今回の参詣は、湯島天神の名で親しまれる湯島天満宮ゆしまてんまんぐう)へ。

 

第三六五回 湯島天満宮  → 今回

第三六五回 湯島天満宮その2 境内遺構と例大祭 → 次回

 

以上、2回に分けて掲載します。

 

 

不忍の西南、春日通りに面したちょっぴり小高い丘の上に鎮座する天神様(菅原道真)を祀る神社。

雄略天皇二年(四五八)に天之手力雄命を奉斎する神社として創建、正平十年(一三五五)に菅原道真公を合祀して天満宮となる。太田道灌・徳川家康・徳川綱吉・新井白石など武家からの崇敬を集めた。

 

 

 

 

表鳥居

春日通りの巨大な表参道鳥居をくぐった先にある。

ここには銅製の鳥居があり、造りがとても豪華で東京都の指定有形文化財にしていされている。

寛文七年(1667)八月に建立。

 

 

 

 

見過ごされがちだが、鳥居の足元などよく見ると精工でかわいい獅子がひょっこりいる。

 

 

 

 

宝物館と絵馬所

 

参道向かって右側は御神輿や天神図画などを収蔵した宝物館、左側は自販機や喫煙所があるので気づきにくいが、和算や筆と硯、菅公のお面などの奉納絵馬を掲げた絵馬所になっている。

 

 

 

 

 

撫で牛

撫で牛(なでうし)または臥牛(がぎゅう)とも呼ばれる。参拝者自身の具合の悪い場所と牛の同じ場所をなでると治癒の御利益があるというもの。御利益を求める人より、可愛さ余って鼻筋をなでる人の方が圧倒的に多い。

 

手水舎の左右に二体安置されている。右側にあるのが金属製(銅製かな?)と、左が石製。

 

 

 

 

手水舎

手水鉢には「鑒清(かんせい)」と刻まれている。鑒は鏡のこと。水の清らかさを言っているのか、はたまた鑑の文字が持つ「真の姿を見極める」という意味なのか。

それにしても覆う屋根の彫刻が素晴らしい。といっても撮り忘れたんだけど。

 

 

 

 

 

狛犬

右が阿形で左が吽形。持ち物はないが、阿形は左前脚を、吽形は右前脚を上げる。

しなやかで痩身な姿は虎の様。

 

 

 

 

御社殿

平成7年(1996)に新たに造営された、総檜造りの権現造。現在の建築基準法では、防火地域は社寺であっても木像で新たに建てることはできないらしい。万全な防火設備を以て許可が下りたようだ。

 

菅原道真

別名を菅宰相、菅相公、古くは神格を以て言う際「菅神」とも、「天満大自在天神(そらみつだいじざいてんじん)」、「太政威徳天王(だじょういとくてんのう)」、「渡唐天神(ととうてんじん)」とも呼ばれた。現代の御祭神における表記は、どの神社でもおおむね「菅原道真公」。

 

渡唐天神の伝説

無実の罪で九州に流された事情を祭文にし、高山に登って七日七夜天道に祈祷したところ、満願の日に祭文が天に昇り雲を分け入って、帝釈天の宮殿を通り過ぎて梵天までも届いた。「三四月」という詩は唐の国に飛んだ。

 

仁治二年(1241)、宋から帰った博多崇福寺の住持聖一国師円爾(しょういちこくしえんに)のもとに菅神が現れ禅を問う。円爾の師である宋の仏鑑禅師無準師範を師とするよう答えたところ、菅神が直ちに宋に渡り禅師に参禅し衣鉢を受け、再び円爾のもとに帰りその法衣を授けたという。そこから「渡唐天神」「渡宋天神」とも呼ばれるようになる。

 

御社号

全国にある菅原道真を祀る神社の御社号(社名)は、「天満宮」「北野神社」「天満天神社」「天神社」「菅原神社」がある。

 

