フーリガン通信 -8ページ目

岡田式“骨盤シュート”の効用

カルガリーでの冬季オリンピック間近であるにもかかわらず、ワールドカップ・イヤーということでサッカーに関する報道が多い。世界のスポーツであるFootballが、欧州や南米のように日本でも“文化”となる日を夢見ている私としては、大変ありがたい傾向である。


1月25日にスタートした日本代表の指宿合宿の様子も、「どういうことをどれくらいやった」か、「誰が何をやったか」等々、色々なメディアを介し、映像、画像、音声、文字で細かく情報が提供されている。普段から日本代表に関心を持っている人なら、その情報だけで今後の日本代表について様々な想像ができる。


そんな楽しみは楽しみとして、今日は久々に吼えたい。


日本代表の練習風景を紹介するTVニュースで、私はある“光景”を見た。全体練習が終わってから、何でも決定力不足に悩むという日本代表FW陣に対し、岡田監督自らがシュートの打ち方を指導していたのだ。


「こうやって骨盤を前に、軸足に乗せて・・・」 


具体的にどう言ったかの記憶は定かではないが、報道によれば「骨盤を意識しながら軸足に体重を乗せ、強く踏み込むフォーム」をFW陣に伝授したという。


マスコミは好意的に報道していたが、私は目と耳を疑った。はぁ?代表選手にシュートの打ち方指導ですか?しかもW杯の半年前になって・・・


曲がりなりにも日本(今回は国内組)で最も優れたFW達である。そこにいるFWたちは、その一人ひとりが長年の経験から自身のシュートのスキルを会得し、実績を出してきたはずである。だからこそ選抜されて、この合宿に参加しているのではないか。


選手の体格はそれぞれ違う。プレイスタイルも持ち味も違う。野球のバッティングフォームが一人ひとり違うように、キックのフォームだって自分にあった蹴り方というものがある。だから、フォームを崩している選手への個別指導なら分かるが、全員集めて蹴り方を伝授するとは・・・


百歩譲って岡田監督の理論と指導が正しいとするならば、日本代表にはシュートの打ち方も知らない”選手が集まっているということになる。シュートの上手い下手は個々のスキルの問題。ならば、最初からシュートの上手い選手を選んで欲しい。それこそが代表監督の仕事である。


ベッカムはどんな体勢からでもしっかりと軸足を置き右足のインフロントとインサイドの間の部分を使って強くカーブを掛けたボールが蹴れる。ロマーリオは状況に応じて、足のあらゆる部分を柔軟に使ってボールを空いたスペースに流し込める。そしてC.ロナウドは打点だけに全てのパワーを集中して、フォロースルーなしで強烈なシュートを放つ。彼らは皆、自分自身のオリジナルの“型”というものを持っているのだ。


岡田監督、原技術委員長よ。そんなに優れた理論なら、全国の育成年代で指導しろ。代表合宿はチーム戦術を徹底し連携を深める場である。


素直に教わる代表選手の方も考えものである。監督に教わった通りに蹴ってみて、「強いシュートが打てました!」・・・中学生じゃあるまいし。代表選手はTop of the Topsなのだ。感心している場合ではないことをまず自覚すべきだ。


マスコミもマスコミだ。こんなに恥ずかしいことを嬉々として報道するとは何事だ。あなた方の仕事は「こんな低レベルの練習」をしている代表を批判することだろう!


もう一度、繰り返す。代表選手たちよ。

代表合宿は習う場所ではない。自身の力を示す場である。そうして自分をアピールするのだ。

そのために日々の練習がある。シュートやキックは一人ひとりが自主トレでフォームを固めるものだ。何度も何度も練習して、失敗してはトライして、そうして自分に合った独自のスタイルを確立しろ!そして、その個性で食っていけ!!


