったように写真を撮りあうなんてことも起きるのであるが、この方に関しては独立独歩を貫いているようだった。

 

今回、完全に一人参加というのはその方だけだったが、

 

ん~ん、今後のことを考えると、そういう要素は自分にもあるかもしれないなあ、という思いに至って、

 

「次回」を考えるときの妨げになりそうである。

 

人の振り見て我が振り直せ。

 

なのでありますがね。

あ、それと、ベネチアではこういう↑24時間時計が多いそうである。

 

なるほど古い街ですね。でもそれで時刻を確認しようと思ったことは一度もなかった。

 

ああ~、これで本当にベネチアに関することはお仕舞いにします。

 

言えることは(全部ではないにしろ)言ったですしね。

 

 

 

 

 

 

旅程表でいうところの5日目のホテル発は10:00とゆっくりなので、朝食後は街を一人歩きした。

 

料金は高くなってしまうが、部屋は別々だし、そういうことが出来るのもツアー旅行の一人参加だ。

 

昨日の夕食の店の道を更に奥に進むと、ここには観光客は滅多に来ないだろうなあ、と思える住宅街が続いていた。

こういう↑緑も広がっていて、運河、路地、橋などは見慣れてしまったので、却って新鮮に感じる。

 

やっぱりコンクリートやレンガばかりじゃね。

 

犬の散歩などにも出会う。

ベネチアでは「昔からある井戸や噴水」の話をずいぶん聞いたが、道の片隅にあるこういった水飲み場(?)のような場所にもカメラ心を刺激された。

 

朝だし、人はいないしね。

 

船に乗って出かけた三つの島、ムラーノ島、ブラーノ島、トルチェッロ島も全体的にはそれぞれ良かった。

また井戸(?)↑を見つけたり、

 

昼食のレストランでも、イタリア人の陽気に溢れた接客や庭の花々に感心した。

 

肝心の料理は味も量も大満足だったしね。

ブラーノ島だったかな、ここは本島に比べて落ち着いていて、心に染みてくるような閑さがあった。

 

住人も少ない場所という。

 

ガラス工房とかいろいろ見て回ったのだが、自分にとっては

この↑原色の家々が立ち並ぶトルチェッロ島が一番印象に残った。

 

 

 

 

人の気配が無いようなあるような。不思議な一角。

 

 

ここは霧が立ち込めて視界が遮られやすい場所で、漁師たちは自分の家を早く見つけるためにそれぞれが色塗りをした、ということらしい。

 

でも、それは「元々は」ということのようで、今ではお土産屋さんなども鮮やかな色をしている。

 

話は飛んで、その晩も「隠れた良い店」を探し当てて、美味しくビールを頂いた。

 

帰りは、あれほどごった返していた船の影もめっきり減る時刻になった。

 

もう、明日一日で終わりだなあ、という気分が忍び込んできたからだろう。

 

そういう気分が押し寄せてくると「何もない」運河も美しく見えたりする。

 

で、その翌日は終日自由行動。

 

 

 

我々はゴンドラに乗った。ベネチアとくればゴンドラでしょう。ここまで来れば乗らなくちゃあねぇ。

 

30分足らずの短い「船旅」なのだが、思ったより揺れもせず、定番消化はそれなりに満足できた。

 

一艘で90ユーロ。5人まで乗れるようだ。ツアーのご夫婦と一緒に乗ったので、@22.5ユーロで満喫できました。

 

その後は、

トラゲットと名づけられた渡し舟(@2ユーロ)で運河を渡り、ペギー・グッゲンハイム・コレクションまで向かう。

 

この美術館はモダン・アート中心で、ピカソ、カンディンスキー、ミロ、ダリ・・・といったところが展示されている。

 

ペギー・グッゲンハイムが暮らしていた邸宅、というのも魅力的である。

この絵↑が気に入った。(誰の画だったか、覚えていたつもりが・・・)

 

窓から眺められる外の景色も、より素敵。

 

運河に面したテラスからは、昨日アカデミア美術館に行くとき渡ったアカデミア橋が望める。

 

