永遠のホリデー(^O^)/ -6ページ目

永遠のホリデー(^O^)/

おへちょWEBデザイナー、元ソーシャルゲーム企画運営
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IT系のちょっとした小技・テクニック
心理・精神(スピリチュアル)に関しての考察コラム
夢日記、ハーブや野菜などの園芸記録など

お風呂のシャンプーや石鹸などはガスールを使うことで
だいぶよくなったと思うんだけど。。。

台所洗剤・洗濯洗剤・トイレ洗剤・・・
まだまだ悩みのタネは沢山(;´Д`)

重層はお料理には使ってるんだけど
掃除にしっかり使ったことはなかったので
奮起!!
amazonでドーンと5kg購入(笑)
国産重曹5kg 【食品添加物】 掃除・洗濯・お料理・入浴剤・バスボム材料 エコ洗剤

多分これが一番安いかな?
国産だし、レビューもいい感じヽ(・∀・ )ノ キャッ キャッ

小分けにする容器は
「フタつき(湿気対策)・片手で開けられる(スグ使える)・それなりの量が出る」
↓こんな感じのがいいかな~~100均でゲットしようっと(✿´꒳`*)ノ°+.*

生活排水をなるべく自然環境に負担のかけないモノへ。。。
じょじょにでも代えていきたいから、重層・クエン酸・炭酸ソーダのお世話になろう。
知識としてはずっと前から知ってたんだけど、いやーんメンドイって思ってて(笑)

最近は「やってみたい!」って気持ちが強いから
ひとまずエンジョイしてみます♪♪✧*。٩(ˊωˋ*)و✧*。


無意識と意識は何故分かれているんだろう?
そんな素朴な疑問は常に抱えていたんだけど・・・
とある夢をみて「なるほどな」と思ったので記事にします☆
ヽ(`・ω・´)ノ 

顕在意識に比べ、潜在意識(無意識)が精神の9割を占めるというのは有名ですね♪
自分が理解している自分なんて、表面の数パーセントにしか満たなくて
さらにいえば、その理解の範疇すらも非常に狭いという・・・orz

無意識下・意識上の認識のズレが広がると
「想いも寄らぬこと」「どうしてこうなるのか解らないこと」が起きてしまいます。
これらは退屈・苦痛・苦労といったストレスとして表面化します。

割合からいっても、本人への影響力というのは、確実に「無意識下」の方が強いわけで
「認識している自分(セルフイメージ)」「本来の素の自分」が余りに違ってしまうと
「本当にやりたい事と実際にする事」が真逆になってしまう事すらあるからですね。

甘いものを食べたいのに辛いもの、涼みたいのにサウナへGO!
(な、なんでか気持ちよくない・・・)

ってな感じに、困ったちゃんな事態になります(;・∀・)

もう!解りにくいなー!!じゃあ最初っからぜ~~んぶ意識だったらいいじゃん!!
無意識とか隠されてるからワケわかんなくなるんじゃん!!!
ヽ(`Д´)ノプンプン


これが率直な感想だと思います(笑)
ここで私のみた夢の話しを一つ。

☆ーーーーー・ーーーーー☆


とても短い夢でした。
景色は駅前。
空気が粘っこく重く、とにかく不快でした。

目の前から人が歩いてきます
それを見て私はボンヤリ思います。
(ああ、右に向かうんじゃないだろうか)
その通りになりました。

次に、道路の車に目を留めます。
(停車してるけど、そろそろ動くんじゃなかろうか)
その通りになりました。

次も、次も、その次も・・・
何もかもは「私の予想通り」に世界が動きます。

(こんなのは耐えられない!!)
私はムシャクシャして、苛々して
退屈で退屈で退屈で自分を消してしまいたくなりました。

☆ーーーーー・ーーーーー☆

ハッと目が覚めて、隣でスウスウ寝てるマロを見て思いました
(私の気配でマロが起きるだろうか・・・)
全然起きません、爆睡中です。ホッと安心しました。

(何もかもが本当に思ったままになるというのは、まるで地獄のような苦痛だったなぁ)
物事の流れ、エネルギーの関係性が
もし全て完璧に読めて、未来を予測出来たなら・・・・
そんな世界は「ひたすらに退屈で苦しいだけ」なのだと感じました。


もしかしたら
誰でも無意識下では、かなりの精度で物事の流れが予測できているのかも知れません。
でも、あえてそれが意識できないよう封印されているのは
「それじゃ楽しくないから」なんだなぁと(笑)
非常にシンプルな答えで腑に落ちたのでした(ノ∀`)タハー

テレビだって、スマホだって、パソコンだって、映画だって、接客サービスだって
バックヤードの中身なんて知らない。
その働きの仕組みの一つ一つの流れなんて知らない。
でも、我々は上っ面で十分利用できて楽しめている。
(それは時にリスクを抱えることでもありますが)

ピタゴラスイッチの中身は、全ては見えない方がいいのかもしれない。
計測装置のカウントが1~100までジワジワ上がって行くのを見ているより
タイミングが読めなくても、1⇒100にドンッと上がった方がギャップがあって面白いもんね。
「予想通り」というのは大方退屈なものだから。
「隠されている」のには、それ相応の意味があるんだなぁと思いました(´^ω^`)



