華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~

華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~

ヲタクで変人、社会のはみ出し者を自称する広島のアウトロー【クズノキワミオヤヂ】が戯言・寝言・妄言・世迷言・虚言・失言・暴言などをグダグダ垂れ流す独り言ブログです。

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どうもこんばんわ。

そしてご無沙汰しております。

令和2年──最初の記事です。

この記事は諸事情により令和2年2月29日執筆、7月7日(七夕の日)自動更新による投稿です。

おそらく、この自動更新が解除されず、こうして読者の方にこの記事を読まれているという事はクズキワは物理的にブログが更新出来ない状態、あるいは万が一が起きた可能性が高と思われます。

しかし、自分はこの記事を通してどうして書き留めておきたい事、伝えたい事がありますので、限りなく個人的な内容にはなりますが、2つほどご報告させていただきます。

1つは昨年の令和元年12月30日22時26分、祖父がお浄土へ還られました。

享年109歳──診断は多臓器不全──【老衰死】でした。

この日は既に世間様は休業ムードで、火葬場も三が日まで閉まっている事もあり、お正月気分の親戚や付き合いのあった戦友会の方に配慮して通夜は4日、告別式は遠方に住む親戚や会員の都合、広島に到着する日程などを考えて6日に行い、祖父が亡くなってから荼毘に付すまで1週間以上も掛かってしまいました・・・。

幸い、季節は冬場──記録的な暖冬とはいえ、地元は気温の低い山間の田舎という事で、ドライアイスによる冷却と遺体の防腐処理で対応(※近隣に長期間遺体を安置出来る施設が無かったため)。

葬式の日まで葬儀屋の人が毎日訪問して遺体の状態をチェックして下さった事から自宅で安置するにあたり衛生状態を保てるギリギリのところまで遺体が保ってくれました。

これで良かったのか悪かったのか分かりませんが、祖父が亡くなってから家に連れて帰り、荼毘に付して骨壺になるまで家族と一緒に居られた時間は長かった事は考えようによってそれさある意味“幸い”だったのかもしれません。

悲しみをよそに通夜・告別式は滞り無く執り行われ、骨壺になって桐箱に入った祖父を持ち帰ってからの記憶があまり無く、そこからの時の流れは早く、気が付くと今月(2月)17日に他宗派で言うところの四十九日(※我が家は浄土真宗なので四十九日法要を行わないため)を迎えていて今に至ります。

自分にとっての心の拠り所、我が家の“生ける宝物”を失ったこの悲しみと寂しさ、心に空いた喪失感は当分の間続くと思います。

今は、時の流れに任せ、いずれ時間が解決してくれるものだと信じて過ごしていくしかありません。





そして2つ目の報告ですが、私、クズノキワミオヤヂにが見つかりました。

皮肉にも、9年前に癌で死んだ父親と同じ食道癌でした。

最近、今まで感じた事がない身体のダルさ、食欲不振、急激な体重減少、外出中に気分が悪くなって道端で倒れ、そのまま救急車で市内の病院に担ぎ込まれて精密検査を受けた時に判明しました。

検査時点でステージ2──リンパ節への転移は今のところ見られないものの筋肉層を超えて浸潤している可能性が高く、今の癌の進行速度で治療を受けなかった場合、余命半年くらいと診断されました(※記事を執筆する10日前の2月19日時点)。

医者によると食道癌の5年生存率は約38%ほどだそうで、直ぐに外科手術を受け、抗癌剤や放射線治療を始めた方がいいと勧められました。

この診断結果を直ぐに家人の者(従姉、従甥)に伝え、今後の癌治療は?クズキワを含め共働きの従姉の仕事は?従甥の学費は?・・・などなど、いろいろ話し合いました。

今後予想される癌治療の厳しい道のり、それを支えるであろう従姉や従甥の日常生活への支障、肉体・精神的な負担、そして最大の懸案である治療費などの経済的負担などを考えた結果、辛い癌治療や苦しい闘病生活はしたくないので治療は一切行わず、最期を住み慣れた自宅で過ごす事としました。

