いつものようにあれやこれやYou Tubeで曲を探していたら、

 

おや、懐かしい感じはするけど、知らないなあ

 

という「昭和歌謡曲」に出会った。

 

ときめきは 春風みたい 知らないうちに 胸に咲く

 あなたの笑顔を 見つめるだけで それだけでよかった

あの頃は 夕暮れどきの 帰り道には 小さな夢が 揺れていた

 言えない「好き」を 胸にしまって 歩いた季節が 愛しいの

 あの日の恋は 忘れられない 時が流れても 色あせない

 白い髪さえ 増えた今でも 心は少女に 戻るのよ

 出会いは 涙もくれた それでも優しく 頬染める

 叶わなかった 恋だからこそ 胸の宝に なったのでしょう

あなたは今ごろ 幸せですか 私は静かに 空を見る

風に名前を つぶやくだけで  あの日の私が 微笑むの

想い出なんて 不思議なものね 遠くなるほど 近くなる

忘れたつもりで 忘れられずに 季節のたびに よみがえる

人生というものは 花のよう 散ってしまっても 香り残る 

年を重ねて 振り向くたびに あなたが今も 微笑むの

 

 

曲の「中身」も身に近い感じで迫って来るなあ…

 

かみさんもこんな感じの年齢だったなあ…

 

覚えてみようかなあこの「知らなかった懐かしの歌」…

 

と思い始めて、ふと説明書きをもう一度読んでみると

 

どうやらこれは「昭和歌謡曲」風に作られたAI作詞・作曲の「新曲」らしい。

 

いやいや、自分のような「何も知らない」人間には充分に「隠れた名曲」に感じられます。

 

恐るべし、AI なんだなあ、最近は。

 

世の中はますます「分からない混沌の世界」になって行きます、自分には。

 

 

川越の蓮馨寺入り口の脇にあるお蕎麦屋さんはとても美味しい。

 

混んでしまうので、本当はあまり人には知られたくないぐらいだけれども……。

 

昨日のランチでは

まずカウンターで生ビールを。

 

泡のきめ細やかさで思わず「ん~ん、旨い」と声が出てしまった。

 

こういったカウンター席の設えにも居心地の良さを感じる。

ちょっと塩味の効いた汁も美味しかった。

 

食後には定番のようにBook Off に寄り、一冊を購入。

 

また宇江佐真理だった。

 

家に残してきた「糸車」が残り数ページになっていたので、それが終わってしまうと読む本がなくなってしまうからだ。

 

宇江佐真理のその一冊は、たまたま棚にあったのをこれという動機もなく買い求めたのだったが、

 

期待以上に遺るものがあった。

 勇馬のことはともかく、当面の問題は、おひろの娘のおいねが、この先、どうしたいのかということだ。つき合っている相手と一緒になるつもりなら、相手の男がまっとうな仕事に就く必要がある。ただ、おもしろおかしく日々を暮らしているだけでは埒が明かない。ぐずぐずしている内に、人はあっという間に年を取る。若さはその意味でもはかないものだった。

        ・   ・   ・

 軒下に釣忍を飾る持田は、お絹の知っている持田ではなかった。別に釣忍を飾ることなど大した問題ではないのに、お絹は俄かに持田との距離を感じた。家庭のある持田と家庭を忘れた自分。お絹はその差に気づいたのだ。

 意気消沈して組屋敷の外へ足を進めるお絹の背に釣忍の風鈴の音がやけに大きく聞こえた。

        ・   ・   ・

 子供など産まなければよかったと、お絹は後悔していた。宇右衛門店は女房達の魚を焼く煙が、もうもうと立ち込め、ろくに眼を開けていられなかった。急いで自分の住まいの油障子を開け、中に入る。部屋にこもっていた熱気が、その拍子にお絹の顔を嬲った。どっと汗が噴き出し、こめかみから頬へ向かって涙のように流れた。いやそれは涙だったのかも知れない。

        ・   ・   ・

 