いつも応援嬉しいわぁぁ\(^o^)/手手


 


以前は何をするにしても
まずは「買う」「所有する」ことが必須だったのに
時代はすっかり変わりました。

月額制の映画見放題サービス「Hulu」
Amazonの電子書籍読み放題サービス「Kindle Unlimited」
Adobeの「Creative Cloud‎」
カーシェアリング、ゲーム実況動画・・・etc


2014年、消費者は「所有しないこと」を選んでいます。
何故かといえば、「所有するというのは
維持管理の手間、保険などのランニングコストに加え
「もっと良いものが出た時」に、現物が無価値になるリスクをも孕みます。


所有=リスクが多い
ならば、所有せず共有(シェア)した方がいい。
個別に購入するより、月額使い放題制の方がいい!
となるのは、自然な流れだと思います。

「個人が個別に物を所有する時代」
はとっくに終わってしまってるんです。
ならば、人は所有せず
「必要な時に必要なだけ利用できる」という形態を欲しますよね。

物とサービスにそういう傾向があるのなら
当然「人間関係」も同じだと思うんです(`・ω・´)シャキーン

突然ですが・・・
「恋人」「彼氏彼女」「付き合う」とは何でしょうか?
定義は非常に曖昧ですが・・・・
私は基本的に「特定の人物の所有権(独占権)を主張する行為」として認識されていると思っています。

物も事も人間関係も・・・・
「所有」という行為には、必然的に「維持管理」という負担がセットでついてきます。
さらに言えば「維持管理を怠れば喪失する」という恐怖もセットです。

「恋人」という関係性の場合は
「恋人らしいルール・恋人らしい行為を継続する」という事が負担となりますね。

異性と2人で食事に行ってはいけない
週末はデートする
週に1回はS◎Xする 
毎日ラブラブメールする・・・などなど(笑)

それらを怠り始めると
「私達って本当に付き合ってるワケ?」なんてクレームをつけられてしまいます。
(;´∀`)ヽ(´Д`;)ノアゥ...

「関係性に名前をつけ、行動を縛ることで、相手の所有権を主張する」
「お付き合い」ってのは、何かと条件が多く、時にしんどい・・・。

なら、「所有しようとしなければいいのでは?」と思うのです。
誰と出かけようがキスしようがS◎Xしようが・・・
それと自分とを比較する必要がどこにあるんでしょう。
一緒にいる時間を心地よく楽しめばそれでいいんじゃないでしょうか。


「所有する喜び」「所有する負担」
いくらでも手軽な娯楽がある時代で
後者の方が大きくなってしまうのは仕方のないことだと思います。

選択肢がなかったから選ばれていたニッチな需要が
選択肢が増えることにより存続の危機に見舞われる。
それは個人的な事もビジネスも同じ。

人が人の所有権を主張する事を、さも素敵でロマンチックのように言って来たこと自体
すごく不自然だと、皆が気づき始めていると思うんです。
「人の所有権」とは、せいぜい子育て時期にしか通用しない概念だったのではないか?


「所有」という行為は
本当は「安心」や「心地よさ」と真逆の行為なのではないか?

情報化社会においては
「共有せず限定する」ということは
希少価値どころか賞味期限の短い生ものでしかない。


高度成長期も、バブルも終わって

人々の飢餓は癒えた。そして飽きた。
つまり「個別に所有する行為」自体に、飽きてしまったんです。
さらにいえば「所有することで保証される価値評価」にも飽きた。

簡単にいうと、餓死寸前の人にとってはどんな物も御馳走に見える状態だったのが、飢えないことが解ったのでより好きな物を求めるようになったという事。

それは贅沢病とか悪いことじゃない。当たり前の流れ。
次の段階へシフトしてるんです。



サービスの場合は「欲しい期間、利用権を買う」だけ。
それは所有権や独占権ではなく
「必要な時に必要なだけ」という、形態ですね。

それが本来の合いの関係だから
合う時、合う存在・現象と合い仕合う。
「今にしかない」最高のセッションを重ねて行く。

今の自分自身、自分自身の今
それを楽しむ為には「所有」は足かせになる。

混乱しながらも「当たり前と言われて来た美徳や正しさ」
無意識から拒否反応を示す人が多くなっていると思います。

それは「所有する時代が絶対正しいと言われていた時代の終わり」を象徴しているのだと感じます。
クラちゃんと同じ会社で働いているという設定。
細い雑居ビルの5~6階?
18畳くらいの手狭なオフィスに女社長を含めた5~6人が働いている。


オフィス内では鍋パーティ真っ最中。
ベランダには作りかけの氷細工のソリが放置されていたり
基本的にみんな遊んでばっかり(笑)


私も一緒になって遊んでたんだけど
ふと、何かし忘れたことに気づいて・・・
豆大福(3ヶ)を差し出して女社長にゴメンナサイした。


オフィスの片隅に、動物用のケージが放置されてる。
中に動物は居ないんだけど、そのケージが恐ろしく汚い。
あちこちに、ぶっといウジ虫のような白い幼虫がウネウネしていて
私は卒倒しそうになった。

