前にも書いたけど、精神病院の中では想像を絶する薬物が乱舞している。
自分の場合にしても14種類の薬物が使われており、主治医に説明を求めても何も答えが返っ来ない。
ただ、「私を信用しまさい。と言われるだけ。
実際のところ自分はアカシジアというクスリの副作用で苦しんでいるのに「そんなはずはありません。」と言いながらクスリを増量して来て今の自分ががいるという。。。。
正直誰か助けて欲しいよ。。。。。。
iPhoneからの投稿
本来人間というものは安易に生き、楽して生きる事に傾注する事に努力する。 生き甲斐、幸せを感じる姿をみたいなら、動物園にでもいってエサでも与えれば、動物は満足するし、後は遊んで、適当に寝ている。 最近、よく韓国や中国に対して、平気で「民度が低い」「小中華思想の産物の肥大」と言う論調が主流だが、果たしてそう言い切れるか疑問である。 それと言うのも日本史だけでの中で見ても、決してそうではなかった時期があるからだ。 それは、もう魏志倭人伝の頃から、現在まで、枚挙に暇がない程だ。 そもそも「倭人」という言葉は「チビ」をあらわすが本場の中国の書物には「チビ」としての蔑称として出てきてないため、特に悪い意味でつけられた名称ではない。 その本意は「委ねる」、つまり、「礼儀正しく、純朴である。」こ
とをあらわす事にあり、中国の人々も日本を馬鹿にするときは「小日本」「鬼」である。
歴史というものは世界共通で、農耕が始まれば、まず命を犠牲にして耕作民を守る者達、武装した支配者階級が成立するものであり、また、その領地を巡って争う事が繰り返される。 中国においては主要な栽培作物が小麦であり、それを黄土台地に穴を掘って放り込んでおけば5年は兵糧=価値保存が出来たため、春秋戦国時代には南方の国を常に圧倒し、ついには鉄の武器を主戦力とする秦が統一を果たした。 日本においても中国にように戦国時代に鉄砲伝来を機会として貿易で利潤を得た織田家が野武士などを雇い常に相手の3倍の兵力で圧倒している。 だが、この時代に入る前の室町期は実は日本人の典型を産みだした時代でもあるとも思っている。 応仁の乱に端を発し、大阪夏の陣で終わるこの時期は多くの日本人の典型を産みだしている。 何より、治安維持の組織がなく、天皇家も存在していたか怪しい程であり、剣豪なるものが諸国を巡り、農民は足軽と同義であり、野武士達は勝てる方に勝手に陣借りし、倭寇は行き当たりばったりで貿易し、採算が合わなければスペインの軍船までも襲った。 このような連中がやがて大名となり、秀吉の大阪城で宴を開いて唯で済む訳がない。 大阪城天守閣には手洗いなどないから、戦国生き残りの荒大名共は天守閣から放尿、大便など平気でしていた。 とても信長の前では出来ないことだったろうが、秀吉のこのいい加減さが天下を取り敢えず与えてやる、という事になったのだろう。 話はそれたが、江戸期以降、朝鮮半島経由で問題のある思想が日本にもたらせれた。 それが、朝鮮王朝によって捻じ曲げられた「朱子学」である。 これが、入ってきたことで、武士のアルバイトであった、寺子屋のメインテーマになったことで、従来の日本の戦国武者が持っていた、命を懸けて自分勝手に進退するというはなはだふてぶてしい思想を侍サラリーマン忠義道にしてしまった。 そもそもお家のために切腹するなどかつての武者からすれば噴飯ものだろうが、あろうことか儀式化されてしまうとは、儒教の創始者の孔子もビックリだろう。 時代は下って日本とロシアの戦争、日露戦争に触れるが、この時点での日本の人口は3000万人に過ぎない。
実は戦国時代末期と変わっていない。 つまりロシアからの防衛のために帝国主義の道をあゆみ、日英同盟で後ろ盾を得て初めて開戦を決意した。 帝政ロシア最後の皇帝、ニコライ二世は朝鮮独立を認める勅諭を極東総督アレクセーエフにだしたが、憤激したアレクセーエフにより金庫にしまわれてしまい、結局、日本側の宣戦布告により戦争が勃発した悲劇である。 日本は結局この戦争で6対4ぐらいまでしがみついて、アメリカのルーズベルト大統領の仲介で戦争終結に持ち込んだが、五つのミスを犯した。