もちろん、家族は猛反対しましたが、クズキワが生き長らえるためにこれから費やさねばならないお金と葬式に掛かるお金、どっちが安上がりで済むか、そして我が家にとって経済的負担にならず、残される従姉と従甥が路頭に迷う事を回避する最善策はコレしかないと、冷静且つ合理的・客観的な観点から自分で決めた事です。





中年になってから自分がADHDと反社会性人格障害と診断されるまでクズキワが子供の頃からモヤモヤと感じていた“生き辛さ”だったりの社会の中での“居場所の無さ”だったり何をやっても満たされない“埋めようのない虚しさ”だったりをずっと抱えて生きてきましたし、「生きているのが嫌だ」「早く死にたい」と、過去に何度となく自殺未遂や失踪を繰り返してきたクズキワとしてはこの癌宣告は合法的に“自殺”が許される免罪符(積極的に死を選ぶ権利)──最高の贈り物──だと思っています。

ですが、心残りがあるとすれば、作りかけのプラモは完成させたかった、身の回りのコレクションの整理(断捨離)をしたかった、今年で初老の仲間入りだけど童貞は捨てたかった、彼女居ない歴=年齢だけど恋愛や結婚は一回くらい経験したかった、タネナシだけど自分の生きた証(子種)を残したかった、今年の7月23日に開幕する東京五輪のチケットがあるので五輪の観戦をしたかった、長らく日本一から遠ざかった広島東洋カープの日本一をもう一度拝みたかった──などなど、最期の日を迎えるまで未練が無いかと言えば嘘になります。

なので、心残りの中でも今出来る事(積みプラ崩し、断捨離、童貞卒業)をやり、泣く泣くでもGW、そして東京五輪を東京で観戦するため、開幕(7月23日)~閉幕(8月8日)までは生きねばという目標もあります。

次の記事でこれらの小さな目標達成の報告が出来ればいいのですが、この記事の自動更新が解除されていない時点でもうダメだと思ってください。

記事を書いていて、そういう悪い予感がしてなりません。





頭を打った後遺症で記憶が曖昧になっているので記憶が飛び飛びで思い出せない部分もありますが、以前お付き合いがあったと思われる数少ないブロ友さん方へ──コレがおそらく遺書になるかもしれませんので、最後に一言。

こんな性根の悪いひねくれ者の不良中年のオッサンと仲良くしていただいて本当にありがとうございました。

可能性は低いですが、もし万が一生きていれば必ず更新(生存報告)します。

東京五輪まで生きている事を信じて・・・──ほいじゃ、さようなら。

どうもこんばんは。

やっとクリスマスシーズンが終わりましたな。

仏教徒の我が家には関係ないですが、昨日は家族で回らない寿司屋に行きました。

しかし、回らない寿司屋で普段なかなか食べられないようなお高い寿司を食べていても味が分からず、イマイチ食も進まなかった事から結局直ぐ店を出てしまいました。

その理由はその場には居なかった祖父の事です。

本当は祖父も寿司に連れて行きたかったんですが、容態の悪化で自宅での介護がついに限界となり、先週から再び病院へ預ける事となり、今度ばかりはもう身体が持たない(年は越せない)と医者に言われ、もうこれが“最期”だと覚悟して一昨日(24日)は祖父の入る病室で簡単なクリスマスパーティーもどき(茶菓子の飲み食いと祖父にクリスマスプレゼント)を家族で行い、記念にと家族写真を撮影。

一昨日に続き昨日も夕方まで祖父の病室で過ごし「明日また来るよ」と言って病室を後にしましたが、祖父を独り病院へ残していくのは毎度まいど心苦しいです・・・。

「わしはいいから(家族3人で)食ってきんさい」

我が家の祖父は認知症も少しありますが、これまでの人生経験(若い頃の壮絶な従軍体験、戦後にいろいろ苦労した事)もあってか、ああいう状態になってもなまじワガママや文句を何一つ言わない人で、自分の気持ちよりも家族や他人の事ばかり心配・優先する人です。