この静かな美術館で食べた昼食の

サンドイッチも美味しかった。パサパサではなく、しっくり、しっとり食べられた。

 

で、ゆっくりした時間を過ごした後、ホテルまで歩いて帰ろうということになった。

 

自分はと言えば、他に観るべき場所があったら寄ってもいいのだけれども……という気持ちもあったが、結局はベネチア経験者のCさんに従った。

 

「地球の歩き方」の地図を参照しながら進む。

 

路地、運河が入り組んでいて方向が分からなくなる。

 

でもまあ、地図に載っている場所を歩いているうちは平気だった。

 

が、歩いている場所が地図からはみ出てしまうと・・・

 

さあ、たぶんこの右手の方向で間違ってはいないと思うが・・・

 

と、橋を渡り路地を進んで行くのだが、そのうちに人の気配がしなくなり・・・観光地、という雰囲気も消えていき、急に

こんな↑工場のような場所にぶつかる。ゴンドラを作っているのか修理しているのか・・・。

 

怪訝そうにこちらを見ている工場の人が2人。

 

ま、こちらの二人は吞気なもので(まだ日も高いし、ですね)「珍しいモノに出くわした」とそろってカメラを構えていた。

 

しかし、この後、そうも言っていられないだろうと(←言ってはいませんが)ちょうどうまい具合に通りかかった男女のポリスマンに道を聴く。

 

目指している行き先が伝わった途端、複雑な表情を浮かべた。

 

いやあ、ここから駅ですか?

 

と言っているような感じ(に受け取った)。

 

でも、終いには手をクネクネとさせながら教えてくれた。一発でたどり着けるかどうかは分からないにせよ、ま、着くには着くだろう。

 

何となく荒れた感じのする、工事をしている個所も一つ二つある道を通って、ようやく「ああ、ここまで来たか」という地点まで到達できたのであった。

 

まあこれも街歩きの一種、範疇ですかね。

 

それほど遅くなったわけでもないが、ホテルに着いたらやや面倒くさくなって、添乗員さんが(自由参加で)連れて行ってくれるというレストラン(酒場のような感じらしい)にその夜の店は決めた。

 

ホテル出発が5時だという。

 

え!5時? とその早さに驚かないでもなかったが、 良い店を自分で探す < お薦めの店 となった。

(元は)ユダヤ人が多く住む地域にあるという気軽な店で、注文と同時に決済してしまうという身軽さ。

 

受け取った飲み物と食べ物は自分で席に運ぶ。待ち時間が極めて少ない。

 

ここで軽く一杯飲んでからちゃんとした夕食に、という人も多いらしい。

 

早めに行っていないと座れないし、第一入れない、とのこと。だから5時出発なのですね。人数もそうたくさんは連れていかれない、という理由も分かった。

この↑お皿に乗っているものが酒の肴というわけである。何種類もあって、名前も付いているようなのだが、自分の場合は「これとこれとこれ」と指さして頼んだ。簡単である。@2ユーロ。

 

足りなければ違う種類のものをまた頼めばいい。合理的である。やり取りに時間がかからない。

 

そして、旨かった。

やがて店の外にも人が集まりだし、

それ(ら)の人や様子を眺めながらのビールもまた旨かった。

 

いやあ、この店遅く行ったら入れません。立って飲むのは敬遠したいですしね。連れて行ってもらって大正解だった。

 

同行したもう1組と添乗員さんが帰った後も、もう一杯、とか言って我々は居残るのだった。

 

働いている店の人の姿もカッコよく、何も展示されていないのに「あなたの着ているシャツが欲しい」とTシャツを一枚お土産に買ってしまった。

 

2軒離れた場所に倉庫に使われている事務所のような建物があり、そこに積まれていた。あれ、いつもは売っていないよなあ。いつ売るのだろう?まあいいか。

 

そして、明日はもう日本に帰るのだから・・・、とお馴染みの(?)駅前のホテル屋上に向かった。

天気も良く、人もこの前より多いようだった。

 

「人」の中には、

 

こんな人たち↑もいる。

 