1.戦時体制のまま、国内統治を進めたこと 2.レーニンの率いる赤軍を養成してしまい、そのあとの始末を怠った事 3.アメリカに借りを造ったこと 4.朝鮮を独立させなかった事 5.戦争の実態を知らない国民が騒ぎを起こし、非難を政府に集中し右傾化したこと このことはやがて日中戦争になるにつれて、人口が1億人を超え、アメリカからオイルの輸入を差し止められた際、爆発し政府どころか新聞、国民までもが戦争初期の戦果に酔いしれ、歯止めがなくなっていく。 そして、原爆を落され、ヤルタの密約により日ソ中立条約を破られ、敗者に堕ちたが、すぐソ連と中国との反共の砦として、中東におけるイスラエルと同じ立場に過ぎない事は先刻承知だろう。 冷戦が終了してもなお、その立場を維持しているのは、ひとえに中国の監視役である必要であるために過ぎない。 最初に日本人の民度についてだが、簡単に言えばみなの目が気になって行為に出来ない、というのが実際のところで、地位、名誉があればなおおさら抑圧され、皆がいないところでは秘密の性癖となって発露していることは明らかだ。 最近ではそれすら感じない人物も多く、逆に快感すら感じる人物がいる事も不定しない。
かつて沖縄に散った特攻隊員達のホンネは「KAとKO=妻と子供」を守るために出撃し約4700機が出撃した。
正直言って特攻を美化するつもりは毛頭ない。
特攻作戦の発案者である大西中将も「邪道」と呼んで忌避していたほどだからだ。
最初の頃のアメリカ海軍ではパニックがあったが、やがて、対処法を編み出し、沖縄戦に対応して日本海軍が「菊水作戦」を初めて1か月たった5月頃には既にアメリカ海軍の大型空母上では非番の水兵達が「七面鳥撃ち。」の様子を見物している始末だった。
突攻して失敗して不覚にも捕虜になった元海軍日本航空兵は「今の日本を造るために出撃した仲間に申し訳ない。」と毎日墓参して懺悔しているという回顧録を読んで、結局、彼らの遺書や志は敗戦国という理由だけで封印されてしまおうとしている。
日本は別の道を歩むことになった。
かつての軍事関連の技術者や科学者が一切に民間会社を設立するか、属する事になった。
要は日本の技術産業は軍事技術の民間転用だった。
時代もマッカーサーの日本重視政策により「アジアに於ける反共の砦」という新たな役割りを与えられた。
だが、日本国民自身は経済復興のみに腐心し、別の国の国民となった。勿論、アメリカ国民である。
日本は国土を削り、自然を破壊し、汚染し、スキーとゴルフ場を無駄に建設し遊びを囲い込み、愚民テレビで洗脳され、団結する力、真面目である事を野暮である風潮になった。
今年の24時間テレビなどは芸人が騒いでるだけのストーリーも何もないインチキだったのはいい典型だろう。
原発などもアメリカの軍事産業の中核だったGEのためにわざわざ当時の日本政府が「お買い上げ」したもので設置から建設、稼働までアメリカ側が主導した。
ヴェトナム戦争は実質的アイゼンハワー政権時代にニクソンとCIAとメイヤー・ランスキーのジョイント・オペレーションからはじまった計画だが、日本政府が何も言えなかったのはやむをえない。嘉手納基地からB-52が北爆をやらかす光景を同じアジア人としてみれば、今からでもヴェトナムに対して何かしてやれる事はないのか?とさえ言いたくなる。
グローバル社会は本来有能なヤル気のあるものだけが許された自由の中で才能を発揮し、活躍の幅を広げ高収入と地位を得るアメリカン・ドリームの一手段に過ぎなかった。
しかし、外資系企業の影響を受けた日本の大企業の多くが何を勘違いしたか資格制度に取得制度に固執した結果、能力差別に陥り、逆に資格取得に奔走し、企業利益に全く寄与しない「超個人主義者」達の群れを続々生み出したのは皮肉だ。
結果、この流れは本国内ではリストラクチャーの恰好の口実となり1990バブル崩壊後から現在まで「絶対の真理」として君臨している。
給与体系から出世まで全て「能力差別」で進めば、かつての日本史で言えば織田信長が部下をコキ使い過ぎて、荒木村重や明智光秀、あるいは諸国の大名まで評判が悪かったのも頷ける。
こんな無駄話をしていると、ふと、レレレのおじさんを思い出してしまう。
キャラクター的には近所でいつも掃除していて通るたびに気さくに声をかけてくれる得難い人物なのだが、たまに、アプローチすると明確に指摘してくれる鋭い人物でもある。
それは、なぜか?
