といっても、これからの30時間ほどは何もやることがないのである。

 

本日11:10成田発。

 

オーストリア時間18:20着。飛行時間は14時間を超える。ロシアの上を飛べませんからね、今は。

 

ぐるっと遠回りだ。カスピ海とか黒海の上を飛んでいくのではないかな。イラン上空もダメで、あの辺りの飛行空路を見るとだいぶ混み合っているようだ。

 

戦争当事国には申し訳ないけれど、単なる「遊び」でもかなり迷惑をこうむっている人は多いのだろう。

 

昨日初めて宿泊の都市とか訪ねる場所を確認した。(←遅すぎ)

 

第一、このツアーが「ドレミの歌が響く街並みとアルプスの絶景を巡る旅」と銘うたれているのを(これも)初めて確認した。

 

一応そんな景色の所を回ってくれるのだろう。

 

ニューヨークとかパリとかリスボンとか、一都市滞在型の旅は自分であれこれ考えなければならなかったけれども、

 

旅行会社企画のこの種のツアーは、その点は楽だ。

 

ま、その分楽しみは減るのですけれども。

昨日のランチは、近くの藤店うどん。

 

コシがあって海老天2つとお芋の天ぷらが付いて1,100円也。

 

日本の味を楽しんだ。

 

近くの裏庭のような所には

もうそんな時期か。

 

かみさんを亡くした年の6月には、これを呆然としたというか心が動かない状態で眺めながら通勤路を歩いていたことを思い出す。

 

元気だったころは、駅まで車で送り迎えしてもらっていたから通勤で歩くなんてことは滅多になかった。

 

あの年、初めて「こんな所にこんな花が…」と気が付いたのではなかったかな。

 

今、もしがあったら、旅の初日の今の気持ちはもっと弾んでいることだろう。

 

出来ても出来なくても、旅の土産話は仕上げておいた方がいいのだろうかな。

特に変わり映えのしない毎日が続いているのだが、

 

今日は28日出発の飛行機便のWebチェックインをしなければならない。座席指定である。

 

出発の47時間前から始まるのだという。

 

去年、札幌に行くときの座席指定も我がパソコンで行ったが、海外便は初めて。

 

すんなりいってくれると嬉しいのだが、まあ時間が来たらやってみよう。12:10から開始ということになるかな。

 

昔よりは便利になったと言えばその通りだが、何かと「自分で」やらなければならないことも増えましたよね。

 

便利になったのか、楽になったのかどうかは俄かには分からないけれどもですね、アナログ爺さんにとっては…。

 

まあそんなこんなで、いつもの通り旅行中はブログも書かないから1週間から10日ほどはおさらばとなる。

 

単なる観光旅行なので、書けるような面白いエピソードはあるのだかないのだか…。

 

オーストリアは20年ほど前、Kちゃんと二人で行ったことがある。

 

ウィーンの街角で適当なお店を探して飲んだワインは美味しかったけれど、あれももうずいぶん昔になるのだなあ。

 

2軒ハシゴして帰りは電車だったが、二人ともトイレが迫って来て苦労したことなどクダラナイことの方が覚えているな。

 

あの時は電車を降りてからホテルまでの田舎道の草むらで…

 

無人の田園風景、というより無手勝流が通用するようなひなびたところでよかった。

 

なぞという話はどうでもいい。

 

亡くなったkちゃんも今でも時々は思い出しているのだろうか。

 

昨日はしばらく日本を離れるから、という理由もあってランチに初めてのうどん屋さんに行った。

 

同行のMクンも店前は通るのだがいつも列が出来ていて…入ったことはなかったらしい。

このレモンが強調されている↑のが定番名物らしい。

 

レモンの下のうどんも旨かった。食べ終わった後、汁も飲みたくなる適度な酸っぱさというかフレッシュさであった。

 

あ、海外旅行ではあまり食事には期待していません。

 

帰ってきてから、やっぱり日本が旨いなあとなるのがいつものことだし。

 

昨日もBook Off に寄って一冊買ったりしながらのぶらぶら歩きで10Kmほどを歩いた。

 

ここのところ寒く、雨も降ったので1週間ぶりの歩行となった。

 