でも・・・なんとかしなくちゃ!と想い
一生懸命、虫を退治したりケージを掃除したりしていた。

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大きな橋の上。
橋のてっぺんに、発泡スチロールの箱が置いてあって
中に小銭が沢山詰まっている。

近くでダンスを踊っていた若者が、手に入れたそうにしていた。

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道路を自転車こいで走っている。
しかし、かなり大きな3車線道路でどう考えても自転車が入っちゃいけない雰囲気。
(警察に見つかると捕まっちゃうかな?)
ソワソワしながら走ってると
向こうから来る「青と白のカラーリングのパトカー」とすれ違った。
(見つかった!!やばい!!!)
私は左へ左へ、慎重に車線変更しつつ、近くの路地裏へピュっと逃げ込んだ。

路地裏で自転車を降りると、細い路地は猫だらけだった。

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4~5人の人達と神社に向かってる(家族?)。
その神社は「こわい神社」として、地元の名物のようになっている場所。

「井上裏神社」か「井之上裏神社」とかそんな名前。
読み方は「いずみのうらじんじゃ」という感じ。

ヒュ~~ドロドロ~~~♪
まるで遊園地のお化け屋敷ゾーンみたいな
「いかにもコワイぞ~♪」な雰囲気で飾り付けられた神社に皆で入ってゆく。

すると、参道の真ん中に先客がいた。
背の高い男性で、少しハーフっぽい濃い顔立ちをしてて
私は何故か彼を知っている。

「カイル。・・・カイルが本当の名前じゃないのは知っているけど、今それしか知らないから。これからも応援してるよ。」
私はそんな事を話しかける。
彼はニコっと笑って、我々と一緒に神社のおみくじを引くことになった。

奥のお賽銭箱とおみくじのお金入れは兼用になってて
ここでお賽銭を投げ込み、おみくじを引いて帰るのが定番コースなのだ。

おみくじは沢山の小さい引き出しに入ってるタイプ。
どの引き出しにも、数字やら文字やらが書いてある。

中でも「メメメメメメ」と書かれた引き出しがヤケに気になった私は
「これだ!これが絶対一番怖いはず!!!」
と、メメメ~の引き出しをビシッと指差した。

「そうか。じゃあ買ってやるよ」
カイルは何故か私に3つもおみくじを買ってくれた。

白いお年玉袋みたいな袋に、ヘビとかカエルとかのゆるいイラストが描かれている。
「中から何が出てくるかで、自分の運勢を占うんだっけ・・・」
3つのウチのどれを開けようか迷ってると
先を歩いていたおじいちゃんが項垂れている。

おじいちゃんの封筒からは「30cmくらいの縄」が出てきて
それが何か首つり縄みたいで不吉っぽいと凹んでるらしかった。

どれを開けようか・・・・
ムムムと悩みつつ歩いていると、道の側にトマトが植えられているのに気づいた。

「ああ、トマトか。そういえば家も植えてるよなぁ。あれ、”家”って・・・?」


ここで目が覚めました(υ◉ω◉υ)


ちなみに、「青と白のカラーリングのパトカー」なんてあるのか?
と思ってると、まるでタイムリーに以下の記事が目にとまりました。

画像で見る世界のパトカー
http://matome.naver.jp/odai/2127069121934196601


これを見ると、むしろ世界的には「青&白カラー」の方がスタンダードみたい。
(ちなみに画像はロシアのパトカー)
日本の白黒ペンギンカラーのがレアなのかな??

そして、謎のおみくじ「メメメメメ」。
これは絶対意味不明と思ってんだけど
今日なにげなくニコ動を見たら・・・・・

(・3・)エェー!?
め、めめめめめ!!!!!まさかのヒット(笑)
歌ってる「そらる」って名前も「カイル」に似てるし・・・・
しかし、なんの接点も見出せ~~~ん;





港区や品川のような、小綺麗なオフィス街。
街路樹も植えられていたけど、1本だけひと際目立つ大木があった。
上の方に古ぼけた紙飾りが着けられていて、特別な木として扱われている。

(こんな都会の中に、ご神木なんてあるんだなぁ・・・)
写メ撮っておこう~~と思って、iphoneごしに木を見上げると
急に視点が「樹の内側から空を見上げている」形になった。

ちょっと古いゲームで、ポリゴンのオブジェクトの中に入っちゃったみたいな感じ(笑)
幹が半透明に透けていて、枝葉がパァっと広がっている様子が見える。
葉もまだ青々と生きているし、まさか中が空洞だとは思えない。

(これは木自身の視点なのだろうか・・・・?)
そして、内側の視点だと
木の幹が「六角形」になっているのが解った。

(また、六角形だ・・・・)
どういう意味なのやら、と考えつつその場を後にした。

公園の遊歩道を突っ切って歩いていると
溜め池の側を横切った。

私はいつの間にか見知らぬリビングルームに居る。
しかも、先ほどの溜め池から拾ってきたのか?
ゼリー状に身体が膨れた巨大な金魚(死骸?)がテーブルに3匹乗っかっているではないか。