それがプロというものだ。私はそう思う。


魂のフーリガン




パラグアイ代表FWを襲った“シュート”

Paraguay striker Salvador Cabanas shot in Mexico


これは、CNNのニュースの見出しである。そのまま和訳すると、“パラグアイのストライカー、サルバドール・カバニャスがメキシコでシュートを打った”・・・

それならよくあることで全く問題はなかったのだが、今回は残念ながらそれは誤訳である。


正しくは、“パラグアイのストライカー、サルバドール・カバニャスがメキシコで撃たれる”  

つまり、カバナスは“銃撃”されたのである。


1月25日未明、このパラグアイ代表のエースFWはメキシコ・シティのバーで、夫人を伴い友人と会食していた。そして、カバニャスが帰り際に立ち寄ったトイレで、突如2人組の強盗に襲われその頭部を撃たれた。トイレのフロアに倒れているカバニャスを発見したのは夫人とのこと。


撃たれたカバニャスは病院に搬送された際には混乱しながらも意識があり、自分が「どこに連れて行かれるのか、なぜそこに連れて行かれるのか」を聞いていたというが、集中治療室に入った現在の状態は“life-threatening”、いわゆる危篤。カバニャスはこれから頭蓋骨前部に残る弾丸の摘出手術を受けるという。


カバニャスは現在メキシコのクラブ・アメリカに所属する29歳。2006年には世界クラブW杯でも来日している。2007年にはウルグアイの『エル・パイス』紙により南米最優秀選手に選出されている。2003年からプレーするメキシコでは218ゲームで125ゴール。この1月にはプレミア・リーグのサンダーランドも獲得を検討していた。もちろん6月には南アフリカW杯にエースとしてF組でイタリア、ニュージーランド、スロバキアと対戦する予定だった。


すでに逮捕された2人組も、カバニャスがそんな有名選手と知った上で狙っていたようだ・・・


南米でサッカー選手を襲った銃撃事件と聞いて真っ先に思い出すのは“エスコバルの悲劇”である。

1994年のアメリカW杯でダークホースと期待されていたコロンビアは、初戦でルーマニアに敗れた後、第2戦のアメリカ戦でDFアンドレス・エスコバルは不運にも“オウンゴール”を献上、ゲームはそのまま1-2で敗れ、チームは早々にグループリーグ敗退が決定した。多くのチームメートが国民の非難を恐れ帰国をためらう中、責任を感じて大会中に帰国したエスコバルは、バーで友人と歓談した後、店を出たところで一人の男に射殺された。大会では決勝トーナメント1回戦が始まる前の悲報であった。


犯人ロベルト・ウンベルト・ムニョスはエスコバルに対し“Gracious por el auto gol(オウンゴールをありがとう)”という言葉を口にしながら、12発の銃弾を撃ち込んだ。日本でそれまで使われていた「自殺点」という単語が、「オウンゴール」という単語に置き換えられたのは、この悲劇以降だという。あまりに生々しい表現として・・・


コロンビアでは2006年1月にも代表FWエルソン・ベセラが、地元のディスコで射殺された。こちらも数日前にバーでべセラと口論した相手がその報復としてべセラを射殺する機会をうかがっていたという。

べセラは2003年のコンフェデ杯で、試合中にピッチ上で急死したカメルーン代表フォエを助けようとした選手であった・・・

プロのFootballerは人々の憧れである。一方で一般人から比べれば豊かである彼らは妬みの対象でもある。銃社会の恐ろしさは我々日本人には分からないが、有名であることはまた、本来このような危険も抱えていると言うことなのである。貧富の差が激しい国こそ、その危険は高まる。カバニャスが遭った悲劇は、その真実を改めて思い出させる事件であった。


南アフリカも南米同様、いやそれ以上に、窃盗、強盗、強姦、殺人といった様々な危険に満ちた国である。世界中から観戦者が訪れる都市周辺に、彼らの金を狙う輩が集まってくるのは周知の事実。そんな国で開催されるW杯を前にこのような事件が起こったことを、Football界は一つの警鐘としなけらばならない。悲劇を無駄にしてはならないのだ。


Footballで誰もが楽しみにする「シュート」。アルファベットで書けば“shoot”。厳密に言えばこれは動詞で、元々「撃つ、射る」という意味である。そしてこの単語は世間では“その意味”で使われることのほうが圧倒的に多い。


もうよそう。今はただ、集中治療室で闘っているカバニャスの勝利を信じたい。


魂のフーリガン

“森本貴幸”歓喜の裏の苦悩

1月23日セリエA・カターニャ対パルマ、後半31分カターニャの攻撃。左サイドからゴール前に送ら1月23日セリエA・カターニャ対パルマ、後半31分カターニャの攻撃。左サイドからゴール前に送られた低いクロスに対し、DFの裏にオフサイドぎりぎりで“坊主頭が飛び出した。フリーではあるが、ゴールが近い上に目の前にはGKが身体を投げ出してコースを塞いだ。