だからこそ、辛くても寂しくても弱音や泣き言も言わず、本当は耐えているのが精一杯な祖父を寿司に連れて行ってやれない、家族一緒にメシを囲んでやれない自分が腹立たしいです。

もう完全に病室から動ける状態ではないし、祖父は胃ろうや点滴などの延命治療を一切拒否し、食べ物や水も受け付けない以上、“その時”を待つしかない──もはや家族には何もしてやれる事がありません。

今の現代日本が自宅で家族の看取りを出来る家庭が減った理由は看取る家族の精神的な負担だけでなく、家族にもその日その日の生活(仕事や学業)があり、これに核家族化共働きも加われば日中は家に誰も居ない事は分かり切った事で、「最期はせめて自宅で家族と・・・」を考えていても結局は病院や施設などへ預けざるを得ず、現実はなかなか理想通りにはいかない実状を冷静に判断出来ず、感情でしか物を考えられなかった自分は甘く見ていました。

自分は父親、母親の死に目には立ち会えなかったので分からなかったですが、これが家族の看取りのしんどさなんだなと、つくづく思い知らされました。
こんにちは。

心も身体も懐も寒いですが、坊主頭と髭がすっかりボサボサになっていたので、約5ヵ月振りに床屋(1000円カット)に行ってきました。

なお、クズキワは現在床屋難民で、未だ安住の店が見つからず、絶賛散髪嫌い中ですw

人見知り・場所見知りなため、散髪台に座って頭をつんでもらう間の店員との“間”が保たない&床屋の雰囲気に居心地の悪さを感じてしまうのと、そもそも順番が回るまでの待ち時間が嫌いという事もあり、前の記憶が所々抜け落ちて山梨で職を得てからは苦肉の策としてずっと1000円カットで凌いでいます。

以前、その事を内科の主治医に相談した事がありますが、発達障害の人(特に子供)には散髪嫌いの人が少なくないらしく、自分もその傾向が昔から多少なりともあったけど、それが今頃になって加齢と共に顕著(敏感)になっているのではと言われました。

確かにそう言われるとそういう気もしてきますし、自分だけが異常に散髪嫌い(堪え性がない)というワケじゃないのかもしれません・・・。

発達障害に詳しい主治医が「発達障害は本人の心掛けや意識だけではどうにもならない・仕方がないものです」「発達障害は根本的な治療法はありませんが、周りの理解や協力、訓練次第で障害をカバーする事は出来ます」「出来るようになるまで人一倍時間は掛かりますし、一生涯付き合う事になるかもしれませんが、それでも少しずつ克服出来るように“一緒”に頑張りましょう」と、そう言ってくれた事で最近は多少なりとも心のモヤモヤ(生き辛さ、息苦しさ)が薄まり、ホッとしています。

もちろん、「発達障害だから・・・」というのを言い訳にはせず、落ち着いて散髪出来る床屋が見つかるよう、とにかく色々なお店に入ってみて、人見知り・場所見知りが辛くても、待ち時間が我慢出来なくても根気よく探してみます。

もしなれるなら海軍、陸軍、空軍どれにする?

