外に出てみれば色々な花に巡りあえる季節である。
ぼんやり、のしがいもあるか。
と、そうばかりも言ってっていられないか、28日出発のオーストリアへの旅、ガイドブックも買っただけで全然読んでいないし、
準備、って何をすればよかったかな。
これではいかん、と
まずはこれ↑かな。
ただ部屋に出しただけのようにも見えるが、新たに「Book Off 」のシールを貼ったのである。
ここ2日間、Book Off では購入時にロゴ入りのシールをくれたのだ。
スーツケースの底にも貼った。
ま、シールを貼ることが旅の準備のうちに入るものかどうか、識者のご意見は求めない。
Book Off の本といえば、これ↑のうち1冊を除くと全部Book Off で買ったもの。
3階のスペースにはもう入りきらないだろう。
一応、「書斎」を気取って作った4畳?ほどの部屋があって書棚が置いてあるのだが、もう3階はすっかり「次男の領分」と化しているのでここ数年は入室もご無沙汰状態だ。
書棚の前にも本を置くスペースはなくなっている(はずだ)。
そんなこんなもあって、(恐らく)この10か月ほどでここに積んである本が増えてしまった。
あくまで「仮に」6畳の小上がりの脇の方に積んでいる。
洗濯物を干すハンガーだとか除湿器とかも置いてあるから、雑然もいいところだが、
やむを得ない。あくまで「仮に」だしね。
Book Off に行くと、盛んに「本をお売りください」のアナウンスが流れているし、
沢山持ってきた人に対しての「購入価格が決まりました」アナウンスも、しょっちゅうと言っていいほど流れてくる。
もらったシールのうち一つには「本をお売り下さい」と文字が印刷されている。
それでいいですよね。
もう「自分の書斎に読み終えた本を並べておく」ことは事実上できなくなっているわけだし。
でもね、中学生になった頃だったろうか、姉から初めてプレゼントされた「次郎物語」の文庫本数冊を並べた時の、
「胸躍る」と言っては大げさだが、何となく胸がこそばゆくなった一種の高揚感みたいなものは今でも忘れられない。
いずれこの本棚全部を埋めるように「自分の本」を並べるのだ
そういう気持ちが確かに湧いた。
あれから何百倍、何千倍の本が並んだのだろう。
小説とかの「自分で買った本」は、これまで古本屋に持って行って「売る」ということはしてこなかったのではないかと思う。
愛着と言うのですかね。
自分史の小さな一部分のような感覚がある。
気持ちを動かされたり、どうしても涙が止まらなくなるということもこれまで何回もあった。
本によって自分が形成されていく
大きく言うと、そんなことが何回もあったのだ。
昨日読んだ山本一力の「いっぽん桜」もそうだった。
時代小説なので「定年退職」と言ってはいけないのかもしれないが、
自分がその時期を迎えていた頃の動揺、やりきれなさが静かに伝わって来た。
うろたえてはいけない
しかし、なぜ
という「ままならないやるせなさ」が見事に描かれていたと思う。
もう一回
は読まないかもしれないが、読み終えたので即処分、という気持ちにはなれないのだ。
しかしまあ、部屋に積んでおくのが最終手段というのも何だかなあ、という気持ち。
旅も控えているし、どうするかは先のことですね。

















