運動不足がたたって、若干脚の付け根の辺りに違和感が…。

 

まあ、昨日歩いたから旅行中は大丈夫だろう、と楽観視。

 

歩きながら、よそのお庭や公園のお花なぞも撮りながらの散策となった。

 

 

 

 

いい季節ですよね、今は。

 

オーストリアでは今ごろはどんな花が咲いているのだろう。

 

見つけたら撮って来るか。

 

そんな時間もあるのかな。

 

 

決まったきっかけというものもなく、偶然を頼りに時代小説を読み進めているが

 

昨日読み終えたのは

これ↑。

 

上下巻だったから一週間ほどかかっただろうか。

 

幕末篇、明治篇と名づけられている通り、激動の時代を真っすぐに生きた「最後のサムライ・山岡鉄舟」の生き方・考え方が波乱万丈に描かれている。

 

勝海舟だの西郷隆盛だの小説やドラマによく出てくる偉人たちとの「やり取り」「交流」が間近に展開されて、

 

久しぶりに「本当はこうだったのか」と興味が湧くというよりも歴史を観ているようでドキドキする思いだった。

 

いや、もちろん小説だから歴史の解説ではないのだけれど、そうだったのか…の思いが強くした。

 

そしてこの小説の最後の方に

 

__おれは、よく生きたか。

鉄舟は自問した。

 

との場面がある。

 

題名にある通り「命もいらず 名もいらず」の堂々の生涯を送った山岡鉄舟ですら、こう自問するのだなあ

 

と変に感心した。

 

まあ恥ずかしながら「我が当たり前の、ありきたりの人生」途中である自分にも、近ごろふっとそんな風な問いかけが湧いて出ることがある。

 

もちろん「よく生きた」との答えが出てくるわけではないのだが、

 

それでも「自分の人生はどうだったのか」という素朴な問いを、我が身にふり掛けてみることが時々あるようになった。

 

そんなこと問いかけたって、素晴らしく割り切れた答えなぞ返ってくるわけはないのだが、

 

まあそんな年齢になっている。

 

そういう自覚はある。

 

ということでしょうか。

 

考えの行く着く先は大体はかみさんになる。

 

謝らなくては

 

に必ずのように落ち着くのだが、そこにたどり着くまでの運・不運、成功・失敗が色々に展開する。

 

もしかみさんが傍にいたら話し相手になってくれるのだろうか。

 

 

新聞一面の下の広告はほとんどが出版物なのでよく見る。

 

最近本を買うのはBook Off ばかりなので新刊本を購入することは滅多にないが、

 

近ごろは世の中にどんな本が出されているのかな

 

程度の関心というか興味はまだ残っている。

 

昨日はこんなものがあった↓。

「噓みたいな時代がありました」

 

1981年から1991年 狂騒のニッポン を写真と文で紹介しているらしい。

 

テーマとして取り上げている例として

 

貿易黒字世界一 外貨準備高世界一 海外資産世界一 国際競争力世界一 日本全土の土地価格がアメリカ全土の二倍 愛人バンク ノーパン喫茶 AVの勃興等々 エロ商売の新風 

 

などが並んでいる。

 

「伝説の写真週刊誌『フォーカス』の専属報道カメラマン」が時代を振り返っているらしい。

 

フォーカスは創刊号からしばらくは毎号買っていましたねえ。

 

どんな写真のタッチだったか明確に思い出せる。

 

1981年から1991年というと、就職して会社員となり10年から20年経った頃だから、

 

言ってみれば企業人として真っ盛りを迎えていた時代になるわけですねえ。

 

30歳代前半から40歳代前半まで。

 

元気だったわけですねえ、自分としても。

 

日本も元気だった。

 

日本がアメリカに追いつき追い越す

 

と、誰もが信じていた、或いは夢を見ていた。

 

もっと柔らかく言えば、そんなことがもしかしたら実現してしまうのか…

 

とうっすら疑問も浮かびながら、満更でもないとニヤニヤしていた時代だった。

 

1985年に招待旅行で初めてアメリカに行ったが、10人ほどの招待された側の我々「広告ビジネス関係者」は間違いなく

 

