フーリガン通信 -6ページ目

“革命ヲ起コセ”日本代表ユニ私的評価

たった今、日本対ベネズエラが終わった。結果は0-0。熱帯からまるばる40時間かけて移動してきたチームを迎えてのホーム戦。寒かったのは日本の方だった。面白ければ書くこともあったが、特筆すべきゲームでもなかったので、すでに書いておいたお話をお伝えしよう。ベネズエレラ戦で日本代表が着用した青いユニフォームについて・・・


2010W杯南アフリカ大会用で日本代表が着用するadidas社製のユニフォームは昨年11月に発表された。青いホーム・ユニフォームはすでにゲームで着用されているが、この度アウェー用の白いユニフォームもお披露目された。



今回は体を締め付けることでパフォーマンスを高める「TECHFIT」と、Football独自の動きに対応したゆったり目の「FORMATION」の2タイプが用意され、選手は好みでいずれかを選べるそうだ。


ブルーの色は予選で着用したユニフォームの色よりもかなり深い色で、ブルーと言うよりも紺に近い。襟部分には四角く大胆に赤をあしらい、胸の部分のパターンが不規則なのは、革命へ導く「三本足のカラス」の羽がデザインされているのだという。


見えないところにも変なこだわりがあり、胸の日の丸は歴代の日本代表のユニフォームの生地を織り込んだ糸が使用されているとか・・・


ここまで説明してきて失礼な話だが、製造メーカーの語る薀蓄などはどうでもいい。着用する選手には着心地や機能性は大事だろうが、ゲームを観る我々から見れば重要な点はただ一つ。


それは要するに見たときに「カッコいいかどうか」ということ。そして勝負服である以上、「カッコいい」の定義には「強そうに見える」という要素が含まれる。


では今回の日本代表のユニフォームは「カッコいい」か?


「好き嫌い」は主観の話。従って、あくまでも私個人の見解であることをお断りした上で、あえて言わせていただこう・・・


「いただけない。」


折角なので、細かく分析しよう。

「青の色調」は良い。私の好みの深い青色である。ドイツW杯の時のユニフォームは紫が強く若干女性ウケが感じられたし、北京五輪やW杯予選で着用した前のユニフォームは色が薄すぎて軽く見えた。青は深く落ち着いている方が良い。


他国の話だが、イタリア代表“アズーリ”の青だって、日韓大会の時は色が明るく違和感があったし、ユーロ2008の時の更に薄い水色の時は「なぜ?」と思ったが、案の上いずれの大会も惨敗している。ドイツ大会の時は濃い紺碧色でカッコいいと思っていたら、意表をついて優勝してしまった。


「カラスの羽」をイメージしたというパターンはどうでも良い。adidasのサイトの写真では少々ゴチャゴチャしているように見えたが、実物では殆ど気にならないので問題ないだろう。フランス大会時の「炎」や、ドイツ大会時の「侍の刀」のような意図的な模様は邪魔である。前回の黄(金?)色い細い線は存在の意味が分からない。ユニフォームはシンプルな方が強そうでカッコいい。


「選べる2種類」というのは着用する選手の体型次第だし、着心地がよくパフォーマンスが上がるというならそれで良い。好きにして欲しい。実は2種類のユニフォームが混在するのは美的によろしくないとは思うのだが、自分が着るわけではないので目をつぶろう。


「日の丸」に関する薀蓄は見た目に全く関係ないのでノーコメント。


「背番号とネーム」は角が丸いのは弱そうで嫌いである。2桁の番号になると背中いっぱいになって少々でかすぎる。しかし、番号もネームもあくまでも個人を認識するための“記号”でもあるから、それほど気になるものでもない。


こうしてみると結構良さそうではないか!ではなぜ、いただけないのか?


その理由は、選手全員の胸に燦然と輝く真紅の レッドード である

闘う前から一枚ずつもらっているとは、何と不吉な・・・


adidasのデザイナー、退場!


・・・とまあ、勝手に好き嫌いを語らせてもらったが、結局のところ「強いチームのユニフォームはカッコよく見える」のである。今回のユニフォームの良し悪しも、皆が胸を張って着れるかどうかも、南アフリカでの結果にかかっている。少なくともベネズエラ戦ではカッコよく見えなかった。


大事なのは中身。まずは代表選手達の健闘を祈りたい!


魂のフーリガン


中村俊輔に見る“ブランド価値”

エスパニョールで全く結果を出せずに苦悩している俊輔に対し、イングランド2部のミドルスブラが獲得を打診したという。ミドルスブラの監督はセルティック時代の栄光を共にした監督ゴードン・ストラカン。 2部中位に低迷する“ボロ”のプレミア復帰昇格のために、その能力を知りつくした俊輔に目をつけたのであろう。



その才能を買われ、大歓迎の中でエスパニョールに入団した俊輔であったが、ご存知の通り、残念ながら彼は今季スペインで最も期待はずれだった選手の1人とされている。スコットランド・リーグと欧州CLでそれなりの活躍ができた俊輔がなぜ、リーガ下位のクラブで控えに甘んじているのだろうか?