(なんだこの気持ち悪いものは・・・・)
私はなるべく金魚を直視しないようにしながら、リビングで誰かと会話をしていた。


ーーー


ベネツィアのような、水上都市。
建物は皆可愛らしく、水路のあちこちに手こぎ船が往来している。

時間は夜21:30くらいの設定。
(でも、まだまだ明るい)

私は一艘の船に載せてもらい、くるりと辺りを回ってもらった。
「あれはパラリンピックに出場しようと頑張ってる子供達ですよ」
そういって船主が指差す先に、沢山の子供達が何かの練習をしている様子が見えた。
どの子も、身体のどこかに障がいを抱えているらしい。

「でも、最近は中々健康状態が良くなくてねぇ・・・」
ため息をつく船主にワケを聞くと
政府が強制的に打つワクチンが、子供達に深刻な副作用を与えているらしい。
ワクチンを打たれた子供は凶暴な性格になり、すべての事に興味をなくしてしまうのだそうな。

{AFCBE591-53E8-4A34-9E9A-3DC44B515A27:01}


暗く長いトンネルの道路。

その中では「今時ソレですかー?」って感じのバリバリのヤンキー達が喧嘩したり、壁には血が飛び散ってたり、バイクが走ってたりしてる。


でも、それは映像であって実体ではない。

トンネルの中自体がリアルに体験できる映画館のようなものなのだと思った。


「ダサい、あまりにダサい!」と脱力しながら私はヤンキートンネルを進む。


やがてマンホールみたいな穴から、地上へ這い出ると、そこはオシャレなビルの中。「美形撮影所」みたいな名前がついてる(笑)


その名の通り美形の人がウロウロしてるので「この映画を撮ったやつは本気でセンスがない!」と告げると「ほんとにねー、ありえないよねー」と肩をすくめた。


ビルを出ると、そこは高い坂の上だった。

「ああ、ここかぁ。」と思った。

家の前の大通りを歩いてる。
天気はよく晴れていて、人通りはまばら。

「瞑想とか苦手なのよね」
ふと、そんな事を思う。

瞑想の定義が
善悪や正否といった「正しさという判断」から自分を解放する・・・という意味なら
私は「瞑想タイム」なんて設けなくても常に心がけている。

「瞑想って結局なんなのよ」
ぶつぶつ考えていると、突然身体がジンジンと微振動を始めた。

「あ、これって二重金縛り!」
二重金縛りとは、夢の中で金縛りに似た状態になるもので
抵抗しないでいると予想外の展開になることが多い。(時々なる)
大抵、身体がジンジンブンブンと高振動していって
光に包まれたり、幽体離脱したように視界が上がってったりする。

この時も、自分の意識がスゥっと身体から離れていくのが解ったので
(あ、どうしよ!?)と、一瞬焦ったものの
あまり恐怖心がわかなかったので、好奇心を優先させる事にした。
(まぁいいや、流れにまかせちゃえ・・・)

視界いっぱいの青空を眺めつつ、どこまで浮かんでくのかな~~と思っていたら
ふわ~~っと3~40センチ上がったあたりでストップ。
(え、なにちょっと。これだけ!?)

肩すかしをくらって、「何か変なこと起こらないかな~」とワクテカ待ってみるものの
ふわふわと同じ位置を漂うばかり+(;0゚・∀・) + ワクテカ +

(な~~んだ・・・・終わりか。はずれ?)
若干がっかりして、パッと金縛りを解く。
ふたたび大通りを歩きはじめると、私は急に「走り出したく」なった。

(なんか解らないけど、急がないと————)
ワケもわからず全力で走って、私は住宅街の角をどんどん曲がっていく
(知らない街、知らない道、だけど・・・・)
何か懐かしい気配が近づいてくるような、そんな気がした。

やがて、見覚えのある神社が見えてきた。
「あそこって、随分昔夢に見た神社だ。」
よくある”竹やぶ・玉砂利・赤い鳥居”って感じじゃなくて
建造物の全てが石で出来ているの。石造り。
その硬質な冷たさを感じさせる、独特の雰囲気をよく覚えていた。

神社に入ると、急に真夜中になった。
奥の本殿は暗くてよく見えないけれど
格子のようなものがはめ込まれ、随分前に「封印」されたようだった。

(廃神社になっちゃったのか・・・)
以前、夢で見た際はピカピカの新築だったのに。
今は打ち捨てられたような雰囲気になっている。

ふと、人の気配がした。
数名のおじさん達が忙しそうに境内を走っている。

「忙しくなりそうだ!今回は本当に厄介だ、手に負えるのか・・・」
「どうなるかまるで解らないが、やるしかないぞ」
そんなような事を言いながら、旅立つ準備をしている。

(物騒な雰囲気だな、何かあったのだろうか?)
おじさん達に話しを聞こうと近づくと
私に気づいたおじさんがギョッとした表情でかたまった。

「なんでこんな所にいる!!さっさと帰れ!!」
頭ごなしに怒鳴られムッとしたので
「なにが起こってるんですか?(教えてくれるまで帰らないも~ん)」
と挑発的な態度をとってみた。

