今回の参詣は江東区亀戸にある亀戸香取神社へ。

ここは中央総武線『亀戸駅』から駅前商店街を抜けて北に500メートルほどのところ。「蔵前橋通り」と「明治通り」がぶつかる交差点のやや西側に大鳥居が見えてきます。ここからさらに約300メートルの参道が続きます。香取神社は江東区最北端の神社で、川を挟んだ北側は墨田区でスカイツリーからも近いです。

 

 

 

 

参道

東京の二大祭りに挙げられる神田神社山王日枝神社でさえ参道は数十メートルしか無いのに、300メートルってところに古代からあるこの神社の格式の高さを感じます。

寺院では参道が長いところはいくつもあるのですが、神社だと明治神宮靖国神社みたいに近代に入って政治的に創建した神社ぐらいしかないかも。

 

 

 

 

狛犬

右が阿形で鞠を抱え、左が吽形で子抱き。

古そうな狛犬ですが、台座部が比較的新しいものに取り換えられているため奉納年がわかりません。

 

 

 

 

香取家の墓

玉垣に囲われた先ではありますが、なぜか境内にあります。

神社に宮司一族の墓があるのもここだけじゃないかな。ほかにも石祠が何基か見えます。

 

 

 

 

亀戸大根之碑

一昔前の人なら、亀戸といったら大根だったみたいです。

ちなみに当社の近所にある「升本」という117年続く割烹風のレストランで、今や幻の亀戸大根が食べられます。

 

 

 

 

手水舎

天然石をくり抜いた鉢と龍の吐水。

奉納年は見当たりません。

 

 

 

 

亀戸香取神社

天智天皇四年(665)、藤原鎌足が東国下向の際にこの地に一祠祀ったのを創建としています。主祭神は経津主神、武甕槌神(鹿島大神宮)と大己貴神(大杉大明神)を相殿としています。また天慶二年(939)、平将門の討伐に向かう藤原秀郷が当社で祈願をして勝利したと伝わります。

この勝利の逸話と、経津主の剣の神、武甕槌の武の神としての神格を合わせ、現在は専らスポーツの神として喧伝されています。

 

 

 

 

扁額

「帝室技芸員正五位秀真」とあります。鋳金工芸作家の香取秀真(かとりほつま)のことで芸術家の奉納扁額は初見かも。

 

 

 

 

当社では境内のいくつかの石碑やご由緒において、全力で藤原鎌足を権興としていますが、新編武蔵風土記稿には「信ずべきものにはあらざれど、寺社帳に応安四年(1371)鎮座の由載たれば古社なることは論なかるべし」としています。江東区の有償刊行物『江東区の民俗/城東編』でも初代神主・香取伊賀守が就いたのを建武年間(1334-1338)であると見ています。

 

 

 

 

名所江戸図会 亀戸香取太神宮の画像

挿絵は江戸名所図会:香取太神宮

新編武蔵風土記稿 葛飾郡西葛飾領亀戸村

香取社

當村の鎭守なり、祭神は經津主神なり、右に健御雷神左に大杉大明神を合せ祀れり、縁起に云當社は天智天皇四年乙丑大職冠鎌足東國下向の時勸請し、太刀一腰を納め朱雀院御宇俵藤太秀鄕將門追討の時參籠して弓矢を納めし事あり、其後大永三年當社を再興し又應安四年修造云々とみえたり、此事他の所見なけれは信すへきものにはあらされと、寺社帳に應安四年鎭坐の由載たれは古社なることは論なかるへし、享保の頃當社へ常州阿波郡大杉明神飛來せりとて、其頃參詣群集せりと云、

末社子守稲荷金比羅

 

 

 

 

境内社

本社殿向かって右側にあります。

 

 

 

 

三社宮

水神社 祭神:水波能女神 例祭:六月十五日 由緒:天明六年(1787)香取神社の神職が洪水を記念して石祠を建立したと言います(記念はお祝いのイメージがあるので一瞬びっくりするけど、記憶にとどめる意味合いがあるので誤植ではない)。