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陸軍一択です。

理由は“海に入るのが嫌い”、“カナヅチだから泳げない”、“船酔いが酷い”、“狭い艦内生活が耐えられない”から海軍は絶対無理w

空軍は──高いところは平気だけど、空中勤務(パイロット)は自分に務まりそうにないから何となく除外w

その点、陸軍は地べただし、歩兵なら歩くのが主体だから乗り物は乗ってもトラックの荷台くらいで我慢出来るし、だだっ広い野原や壊れた建物で寝起きする分にはまだマシです(つまり消去法w)。

まぁ、仮に日本の自衛隊が徴兵制になっても自分の歳(アラフィフ)だとそもそも兵役の対象外になる可能性が高い(※もちろん平時での話であり、戦況の悪化で根こそぎ動員とかになれば徴兵される可能性も無きにしもあらず・・・)ですから、海軍、空軍に振り分けられる事はないでしょうが・・・(苦笑)

というか、元陸軍軍人の祖父の言いつけで「兵隊だけは絶対になるな」「わしと同じ道──過ちは繰り返すな」がありますので、自分は祖父が生きてる限りは兵隊になるつもりはありません。

なので、もしなれるなら海軍、陸軍、空軍どれにする?というブログネタの趣旨から外れてる&矛盾してますねw

“もし兵役で強制的に入隊させられるなら陸軍がマシ”としておきます。



どうもこんばんは。

ついこの前まで秋かと思っていたらすっかり寒さが身に凍みる12月になりました。

新たな持病(喘息)は冬には堪えるのか、寒くなるにつれて“ひゅーひーぜーぜー”と喘鳴が酷くなって呼吸が苦しくなるため、最近は携帯用の呼吸器をお守りに持ち歩かないとしんどいクズキワです

外出が億劫ですが、手続きで下界の市役所まで行った帰りに広島駅(北口)でパシャリ。



いつの間にやらクリスマスツリーがもう設置されてました。

まぁ、建前上は仏教徒(浄土真宗本願寺派。安芸門徒)な自分には縁のない季節でして、街がクリスマスなムードで華やいていてもどこか別の世界の出来事みたいにしか感じられないクズキワにはまったくの他人事。

別にクリスマスシーズンをダシにクリスマス商戦が本格化しようが、街中でカップルがイチャラブしようが、家族連れで外食が賑わおうがそんなのはやりたい人間、実生活にゆとりがある人間が好き好きにやればいいし、自分はそれらを否定も肯定もしない。

ただ「あ、そう」「ふーん」「だから?」で終わり。

一番腹が立つのは「独り身で寂しいね」「仕事や介護で楽しむ暇が無くて可哀想」とか、余計なお世話です。

自分が言いたいのリア充様のお仕着せがましい勝手な幸福論を押し付けないでくれ──この一言に尽きます。

──話が大幅に脱線&自分で書いててイライラしてきたので、この話題はここいらで止めときます・・・。

たぶん、これからクリスマスシーズンに向けて一番ストレスが溜まってくる時期なので、衝動的に“プラモのストレス買い”を繰り返してしまいそうですから、年末までなるべく心穏やかに過ごせるよう善処します。←こう書いて誓っても絶対にストレス買いする予感しかしない・・・


こんばんは。

本日行く予定だった海田市駐屯地の記念行事ですが、先週から祖父が風邪気味で体調が思わしくなかった事から、今回の観覧は行けませんでした・・・。

一人で出掛けてもよかったですが、実は最近、呼吸をすると喉が“ひゅーひゅーぜーぜー”と鳴って息がしんどくなる事が多くなり、心配になって下界の市民病院(呼吸器科)で診察を受けたら喘息だと診断されました・・・。

自分の祖父が喘息で、亡くなった父親や曾祖父さん、親戚の従兄弟姉妹も喘息があった典型的な喘息持ちの家系なので、「自分ももしかしたら・・・」とは覚悟していましたが、歳取って更年期に入り、体質が変わると突然喘息になるんですね(泣)

喘息になって初めて喘息持ちの辛さが分かった今日この頃です・・・。


どうもこんばんは、そしてお久しぶりです。

地元広島でインフルエンザの流行が始まったというニュースを(売店で買った新聞で)知り、本日予防接種に行ってきたクズノキワミオヤヂ(介護休暇で休職中)でございます。

まぁ、近況についてチョロっと・・・。

まず、引きこもり状態が続いていた従甥が10月から定時制で復学して通い始め、少しだけバタバタが収まった事と、時間的にゆとりが生まれた事で従姉は先月の22日に東京で執り行われた即位礼に容態が持ち直した祖父と一緒に行ってきました(※自分は留守番。東京は人と連れ立って観光するのは疲れるから)。

