県石になったヒスイ(3) 世界のヒスイ文化 | 糸魚川ジオパークのおじさんのブログ

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  世界のヒスイ産地とヒスイ文化

 世界でヒスイ(硬玉)の産出する国は次の通りです。

少し以前には、こんなに多くの産出地は知られていなかったように記憶しています。

   ※参照 宮島宏著「翡翠ってなんだろう」より作成

 ヒスイが生成する地質条件にはプレートの沈み込み地帯であるとされています。水分を多く含む海洋プレートが沈み込む所では付加体がマントルの蛇紋岩などと反応して低温高圧型の変成作用を受けヒスイの結晶が出来るとされています。この時にヒスイは熱水から結晶したものです。当初は分子式が似ている曹長石から石英の一分子が抜けてヒスイ輝石となったものとの説がありましたが、曹長石 NaAlSi3O8→ヒスイ輝石NaAlSi2O6 +石英SiO2 、この時できる石英がヒスイと共にあるはずですが見当たらないこと、ヒスイの自形結晶があること、熱水から結晶するソーダ沸石なども混ざっていること、更にヒスイ輝石の岩脈があること等から熱水からの結晶説が有力になりました。

 

 糸魚川市のフォッサマグナミュージアムでは平成6年の開館以来多くのヒスイ輝石岩を展示していますが、ヒスイの色には緑色だけで無く、白色・淡紫色・青色・黒色などがありますがヒスイ輝石は本来白色ですが、緑色はオンファス輝石の鉄から、薄紫色はチタンが混入しているから、青色は鉄・チタンを含むオンフアス輝石の混入から、黒色の翡翠には石墨の炭素を含むのでと云うことです。また、ヒスイ表面が橙色~赤色になったものは水酸化第二鉄が染み込んだものがですがミャンマーのヒスイに多く見られ、糸魚川では橙色になったものも見られます。

 

 糸魚川産のヒスイが凄いのは出来たのが約5億年前地質時代で古生代のオルドビス紀であるとのことです。ヒスイに共存するジルコン中のウランと鉛の測定から生成年代が測定されました。糸魚川のヒスイは世界のヒスイの中でも最古級のものだそうです。

 また、ヒスイ文化から見ても縄文時代前期(7000~5,500年前)には青海の大角地の遺跡から敲石(タタキイシ)として使用していました。長者ヶ原遺跡は縄文時代中期、(5500~4400年前)寺地遺跡は縄文時代晩期ですから(3,200~2,400年前)です。

  糸魚川長者ヶ原遺跡の出土ヒスイ製品の一部↑

 これはメキシコのオルメカ文明(BC前1200年前=3,200年前)・マヤ文明(BC100~AD1600年)でヒスイが使用されたのより古い歴史があります。世界最古のヒスイ文化があったことになります。

 マヤ文明でもヒスイは祭祀に使用していたようです。神様の象徴として緑色の鳥(おうむ)の羽根と緑色のヒスイが珍重された由、死者の復活を期待するものとして、天国への通行証として、為政者や祭祀僧の装飾品として、或いはペンダントやブレスレット、おうむの青い羽根を繋ぎ目にヒスイのビーズが使用されていたとの事です。(※マヤ文明とヒスイ 竹田英夫より)。

 日本でも奴奈川姫が祭祀の巫女さんであり、ヒスイの勾玉を使用していたこと、ヒスイは鳥の翡翠(かわせみ)の羽の色などもマヤ文明と共通するところがあります。マヤ文明は紀元前から(BC1,000~AD1,000年)頃まで続きましたがヒスイの使用では日本のヒスイ文化では主に勾玉ですがこれよりも利用の形態が多くあったのではないかと思います。日本でも奈良時代(AD750年頃)にヒスイ文化は消滅してしまいました。

  オルメカ文化ヒスイの仮面ウイキペディアより↑

 朝鮮半島の王冠模型 以前、青海の自然史博物館に展示してあった時の写真。↑

 

   ※参照 東大寺不空羂索観音立像(奈良寺社ガイドより)

 日本ではヒスイは縄文時代から奈良時代733年に建立された東大寺三月堂(法華堂)の不空羂索観音立像の王冠に使用された頃まで使用されていますが、その後はヒスイ使用が消え去ってしまいました。その原因については仏教の伝来のほか、土田孝雄氏によると「古語拾遺」の研究から祭祀に関して中臣氏と斎部氏との葛藤から斎部氏が没落し祭祀の形態が変わってきたと解釈されています。それにしても、玉造集団はどうなってしまったのでしょう。

 

    世界の硬玉圏(ヒスイ)と軟玉圏(ネフライト)

ヒスイ(硬玉)とネフライト(軟玉)の使用した文化圏を大きく分けてみると次のようになります。

 

 ヒスイ(硬玉)を使用したのは日本~朝鮮半島と中米のメソアメリカと言われるメキシコ・グァテマラ地方のオルメカ・マヤ文明等です。ネフライト(軟玉)の使用は古代中国大陸・ニューギニア・ニュージーランドになります。

         中国の玉製香炉 

 ※ヒスイ園の展示品より ヒスイ鉱物展(2013-11-09)

中国の軟玉は新疆ウイグル地区のホータン(和田)から産出し中国大陸で玉として使用されていました。

中国で硬玉のヒスイが使用されたのは遅く150~200年前の清王朝時代にミャンマーから入ってくる時からとされています。それまでは軟玉が使用されていました。

 ニュージーランドでは軟玉を使用した棍棒や、ヘイ・テイキと云う軟玉製護符(装身具?)の彫刻品がありました。(国立博物館「ニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレワ名品展 マーオリ―楽園の神々―」より)

ニュージランドの軟玉の棍棒は戦に使用されたものです。

 

 以上、硬玉のヒスイと軟玉のネフライトは産出する所により使用されていた文化が残っています。