三峯神社 祭神:国常立命・伊弉諾尊・伊弉册尊・日本武尊 例祭:一月十九日 由緒:享保年間(1716-1735)梅屋敷の園主安藤喜右ヱ門が園内にお祀りしたのを明治になって境内社になりました。

熊野神社 祭神:家津御子大神ほか天神地祇十三社 例祭:八月十日 由緒:梅屋敷北側に鎮座していて北十間川通り拡張のため境内社になりました。

 

 

 

 

福神社

祭神:事代主神・大國主神 例祭:十月十五日 由緒:元々本社の相殿として奉斎されていましたが、亀戸七福神のために境内に鎮座しています。

 

 

 

 

稲足神社

祭神:面足神・惶根神 相殿:金山毘古神・宇賀御魂神 例祭:九月十五日 由緒:寛文九年(1670)創立、明治に亀戸普門院から当社に遷されました。琴平神社は宝暦年間(1751-1764)に香取神社の神職が祀っていたものです。宇賀御魂神は渡辺稲荷神社と称して明治十二年(1879)に合祀されています。

普門院にあった「面足神・惶根神」は第六天のことで、琴平神社は相殿の金山毘古神のことでしょう。

 

 

 

 

入神明宮

祭神:天照大御神 例祭:九月十五日 由緒:亀戸香取神社西側の梅屋敷と呼ばれた伊勢屋喜右衛門の別荘地(亀戸3-41-8)にありました。この辺りが入り江だったというころからあったそうですが、昭和63年(1988)香取神社の末社になっています。江東区内で最も古いと説明書きがあったので、藤原鎌足の時代よりもさらに昔なのだろうか。

 

 

 

 

三社宮の後ろに小祠があって中はお地蔵様のような像がはめ込まれていました。

 

 

 

 

社号標

境内社の近く、境内東側の参道には社号標があって、そこには「陸軍大将男爵荒木貞夫謹書(花押)」とあり、背面には「龜戸警察署 昭和十五年十一月 龜戸警察署長警視松井清吉書」とありました。警察の奉納品はかなりレア。たぶん他所に無いのでは。

 

 

 

 

宝物殿

宝物殿がある神社ってのも少数派で、神田、山王、湯島金王八幡井草八幡など大きな神社でしか見かけません。

 

 

 

 

当社は殊に太刀の奉納が多く、見える範囲で5振りほどあります。なかでもこの太刀は刃長だけで三尺五寸。実用ではなく最初から奉納目的なサイズ感。

 

 

 

 

大黒天恵比寿像

本社殿と宝物館の間にあります。水を掛けるようになっていますが、なぜ掛けるのかについては説明がありませんでした。小伝馬町の身延別院には油をかける大黒天様もありまして、有名なのは巣鴨とげぬき地蔵にある洗い観音でしょう。

大黒様(大国主)は米俵に乗り、恵比寿様は魚籠に乗っています。

 

 

 

 

社務所の脇にも小さい石祠が二基ありました。

日本最古の車輪止めかも。

 

 

 

 

写真は、2015.1.25(社殿・境内)、2022.1.10(境内設置物・升本) 撮影

 

備考

社号 香取神社

創建 建武年間(1334-1338)、伝:天智天皇四年(665)

祭神 経津主神、武甕槌神・大己貴神

祭日 1月19日三峯神社例祭、6月15日水神社例祭、8月10日熊野神社例祭、

    9月15日入神明宮・稲足神社例祭、10月15日福神社例祭

末社 三峯神社 水神社 熊野神社 入神明宮 稲足神社 福神社

社務所 御朱印御守り授与御祈祷受付有

所在地 東京都江東区亀戸3-57-22

その他 大島稲荷神社・大島愛宕神社・亀戸水神社を兼務

     亀有七福神のひとつ

 

 

周辺散歩

升本

創業明治38年(1905)、117年続く老舗の割烹。

亀有大根が食べられるお店はたぶんこちらだけなので行ってみました。

 

 

 

 

外にあったメニューを見たら、肝心の名物料理「亀戸大根とあさり鍋」は二人前からでした。

ただでさえ亀戸遠いのに。

 

ちなみに次回はこの升本が奉斎する『勝運稲荷』を掲載予定です。