皆「アメリカと日本が競争時代になって来ている」と感じていたと思う。

 

アメリカ製の製品は月曜日に生産されたものは質が悪い

 

というホントだか怪しいうわさなのだかは分からないのだが、真面目に報道されていたのは事実だ。

 

アメリカでは休み明けだと働く人の意識がだらけていてやる気がないから

 

というのがその理由だった。

 

日本が世界の経済をけん引しなければ

 

という自尊心というか責任感みたいなものも意識の中に生まれていたと思う。

 

確かに日本のGDPはアメリカに迫りつつある曲線だった。

 

日本円と米ドルが 1ドル=100円 の時代が普通にあったのだ。珍しくなかった。

 

100円=1ドル=1ユーロ

 

という極めて簡単な為替相場が成り立っていた時期もあったと思う。

 

後に若干円が安くなってきても、

 

実感としては1ドル(または1ユーロ)は100円と言うのがアメリカ(やヨーロッパ)の生活者の感覚ですから

 

と旅行の際などにはアドバイスされた。

 

これはもしかしたら今でもそうなのかもしれない。だから欧米から日本にやって来た人は「日本の物価は安い」とびっくりしてしまうのだろう。

 

来週はオーストリア旅行に出発だが、今の感覚で言うともう1ユーロ=100円ではなくて、1ユーロ=200円と思ってなければいけないだろう。

 

日本はどんどん安くなっているのです。

 

昔に比べると半分の価値しかない、と思っておいた方が間違いないだろう。

 

勿論、日本の土地価格全部がアメリカ全土の2倍なのだったら交換してもらえばいいじゃないか

 

と土地の評価額に対する疑いは同時に生じてはいましたけれどもね、個人的には。

 

バブルの頃って、そんな単純なことも分からなくなっているのですから恐ろしい。

 

夢に酔っていたのですね。

 

冷静になるってことが分からなくなってしまい、酔いに酔いしれるみたいなことだったわけだ。

 

ゴルフ会員権だって、あっという間に倍からまた倍みたいな話がそこら中に転がっていました。

 

自分の周りにもそんな儲け話が賑わっていましたねえ。

 

儲け逃げた人はどのぐらいいるのだろう。

 

まあそんなことはどうでもいいか。

 

ふと冷静になってこの本の値段を見てみると、2,200円也か…

 

いや、やっぱり新刊本は高いですね。

 

昔だったら即買ってしまうかもしれないな。少なくとも本屋に行ってパラパラとめくってみるだろう。

 

「報道写真と撮影秘話」なんて、自分の好きそうな中身らしいではないですか。

 

今の時代になって、

 

この本を買うのか買わないのか、それが問題だ。

昨日は都幾川の玉川温泉へ。

 

ずいぶん久しぶりな気がする、3か月か4か月ぶりになるのか…。

 

工事中だった道路がすっかりきれいになっていたり、近くの田園風景も「こんなに…」と思うぐらい進んでいた。

 

当たり前か。

古いままの施設は全く気にならない。

 

いや気にならないというより、どちらかというと「帰って来た感」のほうがあるかな。

昭和レトロ感を売り物にしていますからね、昭和丸出し人間にとってはぴったりなのだろう。

 

「感」だけでなく、ここの湯は自分がこれまで入った温泉の中でも「ピカいち」と言ってもいい。

 

こんなに肌にしっとり来る、リラックスできる湯は間違いなくここなのである。

 

回数券でないと平日でも980円と日帰り温泉にしては少々…

 

と思わないでもないが、まあ許容範囲か。こっちの身入りが少なくなっているだけか。

 

温泉を出て、数百メートル行ったところの田園風景はこれまでもよく写真に撮ったが、

 

この日も、何かあるのかな?と無人の野菜販売を覘いてみたが、

 

今の時期はそうなのかな、めぼしいものは無かった。

 

それでもまあ景色だけは

 

 

 

 

 

 

 

のどかなものですよね。

 

いつものように何枚も収めてしまった。

 

田植えが終わったばかりの田んぼもいいですよね、若々しい感じがして。

 

稲穂が垂れるまで元気を、いや、普通でそこそこで良いのですけれども、このままを維持したいものだ。

 