「本殿はなんで封印されちゃってるの?中に入ってもいい?」
「あ、バカよせ!!!!」
おじさんが制止する間もなく、私はスィ~っと飛んで格子の隙間から中をのぞこうとする。真っ暗でよく見えない。
「こっちに戻れ!!!!」と怒られたので元の場所へ戻る。
おじさんは、私をどうするかしばらく悩んだものの・・・
切羽詰まった状態で私にかまけてる時間はないと判断したらしい。

「そんなに知りたきゃ、くれてやるわ!!!!」
「!!!!」

突然、私の手を掴むと
手の平(親指の付け根の膨らんでいる所)に、自分の親指をズンっと突き立てた。
すると、おじさんの指先から、青白い稲妻のような光が走り
私の手の中へと吸い込まれていった。

「あとは好きにしな」
何が起こったか解らずボ~っとする私を置いて
おじさん達は慌ただしく、どこかへ出発していった。

神社に一人取り残された私は、その場の雰囲気がすっかり変わっていることに気づいた。
まず、住宅街の中だったはずの神社は
いつの間にか海沿いの崖の上へと移動していた。

見下ろす夜の海は墨の要に真っ黒で、その果てしなさに底知れぬ不安を感じた。
(海の中に、何か居る?)
黒い波の中、青白く光る「布」のような物が見えた。
よく見ると布の先端には顔があり、グルグルと円を描きながら海を泳いでいるではないか。

神社と海はそれなりに離れているハズなのに、あれほどハッキリ見えるのは
それがクジラと同じくらい「巨大」ということ。
(なにあれ・・・・・化け物?)
ゾッとして、思わず1歩後ずさる。

視線を海から神社へ移すと
それまで静まり返っていた境内の暗闇に「濃い」気配が充満しているのに気づいた。

(何か居る?)
およそ友好的ではない視線を感じ、周りを見渡す。


(アレは————)
先ほどの布と同じように、青白く光る「巨大な女のような物」が
本殿のあたりから、じぃっと私を見つめていた。


霧のように徐々に姿を変えながら
それは「私」を捉えたようだった。

(絶対、ヤバイわこれ)
とりあえず、この神社から出ないと
”避けられない危険”が及ぶ。

そいつに背を向け、私は一直線に入り口へ走る
(なんだか身体が軽い、心も静かだ、なんでだろう?)
冷静に考えれば’(多分)絶体絶命の状態で
自分が淡々と生き延びる手段を考えている事に驚いた。

背後から、とつてもなく巨大な気配が近づいてくる
飲み込まれたら、お終いだろう。


私を追う”そいつ”は桁違いに危険な存在なのだと、直感でわかる。
しかし、それ以外にも
大小様々な存在が、いたる空間にひしめいているのを肌で感じる。

(おじさんは、霊感のような何かを私に授けたのだろうか?)
興味深いのは、私が相手を認識すると、向こうも私を認識すること。
「見える」のは必ずしも良いことではなく、むしろ諸刃の剣という訳だ。

(どうやら、引き返せない道に入ってしまったみたい・・・)
神社を飛び出し、さらに私は加速する。

「せめて身の守り方くらい教えて欲しかったなぁ。」
何一つ解らない状況だけど「自分が丸腰」という事は感じていて
「見えるだけ」の今が最も危険なのだと、察していた。

ひとまず、安全なところを探さないと身の振りようがない。
(そんな場所があるのかも、わからないけど・・・)

私は真夜中の住宅街を走っていった。
大きな駅に居た。
(新宿とか、でっかい駅ビルがくっついてる感じの駅)

地下構内を歩いていると、すみっこに地味な扉を見つけた。
従業員用みたいな、明らかに客用じゃない雰囲気。

でも、私はそこへ入っていく。


扉の向こうは、びっくりするほど賑やかなアーケード街だった。
室内なんだけど、台湾とか台北にでもありそうな、胡散臭さプンプンの空間(笑)

屋台っぽい店もあれば、一応建物をもってる店もある。
私は、熱に浮かされたようにぼうっと歩いている。

(友達と、呑む約束してたっけ。)

ふいに、思い出し
見知らぬ店へ入っていく。

3~4名の男女と落ち合って
私達は食事をする。

やがて、一緒に帰る段階になって
その場の雰囲気がガラっと変わっていることに気づいた。


あんなに賑やかだったのに、店も、人も誰もいない。
そこには、廃墟のようにガランとした灰色の空間が広がっていた。

ペタペタペタ・・・・

何者かの足音に気づいて振り向くと
私の立ち位置から数十メートル先に
ガスマスクのような面を被り、奇怪な衣装で全身をかためた
「人間のような者」が徘徊していた。


ペタペタペタ・・・・

意志があるのかないのか、わからない
規則性があるようでない、壊れた機械のような動き。

・・・ペタ。

ふいに、そいつが私に気づく。

ペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタ
ペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタ

カミソリのような刃物を片手に
もの凄いスピードでコチラへ向かってくる。

「人 喰 鬼」

という言葉が、頭に浮かんだ。


脳内に危険信号がガンガン鳴り響き、私はフラつきながら走り出す。
例の「地味な扉」が見えてきて、無我夢中で飛び出した。

駅構内。
そこには、キョトンとした顔の友達がいた。
私を待っていたらしい。
男女2名、どちらも大切な存在だと感じた。

危険を知らせようとする前に
先ほどのガスマスクが追いついてきた。

もう戦うしかない。
覚悟を決めて向き合うと、背後で友達の悲鳴が聞こえる。

怪しげな宗教団体(ガスマスクの仲間っぽい)が、教祖を中心に輪になって
友達の事を狙っていた。
ライフルを片手に武装していたけれど
私達を見て勝ち目がないことを悟るやいなや
全員が一斉に自分自身へ銃口を向けた。

何の、躊躇もなく。

(集団自殺する気だ!!!!)
彼らから離れるよう叫ぶ声が、爆音にかきけされる。
自分自身に爆弾を巻き付けていたらしく、宗教団体は友達を巻き込んで自爆したのだ。

(失敗した!!!)
絶望に心が塗りつぶされていく。

ガスマスクが私を狙っているのが、背後の気配でわかる。
しかし、私にはもう戦う気力がなかった。

友達が死んでしまった時点で、これは「失敗」なのだと確信していた。
ガスマスクが刃物を振り上げる音。

(やり直さないと・・・・彼らを生かしたまま、この場を脱出しないと)
視界がぐにゃりと歪む。

(食われる・・・・)
目の前の景色が、溶けていった。

夢から覚める間際
「ララ りゅう とぐろ」
という言葉が浮かんだ。


「運がいい」とか「運が悪い」とか
って言葉は日常でもよく出ますが
そもそも「運」ってのはなんだと思いますか?

漢字のままに読むと「運び(はこび)」ですよね。
じゃ何を運んどるんじゃ~い!!というのは
「エネルギーの相互影響力」であると思います。
(・ω・))))) (((((・ω・)

《相互影響力》は、英語でいえば《ネットワーク》です。
この世の存在・現象は全て「エネルギーの共鳴関係」によって起こり、成り立っています。
エネルギーがあったところで共鳴しなきゃ活性化されず「無いのと同じ」
「ネット上に転がってるけど、誰からもアクセスされないページ」とかそうです(笑)
観測し意識されなければ、ナニモノにも影響しない・・・つまり存在できないのねん。
(´・ω:;.:... 


エネルギーの共鳴作用というのは、意図せずとも勝手に起こります
同じ周波数のを音叉を並べて、片方を鳴らして近づけると、勝手にもう片方も鳴りますよね
あの作用が「共鳴」の基本。
類は共を呼ぶとか、引寄せの法則なんて言われてるスピ用語も、元は単なる物理現象なんですね(笑)

人の持つ周波数というのも、この音叉の仕組みと基本的には同じです。
ただ、生物の周波数というのは日々めまぐるしく変化するのが特徴。

《変化する》といっても一定の傾向はある訳なので
ざっくりとした変動幅が「その人の周波数帯域(個性)」になります。

音叉の周波数は《固定の周波数》で変わりませんが
生物は、自分の気持ちに嘘をついたり、本音に背く行為を正当化したり出来る

これは「持ち前の周波数帯」を大きく変動させます。
すると当然、共鳴する周波数帯も変化してしまうんですね。
((((((・ω・))))) あれ?

結果として、運ばれる自分自身にとっての現象・・・
つまり「現実」を変化させます
(・ω・))))) ←


共鳴関係の「変動」は、ラジオのチャンネルを変えるようなもの
変動自体に良いも悪いもないのですが・・・
「自身の気持ちに背いた周波数」によって運ばれた共鳴(現象化した現実)
当人にとって「退屈・不快・苦痛」と感じる場合が多いですね。
(´・д・`)ヤダ)))))

きっと「自分のキーじゃないのに、無理して合わせてるコーラス」みたいなモンなんでしょう(笑)
一時的には良いけど、長期に及ぶと苦痛になっていく。ぼぇぇ~~

「自身の本質からかけ離れた周波数との共鳴」というのが「悪い運び」
・・・つまり「運が悪い」という現象の定義です。
無理をして出してる周波数なので、周波数帯域も安定せず、物事が相互作用しません。

普段、インターネットを使って我々が情報に素早くアクセスできるのも
色々なサービスがリンクして、便利に相互作用してるからなんですよね。
ピタゴラスイッチみたいに、1つの出来事が次々と関連して、勝手に展開していくからラクチンなの♪
これが1個1個バラバラだったら・・・ドエラく非効率的!
(一番最初のコンピューターなんかはそうだったようです)

「物事が相互作用せず、ドエラく非効率的」というのは
周波数が変質・エネルギー関係が分断された状態」


周波数が不安定だと《ピタゴラスイッチが壊れた状態》になっちゃうの。
1つの事をするのに、100も200も仕事しなきゃならないんですね。
(´・д・)■ ッパ
ネットワークが正常に作用していたら100のことを1で済ませられるんです(それも継続的に)♪
(・ω・)ノ■ ッパ⇒(・ω・)ノ■ ッパ(・ω・)ノ■ ッパ