10月は保たないと言われていた祖父がどうにかこうにか先月を乗り切りまして、こうして11月を迎えたワケですが、寝たきりが続いた事による影響もあって認知症が進んでしまい、日に日に祖父が祖父で無くなっていく祖父の姿は家族として辛いものがあります・・・。

まぁ、歳が歳ですし、そう考えると祖父は今までよくボケずに元気で居られた期間が長かったと思いますし、こればっかりは人間、こうなってしまうとどうしようもないです。

もう先は長くない中でもまだ車椅子に乗せて外出が出来るうちに今月はどこか連れて行ってやりたいと思っています。まだボケる少し前に病床の祖父が「海田市(駐屯地)の桜並木を見たい」と言っていましたけど、今の季節は11月・・・。

しかし、今の祖父の状態では来年の4月はもう無理だというのはこの時の祖父も薄々分かっていたと思いますが、それでも祖父にとっては戦時中は旧日本軍の軍事物資の集積地だった頃から戦後の警察予備隊(保安隊の前身。後の陸上自衛隊)の発足で進駐軍から返還された集積地跡に出来た海田市駐屯地で教官をしていた頃までずっと縁のあった思い出の場所・・・。

まだシャキシャキしてた頃(20年くらい前)に記念行事での火砲や戦車の放つ爆音と硝煙が軍隊時代を思い出し、いたく懐かしでいた祖父の顔が印象的でしたので、今月末にある海田市駐屯地記念行事へのお出掛けが最後の祖父孝行だと思い、従姉と自分が連れて行ってやろうと思います。