最近はどうもそういう思いが同時に起きてしまうことが多くなりました。

 

何かにつけて、先はもうそれほど長くはないの(だろう)だから…

 

なんてね。

 

考えてみても始まらないのだから、まああんまり考えないようにしたい。

 

お勉強だってそんなに一生懸命やって来なかったわけだし。考えても…

(関係ないか)

 

ま、一応自分用の記録として、

 

当人が一番気に入っていたのはどこぞの立派な温泉ではなく、埼玉の田舎の玉川温泉であった

 

という事実を記したわけである。

 

どう考えても大した記録ではない。

 

まあ、そんなものですよ、我が人生。

 

今もしかみさんが元気でいてくれたら、2回に一回は一緒に行こうと誘っているだろうなあ…。

 

朝獲りのトマトやきゅうりを買って帰るだろうなあ。

 

帰りにはいつものうどん屋にも寄るだろうなあ。

 

車の中で、ああさっぱりした、と言いながら、かみさんの温泉上がりの匂いを幸せ気分で嗅ぐのだろうなあ。

 

(言うかどうかは別にして)

 

車は二人の匂いで満たされるのだろうなあ。

昨日は3か月ぶりぐらいだろうか、「発声改善会」。

 

まあ、大声を出す=カラオケ ということですね。

 

Mクンとなら、お互い多少音程が怪しくとも不都合はない。

 

第一の目的が「大きな声を出す」ですからね、多少がかなり怪しく不安定になっても問題はないのだ。

 

ランチ前に終了して、先日初体験だった店に行こうとなった。

この店↑なのであるが、金曜日なら定休日ではないと思っていたら隔週か何かで金曜もお休みだという。

 

あてが外れた。

 

が、その近くに古い木造の家があって、そこでも何かしら食事ができるのではないかと寄ってみた。

この店↑である。

 

間違いなくコーヒーは飲めそうだが、ランチも2種類だけ提供していると分かった。

見ただけでは何のお店なのかは分かりづらい。

 

古めかしい畳の部屋とか、大きな納戸のような部屋もあるようだった。

 

が、お店の人が「庭へもどうぞ」と言ってくれたので、家の中を通り過ぎて庭へと出てみると

外の庭は(わざとだろうか)あまり手入れの行き届いていない雑然とした感じだった。

 

何だろう、と思ってしまうようなものが倒れ掛かって置いてあったり…。

 

そんな周りの雰囲気に合うような「あり合わせの材料で作った」としか思えないテーブルや椅子が置いてあった。

 

我々が座ったのは戸板を再利用したような「テーブル」のほうだった。

庭の奥の方にはまた家があり、庶民の家を代表するような洗濯物が干してあった。

 

それでもアゲハ蝶やもんしろ蝶がひらひら飛んでいたりして、雑然の中にバランス。安定感に満ちていた。

 

昨日は暑くなく寒くなく、風も強くなく心地よい日和だったので、

 

木陰の中の休日を過ごしているようだった。

 

格式高く整然と設えられた庭でないところの「味」が、じわりじわりと湧き出しているような、

 

日常感覚満載の昼下がりのランチであった。

 

聞いてみたら7,8年前からやっているという。

 

いやあ、知らなかった。

 

平凡、普通の中にぽつりと落ちた水滴のような風情を求めている自分には、もってこいのお店だった。

 

時期にも恵まれたのですね。

 

これからは外でだと暑さが堪えてしまうかもしれない。

 

まあ様子を見ながらまた行ってみたい、

 

観光客で溢れかえっていない穴場のお店発見!

 

であった。

 

(お近くの人、並びに川越観光の人は行かないように)

薔薇が咲き誇る季節もそろそろ終わりか…。

 

ご近所の薔薇のお庭もこれ以上は咲きださないだろう。

 

今年も楽しませてもらった。

 

手入れも要らずただ眺めさせてもらうだけ。

 

昔は鉢植えのツツジを玄関前に並べてご披露したこともあるが、最近はもうすっかりのていたらくだ。

 

昨日は会社員時代の仕事関係先仲間との集まり。

 

年に2回と決まっているが、自分としては1年ぶりの出席となった。

 