別に抜き出してもどうということもない表現にも思われるが、

 

ところどころのこうした書き方にページをめくる手が止まった。

 

自然で、肩を怒らせた言い方ではない。

 

それが読む人の心にスーッと入ってくる感じがした。

 

うまいなあ、この人。

 

宇江佐真理は初めて読むことになったと思うが、静かに感心して、これで終わりにしてはもったいないような気がした。

 

Book Off のおかげで「手あたり次第」に近いような本の選び方をしているので、

 

思いがけずの幸運みたいなことも時々は起きる。

 

有り余る時間というのも、あながち退屈とばかりは言い切れないだろう。

 

相変わらずBook Off 通いが続いている。

 

昨日読み終わったのが松井今朝子の「そろそろ旅に」だった。

 

松井今朝子は直木賞の「吉原手引草」以来2冊目になるのかな。(或いは3冊目だったか)

 

478ページというまあまあ厚い本だったが、まずまず「次は次は…」と楽しみながらあっという間に読み進めた。

 

今回はお話、物語の展開もさることながら、書かれてある内容から少し離れて「自分のこと」に思いが行ってしまう箇所がいくつかあった。

 

その時自分は何を思い何を感じたのか

 

もちろん今はすぐに思い出せるのだが、はて半年後、一年後、五年後(はあるのだかどうかは怪しいかもしれないが)その文章を読み返したとして、直ぐに思い出せるのだろうか…。

 

「未来の自分」というのもそう長くはないだろうが、自分への問いとして一応書き留めておくことにする。

 

長く生きようとは思わなかった。またそう長く生きられるとも思えなかった。男は独りでいると、いつ野垂れ死んでもいいような気分になると京伝がいったのは、たしかに当たっている。それを止めるのは……と続けた言葉も耳に残るが、過ぎ去った昔を蘇らせるのは詮無きことでしかない。ただまぶたを閉じればいつも白い人形の頭(かしら)が浮かんで、それがしだいにひとりの女の顔になるのだった。

 

京伝とは作中に出てくる山東京伝のことである。

 

一九は今すぐ死んでもよいとはもう思わなかった。女がいう明日の朝までは生きていたい。そして明日の夜も同じように思いながら次々と月日を重ねて、共に年老いてゆくのだろう。それもまた悪くはなかった。

 

一九はこの作品の主人公、十返舎一九のこと。

 

本を読んでいて、ある個所に目がとまりそのままぼうっと遠くを見るような気持になってしまうことは、

 

よく、とまでは言えないかもしれないが、ままある。

 

この長い物語では、この二か所だった。

 

遠くに視線が泳ぐような気持になる物語やエッセイはだいたい自分が嵌った本

 

だと言ってもいいだろう。

 

未来の自分、将来の自分にもまだその気分は残っているだろうか。

今から30年ほど、正確には29年前になるのだが、仕事仲間と一緒に計6名でニューヨークに行ったことはもう何回かここでも書いた(ような気がする)。

 

東京近郊1泊とかで「お花見旅」をそれまで何回も重ねてきた仲間だったから、基本的には気が合った。

 

1990年代も半ばとなると、バブルもはじけた後だったから「行け行けどんどん」の時代ではなくなっていたが、

 

それでも今よりはずっと日本経済の存在価値は高かったと思う。

 

1995年だったか、もう96年に入っていたかだったが、

 

何となく(いや主に自分が言い出したに間違いないが)いつものメンバーで「一度海外旅行に行ってみたいね」

 

という話が盛り上がった。

 

行き先がNYに決まったのも、NYだったらそれまでに3回行ったことがあるし、

 

結構自分たちだけで楽しみ方はアレンジできるね

 

ということだった。

 

まあ、主に自分が案内役を買って出たような感じだった。

 

よし、それなら

 

ということで、新たに銀行口座を設けて、そこに毎月貯金をして行こう

 

と決めた。

 

2年計画。

 

