ジオパークの再認定に思う | 糸魚川ジオパークのおじさんのブログ

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日本で最初に世界ジオパークに認定された糸魚川ジオパークの魅力や出来事などを紹介します。

ジオパークの再認定に思う

 糸魚川市では、1987年にフォッサマグナと地域開発構想ができて1989年にはフォッサマグナパークがオープンし、1991年にはヒスイ峡や焼山山麓、月不見の池など各所の地質学的に特徴のあるサイトを公園とし、宮島学芸員により「ジオパーク」と名付けられました。

 この時のジオパークの意味は屋根の無い地質博物館であったようです。1994年にはフォッサマグナミュージアムが開館しています。

 欧州でユネスコの支援でジオパークが出来たのが、その後ですから「ジオパーク」の名称を用いたのは糸魚川が世界で最も早いものでした。現在も当時のジオパークの標識が各地に見られます。当時は平成の大合併の以前でしたので旧糸魚川地域内のサイトに限定されていました。

   フォッサマグナパークの枕状溶岩の説明板↓

  ITOIGAWA GEOPARKのマークが記載されています。

 

 糸魚川ジオパークは2008年7月に世界ジオパークを目指して全国でも最初に発足した地域の一つです。

 最初の年は日本ジオパーク委員会の審査の結果、日本ジオパークネットワーク(JGN)の一員となりました。

 日本ジオパーク認定のセレモニー 2008.10.20

 

翌2009年には世界ジオパークの審査を受け合格となりました。  

             世界ジオパーク認定 2009.8.23↓

     (糸魚川タイムス 2009,8.24)

 糸魚川が世界ジオパークに認定された時(2009.8.23)にはジオパークキックオフフォーラムが開催されていた席で米田市長から報告が入り、新聞の号外まで出て日本初の認定に湧いたものです。日本最初に合格したのは糸魚川の他に島原半島と洞爺湖有珠山の三地域です。

 

 日本ジオパークも世界ジオパークも四年に一度の審査があります。審査に合格すれば再認定(グリーンカード)となります。問題がある場合はイエローカードで二年間の限定付で認定され、二年後に問題が解決されたか審査を受けます。この他、指摘された問題が解決されないようなジオパークには赤カードとなり認定取り消しとなります。そんな制度がありますので連続グリーン認定を戴くことは苦労した甲斐があり大変光栄なことです。

 何れの審査も簡単には合格となりません。ジオパークの精神をしっかり護って適合していなければなりません。前回指摘された事項が如何に解決しているかも問われます。

 そんな訳で、落第するジオパークも既に出ています。あるいは、費用対効果が悪く止めてしまったジオパークもあります。

 

 世界ジオパークはユネスコの支援を得て2005年に発足し、2015年の第38回ユネスコ総会において「ユネスコ世界ジオパーク」として、正式事業化が決定されました。それ以降、糸魚川ジオパークの正式名称は「糸魚川ユネスコ世界ジオパーク」と称するようになりました。

 2015年の国連総会で採択されたSDG’sの考え方、持続可能な開発のための2030年までに実現するべきプラン(アジェンダ)で17の目標が制定されました。

 ジオパークでは持続性のある開発が勧められていますのでSDG’sを早速取り入れました。

 ユネスコ世界ジオパークとは一口で云うと「国際的に地質学的な重要性を持つジオサイトや景観が保全、教育、持続的な開発の全体的なコンセプトのもとで管理されているひとつの地域のことである。」と定義付けられています。そして、地元のコミュニティを巻き込んだ、ボトムアップのアプローチが大切であるとされています。現在、46ヶ国に177のユネスコ世界ジオパークが存在します。(2022年11月現在)

 

 一回目(初回)の再認定の除幕式は2013.9.9 に市役所で開催されました。

 

   第2回再認定セレモニー市役所で 2018.2.2

この時は、関係者夫々が抱負を寄せ書きしました。

 

三回目の再認定のセレモニーはジオパルで除幕式と関係団体の市民と共に記念撮影が行われました。

    第3回目再認定セレモニー 2022.12.17

         除幕式↑ 記念撮影↓

    除幕したパネル↓

除幕式のパネルにはこれまでの歩みが写真と共に説明したものです。

 当日は国鉄時代の牽引車D51機関車の展示・走行運転が駅構内で行われていました。糸魚川ユネスコ世界ジオパークも、日本のジオパークを引っ張る機関車であって欲しいと思います。