一応「12人会」と当初集まったメンバーがたまたま12人だったので、そう名前を付けているがあまり意味はない。

 

昨日集まったのは13人だったかな。

 

昔は泊りがけでゴルフ+宴会などもやったが、ゴルフとはすっかり離れてしまった。

 

始まってから30年は経つ会なので、いつのまにか皆ゴルフとは縁遠くなってしまった。

 

「仲が良かった」集まりではあるが、リタイアした人が増えてくると隠されていた「個性」がはっきりもしてくる、

 

ということもあって、何と言うのでしょうかね、より「我がまま」「唯我独尊」「人を見下すような」

 

ということが薄く現れてくる人もいる。

 

見なかったこと、関わらないでおくこと

 

にしておきますがね。

 

昨日の会でもそんなようなことがあったが、昔からあの人はそんな人

 

と思うだけで終わらせる。

 

基本的にはそれ以外の11人との昔話や隠された話などがあって楽しかった。

 

さて、

 

ここのところ映画とは少しご無沙汰してしまったが、先日

この↑「シンプル・アクシデント/偶然」を見てきた。

 

南古谷という近場で上映していましたのでね。

 

どうも川越は映画を観る環境にはあまり恵まれていない。

 

仙台だと歩いても見に行けるのですがねえ。

 

色々と賞もとっている映画のようで、それなりに面白かった。

 

面白いと言っては語弊があるか。

 

テーマは一つだけのようなのだが、もういい加減にしてくれと思い始めるころにラストシーンになって、

 

その「ラスト」がまた静かで考えさせられた。

 

書いてしまうと、これから見る人の「興味」が一気に減ってしまいかねないので、

 

エンディングが終わるまで席を立たないで

 

とだけ言っておこう。

 

評価が分かれているようだが、自分としては嫌いでない映画。

 

ま、年に1回程度でもいいが。

 

そんなこんなの毎日です。

 

今日はBook Offに行くの はパスして、読むだけにしようかと考えているところ。

 

途中、昼寝もしてしまいそうですしね。

 

そうだ、昨日は久しぶりに生ビールを何杯も飲んでしまったのだった。

自分の「食」を支えていると言ってもよいスーパー「ロヂャース」のすぐ前の信号手前に

こんな↑ものがある。

 

いつ気づいたのかな、もう忘れてしまったが、

 

あれ?と何か違和感を抱いたというか、少し変なのではないか…と思い始めた。

 

たぶん雑草防止のためだろう、道端のスペースが黒いシートで覆われているのだが、

 

その真ん中あたりが四角く切り取られて、そこに何の木だろう植物が「植えられて」いる。

 

新しく植えられたのか、元々生えていて引っこ抜くのは惜しいとなって残されたのか…

 

どちらだろう?

 

木の生えている四角く切り取られた部分には砂利が敷き詰められているが、

 

どうみても園芸用のモノとは思えない。

 

駐車場なんかに敷き詰められている砂利のように見える。

 

これ、公共用というか、公に設えられたものだろうか…。

 

それとも誰かが個人的に「引っこ抜くのは可哀そう」とばかりにこうしたのだろうか…。

 

シートの切り取り方もいい加減な感じがするしなあ…。

 

というわけで、ほぼ毎日ここを通るたびに頭の中に「?」が浮かんでくる。

 

暫く解決はしないだろう。

 

誰かに聞くといったって、誰に聞いたらいいの?ということになるしね。

 

このすぐ前にも家があるから、そこの住民に聞いてみれば分かるか…

 

しかしまあ急に見ず知らずの人からそんなことを聞かれてもねえ

 

ということになってしまいそうで、声をかける勇気が出ない。

 

このまま「永遠のナゾ」ということになるのだろうか。

 

まあ、それより「道端」というか「道そのもの」に関してなのであるが、

 

最近、自転車の走り方について色々ルールが厳しくなっているそうである。

 

まだ直面したことはないが、「新しいルール」というより「ルールの厳格適用」ということになるのか。

 

まあ自分の場合、そんなことが言われ始める前から、

 

出来るだけ

 

ではあるが、自転車は「車の一種」という意識もあり、なるべくその意識に従って走るようにはしていた。

 

