華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~ -42ページ目

華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~

ヲタクで変人、社会のはみ出し者を自称する広島のアウトロー【クズノキワミオヤヂ】が戯言・寝言・妄言・世迷言・虚言・失言・暴言などをグダグダ垂れ流す独り言ブログです。

世間ではご先祖様をお迎えするはずのお盆でありながら、何故か我が家は居酒屋のどっちゃん騒ぎの酒盛りとなり、ようやく静まり返った我が家…。





いやぁ…親戚のおっちゃんたちのあの元気はどこからやってくるんでしょうね…σ(^^;)

特に長崎の親戚筋は皆“のんべぇ”で、用意していた芋があれよあれよとみてて(=無くなって)しまうため、参った参ったw

アルコールが回ったおっちゃんたちの相手は大変…(´・ω・`)

というか、今日は終戦70年の節目──ちょっとシリアスな話題が出るかと思いきや、お下品な下ネタしか出ない…(汗)





~~~~~~~~~~~~~~~~閑話休題~~~~~~~~~~~~~~~





おそらく、戦前~戦中に作られたと思われる、すっかりお馴染み(?)の懐中モーリス。

第二次世界大戦という激動の時代──空襲などの戦火を免れ、戦後の混乱期を経て長年の風雪に耐え、今日まで生き残ってきたこの時計も、明日の命も知れない過酷な戦場で戦った兵隊さん(軍属や義勇兵も含む)、その日その日を生きるのに精一杯だった銃後の国民たちが何とか戦争を生き残り、空襲で焼け野原となった荒れ果てたお国(故郷)をイチから建て直そうと奮起し、しんどい思いをしながらも懸命に働き、今日の豊かな日本、自由に物が言え、苦役を強制されるコトのない平和な時代を作って下さった昔気質の先人たちの姿と重なる部分がある。

この懐中モーリスの元の持ち主はたぶん、既に鬼籍に入られ、この世を去られているかもしれませんが、巡り巡ってこうして私の手元にやってきたのもきっと何かの縁。

元の持ち主はどういった方で、この時計はどのような歴史をを歩んできたのか……それを知る術はありませんが、時計に付いた擦り傷や凹み、メッキの剥げ、文字盤の汚れや傷み…これら一つ一つが名もない“記憶”や“エピソード”があるのかなというコトだけは分かります。

もし、こういった長く生き残ってきた時計にも所謂【付喪神】的な、人の“心”“魂”みたいなものが宿るとするなら、物が豊かになり、戦争の記憶が風化しつつあるこの現代日本の今の姿を見てどのように感じ、どう思うのでしょうか…。

テンプの振れる音は何時と変わらないですが、私には何となく今日はこの懐中モーリスから「(戦争の)過ちを繰り返すな」「平和の尊さ、今ある幸せの有り難さを忘れちゃいけないよ」──そんなおじいちゃんの“説教”“忠告” にも似た、声にならない声が聞こえてくるような気がします。

オイラが生きている間──いや、それ以降の代が生きている時代も戦争のない平和な日本が続くコト、そしてこの世から戦争が無くなり、真の平和が訪れるコトを祈りながら、終戦70年の節目という今日という日を終えようと思います。



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どうもこんばんは。

しばらくブログの更新がありませんでしたが、とりあえず生存報告とここ数日の近況。

実は12日~13日の間は私の生まれ故郷となる長崎県の壱岐へ新幹線とフェリーを乗り継いで行き、母方の祖母(←ナガサキの原爆による後遺症で白血病となり、42歳という若さで亡くなった)の墓参りをしてきました。

壱岐は私の生まれ故郷であると同時に祖母の生まれ故郷である土地。

ただ“墓参り”とはいうものの、ここにはお墓はなく、正確には祖母の遺灰を納められたお寺が遺灰ごと災害で流された後の廃寺跡への“訪問”というのが正しく、同時にかつて私たち家族が住んでいた自宅の跡地(※)がどうなっているのか、今頃になって気になったコトで実に30年振りに訪れました。

※災害で倒壊した状態のまま放置され、既に30年以上が過ぎ、辺り一面は草木が生い茂り、往時の姿はなかった。