いうまでもなく古くから幼い頃から相親しみ付き合ってきたこそ彼の接し方の距離感の絶妙感が自然と身に付いたのだろう。
本来、日本人はアジア人だけあって、アングロ・サクソンより、対外戦争時にもどこか甘く、間が抜けている場面も多く、戦闘時とは思えない写真も数多く残されている。だが、これらの写真資料の大部分は死蔵され、または検閲されており、撮影場所など特定が難しい。
そして、全体的にだが、アメリカ兵が生に執着するのとは対照的に従容と自身の死を受け入れ肯定するのも原爆を輸送した船であるインディアナ・ポリス号の事件やインパール作戦、ガダルカナルの死闘、ソ連の満州侵攻と北方領土侵略、敗戦後の朝鮮人の日本国内での非人道的行為、東京裁判の無効性など後の歴史に疑問符つける状態で今まで来たことの過ちをもう一度認識しなおしたりして、自分の都合の良いように「重箱ノ隅ヲツッツイテセセルヨウナ男。」になってみたいww
日本は遠慮なく「倭寇精神」「戦国武者精神」を復活してやろう。
なぜなら、「古来日本では政権が権力衰退すると自由な民が活動的になる。」
倭寇は恐い。
当時のインドに停泊していたスペインの正規軍船団を八幡船で襲撃して全滅させた記録すらある。
秀吉の二回に渡る朝鮮出兵も。
古来日本兵は陸戦には異常なほど強く、朝鮮出兵した将兵は基本的に九州の豊臣系大名のみであり、当時大砲で重装備していた多くの明兵(中国兵)相手に善戦した。
そもそもそれ最初、元帝国の手先としてよろこんで日本侵略を行った元(モンゴル)帝国の手先はどこの「部族」か?
よく考えろ。
そして日本の九州の地を占領し、それこそ多くの日本人達を「奴隷」として連れ帰ったのはお前達だ。
歴史は常に勝った側のものが採用されるが、現代では通用しないのはイラク戦争を見ても理解できるだろう?
お前達「韓部族」とやらは仕える相手を最近アメリカから中国に替えたが、朝鮮戦争や共に戦って死んだアメリカ兵の賠償問題が持ち上がる危険性がある事を忘れてはならない。
お前達は未来永劫、どこかの国に仕えていく「地域部族主義社会」であり、今まで「国」であった歴史なども存在しない。
お前達はウラル・アルタイ系部族系の膠着言語を話すローカル部族に過ぎず、言語的には日本語と最低5000年前以上前にサヨナラしている。
要は別の部族である。
発音が汚いの言うのは他のアジア諸国の評判。
漢字もモノに出来ず、ハングル文字は3600年前に漢字の元である甲骨文字以前に「発明」されたと発表し中国を「笑わせた。」
日本が謎の表音文字ひらがなでさっさと識字力を上げ、額田王の大胆な、大君二人を手玉に取る和歌や名も知れぬ蝦夷の防人の哀歌など、感情表現にどれほど貢献したか。
その最高峰が恋愛小説「源氏物語」などや「万葉集」「小倉百人一首」などをにも集約された他に公家たちや僧侶たちがそれぞれ日記などをつけていたり非常に資料価値は高い。
これが貨幣経済が一般化し寺子屋や本願寺派が普及した末期になるとフランシスコ・ザビエルがびっくりしたようにインドのマドラスで会った日本人青年への感想「たいていの日本人は戦いと海賊と算盤と文字と簿記が出来る。」という状態になる。
印刷の発明者であるドイツを「侮辱」し、京城大学の研究、開発の方法論は戦前日本人研究者達のコピーをオリジナルだと主張する。
大体、併合を望んだのはお前達だろ?
我々はその願いを適えてやったに過ぎない。
安重根は明治帝を尊敬し、李氏朝鮮独立派だった伊藤博文を暗殺した併合の真の英雄だ。
奴の墓を掘り返してトイレにしてしまえ。
慰安婦等も架空の存在に過ぎない。
売春婦はいただろうが。
だが、貧しい者や何らかの事情のあるものは世界中どこにでもいる。
問題は当時の日本軍部は全く預かり知らん案件であることだ。
要は業者がお前達だけでなく、日本を含め、アジア各地から集め後方基地に勝手に営業していた事だ。
彼女らは高給を得、中には結婚した例もあるのは、現代日本にもある話で、像まで造って取り立てて騒ぐほどでは無い。
1942年、朝鮮半島に志願兵を募ったところ、おそろしいほどの応募があったそうだな。
中には血書までしたやつがいたとか。
連合国の遺族達が聞いたらさぞ怒るだろう。
日本のアイデンティティー危機は1970~80年代の輸出絶好調時の日本にもあって、アメリカから凄まじいプレッシャーを受けた時期、日本の正体とは一体何か?