↑予防接種の帰りに立ち寄った模型屋で購入したタミヤの島風。日本陸軍歩兵セットの制作中断、マツダキャロルの制作が暗礁に乗り上げて以来、おそらく半年近く振りにプラモをお買い 上げ。そして奇しくも今日(11月11日)は今から75年前の昭和19年に駆逐艦【島風】がフィリピンのレイテ島北西部のオルモック湾で米艦載機の猛攻に遭って戦没した日(オルモック湾海戦)である事を記事を書いてる途中でふと気付きました(←この日を狙って購入した訳ではなく、たまたま消費税増税後のモデラー応援企画の値引きセール(11月1日~12月1日迄)の値札が目に付き、値段に釣られて購入。妙な偶然もあるもんです・・・)。
こんばんは。お久しぶりです。しばらくブログ──というか、ネット自体から離れており、本日久し振りにINしました。実は前回(先々月の6日)の記事を書いた数日後の朝に祖父が玄関で転け、肋と脚を骨折して入院したと従姉から電話があり、直ぐに新幹線で広島に帰り、病院へ。折れた肋骨が肺に刺さり、右大腿骨の付け根付近をポッキリやってしまう大怪我でして、すぐさま緊急手術に。傷付いた肺の出血が酷く、手術は一刻の予断も許されない状態で、どうにかこうにか手術は成功──と、思いきや、手術で体力が弱った事で感染症を発症。それから1ヶ月ほど予断を許さない危篤状態が続き、心肺停止で3回ほど逝きかけながらギリギリのところで息を吹き返して持ちこたえ、何とか山を越えました。祖父は若い頃、満州事変から太平洋戦争までの約15年間のほとんどを中国から東南アジア、南洋諸島を転戦して過ごし、終戦間際に捕虜となって抑留生活から3年後に復員して町工場や警察予備隊(現・陸上自衛隊。保安隊の前身)の火器の整備を教える教官を経て定年後はずっと農家や林業をして常に苦労してきた人なので、年老いても持ち前の生命力、若い頃から鍛えられた心肺機能は強かったんでしょうね。しかし、重傷だった事から長期入院を余儀なくされ、これがキッカケで筋力や体力が落ち、とうとう完全なる寝たきり状態になってしまいました・・・。怪我の原因ですが、介助していた従姉が祖父の両手を引いて玄関に入る際に彼女が後ろにつまづくか何かでバランスを崩した時に祖父も一緒に転けたんだとか・・・。幸い、彼女は尻餅程度で怪我は無かったものの「私のせいでおじいちゃんが・・・」「転けて大怪我しなければこんな事(寝たきり)には・・・」と、ずっとポロポロ泣いていました。他人のせいで怪我をさせられたならまだしも、(不注意だったとはいえ)身内が身内の介助中に起きた不慮の事故──どんなに気を付けていても起きる時は起きるもの──彼女に掛ける言葉が無かったです・・・。なお、この事故で従姉は警察から形ばかりの事情聴取を受けており、この不幸な出来事は近所にも瞬く間に知れ渡る事になりました。田舎なので噂が広がるのにそう時間は掛からず、近所では「あそこの○○の孫娘さん、旦那さん(←おそらく自分を“旦那”と誤認)と別居中で、溜まってるストレスを○○のおじいさんで憂さ晴らししてるらしいとか「あそこの○○さん(←自分)は奥さん(←おそらく従姉の事)におじいちゃんの介護を押し付けて逃げ、県外で他の女性と暮らしてるらしい」とか「○○のおじいちゃんの怪我は事故じゃなくて虐待」とか「あの家は病死や事故死が立て続けで、家族が亡くなる前に保険屋さんらしき背広を着た人が頻繁に出入りがあった」とか「実は○○のお母さん(←自分の母親)と高校生の坊や(←従甥)は保険金目当てであの2人(自分と従姉)が○した」とか、根も葉もない噂や憶測、下手すると名誉毀損に当たるような極めて非道い内容の誹謗中傷が流れてしまっているそうです。ただでさえ長男の事故死や、引きこもりの息子の事、祖父の入院する病院への泊まりなどで肉体的にも精神的にも疲弊しているのに向けてそういう近所の視線や事実無根の流言飛語が追い打ちとなり、現在も病院と必要最低限の買い物以外はほとんど外出も出来ず、仕事も長期間休んでおります。そもそも今回の出来事は従姉が一方的に悪く云われる事ではなく、彼女がここまで追い込まれるまで家の事を任せっきり──いや、ほったらかしにしていた自分にも落ち度があるワケでして、出稼ぎで離れて暮らさざるを得ず、なかなか家に居られないとはいえ、彼女への配慮が足りなかったと反省しております。従姉はこんな状態ですから、毎日朝と夜に電話をする・暇を見つけては休憩時間にこまめにメールでやりとりと、一緒には居られない中でも彼女とのコミュニケーションの時間を以前よりも持つようにしています。今後しばらくは祖父の入院状況、従姉の事から目が離せませんし、加えて従甥の復学も来月(10月)に控え(※あれから何とか話し合いのテーブルに着かせ、粘り強く説得した結果、夜間の定時制に入学が決まりました)、これからまたバタバタしそうなので、よそ様のブログを拝見・拝読して回るのはもちろん、のんきにブログを書く暇(いとま)はありません・・・。ただ、従甥の復学の件がとりあえず落ち着きましたら7月・8月・9月にあったクズキワ関連のしょーもない話(日常であった出来事、日々の雑感)をダラダラと書くかもしれません・・・気が向いたらですが。