この土地は過去の辛い体験を思い出してしまうコトから、広島に移住してからはこの土地とは疎遠になっていたのですが、祖母の墓参りという縁もあり、こうしてまた訪れてみようという心境になり、来てはみたものの、やはり生まれ育った故郷の荒れ果てた姿は見るに耐えないものがあり、自然とポロポロと涙が零れ、しばらくは涙が止まりませんでした。

単純に比べられないけれど、戦争や飢饉など様々な事情で国や故郷を失う、追われるなどして難民となる方々の悲しみや無念さってきっとこんな気持ちなんだろうなと、私はつくづく思います。

帰る故郷が無くなる──こういう辛い経験はもう二度としたくありませんね…。





祖母の墓参りや自宅跡地の訪問を終えてフェリーで長崎市に帰り、次に母方の祖父、じっちゃんの墓参りに行き、それから去年結婚した従兄の家を訪れてこの日はここでお泊まり。

翌13日に長崎市を立って広島に帰ってきました。

んで、昨日はお盆に親戚を新居に呼ぶため、従姉のひよこ、そしてその息子2人を連れ立って隣町に出来たばかりの某地場系大型ショッピングモールへ食材やお菓子、アルコールなどの買い出しに出掛け、今日は遠路はるばるやってきた長崎の親戚(母方の親戚筋)と、隣の山口から来たじい様の古い親戚(じい様の18歳下の末弟、89歳、私から見て大叔父)、市内の被爆者(原爆症患者)向けの老人ホームに入所している私のじい様の妹の息子(じい様から見て甥)になるおじいちゃん(74歳)、そしてひよこたち親子3人も含め、総勢4世帯11人が集まり、昼間からもうこれでもかというくらいのどっちゃん騒ぎ(苦笑)

宴会は夕方過ぎまで続きは今はようやく宴会もお開きとなり、今日は長崎と山口から来た親戚6人がお泊まり。

こういう時、家族3人で住むには無駄に広い我が家の真価が発揮され、1階と和室と仏間、2階の空き部屋を客間として使えば最大10人くらいは余裕で泊まれ、断熱材やペアガラス、空調設備がしっかりして居住性が良いため、旧宅の時よりも快適に宿泊してもらえます。





ここ数日は墓参りであっちへ行き、こっち行き、んでもって昨日はお盆の買い出し、今日は今日で終戦の日だというのにどっちゃん騒ぎの宴会……疲れましたよ…σ(^^;)

まぁ、こんな風に当たり前にお盆を迎え、のんきに宴会が出来るくらい平和な時代に生まれ、生きるコトが出来る幸せに本当に感謝しなければいけません。

平和をお祈りして静かに過ごすのも一つの過ごし方ですが、こうして明るく元気な、幸せな笑い声が響く終戦70年目の節目を迎えるというのも平和を望んで止まなかった、あの戦争で亡くなられた戦没者の方々への手向けの花、供養になるのではないのかなと私は思っています。

生きたくても生きられなかった戦没者の方々の無念や悔しさ、悲しみ…それらを真摯に受け止めつつ自分たち戦後世代が精一杯生き、この平和を維持していくコトが大事ですよね。





70年前の戦争で命を落とした、敵味方全ての戦没者のご冥福をお祈りいたします。



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ただいま帰宅…。





すでに日付は変わっていますが、今夜はちいとばかし疲れたのうー…(´д`)

あ、実は昨日(11日)は市内にある某老舗映画館(レイトショー)に行っていまして、新旧の映画を3本(新作1本、旧作2本)ほど鑑賞してきました。

昨日はその老舗映画館の開館記念日にして施設の改装に伴いしばらく休館するため今日が最後の営業日。

そして旧式化した設備の一新により、フィルムによる上映はコレが最後(デジタルに完全移行)で、地元で長らく生き残っていた昔ならではの古き良き昭和の雰囲気を残した映画館は消えてしまうコトから、見納めじゃないですが、最後にもう一度だけここで映画を見たくなり、足を運んだ次第です。

オイラが中学生の頃からよく映画を観に行っていた思い出の場所でもありますからね。





物覚えが悪い鳥頭なオイラですが、ここで昔観た映画は大体覚えていて、当時テレビドラマで食い入るように観ていた【あぶない刑事】の劇場版や、【うる星やつら】や【超時空要塞マクロス】【機動戦士ガンダム(逆シャア)】などのアニメ映画とかも今でも脳裏にしっかり焼き付いています。