ひと月1万円、1年で12万円、2年経てばなんとか「行けそう」に近づけると思ったわけだ。

 

きちんとひと月1万円を振り込む人もいたが、半年に1回まとめての人もいた。

 

で、1年が過ぎたあたりで、「もう貯金だとじれったい。行くことにしよう」

 

となった。

 

30年前は、飛行機とホテルだけがセットされていて、滞在期間は自由行動の旅は20万円台+アルファの1週間ぐらいのツアーがあった。

 

もちろん、食事代とかあれこれの掛りは別になるので20万円台では済まないのだが、全部を込みにしても40万円まではかからないだろう…という感じだった。

 

それほど豪華には出来ないかもしれないけれども、自分以外はNYは初という人ばかりだったから、一通りNYは楽しめそうだった。

野球を見たり、ジャズクラブにも4、5か所行ったし、サークルラインもミュージカルも、もちろんエンパイアステートビルにも、メトロポリタン美術館も近代美術館もブルックリンブリッジも…

 

3人だけであったが、一日ツアーでカナダに行きナイアガラの滝まで見に行った。

 

Jazzも、写真の「秋吉敏子ビッグバンド」はじめトミー・フラナガン、テレンス・ブランチャード、ロン・カーター、

 

そして何とウィントン・マルサリスまでそれぞれ別々に聴けたのであった。

 

マルサリスのLate Night Jazzはブロードウェイと8番街の間にある54丁目の、まるで倉庫のような建物HOMEFRONTという場所だった。

 

11:00pmの回に間に合ったのか、1:00amの最終演奏になってしまったのかは忘れてしまったが、夜遅く、ヴィレッジボイスに出ていた小さな小さな広告欄をちぎって探しまわったのは鮮明に覚えている。


事前に電話で予約したのだが、ワンパターンの会話だけでも何とかなった。マルサリス聴きたいという願望が下手な英語でも通じさせたのだろう。 


今だったらインターネットでの予約に限られるのでしょうね。

 

ハーレムのアポロシアターや、日曜日のゴスペル礼拝も新たな「エンタテインメント経験」だった。

 

ま、そんなNY旅行が無事に済んでからも

 

Mクンと、Kちゃんと、Y君とのそれぞれ二人旅行、出張でのたった1泊か2泊を含めて、4回もNY体験は重なったのであった。

 

さて、本日のブログはここからが本題(?)。

 

「次」はどうする

 

ということである。

 

行けるなら行ってみたいな海外旅行。

 

今年のオーストリア旅行も、荷物が到着したのが最終日一日前というアクシデントはあったものの、

 

まあ体力的にはなんとかなった。

 

しかし、ここ2年ばかり前からになるだろうか、どうも右足付け根のあたりが盤石ではない。

 

歩けるには歩けるし、最近でも「遠出」の日には2万歩以上歩くこともあったりするのだが、

 

朝起きたときとか、両脚を開こうとするときなどには「以前とは違う」感が高まっている。

 

いや、それにお財布の方も万全とは言い難いですしね、もちろん。

 

そんなあれやこれやを抱えながらも「次はあるのかなあ?あるとしたらどこに?」という勝手な思いは脳の中で広がったりするのである。

 

かみさんがいてくれたなら、行ける回数は減っていたとしても

 

来年はどうする?

 

と問いかければ、「まだ無理」とか「それなら最後に…」とか、何かしらの指針、結論を決めてくれるだろう。

 

どんな答えであっても、ヨシ! と自分は「次」を決められるだろう。

 

それなのに今はただ

 

バルト3国は・・・ 

 

エジプトは・・・

 

ナイジェリアは・・・

 

イタリア北部は・・・

 

いや、やっぱりニューヨークは・・・

 

と問いかけだけが頭をくるくる回るのである。

 

くるくる回っていると感じるのはもう一つ「お気楽な老後なんだなあ」という自覚である。

 

それだけではダメなんだよ

 

という声も聞こえてくるのである、自分の中で。

 

いやいやついでに、

 

