どうもこんばんわ。
そしてご無沙汰しております。
令和2年──最初の記事です。
この記事は諸事情により令和2年2月29日執筆、7月7日(七夕の日)自動更新による投稿です。
おそらく、この自動更新が解除されず、こうして読者の方にこの記事を読まれているという事はクズキワは物理的にブログが更新出来ない状態、あるいは万が一が起きた可能性が高いと思われます。
しかし、自分はこの記事を通してどうして書き留めておきたい事、伝えたい事がありますので、限りなく個人的な内容にはなりますが、2つほどご報告させていただきます。
1つは昨年の令和元年12月30日22時26分、祖父がお浄土へ還られました。
享年109歳──診断は多臓器不全──【老衰死】でした。
この日は既に世間様は休業ムードで、火葬場も三が日まで閉まっている事もあり、お正月気分の親戚や付き合いのあった戦友会の方に配慮して通夜は4日、告別式は遠方に住む親戚や会員の都合、広島に到着する日程などを考えて6日に行い、祖父が亡くなってから荼毘に付すまで1週間以上も掛かってしまいました・・・。
幸い、季節は冬場──記録的な暖冬とはいえ、地元は気温の低い山間の田舎という事で、ドライアイスによる冷却と遺体の防腐処理で対応(※近隣に長期間遺体を安置出来る施設が無かったため)。
葬式の日まで葬儀屋の人が毎日訪問して遺体の状態をチェックして下さった事から自宅で安置するにあたり衛生状態を保てるギリギリのところまで遺体が保ってくれました。
これで良かったのか悪かったのか分かりませんが、祖父が亡くなってから家に連れて帰り、荼毘に付して骨壺になるまで家族と一緒に居られた時間は長かった事は考えようによってそれさある意味“幸い”だったのかもしれません。
悲しみをよそに通夜・告別式は滞り無く執り行われ、骨壺になって桐箱に入った祖父を持ち帰ってからの記憶があまり無く、そこからの時の流れは早く、気が付くと今月(2月)17日に他宗派で言うところの四十九日(※我が家は浄土真宗なので四十九日法要を行わないため)を迎えていて今に至ります。
自分にとっての心の拠り所、我が家の“生ける宝物”を失ったこの悲しみと寂しさ、心に空いた喪失感は当分の間続くと思います。
今は、時の流れに任せ、いずれ時間が解決してくれるものだと信じて過ごしていくしかありません。
そして2つ目の報告ですが、私、クズノキワミオヤヂに癌が見つかりました。
皮肉にも、9年前に癌で死んだ父親と同じ食道癌でした。
最近、今まで感じた事がない身体のダルさ、食欲不振、急激な体重減少、外出中に気分が悪くなって道端で倒れ、そのまま救急車で市内の病院に担ぎ込まれて精密検査を受けた時に判明しました。
検査時点でステージ2──リンパ節への転移は今のところ見られないものの筋肉層を超えて浸潤している可能性が高く、今の癌の進行速度で治療を受けなかった場合、余命半年くらいと診断されました(※記事を執筆する10日前の2月19日時点)。
医者によると食道癌の5年生存率は約38%ほどだそうで、直ぐに外科手術を受け、抗癌剤や放射線治療を始めた方がいいと勧められました。
この診断結果を直ぐに家人の者(従姉、従甥)に伝え、今後の癌治療は?クズキワを含め共働きの従姉の仕事は?従甥の学費は?・・・などなど、いろいろ話し合いました。
今後予想される癌治療の厳しい道のり、それを支えるであろう従姉や従甥の日常生活への支障、肉体・精神的な負担、そして最大の懸案である治療費などの経済的負担などを考えた結果、辛い癌治療や苦しい闘病生活はしたくないので治療は一切行わず、最期を住み慣れた自宅で過ごす事としました。
もちろん、家族は猛反対しましたが、クズキワが生き長らえるためにこれから費やさねばならないお金と葬式に掛かるお金、どっちが安上がりで済むか、そして我が家にとって経済的負担にならず、残される従姉と従甥が路頭に迷う事を回避する最善策はコレしかないと、冷静且つ合理的・客観的な観点から自分で決めた事です。
中年になってから自分がADHDと反社会性人格障害と診断されるまでクズキワが子供の頃からモヤモヤと感じていた“生き辛さ”だったりの社会の中での“居場所の無さ”だったり何をやっても満たされない“埋めようのない虚しさ”だったりをずっと抱えて生きてきましたし、「生きているのが嫌だ」、「早く死にたい」と、過去に何度となく自殺未遂や失踪を繰り返してきたクズキワとしてはこの癌宣告は合法的に“自殺”が許される免罪符(積極的に死を選ぶ権利)──最高の贈り物──だと思っています。
ですが、心残りがあるとすれば、作りかけのプラモは完成させたかった、身の回りのコレクションの整理(断捨離)をしたかった、今年で初老の仲間入りだけど童貞は捨てたかった、彼女居ない歴=年齢だけど恋愛や結婚は一回くらい経験したかった、タネナシだけど自分の生きた証(子種)を残したかった、今年の7月23日に開幕する東京五輪のチケットがあるので五輪の観戦をしたかった、長らく日本一から遠ざかった広島東洋カープの日本一をもう一度拝みたかった──などなど、最期の日を迎えるまで未練が無いかと言えば嘘になります。
なので、心残りの中でも今出来る事(積みプラ崩し、断捨離、童貞卒業)をやり、泣く泣くでもGW、そして東京五輪を東京で観戦するため、開幕(7月23日)~閉幕(8月8日)までは生きねばという目標もあります。
次の記事でこれらの小さな目標達成の報告が出来ればいいのですが、この記事の自動更新が解除されていない時点でもうダメだと思ってください。
記事を書いていて、そういう悪い予感がしてなりません。
頭を打った後遺症で記憶が曖昧になっているので記憶が飛び飛びで思い出せない部分もありますが、以前お付き合いがあったと思われる数少ないブロ友さん方へ──コレがおそらく遺書になるかもしれませんので、最後に一言。
こんな性根の悪いひねくれ者の不良中年のオッサンと仲良くしていただいて本当にありがとうございました。
可能性は低いですが、もし万が一生きていれば必ず更新(生存報告)します。
東京五輪まで生きている事を信じて・・・──ほいじゃ、さようなら。