当社は正式には「湯島天満宮」といい、湯島天神は通称、ご年輩がいう湯島神社というのは明治から戦後にかけて用いられた旧称で、また天神を祀る1355年以前は、湯島の地主神としてあった戸隠神社を湯島神社といった。このお社は現在、御本社裏(境内北側)に鎮座している。

 

 

 

 

3月25日は、末社笹塚稲荷神社の祭礼日。午前9時ごろから拝殿にて演舞奉納。時期的に言うと合格成就のお礼参りの参拝者に披露していたのかも。

 

 

 

 

冬場は受験シーズンとあって、休日には大勢の受験生が集まる。平日は、サラリーマンというか男性の参拝が多い。営業回りのお仕事ついでにお子さんの祈願だろうか。

 

御由緒 境内掲示より字体改行などそのまま記載

湯島神社 由緒

 御祭神 菅原道真公 天之手力雄命

 例祭日 五月二十五日

湯島神社は湯島天満宮、湯島天神として

全国津々浦々まで知られている

雄略天皇の勅命により、御宇二年(四五八)一月創建と

伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで

降って正平十年(一三五五)二月郷民が菅公の御偉徳を

慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請した

文明十年(一四七八)十月太田道灌これを再建し

天正十八年(一五九〇)徳川家康公が江戸城に入るにおよび

特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月

豊島郡湯島郷の内五石の朱印地を寄進し、もって

祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わう

ようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである

その後、林道春、松永尺五、堀杏庵、僧堯恵、新井白石

など、学者文人の参拝もたえることなく続いた

徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび

この地を久しく文京の中心として

当天満宮を崇敬したのである、明治十八年に改築

された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月

後世に残る総檜木造りで造営された

 

 

 

 

江戸二十五天神 えどにじゅうごてんじん

江戸御府内において有名もしくは広大無辺の御神徳と評判の天神社を25社選出したもの。

時代や刊行物によって選出が異なり、また廃止にともなって新たに選出し補ったものもある。二十五天神に選ばれた天神社は現存するもので34社、廃止または行方不明は3社。

詳しくはこちら → 二十五天神考察  

 

 

 

 

鷽替え神事 うそかえしんじ

毎年正月の初天神の日に開催される神事。これは、菅原道真が誕生日も命日も25日だったことから、全国どこの天神社でも毎月25日を縁日と定め、新年最初の縁日を初天神という。

 

限定的なものではあるけれど、神社によってはこの初天神の日に鷽替え神事が催行され、鷽という鳥を模した一刀彫の御守りが授与される。

 

鷽は各社の神職ないし宮司が御手ずから作るので、数量に限りがありまた鷽の顔立ちに個性がある。

 

詳しくはこちら → 鷽替神事七社

 

 

次回、「第三六五回その2」は、湯島天満宮の摂末社と境内遺構、例大祭を掲載します。

 

 

写真は2014.1.26・2016.3.25(境内)、2014.5.25(例大祭) 撮影

備考

 

社号 湯島天満宮 ゆしまてんまんぐう

別名 湯嶋天神 湯島天満社 湯島神社

祭神 天之手力雄命 あめのたぢからをのみこと

    菅原道真公 すがわらみちざねこう

創建 正平十年(1355) ※湯島天満宮としての創建

祭日 五月二十五日

摂社 戸隠神社

末社 笹塚稲荷神社 天三火伏三社稲荷社 弁天祠

社務所 神札御守授与御祈祷受付有

所在地 東京都文京区湯島3-30-1

その他 戸隠神社(本義の湯島神社)は、雄略天皇二年(459)創建

     江戸二十五天神の一つ、鷽替え神事催行

 

※備考欄の内容は、当該社寺の公示又は典拠を基に記載し、不明瞭なものは空欄にしてあります。

またこのブログ内の記事は、散歩としての見所やおススメポイントとして、私が感じた主観的な評価であり、当該社寺の格式や宗教的価値、ご利益等を評価したものではありません。