そんなものなんだよ

 

というだみ声も。

家のリフォームというか大規模改装をしたのは2年前だったか。

 

改装といっても、外装の全面取り換えと道路側2階3階のベランダの大規模改装がメインで、内部は全く手を掛けなかった。

 

その必要がなかったからである。

 

1996年の夏の終わりに始まり、結局半年以上かかって97年の春に完成した家だが、

 

27年が経っての大がかりな改装だった。

 

まあ基本的に今でも気に入っている、満足しているしっかりした家なのだが、

 

それでも

こういう↑「器材」の類とか、寿命のある電化製品などは年月が経つと交換しなければならなくなる。

 

つい最近には、3つ並んで取り付けてある照明器具が2つ同時に点灯しなくなってしまった。

 

もう蛍光灯の時代ではなくなりましたしね。

 

南側の一つは点灯することも滅多にないのでどうやらまだ大丈夫のようだが、

 

2つは丸ごと取り換えかな…

 

と思って、どういう器材なのか、取り付け方はどうなっているのかを確認。

 

電気器具の交換となると自分では手に負えないかなあ…

 

と覗いていた。

 

するとまあ次男がそれを見て、これなら自分でも取り付け出来る

 

と言ってくれた。

 

大型電気店に行こうと思っていたのだが、えっそうなの…

 

と助かった気持ちになり、近所の大きなホームセンターに行って選んできた。

四角から丸になったけれども全然違和感はない。

 

しかも、これが最も大切なところだが、値段が安い。

 

覚悟していた価格の三分の一か四分の一程度で取り付けることが可能になった。

 

大助かりである。

 

二十数年前、まだ新築からそれほど時間が経過していない頃、この3つの照明器具は前のモノから取り換えたのであった。

 

何か、どうもこう、まだ古くはなっていないのに、気に入らなくなって3つとも取り替えたのでしたね。

 

新築の家に似合わない

 

と感じたのではなかったかな。

 

その当時でも確か一台数万円だった気がする。

 

しかし今回は……

 

助かりました。

 

息子が建築関係、というのもこういう時には大いに役立ちますね。

 

新しい器具の取り付けは専門店で依頼しなければ…

 

と思っていたのが、てきぱきと交換してくれた。

 

ま、自分がいなくなっても、ここに住むのは当の次男なのだから、当然というか必然なのだけれども。

 

しかしまあ天井のライトを外してみることさえ、もう面倒と感じてしまう自分もいた。

 

昔は、それらの役目は全部自分だったのですけれどもね。

 

歳をとったと感じることは至る処にあるようだ。

何日か前の新聞一面に

この記事↑が出ていた。

 

SNSや動画の視聴時間が長い児童・生徒ほど学力が低くなることが分かった、と。

 

なるほどね。

 

それはそうだろう、という気が起きますね。

 

今の時代は小さいうちからスマホを持つのが当たり前になってきていますからね。

 

ん~ん、自分がもし今の時代に子どもだったら…

 

と考えてしまった。

 

テレビどころか、まだ家にラジオもなかった時代から育っていますからね、戦後の団塊の世代は。

 

今、こうして座っている部屋に在るもので、自分が5歳6歳の頃から在ったものは一つもないと言ってもいいだろう。

 

ちゃぶ台と箸茶碗の類は在ったけれども、電化製品なぞまるでなかった。

 

長嶋選手の天覧試合サヨナラホームランは、同級生のTくんの家に行ってテレビを見せてもらった。

 

自宅のテレビであの試合を観たという人は、クラスにほんの数名。

 

一人か二人…の世界だったのではないだろうか。

 

エアコンもない、冷蔵庫もない、それどころか扇風機も洗濯機もないあの時代…

 

それでも特に貧しいとも思わず、「普通」に暮らしていたのだ。

 

都内だったが、窓を開ければ涼しい風が入って来て、汗まみれになって寝ると.いうことはなかった。

 

トランジスタラジオが我が家にやって来たのは自分が中学生の時だったが、

 