「運が良い」というのは、自身の周波数帯・エネルギーネットワークが安定している状態
物事が勝手に相互作用するので、出来事がスイスイ繋がってラクチンに運ぶわけです。

では、どうすれば運が良くなるのか?
まず、「運が悪くなった原因」を《環境や条件》といった外側のせいにすると
いつまでたっても現状が変わりません。
エネルギーのピタゴラスイッチを作るのは、他の誰でもない自分自身。

自分自身の周波数が共鳴した結果が、目の前の現実です。
自分自身が何一つ変わってないのに
「お祓い」だの「お祈り」だのした所で・・・金をドブに捨てただけ。

「こんな現実は私のせいじゃない」という責任転嫁は、一時的な慰めにすぎないの。
結局は「自分の現実は自分で作っている」ことを認めなければ、周波数帯は歪んだままなのね~ん。


どうも運が悪い、物事が上手く運ばない・・・非効率的でしんどい。
と思ったら、まずは「やりたくもないことをしてないか?」自分の内面の葛藤を見つける必要があります。

「仕方のないことだから」と理屈つけて言い訳しても、イヤなもんはイヤなんです。
気持ちは抑圧できても、決してかえられない。
自分の気持ち・本音に背いてる内は、運が良くなることなんて有り得ません。

感じるままに感じ
思うままに思い
やりたい事をする

運がよくなる方法なんて、実はそんな単純なこと(笑)
ありのままに生きるというのは「持ち前の周波数帯域を安定させる」ことであり
自己合い(自己愛)に繋がることでもあります。


物事が上手く運ぶのは、エネルギーの共鳴関係がスムーズに行われるから。
共鳴関係を安定させるには、まず自分の気持ちに嘘をつかないことです。

前回記事に繋げると・・・「正しさ」は周波数を大きく変動させます。
正しさを求める人がよく使う「大変・忙しい・貧乏ヒマなし」なんて言葉は
エネルギー関係が正常に作動していない為に
自分一人が《オーバーヒート寸前まで稼働せざるを得なくなった状況》なの。
カラ回りし続けて常に負荷がかかっているので、やがて強制ストップがかかります。
(病気・事故・転勤・突然のアクシデントなど)

反対に「正しさ」を手放すごとに、周波数帯は安定を取り戻します
何事も、答えは自分の内面にあるから。


どうも空回っている・・・


最近「運が悪い」と感じたら・・・・
それは「さらなるネットワークの安定を求める心のサイン」
自分の内なる声(本音)に気づいているワケなので
ステップアップのチャンスでもあるんです♪

「もっと合い仕合いたい、スムーズに共鳴したい」と心が求めはじめたら
もっともっと《自分の気持ちに素直に生きられる》よう
自分が発する思考・言動・行動に「本音に背く理由づけがないか?」振り返ってみて下さい。

まいのこでした☆



いつも応援嬉しいわぁぁ\(^o^)/手手


 


この2年で、スピブログの厳格な2極論
随分ハート(気持ち・感情・主観・感覚)中心になってきた。

とはいえ、人はまだまだ「正しさ」がお好き。
甘美な麻薬だからね~~(;´Д`)
「善/正/良」っていう「ご評価」

「私はコレでいいんだ!」って思う為に
「君はソレでいいんだ!」って
他人様からの保証を頂きたいものなのよね。無意識にさ・・・
手放しで「私って完璧ぃ☆」って言えるほど、みんな自信がなくて不安だから
(そうなるよう育てられるから)


本来、自己肯定(自己愛)は全ての精神的苦痛を消す作用があります
精神的苦痛というのは「認められない自分・許せない自分」という、
「部分的な自己否定を原因として引き起こります。
自己肯定(自己愛)が出来る時点で、精神的苦痛というのは単なる「刺激」にすぎなくなるんですね♪

では「自己肯定の仕方(条件)」を誰かにルールづけられると・・・?
アラ不思議!そのルールの奴隷になっちゃうの!
Σ(゚∀゚ノ)ノキャー

これは心理学で「条件付きの愛」と呼ばれます。
ありのままの自分を好きになる為に、様々な条件をつけて
「自己評価の保証を、外部の判断基準に委ねる」行為。
「自己否定の仕組みです。

自分を好きになる為の条件というのは・・・
反対をいえば「自分を嫌いにならないで済む条件」と同義。
つまり、自己否定という「精神的苦痛を取り除く手段」ですね。

しかし、コレって矛盾してるんです。
「評価の条件」というのは、個人個人の気持ちや感性を無視した絶対ルール
追い求めるほどに「ありのままの本音・自分の気持ち」からは遠ざかるし
条件から外れていないか? いつも怯えてビクビクせざるをえない。
安心する為のルールのはずが、結局は不安になっていくだけなんです。

それもそのハズ「評価条件」という概念自体
生物に対して作られた仕組みではないからです。

評価ルールというのは、いつも固定、安定、不変の動きをさせる為のもの・・・
つまりプログラム!!「機械」に対して使うものなのね~ん。
ド━(゚Д゚)━ン!!