でもね、こう歳をとって来ると、いつふらりとよろけるようなことが起きるかもしれないし、

 

交通量の多い道とか、車道と歩道の区別がはっきりしていないような道とかを走るのは、

 

やはりちょっと、いやちょっとどころではないかな、かなり怖い。

 

昨日もBook Off まで本を買いに出かけたのであるが、

こんな風に↑自転車レーンがあるにはあるのだが、せいぜい百メートルぐらい(?)しか無くて、その先は消えてしまう。

 

狭くなると、道には急に雨用?なのか排水溝の上に鉄製?金属製のカバーが設置されており、

 

自転車のタイヤだと滑りやすい滑りやすい。

 

それより右の舗装道を行くことになるのだが、そうなると車にぶつかりそうになるほど狭いスペースしかないのだ。

 

帰りの道にも

こんなところ↑がある。

 

ここの自転車走行ペースは二、三百メートルは続いているが、先に行くとこのように「尻切れトンボ」になってしまう。

 

バス停の先の左車線は左折用になっており、そっちを行くと巻き込まれそうな感じがする。

 

で、この自転車レーンが終わるところで歩道に乗り上げてしまうのだ。

 

結局それが一番安全に感じる。

 

まあこんな風に「ここは走り難い自転車レーン」は数えきれないほどあるだろう。

 

そもそも「自転車レーンなぞありません」という方が多いでしょうしね。

 

ルールを厳格に守ろう

 

という、それ自体は悪いことではないと思うが、

 

その前にルールを守るための環境をしっかり整えてくださいよ

 

というのが本音。

 

罰金だか反則金だか知らないけれど、金を巻き上げる(?)ばかりが交通安全への手立てという訳ではないだろう。

 

ま、一自転車弱者からの声でした。

 

 

今日は母の日だったかな。

 

薔薇が咲き誇る良い季節だ。

 

 

 

といっても、ここは我が家の庭ではありませんけれどもね。

 

ご近所にこういう「薔薇ガーデン」があるのも「我が人生の幸運」のうちに入れてもいいだろう。

 

この時期はとてもそう思う。

 

この時期だけ、っていうのも身勝手ですが。

 

まあこだわらないコダワラナイ。

 

一昨日には会社員時代の同僚たちとの「不定期交流会」で明治神宮へと。

歩いた後の飲み放題ランチがメインというのが実態ですけれども。

 

大げさに言うと、神宮には日本人と同じぐらいの数の外国人の姿があった。

 

「都会の中の森」のような所になっていますからね、人気も当然でしょう。

 

母の日が迫るこの日も穏やかな良い天気に恵まれた。

 

8人の中には、記憶力がやや減退していたり、どう見ても歩き方がジジイそのものでしょうという人がいたり、飲み過ぎと言えるほど時間が経っていないのに体調がおかしくなる人がいたりと、

 

時間の経過から逃れられない人ばかりだった。

 

もちろん、自分もその中の一人ですけれども。

 

最近、他人の名前が直ぐ出てこないんだよなあ

 

というのが口癖のようになってしまっている……。

 

ま、そんなこんなの「母の日」間近の一日だった。

 

そういえば自分たちが結婚式を挙げたのも母の日だった。

 

1973年5月13日。

 

この日にちはこれからも記憶から拭われることはないだろう。

 

53年前も一昨日の散策の日と同じような晴れた穏やかな日だった。目白の椿山荘。

 

あれから53年か……。

 

53年のうち、実際には……

 

と数を数えたりしてしまう。

 

色々なことが蘇ってくるが、胸の外にそれが漏れてしまうようなことはこれからもあまり起こらないだろう。

 

そうだった

 

と、たとえ一部でも、思い返してくれる人はどんどん少なくなってきましたからね。

 

それに二人にしか分からないことだらけですしね。

 

自分の中だけで反芻されているような記憶は、年輪に飾られていくことも仕方ないだろう。

 

装飾されているばかりの思い出は、

 

もし仮に、いつか、どこかで

 

再びかみさんと話が出来る機会に恵まれたら、

 

そうではなくてね

 

と、訂正されてしまうだろう。

 

そんな過程があったとしても、

 