ラジオ講座よりリクエスト番組でヒット曲をひたすら聞いていた。

 

まだビートルズが現れる前だった。

 

今の時代に自分が中学生だったとしたら、こっそりあちこちの映像を探し回って自分のお気に入りを見つけることだろう。

 

自分の好きな曲に浸る時間よりも、あっちの映像こっちの映像はもっと刺激が強くて離れられなくなってしまうだろう。

 

行きつく先は「成績の悪化」になることは目に見えているが、

 

自分はそのことにいつ気がつくのだろう。

 

幼いころから映像作品が好きだった自分には、かえって大きくなってからの仕事に役に立つようになるのかもしれないが、

 

成績とのバランスを考えると、そういう仕事にまでたどり着けるのかどうか

 

という根本的な問題点もある。

 

時代によって人の生きる環境は異なる。

 

複数の時代には生きられない

 

それは分かっているのだが、もし仮に…と考え始めると到着点は無限に広がっていくように思える。

 

あの時代でなければ

 

あの人に会わなければ

 

あのことがなければ

 

考えても考えても「正解」にはたどり着けない。

 

が、

 

これで良かったのだ、という安直な答えに安心安住する自分もいる。

 

これしかなかった

 

わけではないだろうが、

 

これでよかったのだ。

 

これがよかったのだ。

一昨日、久しぶりに「仕事」と言っていいかどうかはよく分からないが、

 

ある目的があって都内の飯田橋まで出かけて行った。

 

昔のテレビ・アニメ作品に関して「思い出や裏話を語る」というような内容。

主にこの↑「魔法のアイドル パステルユーミ」を中心に「スタジオぴえろ製作の魔法少女シリーズ」について、であった。

 

関わった、といってももう40年ほど昔の作品だからだいぶ記憶も怪しくなっているのだが、

 

自分一人ではなく同じような関係者二人で、だったからまあ何とか…

 

だったかと思う。

 

話の中身はもうどうでもいいのだが、

 

話をする会場に選ばれていた録音スタジオに着いた途端、ビックリしたことがあった。

 

スタジオに着いて、まず20畳ほどの休憩ルームに入ったのだが、

 

その場で待っていた今回の依頼先関係者数名から、ほぼ一斉に

 

おはようございます

 

の声がかけられたのだ。

 

え?

 

という思いが直ぐに湧いた。

 

いやぁ~

 

何というか、懐かしい。昔はそれが当たり前の世界にいたんだなあ……。

 

スタジオに到着したのはちょうど午後1時ごろ。

 

その時間にその日初めて顔を合わせたとしたら、

 

普通「おはようございます」ではなくて「こんにちは」が最初の「ご挨拶の言葉」ではないだろうか。

 

それが言いにくければ、「お初にお目にかかります」とか「初めまして」あたりかな。

 

昼過ぎにその日初めて会う人にいきなり「おはようございます」はないでしょう、普通。

 

そうだった、40年ぐらい昔、自分の仕事場ではそんな言葉が当たり前に交わされていた。

 

その日初めて会ったなら、時間帯が何時であれ「おはようございます」。

 

10時でも13時でも18時でも20時でも22時でも「おはようございます」だった。

 

芸能界

 

の認識だったのでしょうね、アニメの制作関連業界では。

 

それで別に違和感もなく当たり前に過ごしていたのだが、

 

そう言う仕事から離れて20年にもなると、

 

昼過ぎに交わされる最初の挨拶の言葉としての「おはようございます」には、

 

身体のどこかが「こそばゆくなる」ような

 

???が瞬間的に湧いてくるような、「違和感」まではいかないけれども、異質感があった。

 

自分はもうその世界にはいないのだな

 

と改めて気づかされるような感じだった。

 

その業界業界で当たり前になっているようなことも、一歩離れてみると「日常感」にも微妙な差が生まれるのですね。

 

午後1時の「おはようございます」は、その時間には似合わないんじゃないかなあ

 