が、様々に議論を尽くされたし、「海外から見た日本」の反応に未だ敏感な人々もいる。
いつの間にか日本製品は輸出10%程度になり、多くの犠牲を払い、充分、産業構造の改革にある程度成功している今では「日本の技術が製品開発に必要」というのは世界に常識であり製品を造る工作機械や中間生産物など「日本がやらねば誰がやる?」という状態。
特許技術や研究開発費などアジア圏では異例の出費国でもあるし、ノーヴェル賞受賞者はアジア圏では断トツだ。
「自虐史観」などの見直しや、海外から「日本て変わってるけど住んでみると治安よくて快適。」「日本人もっと働け。」「オレの国の中に日本欲しい。」と言った意味深なコメントが 。
お前達はまだこの試練があるんだよ。
さあ、日本はお前達の「浅はかな知識による歴史捏造」など問題にしてない。
世界に問う。
一切自分の責任を認めずオリンピックを穢した部族と、自分の立場をわきまえ、切腹=「HARAKIRI」による自裁精神を持つ日本人をどちらに信用性があるか?
答えは明白だろう。
文句があるなら断交し、宣戦布告してこい臆病者共。
今年は1945年8月15日以来、67年目に当たる。 既に、従軍された方々も鬼籍に入られたりして生々しい記憶が消えて行く月日が過ぎ去って行くのみ。 戦争を体験していない私が幼少時に思った事はただ間接的で、「日本は貧乏」だった事に尽きる。 そう、戦争で祖父を失ったばかりにそういった生活に”追いやられた”という被害者意識と敵愾心を植え付けられ、無用な愛国心を育んで成長した。
両親は戦前派のため、戦争の悲惨さをイヤという程体験しているため、戦後教育の虜となったか、完全に平和主義者化し、思考能力を奪われており、今でも議論にならない。 日本は当時、満州、朝鮮を領土とし、日中戦争の只中にあった。 日本は日独伊3国同盟を結び、連合国に対していた。 そこで当時の近衛内閣がもっと同盟国を増やそうと画策して同盟したのがソビエト連邦との日ソ中立条約だった。
しかし、ヒトラー率いるナチス・ドイツ軍がソビエトに攻め込み、この計画は日本とソビエトだけのローカルなものになってしまった。 そうした日本の内情、「日本は決してソビエトに攻め込まない。」はゾルゲを通じてソビエトに筒抜けだった。
だから、ソビエトはスターリングラードの戦いでナチス・ドイツ軍に対して全力を挙げて攻める事が出来たし、勝利も得た。 そんな、遅れた状況のなかで、日本はアメリカから石油禁輸の最後通牒を受け開戦した。 日本軍は連合軍が思った通りには敗北せず善戦したが、8/9ソビエトの条約破りが決定的打撃となり、ポツダム条約を受け入れ終戦した。
スターリンはヤルタ会談でトルーマンとの間で密約を結び、日ソ中立条約破りを確約、実行された。 当時の関東軍は南方戦線に精鋭部隊をとられ、予備役か弱兵がほとんどだったが、その中に私の祖父もいたのである。 駐屯地は現在のロシアの国境、満州里という有名な町で、工兵少尉として満州鉄道の安全確保に任じていた。
任務上、撤退はあり得ず、まっさきに部隊は壊滅、死亡が確認されたのは戦後の昭和42年だった。 もちろん祖母は死亡確認されるまで、恩給、遺族年金が受けられず、さらに嫁ぎ先の姑に嫌われたこともあり、女手一人で娘二人を四年制大学卒業まで育てている。 世界史的にみてもロシア程、約束事を守らないヨーロッパ圏の国は無く、それはロシアの中のアジア性に由来すると言われる。
祖母は2009年9/3、最後までロシアを呪い95歳で永眠した。
除染作業現場入口にある警告。この先に鉄柵のゲートと防護服を着た監視員1人がいたが、警察官では無かった。話をしたが飯館村の方だと言う。写真撮影の依頼や収入と雇い主を尋ねたが「勘弁してくれ。」と断られた。