当時はVHSやLDはありましたが、これらはデッキも含めて高価だったコトもあり、映画館の大きなスクリーンで観る映画こそが映像娯楽の花形でしたね。





今はケーブルテレビやインターネット、それにDVDやBRなども普及し、若者に限らず“映画館離れ”が進んでいるコトもあってか、映画業界は何かと厳しい時代と言われているようですが、映画館は映画館でしか味わえない大迫力や臨場感があるため、自分はわざわざ家庭用のプロジェクターやスクリーンといった機材に投資なんかしなくても映画館に行けばはるかに安上がりだと思います。

もっとも…オイラの場合は昭和の匂いが残るちょっとボロいくらいの映画館でポップコーンを食いながら映画を観るというのが好きなんですけどね…σ(^^;)





まぁ、どちらにせよ、昨日はしっかりと最後のフィルム上映を満喫してきました。

祭りが終わった後のあの何とも言えない“寂しさ”に似たものをまだちょっと感じますが、これも時代の移り変わりとして仕方がないですね…。

↑久しぶりにゼンマイを巻いて動かしているメヂス(スイス製)。戦前の個体でOHもまだなコトから、日差は+5分。しかし、こんな小さな時計でも元気良くテンプの振れる音がしっかり聞こえ、調子はまずまず。聞き慣れないブランド(メーカー?)ですが、粗悪な感じはなく、むしろ品質的にしっかりした感じ。



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下界(市内)の街へ外出。

こんな時間に街へ外出なんて南部廣洲にしては珍しいなぁと思われるでしょうが、まぁ、何てコトはないただの“野暮用”です。

今日は日中、割とカラっとした天気で湿気もそんなに感じなかったので、今の時間帯は涼しく、そんなに汗もかかないのでいいですね。

オイラにしては珍しく、今日は小綺麗な格好をしていくので、何となく(?)モーリスGP01をお供に…。





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今日は長崎原爆の日。

生まれ故郷となるナガサキを想いつつ、テレビ中継の画面に向けて一分間の黙祷を捧げる。

母方の祖母が被爆者で、私の母親を産んで数年後、40代という若さで白血病で亡くなり、母方の祖父や被爆当時、祖母のお腹の中にいた母親の兄(伯父)から祖母の壮絶な被爆体験と原爆症に起因する白血病により身体を蝕まれていった様子を闘病中の祖母を写した当時の写真と共に間接的ながら話を聞き及んでいたコトから、核兵器の恐ろしさを最初に知るキッカケとなった。

原爆といえばヒロシマばかりが注目され、ナガサキはいささか地味に扱われますが、ナガサキもヒロシマと同じく“人類史上最悪の悲劇”の一つであったコトに変わりはなく、ナガサキで起こったコトは決して忘れてはならないコトです。

もし、ナガサキの悲劇がなければ、母方の祖母は若くして白血病で死ぬコトもなく生き長らえ、私と祖母は生きて直接会うコトが、話をするコトが出来たかもしれない──そう思うと、何ともやり切れないものを感じます。

なお、祖母は死後に村の焼き場(露天)で荼毘に付した際、白血病の影響で骨が脆くなっていたからなのか、遺骨は全く残らなかったらしく、仕方がなく遺灰を持ち帰って近所のお寺に納めていたそうですが、土砂災害でお寺が流されて祖母と遺灰も流されてしまったために長らくお墓はなかったのですが、つい最近になってお墓の代わりに祖母が生前に原爆について読んだ一句を刻んだ碑文を母方の祖父のお墓の横に作ったと、母方の従兄から便りを受けました。

広島に移住してから長崎には法事以外ではほとんど足を運ぶコトもなくなりましたが、今年のお盆は久しぶりに長崎を訪れてみようかと考えています。



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今日はちょいと暑かったですなぁ…(^^;)

まぁ、夏なんだから当たり前っちゃ当たり前なんですが、今日の日中は昨日よりも3℃高い37℃…。

