今年は1945年8月15日以来、67年目に当たる。 既に、従軍された方々も鬼籍に入られたりして生々しい記憶が消えて行く月日が過ぎ去って行くのみ。 戦争を体験していない私が幼少時に思った事はただ間接的で、「日本は貧乏」だった事に尽きる。 そう、戦争で祖父を失ったばかりにそういった生活に”追いやられた”という被害者意識と敵愾心を植え付けられ、無用な愛国心を育んで成長した。

両親は戦前派のため、戦争の悲惨さをイヤという程体験しているため、戦後教育の虜となったか、完全に平和主義者化し、思考能力を奪われており、今でも議論にならない。  日本は当時、満州、朝鮮を領土とし、日中戦争の只中にあった。 日本は日独伊3国同盟を結び、連合国に対していた。 そこで当時の近衛内閣がもっと同盟国を増やそうと画策して同盟したのがソビエト連邦との日ソ中立条約だった。

しかし、ヒトラー率いるナチス・ドイツ軍がソビエトに攻め込み、この計画は日本とソビエトだけのローカルなものになってしまった。 そうした日本の内情、「日本は決してソビエトに攻め込まない。」はゾルゲを通じてソビエトに筒抜けだった。

だから、ソビエトはスターリングラードの戦いでナチス・ドイツ軍に対して全力を挙げて攻める事が出来たし、勝利も得た。 そんな、遅れた状況のなかで、日本はアメリカから石油禁輸の最後通牒を受け開戦した。 日本軍は連合軍が思った通りには敗北せず善戦したが、8/9ソビエトの条約破りが決定的打撃となり、ポツダム条約を受け入れ終戦した。

スターリンはヤルタ会談でトルーマンとの間で密約を結び、日ソ中立条約破りを確約、実行された。 当時の関東軍は南方戦線に精鋭部隊をとられ、予備役か弱兵がほとんどだったが、その中に私の祖父もいたのである。  駐屯地は現在のロシアの国境、満州里という有名な町で、工兵少尉として満州鉄道の安全確保に任じていた。

任務上、撤退はあり得ず、まっさきに部隊は壊滅、死亡が確認されたのは戦後の昭和42年だった。 もちろん祖母は死亡確認されるまで、恩給、遺族年金が受けられず、さらに嫁ぎ先の姑に嫌われたこともあり、女手一人で娘二人を四年制大学卒業まで育てている。  世界史的にみてもロシア程、約束事を守らないヨーロッパ圏の国は無く、それはロシアの中のアジア性に由来すると言われる。

祖母は2009年9/3、最後までロシアを呪い95歳で永眠した。