海外旅行ならではの味わいである。

ベネチア、楽しい時間を過ごしましたね。

 

もう行くことも、いや、行けることもないだろう。

翌朝の散歩で見たこれ↑が、ベネチア最後の写真ということになるかな。

 

売っているのか、ただ置いてあるだけなのか、

 

これがあったのも、最後の晩のホテル近くの、右に左に折れる路地を行った、気持ちだけ道が広くなっている場所だった。

 

(終わり)

 

 

 

 

6月11日(火)は、(もう面倒くさいので日程表の表記に従うと)4日目ということになるが、

 

前日訪れたサンマルコ広場まで船で行ってから、魚市場、サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ協会、アカデミア美術館へと向かう。

 

そういわれても、こっちには何のイメージも湧きませんが……。

 

でも結局はこの日が一番歩くことになったのかな。2万数千歩。

出だしはベネチアでは一番知られている場所(?)↑から。

 

これ一枚にしておきますが、また何枚も写真を撮ってしまった。

 

しかし、昨日には見かけなかった、

こういう美人さん↑が、広場でデモンストレーションしていた。

 

何人もこういう伝統的な衣装を着て集まっていたのだが、このお嬢さんだけはちょっと離れていたのでカメラを向けると、こちらを振り向いてくれた。

 

あら可愛い。

 

そして、

おお、これが名高いリアルト橋ですね。

 

ベネチアの交通の要衝、と言うだけあって観光客と店と船で溢れかえっていた。

交通と言ったって本島には車が無いので、もっぱら船ですよね。

 

賑やか。懐中モノにご注意です。

 

ここから「魚市場」は割とすぐ。

 

市場、と言っても現状は「元」と付けた方がよさそうで、個人向けの露店が並んでいるような所だった。

 

特に買うものもなし。

 

リアルト橋方面に引き返して昼食タイムとなる。

この↑手前の店に入ってみた。

 

観光旅行ですからね、もちろん運河に面した外に座る。

リアルト橋も丸見えである。

ここでは、

これ↑が旨かった。

 

出来たてを出してくれて、味も上々。その代わり口の中も周りも真っ黒になってしまいました。トイレを借りて口の中を注ぐ。

 

徒歩中も隙あらば・・・と名所(らしき景色)を押さえる。

 

お馴染みサンマルコ広場に戻ってから、ナンチャラ教会、アカデミア美術館へと。

 

宗教画が多かったけれども、自分にとってはその中にあった

ピカソに気を惹かれた。え~、こんなところにこの絵はあったのか!?

 

ま、知識と学がないものだから、宗教画はどうしても同じように見えてしまうのですよね。

建物と道と運河ばかりだから、植物、特に花が咲いていたりするとカメラを向けたくなった。

 

(中略)

夕食にはホテル近くでいい店を見つけた。入る時に「予約は?」とか聞かれた。予約のあり無しを聴かれるぐらいだから人気店に間違いはないだろう。

 

雰囲気も、ビールも、

食事も美味しかった。

運河の向こう岸から何となく外を眺めているお年寄り(←って、自分より年長かどうかは分からない)。

 

こういう風情も含めて海外の旅の味わいです。

こんな道↑を気分良く帰る。

 

サマータイムだし、夕食が終わってもまだ明るいですね。

こんな↑お洒落なシチュエーションで我々も時を過ごしていたわけです。相手は違うけれども。

 

ああ、かみさんと来たかったな、という小さな感情が生まれる。

 

Cさんには言えないけれども。

 

そんなこんなでこの日も無事終了。

 

明日は「島めぐり」だったな。

 

以下次号。

 

 

 

 

 

 

 

さて、旅行の日程表によると3日目となっている実質初日のような現地時間6月10日の午前中から、いよいよ本格的な「旅」となるのだった。

 

この日も朝までは雨模様だったが、出発の頃はすっかり上がってしまった。

 

自分の「海外旅行に雨はない」伝説はまだ生き続けているようだった。

 

ドゥカーレ宮殿、サンマルク寺院、サンディ・ジョヴァン・エ・パオロ教会・・・これらの観光に4時間が予定されている。

 

