どうもこんばんは。
しばらくブログの更新がありませんでしたが、とりあえず生存報告とここ数日の近況。
実は12日~13日の間は私の生まれ故郷となる長崎県の壱岐へ新幹線とフェリーを乗り継いで行き、母方の祖母(←ナガサキの原爆による後遺症で白血病となり、42歳という若さで亡くなった)の墓参りをしてきました。
壱岐は私の生まれ故郷であると同時に祖母の生まれ故郷である土地。
ただ“墓参り”とはいうものの、ここにはお墓はなく、正確には祖母の遺灰を納められたお寺が遺灰ごと災害で流された後の廃寺跡への“訪問”というのが正しく、同時にかつて私たち家族が住んでいた自宅の跡地(※)がどうなっているのか、今頃になって気になったコトで実に30年振りに訪れました。
※災害で倒壊した状態のまま放置され、既に30年以上が過ぎ、辺り一面は草木が生い茂り、往時の姿はなかった。
この土地は過去の辛い体験を思い出してしまうコトから、広島に移住してからはこの土地とは疎遠になっていたのですが、祖母の墓参りという縁もあり、こうしてまた訪れてみようという心境になり、来てはみたものの、やはり生まれ育った故郷の荒れ果てた姿は見るに耐えないものがあり、自然とポロポロと涙が零れ、しばらくは涙が止まりませんでした。
単純に比べられないけれど、戦争や飢饉など様々な事情で国や故郷を失う、追われるなどして難民となる方々の悲しみや無念さってきっとこんな気持ちなんだろうなと、私はつくづく思います。
帰る故郷が無くなる──こういう辛い経験はもう二度としたくありませんね…。
祖母の墓参りや自宅跡地の訪問を終えてフェリーで長崎市に帰り、次に母方の祖父、じっちゃんの墓参りに行き、それから去年結婚した従兄の家を訪れてこの日はここでお泊まり。
翌13日に長崎市を立って広島に帰ってきました。
んで、昨日はお盆に親戚を新居に呼ぶため、従姉のひよこ、そしてその息子2人を連れ立って隣町に出来たばかりの某地場系大型ショッピングモールへ食材やお菓子、アルコールなどの買い出しに出掛け、今日は遠路はるばるやってきた長崎の親戚(母方の親戚筋)と、隣の山口から来たじい様の古い親戚(じい様の18歳下の末弟、89歳、私から見て大叔父)、市内の被爆者(原爆症患者)向けの老人ホームに入所している私のじい様の妹の息子(じい様から見て甥)になるおじいちゃん(74歳)、そしてひよこたち親子3人も含め、総勢4世帯11人が集まり、昼間からもうこれでもかというくらいのどっちゃん騒ぎ(苦笑)
宴会は夕方過ぎまで続きは今はようやく宴会もお開きとなり、今日は長崎と山口から来た親戚6人がお泊まり。
こういう時、家族3人で住むには無駄に広い我が家の真価が発揮され、1階と和室と仏間、2階の空き部屋を客間として使えば最大10人くらいは余裕で泊まれ、断熱材やペアガラス、空調設備がしっかりして居住性が良いため、旧宅の時よりも快適に宿泊してもらえます。
ここ数日は墓参りであっちへ行き、こっち行き、んでもって昨日はお盆の買い出し、今日は今日で終戦の日だというのにどっちゃん騒ぎの宴会……疲れましたよ…σ(^^;)
まぁ、こんな風に当たり前にお盆を迎え、のんきに宴会が出来るくらい平和な時代に生まれ、生きるコトが出来る幸せに本当に感謝しなければいけません。
平和をお祈りして静かに過ごすのも一つの過ごし方ですが、こうして明るく元気な、幸せな笑い声が響く終戦70年目の節目を迎えるというのも平和を望んで止まなかった、あの戦争で亡くなられた戦没者の方々への手向けの花、供養になるのではないのかなと私は思っています。
生きたくても生きられなかった戦没者の方々の無念や悔しさ、悲しみ…それらを真摯に受け止めつつ自分たち戦後世代が精一杯生き、この平和を維持していくコトが大事ですよね。
70年前の戦争で命を落とした、敵味方全ての戦没者のご冥福をお祈りいたします。
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