これはまだ序の口で、もっと暑い時は気温が40℃近くになるコトもザラな広島の夏。

かといって冷房が大の苦手で、ひたすら扇風機と団扇で涼み、日陰に入ってじっと休むというのがオイラのベタな夏の過ごし方。

目の前に瀬戸内海はあっても(子供の頃に海で溺れてマジで死にかけた過去から)海が怖くて海には指先一本、絶対に浸からない海育ちの男(笑)なのだから聞いて呆れますよねwww





↑台東商事(TAITO) COLT WOODSMAN 6inch HEAVY BARREL──これもかれこれ20年ほど前の旧MGCの再販品。MGC系のハンドガンでは実はコルトウッズマンが一番好き。子供の頃から十四年拳銃やマウゼルC96など、銃身が剥き出した細身でスマートな拳銃が好みだったコト、若い頃にグアムでの射撃ツアーで一番撃っていたハンドガンは実は22口径が圧倒的に多くで、コルトウッズマンもその一つでした。



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70年目の“あの日”──広島原爆の日を迎えました。

父親が広島県民、母親が長崎県民──長崎生まれの広島育ちの私も被爆2世であり、被爆3世(我が家のばあ様と父親、母方の祖母が被爆者)であるコトから、祖母や父親の被爆体験を聞く機会があり、被爆2世を対象にした健康相談や検診なども何度か受けた経験もあり、原爆は決して他人事の問題ではなく、身近な問題という認識を持ってこの日を迎えています。

核の傘、核武装の議論、そして最近だと安保法案(一部では“戦争法案”とも)の是非や集団的自衛権の問題でくすぶる今、戦後70年の節目に日本の安全保障を取り巻く環境は転換期を迎えようとしていますが、オイラ個人の考えとしては如何なる大義名分があろうと核兵器の存在だけは絶対に容認出来るものではなく、一度実戦使用されれば何十万、何百万という人間が死に絶え、生き残った者すらも俗に“原爆症”と呼ばれる放射線障害による後遺症で苦しみ続け、その負の連鎖は直接被曝していない次世代の遺伝子にも深刻なダメージとなりうる可能性を孕んでおり、核兵器は残虐極まりない、卑劣な悪魔の兵器だと思っています。

ただ、一部の識者や核武装を容認する少数の議員の間では倫理的、道義的なものを無視出来るなら憲法解釈上は自衛用(報復用)の小型戦術核であれば日本でも保有可能な可能性が指摘されているのも事実で、本気でこんなコトを考えている方は核兵器の実情を知らないのかと、疑わざるを得ません。





年々、被爆体験を証言出来る方が少なくなり、原爆の記憶が風化していく中で、記憶の継承はまさに待った無し。

私の身近でも被爆体験を持つのは親戚のおじさん(85歳。現在は市内の原爆症患者向けの老人福祉施設に入所)ただ1人となり、最近は認知症で記憶を辿るのもおぼつかなくなってきているコトから、当時の証言を聞けるのは今年で最後になるかもしれないので、お盆で親戚を自宅に招いた際に聞ける範囲内でしっかり耳を傾けようと思います。

自分もこの身体に原爆の記憶(傷跡)を遺伝子に背負って生まれた被爆2世、3世としての宿命みたいなものを感じますし、直接何か出来るワケではないですが、“核兵器はダメ、絶対!”“ヒロシマ、ナガサキの悲劇を繰り返すな!”と、生きている限り声を上げ続けていくコトは出来ます。

世界では今なお戦争テロ宗教対立貧困を引き金とする暴力と殺戮の連鎖が繰り返され続けている中、この世から少しずつでもそういった死と恐怖を撒き散らすもの無くなり、全ての人が安心して暮らせる時代が訪れるコトを祈るばかりです。

久しぶりにトイガンネタで記事を書こうと、画像とか用意していたんですが、今日は戦争や原爆で命を落とした犠牲者のご冥福と世界の平和をお祈りする日ですから、トイガンやミリタリーネタは自粛いたします…σ(^^;)



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夏の果物で好きなものブログネタ:夏の果物で好きなもの 参加中