「もし仮に」の機会が起こって欲しい。

 

洗濯物がなびいているような、こんな当たり前の風景の中でも。

 

もし仮に、があったなら、お互いは照れたような笑みをまずは浮かべるのだろうか。

 

 

 

 

仙台から川越に帰ってきて丸3年ほどになるわけだが、

 

ここのところこの時期になると、我が家から百メートルあまり先にあるご近所の庭の薔薇の写真を載せている気がする。

 

 

 

 

何か毎年立派になって行くような気がする。

 

来年も見ることが出来たらいいな。

 

それはこのお宅のことを言っているのではなく、自分の健康問題なのですがね……。

 

このまま、このまま。

 

さて、そんなバラ鑑賞から帰ってきてからは

本の続きであった。

 

短編が4作収められていて、昨日には終わってしまった。

 

その中の「芒種のあさがお」を読んでいるとき、

 

物語から離れて、視線が、即ち心が本の向こうの遠くの方をぼんやり眺めているような気分になった。

 

帯には「これぞ、人情時代小説!」とあるように、4作とも市井のさりげない心の襞のようなものが描かれているのだが、

 

「芒種のあさがお」は、本を読むことが好きな父と娘が主役なのである。

 

本が好きな娘の姿を間近に見て、父親が「この子は親孝行である」と感じるような場面がある。

 

そうしたところを読んでいて、我が家のこと、自分のことを思い返していた。

 

自分が幼いころから父親は俳句が唯一の趣味のようなものだった。

 

創作ノートを横に、目を閉じて何やら思いを巡らせながら指を折っている姿を今でも思い出すことが出来る。

 

子どもには漢字ばかりが目立つ難しそうな本も数冊、数十冊程度はあったが、それほどの量ではなかった。

 

育ち盛りの子ども3人を抱え、好きなだけ本を買いそろえることなど出来ない時代だった。

 

あの難しいたくさんの漢字を父親はどこで覚えたのだろうか。

 

満足な高等教育も父親は受けていない(はずだ)。

 

それでも書く文字はキッチリと整っていて、多分自分には今でも読めないような画数の多い漢字ばかりが並んでいた。

 

書記官という仕事に就くことが出来たのも、自分の知らない頑張り、努力があったのではないだろうか。

 

父親はそんなような我が身の苦労話の類は一切しなかったので、「何が」については自分だけでなく子ども3人は誰も知らない。

 

ただ、俳句が好きだったことだけはみな知っていた。

 

あちこちに投稿していたし、NHKのラジオに入選したこともあった。

 

山本一力の「芒種のあさがお」に出てくるのだが、

 

父親が自分の好みである「本」を我が子も好きであることを知って満足感を味わう、という場面がある。

 

ここで読み進めるのが止まった。

 

ああ、自分の父親からそんな感じで褒められた経験はないかも…。

 

間違いなく父親の影響で、自分が俳句を始めたのは中学生になってすぐだった。

 

あちこちの文芸欄に投稿して、結構いい成績になった。

 

短歌や詩、エッセイなどにも広げて自分の名前が活字になることを喜んだが、

 

父親から直接「褒めた言葉」をかけられることはなかったのではないか…。

 

エッセイ(短文)で「父親の姿」について書いて、1席になったことがあり、

 

そこに「布団一枚を背負って田舎を出た父親が独り立ちし、宅地を買い、やがてそこに我が家を建てるのだ」ということを書いた。

 

大げさでなく、正にその通りの人生途中だった。

 

首席だったよと父親にもその短文を読ませたが、特に何も褒めず感想も言わなかったと思う。

 

ただ、きのう「芒種のあさがお」を読んでいるうちに、

 

あの時父親の胸に湧いていたのは、多少の誇りのようなものと、

 

我が子に対する「よく書いた」と褒めたくなる気分ではなかっただろうか。

 

褒めてもらった記憶はないが、きのうはそれが真実だと何故か確信できた。

 

物語の流れに添えたのである。

 

遠い昔の勝手な孝行自慢のようではあるが、

 

小さな含み笑いのような、誰にも知られないような苦笑いなようなものではあったが、

 

本から先の天井に、水たまりの反射のような光が揺れているような気がした。