人の心というのは常に変化するものです。
DNAの時点で、生物は多様性を求めるよう出来ている。

どれだけ美味しくても毎日ラーメンじゃ飽きるし・・・
どれだけ美しい音でもずっと聞かされたら発狂します(笑)

常に「今気持ち良いもの、今自分にとって合うもの」が変わっていく。
それが生物として自然で、効率的なエネルギーの有り様だからです。

しかし、「今この瞬間の自分の気持ち」を許可できないと
思うことを話せず、やりたい事も出来なくなり、抑圧された感情が蓄積されます
他者との共感や関係性も阻害され、全ての物事がスムーズに運ばなくなっていきます。
これが所謂「ストレス」と呼ばれるものです。

このストレスの正体を「本音が出せない苦しみ」ではなく
「満たしている正しさの条件が不足している」という方向に勘違いしてしまうと
自分の気持ちを真逆の方向へ爆走するハメになります。

「正しさ中毒」の症状は負のループです。

①自分に自信がなく、ありのままの気持ちを出せない(自己肯定できない)
②自信をつける為に、他者からの許可と評価を求める(自己肯定の手段)
③他者から許可される為に、評価基準や評価条件といったルールで行動を縛る(行為の制限)
④条件による制限によって、ありのままの気持ちを出せない(手段と目的の逆転)
⑤①へもどる(繰り返し)


「自分に自信がない」
「ありのままの自分を好きになれない」
「本音を出せない」

「自己肯定出来ない=自己否定」という問題に始まり
解決法を「自分の内面」ではなく、外側の「正しさ」に求めた結果
いつまでもストレス状態をループしてしまう。

ありのまま自分を好きになるには、自分の短所や欠点と思われる部分でさえ
「必要な個性であり、経験である」と認めて受け入れるしかないんです。

この世に「不要なもの」など存在しないのだから!
自分自身もまた丸ごと全てが必要であり、必要とされて存在している
だから、アナタはアナタ。今のアナタの気持ち、存在オールOK☆
必要なのはそれだけなんだよね、本当は。

自己肯定・自己合いというのは
文字通り《他者》からもたらされるモノではない
自分が自分に対して与える「ありのままでいいという全面許可」なんです。

正しく・善行・良心・親切・努力
自分勝手・自己中
エゴ・我欲・我よし
利他的・他愛・罪・穢れ・光・闇・カルマ
しっかり・ちゃんと・きちんと
ルール・マナー・礼儀・モラル
当たり前・立派・偉い・他人の為
◆◆として~・■■であるべき・
■■するべき
※◆◆には人・大人・親・男・女などが入ります
こういう言葉を好んで使う人というのは
上っ面でいくら「愛が大事」と言っていても、本当は「正しさ」を追い求めてる

正しさを求める人は「間違った存在」を無意識に探すから
一見穏やかな風で、実はとても攻撃的

競い、比較し、評価し、否定し、裁くクセがついちゃってるの。
そうしなきゃ「自分には価値がない、無意味なんだ」って不安になってしまうから。

でも、それは負のループ。
「正しさ」を掴もうと、どれだけ努力して頑張ったところで・・・
果てしない不安と恐怖が膨らんでいくだけ。
正しくなろうとしないでいいんです。もう頑張らないでいいんです。
むしろその評価ルール・判断基準をどんどん手放していった先に自己愛はあります。

合い(愛)というエネルギーの相互影響力は「何でもないアナタ」からスタートします。
0点。0距離です。ゼロ。

「もっと正しくなろう」「もっと立派になろう」とプラスを追い求めても
ありのままでなくなり、合いを阻害するばかりです。
むしろ、大量に蓄えてしまった様々な制限をどんどんマイナスしていって下さい

やりたくない事はしない
興味のない事には近づかない
誰の為でもない、価値もない、意味もない
「ただのアナタ」になって下さい


「でも、それじゃあ・・・」ってチラリと不安がよぎったら・・・
心のどこかで、まだ「正しさという保証」を求めてるサイン

ああ、不安がまだあったんだな~って
自分の気持ちを静かに見つめたら・・・
良いも悪いも評価せず
「もういいや。うん、もういいんだな。」って
拘ってた縛り・制限ルールを解放してあげて下さい。

ゆるくゆるく、軽く軽く
ただ気持ちのままに生きる。

自分の為に生きることが
《勝手に自動的に他人の為にもなっちゃってる》のが、自然の合いです。
意図して頑張ったり、努力して、ウォリャァどうじゃーー!!!と掴みとるモノではないの。

合い(愛)というのは、便利で簡単でラクチンで気持ちいい
「ありのままの気持ち同士が織りなす、エネルギーの相互影響ネットワーク」

「意味」や「価値」なんていう、外部評価を見出さなくても
ただ「そのまま」「ありのまま」「あるがまま」でいい。
むしろ、それこそ必要とされて存在しているんだという

自分自身という存在への信頼
それがであり、自己肯定。
すべてのエネルギー関係の根源です。

この1~2年で多くの人が「正しさ」から解放されていってる兆しを見ます。
さらにもう1~2年したら、きっとその波は爆発的に広がっている・・・
その時、人類の新しい時代が始まるのかもしれない。

そんな気がしています。まいのこでした☆




いつも応援嬉しいわぁぁ\(^o^)/
手手