と気づかされた一日だった。

この2日ばかり30℃を下回るような「涼しさ」だった。

 

歩いていても汗をかかないということだけで、何となく心淋しいというか、ああもう今年も終わりに近づくのか、

 

と先へ先へと思いが先走る。

 

Mクンとの吉例ランチでも

これ↑を食べたのだが、梅干しの酸味が自分にはぴったりだったのだが、冷えた汁でなく温かい方でも良かったかな

 

と思ってしまった。

 

暑さがぶり返せば、あああの涼しさは夢のようだった、

 

暑さヨどこかへ行ってくれ、とまた嘆くのであろうか。

 

そういえばその帰り道で今年初めて蝉の声を聞いた。

 

遠くの方で弱弱しい感じではあったが、蝉はセミだ。

 

やはり、40℃に迫ろうかという暑さでは蝉も元気をなくすのか。

 

30℃を下回るからなのかどうかは知らないが、弱弱しく感じたのはあまり涼しくても蝉には快適でないのか。

 

昨日は半月ぶりぐらいで都幾川の玉川温泉へ。

夏休みのこの時期だと、この場所辺り↑は普段はのしかかるように盛大で騒がしい蝉の声が当たり前だったが、

 

鳴いているには鳴いていたが、

 

湧き上がるような

 

とは言い難い上品の良さだった。

いつもよりは温泉場に近い道角で無人販売所を発見。

 

大きさが異なる形の悪いキュウリが3本入って100円。

 

ちょっと賑やかさには欠ける気がしたが、蝉の声を浴びながら今朝獲りの野菜を吟味する

 

なんていうのも「穏やかな」「当たり前の」日常に含められるのは幸せなことです。

 

さあ、今日は久々の頼まれ「仕事」。

 

インタビューのようなこと。

 

あまり気乗りはしないのだが、他に語る人もいないし、自分に声がかかるのも当然だという気もするし、

 

まあ覚えていること、思い返すことが出来ることなんぞを喋ってみるか。

 

昔の通勤だったら飯田橋はまだ会社よりも手前にあるのだが、

 

今となっては「飯田橋まで出向く」というそれだけで一仕事に感じてしまう

 

情けない今日この頃である。

 

あ、すっかり遅くなってしまったが今年の我が「初物」

小ぶりのスイカである。

 

一人暮らしのようなものだから、

 

一人でスイカ1個は多すぎる大きすぎるよなあ、と

 

スイカには手が出にくいのだ。

 

この程度の大きさでも一人で、ではちょっと持て余し気味になるのだが、

 

そんなことを言っているとスイカを食べないままで夏が終わってしまいますからね。

 

このブログは日記のようなものだから、今年もスイカは食べましたという記録を一応残しておきましょう。

 

一年ぶりぐらいになるし、充分に旨かった。

 

 

 

 

 

あれ?そういえば…

 

と最近気が付いたことはというと

この種の↑広告にはこれまで「一切」と言ってもいいぐらいに目がいかなかった、ということ。

 

週刊ポストとか週刊新潮とか文春とか、昔なら週刊朝日やサンデー毎日などの、男性向け週刊誌の広告には

 

買わないまでもざっと見出しぐらいは眺めるのだが、

 

「女性誌」となると、どの雑誌にどんな記事が載せられているかは全く関心が起きなかった。

 

先立つのは、どうせ・・・というある種軽蔑というか軽く見る気持ちだった。

 

恐らく載っている記事の内容は「男性向け」誌とそれほど変わらないのだろうが、

 

「女性向き」に書かれた記事には、読みもしないのにハナから無視を決め込んできた。

 

写真の広告に載せられている記事の見出しを追いかけて見ても、関心の「か」の字も湧かない。

 

女性向け週刊誌そのものは全く読んだことがないわけではないけれど、

 

遥か昔のほんのわずかな経験からそれは生まれているのだろう。

 

自分のような男性は少なくないに違いない。

 

それでなくとも紙媒体がこれからも生き残っていくのは相当に難しそうだ。

 

これだけ相手の少ない媒体なのですからね。

 

インターネット社会になっても媒体と広告の結びつきの根本はそう変わっていないのだろうが、

 

「出来れば避けたい」気持ちに広告が勝つには、深い溝を乗り越える「特別な手法」「相性」が必要だろう。

8月の声を聴くと、あれから1年・・・

 

との思いが浮かぶ。

 

去年の8月ぐらいからBook Off で本を買いだしたのだ。

 

え?こんなにきれいな古本が、こんなに安いの?