“坊主頭”は冷静だった。 GKの鼻先で、左からのボールに身体を引くように開いて、GKの逆をついてインサイドで優しくボールをゴール右に“転がした”。

ゴール後のチームの歓喜は尋常ではなかった。“坊主頭”はゴール裏のサポーターに向かって走り、雄叫びを上げ、ガッツポーズを繰り返す。駆けつけたチームメイトと抱き合ったっまま、その“坊主頭”は次々と駆けつける後続の選手や、ベンチから飛び出したスタッフ達に埋もれて見えなくなった。叩き易い頭は何度も叩かれたに違いない。

Footballでは良く見られる光景と思われるかもしれないが、私には若干違和感がある。それは、このゴールが、リーグ戦で、しかも残り時間が15分を切った時点で既に2-0のリードをしているクラブによるダメ押しの3点目だからである。

しかし、この異常ともいえる大げさな“歓喜”には理由があった。それはこの“坊主頭”の持ち主・森本貴幸のゴールだったからである。普通のゴールではない。9月27日のローマ戦以来、実に118日・約4ヶ月ぶりとなる待望のリーグ戦ゴール(今季4点目)だったからである。


2004年、15歳の中学生でJリーグにデビューした森本がカターニャに渡ったのは2006年18歳のことである。森本はユースチームからカターニャで育てられ、途中大きなケガを負いながらも復活し、3年目の昨シーズンの12月以降、突如ストライカーとして開花した。ローマ相手に2得点、ユーべのブッフォンを破るなど、シーズン後半だけでコンスタントに7得点。ミランのアレシャンドレ・パトが同世代の気になる選手として森本の名をあげたのは有名な話である。

昨季の活躍が認められ、4年目の今季、森本はレギュラーのCF(センターフォワード)として開幕を迎えた。そのゲームで得点し、本人の目標通り「去年よりも多く、できるだけ多くゴールする」ことを周囲は期待したが、注目されればされるほどマークが厳しくなるのがカルチョの世界。21歳の駆け出しが易々と活躍できるほどセリエAは甘くない。結果を出さなければという焦りがミスを呼び、決定的なシーンを決めきれない日々が続いた。

それでも「決定力不足」にあえぐ日本代表に選ばれると言う皮肉。限られた招集機会の中、10月14日のトーゴ戦では代表初スタメン、初ゴールを記録するが、イタリアでは苦悩が続き、次第にピッチに立つ時間が減っていった。そして前節17日のサンプドリア戦、ベンチに座ったままゲーム開始と終了の両方の笛を聞く。ケガと出場停止以外では、今季初めてのことであった。エースと期待された男が・・・

状況は好転する前に悪化する。サンプドリア戦の直後、クラブはかつてバルセロナでも活躍したアルゼンチン人FWマキシ・ロペス(25歳)の獲得を発表した。2013年までの4年契約。本気の獲得である。当然のことながら周囲は結果の出ない森本の“放出”を騒ぎ立てる。クラブは「森本の責任を軽減するため」として、森本の移籍の噂を否定したが、当事者である森本の穏やかでない心中は容易に想像することができる。

森本は、そんな崖っぷちの状態でホームのパルマ戦を迎えていたのだ。しかも、森本の目の前で自分のいないチームが2-0でリードしている現実と向き合わなければならなかった。そして彼がやっとピッチに放たれたのは、もうほぼゲームの大勢が決まった後半29分のことであった・・・


前述の森本のゴール後の歓喜は、そのまま森本の苦悩の深さを語っていた。そしてチームメイトやスタッフの激しい祝福は、そのまま森本への期待の大きさと愛情の深さを語っている。

嘘ではない。
ゲーム後に同僚のFWマルティネスは言った。
「モリがゴールできてうれしい。このゴールで精神的に落ち着くだろう」

森本も答えた。
「信頼は力になっていて、自分は恵まれている。クラブが自分のそばにいてくれるから。」

私は心の中で泣いた。
「森本、いいクラブに入ったな。」

森本の苦悩が終わったわけではない。でも、大丈夫だろう。そういえば、昨季のブレークの発端となった2008年12月ローマ戦も2軍落ちがほぼ決まっていた「最後のチャンス」だった。

魂のフーリガン

カターニャvs.パルマの映像