(よう知らんけど)

あれがガイドブックに載っている「溜め息の橋」だな、とか確認しながら先に進む。

 

月曜日の午前中だというのにドゥカーレ宮殿は長蛇の列だったが、予約してあるとかで我々は比較的すんなり入れた。

 

こういうところもツアー旅行のいいところですね。

 

 

 

確かこれ↑が、その溜め息の橋から眺めた景色(だったはず)。

 

海(運河?)の向こうに見えるのが、お馴染みのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会である。

 

この姿で、ああここはベネチア、と確認できる人も多いことだろう。

 

あ、そうそう何故この橋が「溜め息の橋」と呼ばれているかというと、「かつて裁判所と牢獄を結ぶ役割をしていて、橋を渡りながら囚人がため息を漏らした・・・」ことからその名がついた、とのこと。

 

確かに橋を渡った建物には、日の当たらない陰気な監獄にピッタリの部屋があった。

サンマルコ広場といえば、これ↑ですね。

 

こういうのを「行った証明」写真とでも言うのだろうか。

 

 

 

 

ちょっとした昼食休憩↑の隙にもあたり構わず橋と運河を撮る。いやぁ、なかなか飽きない。

 

その後は、先ほど見えたサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会のある島に渡る。

 

塔の上に昇ると、今度は先ほど居たサンマルコ広場方向などベネチアの全体がよく見える。

この写真↑で言うと、右にある橋の奥にあるのが溜め息の橋ですね(奥なので見えませんけど)。

 

この塔からの眺めは最高。

 

20名ほどが上に昇っていたと思うが満員状態にはならず、東西南北360°が眺め渡せるのだった。

 

こっちまで船で渡って来る人は案外少ないのかな?

 

個人旅行でもこの島に渡ってここに上るのはお薦めである。

 

 

おまけに暑くなく寒くなく、この日は風もそう強くはなく、時間もたっぷりとってくれたので満足できた。

 

更におまけのオマケで言うと、指輪を差し出しながらのプロポーズの場面にも遭遇した。

急に出くわしたので、シャッターを切るタイミングが少し遅くなってしまいましたけど。

 

あんなにカッコいいシチュエーションではなかったな、自分の場合。

 

ホテルに帰ってきて、さて昨日の夕食(のまずさ)を挽回するにはどうする?

 

と、同行Cさんと相談。

 

自分が提案した、実は当初宿泊するはずだったホテルの屋上に向かうことにした。

 

元々ネットで調べていたし、昨夜も駅ナカの食堂の帰りに上を見て、良さそうな雰囲気のBarだか軽食スペースがあるらしいことを確認していたのだ。

 

真下には運河。

運河の向こうの平べったい建物が駅である。

 

美味しくビールなど頂いていたら、何やら大きな警報が聞こえてきて、下を覗いたら緊急車両だった。

 

車両じゃないですね、緊急ボートだった。他を圧するスピードで通り過ぎて行った。

 

何があったのか、知らんけど。

 

この場所で一緒に食事も・・・と考えていたのだけれども、この日は夕立?雷雨?が予報されているらしく、事実遠くから雷鳴が届いてきたり怪しい雲が流れて行ったりするのが見える。

 

そんなわけで、本日は雨が降ってくる予報もあるので飲み物だけ、になったらしい。

 

ま、ビールの後食事に行けばいいか。 ということに決めた。

おいおい、向こうはどしゃ降り、という雲も本当に流れて行ったが、幸いこちらは無傷だった。

その後、ホテルの1階で我々にしてはちょっぴり高級のお食事を頂いてから、気分に従って少し遠回りしながら宿泊ホテルに戻った。

 

空はもういい感じに安定していて、橋を渡る人影の黒さが時刻を告げていた。

ビールを飲んだのはドームの2軒隣りに見える四角い建物の屋上ですね。

 

微かにパラソルが見えるでしょう?その下です、我々が陣取ったのは。

 

そんなわけで無事に3日目(初日)の丸一日は平和のうちに終わったのでした。

 

以下次号。