こんばんは。今日は伸び放題だった頭をいつもの千円カットで坊主にしてもらってサッパリしました。それから旅館に戻り、蓄えていた口・顎髭もサマーカットにしました。7月になって暑くなりましたし。ここ数日は曇りで雨は降ってませんが、梅雨明けは何時になることやら・・・。散髪ついでにと約2週間振りくらいにまともに散歩(片道5キロ、往復10キロ)しましたけど、ちょっと疲れました(汗)以前、健診で引っかかった際、お医者さんから「糖尿と痛風の気があるから食べ物(甘いもの、お刺身の食べ過ぎ)やお酒に気を付けるだけじゃなく、運動もしっかりしなさい」とお叱りを受けましたが、梅雨や夏場は運動がしんどい・億劫になる時期でもありますので、やはり散歩は涼しい時間帯(朝と夜)にやらなきゃダメですね・・・。
こんばんは。今年の5月から正社員になって2ヶ月が過ぎました。といっても、契約社員の時とやってる仕事は今まで通りで、給与面や待遇面も特に変わりもない事から、肩書きが変わっただけの“なんちゃって正社員”とも言えます。とはいえ、自分のような身体と頭にもガタを抱えてるクズキワオヤヂが一般枠で雇ってもらい、小間使いの雑用係だとしても自分が労働力として必要とされている事は有り難い事であり、恵まれた環境である事は間違いありません。確かにお給金は少ないし、賞与も無い(手取り15万。年収200万未満)、旅館業故に世間様がお休みの時が忙しく休みが少ない、苦手な接客を仕事だから我慢してやっているなど、これだけを見ると安月給でこき使われる、ストレスが溜まりそうなブラックな職場にも見えますが、その一方で従業員への手厚い条件や役得(住み込み賄い付き、制服・部屋着の支給、温泉は入り放題、脱衣所・洗面台のアメニティも自由に使用可、女将さんが手作りのお菓子を趣味でよく食べさせてくれる、旅館のオーナーのおごりで飲みによく連れててくれるなどなど・・・)もあるため、今の旅館で住み込みで働いている限り、収入が少なくても生活費(家賃や光熱費、食費など)でお金が掛かる事はあまりないんですよね。なので、お給金の3分の2は従姉に仕送り、3分の1から通信費(スマホ)や交通費(バスやタクシー、新幹線)を差し引いた残り(大体5,000円くらい)で給料日までの1ヶ月間はなんとかヤリクリしています。交通費に関しては広島に帰らない月はそんなに掛からないので、その時はもうちょっと自由に使えるお小遣いはありますが、それもほとんどは貯金。というのも、自分は若い頃から計画的な金銭管理が大の苦手でなかなか貯金をしてこなかったし、あればあったでヤニ代や飲み代、趣味(トイガンや車、パソコンゲームやゲーセン通い)に費やし、月の中頃で金欠になって職場の同僚や先輩、知人にお金を借りる事も多々あった典型的な浪費家だった事もあり、今になって「若い頃に貯金していれば・・・と今頃になって後悔した事から50代を目前にして“自主的”に貯金を始めました(※以前は従姉に促されるがままに渋々貯金をさせられていました)。老後の事を考えた時、正直もう手遅れだと思うし、「自分は70歳くらいで死ねたらいいのに」とすら思ってますから、この先あと10年(※定年して年金をもらう65歳までの生活も考えるなら15年)くらい働き、雀の涙の年金と10年くらい先の蓄えで質素に食いつなぎ、蓄えが底を尽いたら首を吊るなり飛び降りなりして死のうと思ってます。ただでさえ団塊ジュニア世代の自分が年寄りになった頃には高齢者も今以上に増えて社会保障費で財政を圧迫するでしょうから、年寄りの自分が長生きしたら周りにも国にも迷惑が掛かりますから・・・。過去に何度も自殺を繰り返し、本当なら一昨年の12月末~去年の1月には薬と酒を煽って凍死していたはずの身だったので、今更長生きするつもりもない(生への執着もない)し、このくだらぬ我が人生に未練もないので、70歳くらいになったら今度こそ死にたいです。しかし、今は従姉と従甥のために働き、従甥が成人して自立し、従姉と従甥に我が家を継がせ、2人に安定した生活基盤を残し、以前の母子家庭の時よりはラクな暮らしをさせてやるまで自分は頑張ります。