 

と当初はびっくりした。どうやら取次から直接回ってくる本もあるようで、そうなると「ほぼ新刊」と言っても間違いではない。

 

人がページをめくっていない本というモノは世の中にたくさんある訳ですからね。

 

何十年も前になるが、子どもが本を眺めたり読み始めた頃には街の図書館にも2週間おきぐらいで通ったこともあるのだが、

 

自分が読みたい本を見つけるのはなかなか難しかった。

 

誰かが先に借りていたり、あってもひどく汚れた「くたびれた本」と言うことが多かった。

 

手あかのついた本は読む気がしないのですよね。

 

そんなことで、図書館通いはすぐにやめてしまった。

 

しかし、Book Off で売られている本は概ねそんなこともなく、「気分はスッキリ状態」で読めて、しかも驚くほど安かったからすっかり気に入ってしまった。

 

しかし、それが1年も続くと

こういう状態↑になってしまうのである。

 

本は横にして積み上げてあるのだが、それだと題名が読みにくいので写真は縦にした。

 

こうしてみると時代小説が圧倒的に多いですね。

 

指標がないから、直木賞とか本屋大賞とかを選定の拠り所としている風にも見える。

 

若い頃はもっぱら芥川賞だったのにね。

 

この写真は保存しておこうと思う。

 

何を読み終えているのか…、をしっかり覚えている自信があまりなくて、うっかり同じ本をまた買ってしまう…ようなことも起こりそうな気がする。

 

また、置く場所に困る状態になってきているので、近々Book Off に売却しようかと考えているのだ。

 

行くたびに「本を売ってください」というメッセージチラシを必ず渡される。

 

店内のアナウンスでも「売ってください」のアナウンスはしつこいほど繰り返される。

 

ま、自分の場合には「本を売却する行為」というものはこれまでほとんど経験がない。

 

学生の頃、使い終えた教科書の類を大学前の古本屋に持って行った記憶はあるのだが、そんなものしかない。

 

小説や写真集などは買うことはあってもその反対は一切ない、と断言できるかな。

 

しかしまあこの調子で部屋の片隅に積み上げ続けるわけにもいかないだろう。

 

いざ売るとなっても、Book Off に持って行くことが面倒だなあ

 

と思っていたら、どうやら自宅まで引き取りに来てくれるサービスもあるらしい。

 

50冊以上になれば…だったかな

 

いずれにせよ冊数がある程度まとまれば、の方が好ましいことには違いがないだろう。

 

ざっと数えたら60冊近くはある。

 

まだ仙台でも同じくBook Off で買った本があるから、合わせると軽く60冊は超える。

 

この1年で平均すると一週間に1冊以上は買ってきたことになる。

 

まあ大体そんなものでしょうね。

 

最近は特にペースが早い。

 

読んでおかなければ

 

いずれは読みたくても読めなくなるのだから

 

という潜在意識が徐々に現実に反映されてきた、という訳でしょうかね。

 

あああ、これも老人化現象の現われか。

 

まあ嘆いていても仕方がないので、次に回に行った時にでも店の人に言ってみるか…。

 

しかしまあ、「売る」といっても金額はどのくらいになるのか見当もつかない。

 

一冊10円とか、その程度のモノではないだろうか。

 

写真の本全部で500円になるのかどうか、その辺りのような気がする。

 

まあ自分へのクイズだったらそんな回答でどんなものでしょう?