自分が子供の頃、住んでいた島にはスーパーなどはなく、小さな商店(八百屋、魚屋、雑貨屋、駄菓子屋など)が島内に数件あるだけで、食糧品の大半は本土から船で輸送するために輸送費なでのコストで食糧品の価格も高く、今みたいに冷凍庫は備え付けられた船ではなかったため、日にちが経って鮮度が落ちたものばかりでしたから
、大抵どこの家庭も家庭菜園~本業に近いレベルで野菜を作っていて、野菜を作る土地や術がない家庭は地元の農家から直接買い付けるのが一般的でした。

果物も大体似たような状況で、夏の果物になるスイカやモモは栽培している農家から手に入れるのが手っ取り早かったです。

ちなみに我が家はスイカやモモよりもイチジクを多く栽培していて、子供の頃によく食べたのこちらだった。

今でこそコンビニやスーパーに行けば年がら年中、様々な果物が手に入り、何でも食べられますが、本土から離れた島の暮らしではこういた家庭や地元の農家で栽培された果物が貴重な甘味モノでしたね。

オイラが小学校中学年の頃に、一時期家がブチクソ貧しかった時期もありましたから、それらには本当に世話になりました…σ(^^;)

でも、イチジクは主に現金収入を得るための出荷用というコト、形や見栄えが悪い、商品にならないものが出たら自家消費するという感じでしたから、普段はもっぱら湧き水で冷やしたキュウリばっかりカジってました(苦笑)

イチジクは自分が子供の頃の生活ぶりを思い出す果物なので、今でも仏壇のお供え物として上げ、お下がりでいただきます。
8月に入ってからグッと気温が上がった今日この頃…。



とはいえ、今日は気温が34℃と涼しかったコトもあり、比較的過ごしやすい陽気でした。

↑趣味と呼べるほどではないが、半ば習慣みたいになっている夕方の散歩兼軽いジョギングの途中。ここは地元でも有名な河原沿いのジョギングコース。橋の端っこから撮影。


↑近所のお寺(浄土真宗西本願寺派)。手前にある2本のイチョウがこのお寺のシンボル(ランドマーク)。老朽化で傷みが目立ってきたのか、何やら改修工事をしているらしい。





どうもオイラは昔から冷房の類が苦手(冷え性)で、冷房が利いた屋内よりも少し暑いくらいの屋内で扇風機や団扇で扇いで過ごす、屋外で汗を流して動きながらも定期的に日陰に入って休むくらいの方が身体にはラクなので、日中はほとんど屋外にいます。

元々温暖な瀬戸内海に面した地域で生活し、若い頃から肉体労働者という職業柄、劣悪な環境での野良仕事には慣れているので、暑さには割と強い方です…(苦笑)

まぁ、じっとしていられない性分なので、こうして暇を見つけては30分~1時間程度は散歩とジョギングをするというのがデフォですね。

もちろん、屋外での活動では必ず水筒を持参するのは言わずもがな…。

熱中症で命を落とす方は子供や年寄りも実はなまじ体力がある若い世代で、「自分は大丈夫」「若いから」などと言って無理をして倒れるパターンが思いのほか多い。

自分のような微妙な年齢のオッサンは特に要注意だ…(苦笑)

皆さん、熱中症だけは気を付けましょうね。

この時期は何かと飲料代が掛かりますが、自分の健康や命を守るコトを考えれば月々の飲料代なんて安いもんですよ。

倒れてからでは手遅れなんですから…σ(^^;)



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うなぎ好き?ブログネタ:うなぎ好き? 参加中
私は普通
オイラは養殖モノ(シ○チ○ン産)の脂ギッシュなウナギよりも子供の頃に近所の小川で穫れた天然モノ(地元産)の脂が少ない素朴な味わいのウナギが好きで、さらに言えばウナギよりも瀬戸内海の海で穫れた天然モノ(安芸の宮島で有名な廿日市市の宮島産)のアナゴが大好物。

本当に美味いアナゴを一度でも食べると、ウナギなんて大味で野暮ったく、特に脂がギダギダな養殖モノなんて食えたもんじゃない(※)と私は思います。

※ウナギが大好きな方には大変申し訳ないですが、私も歳を重ねて味覚や嗜好が変わったコトもあり、脂っぽい食事は苦手になりまして…σ(^^;)

宮島のアナゴ飯とか本当に食べたくなります。




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