色々な分析はあるだろうが、あえて私は一つだけ上げよう。それはスコットランドとスペインでは彼の“存在価値”が異なっているのである。



セルティックで俊輔は“一番上手かった”。セルティックはスコットランド・リーグのチャンピオン。そこで一番上手いのだから、彼は“スコットランド”で一番上手かったといえる。当初はフィジカルの弱さを指摘され出場機会も限られたが、それでも彼は“技術”という差別性を失っていなかった。周囲も徐々にその“差別性”の価値の大きさに気付いていった。そして技術の高さというプラス価値が、フィジカルの弱さというマイナス価値を上回った時、俊輔はセルティックで、スコットランドで価値のある“ブランド”として認知されたのである。



一度“ブランド価値”が認知されれば、ボールは俊輔に集まるようになる。それは彼への信頼・尊敬が集まったということである。そこで様々な“魔法”を見せることで、その価値は更に高まった。そうして、彼はスコットランドで一番高いところまで登り詰めたのである。



しかしながら、スペインでは環境が異なった。世界中のスーパースターが集まるスペインには俊輔よりも“もっと上手い”選手が沢山いる。だからこそ俊輔もスペインに行く決心をしたのだが、皮肉なことに、そこは“技術”で差別性を表現できない場所であった。



こういう環境の違いは当初より分かっていたはず。恐らくエスパニョールは、“技術以外の要素”に俊輔の“差別性”を見出していたはずである。



では、スペインで俊輔が他の選手との“違い”を見せることができる点とは何か。私は彼の“展開力”であろう。個人の能力で攻める傾向が強いリーガエスパニョーラで、シンプルにプレーし、一本のパスで状況を一変できるアイデアと展開力を持つ選手は意外と少ない。



そんなプレーをする地元のライバル・バルセロナのシャビ・エルナンデスは華々しさはないが、実は個性豊かなチームを生かすためにその存在自体が“差別化要因”となっている。レアル・マドリードがカカを獲得しておきながらシャビ・アロンソの獲得に拘ったのも、同じ理由であろう。もちろん俊輔と彼らではプレーするエリアが違うので全く同じというつもりはないが・・・



残念ながらこれまでのところ俊輔はその“価値”である“展開力”を見せられずにいる。展開力を見せるためには、彼にボールが渡らなくてはならない。パスの受け手も俊輔からボールが来ると信じて動かなければならない。しかし、“技術”が差別化要因として周囲に認知されていたスコットランド時代は期待とともに集まってきたボールも、スペインでは集まって来ない。いくら“展開力”を見せたくても、問題はそれ以前の話。悲しいかな、リーガ下位のチームでは、チーム・組織としての勝利よりも、個人のアピールが優先するため、一人ひとりが前々の“カツマー”なのである。



もともと俊輔は相手をよく観察し、その中で自ら最良の対策を研究し実践するタイプである。その「察知力」を生かして、コツコツとその力を認めさせてきた。俊輔自身が「元々簡単にいくとは思っていなかった」と語るとおり、スペインではある程度の時間が掛かることも予想できた。



しかし、クラブ側にはマーケティング面での期待もある。チームもサポーターも世界一のクラブの成功が嫌が上にも真横に見える以上、早急に結果が欲しい。だから周囲は俊輔の考えるペースよりも早く、俊輔という“ブランド”に評価を下すのである。仕方がない。それは俊輔に対する期待の大きさでもある。



限られた時間、回って来ないボール、万全でない身体・・・いつの間にかはまってしまった悪循環に、一番焦りを感じているのは俊輔自身であるのは間違いない。しかし、ある日急に状況が好転することはありえない。全ては自分自身で考え、自分自身で答えを見つけ、一つずつ結果を出していかなければならない。全ては積み重ね。そのことは俊輔自身が一番良く知っている。自分がそうやって一歩ずつ上がってきたからである。




この時期のミドルスブラからの獲得打診は、もしかしたらストラカンから俊輔に対する“応援のエール”かも知れない。



「ナカ、オレはお前を評価してるぞ。だから頑張れ。お前ならできる。」



魂のフーリガン

“言語力”で日本は強くなるか?

1月30日(土)夜10:00から、NHKテレビで「追跡A to Z」という番組を観た。その日の内容は「“言語力”を磨け! オシム激白・日本人よもっと自己主張せよ! 企業や教育現場も苦悩」。観ない訳にはいかないだろう。


W杯ドイツ大会の日本対オーストラリアの映像から始まった番組は、サッカーに留まることなく、ビジネス、日本人全体における文化的問題として、長らく「あうんの呼吸」で意思疎通が図れていた日本人の「言語力不足」がグローバル化の中で問題になってきているという。


もちろんこの通信で日本人文化を語る気など毛頭ない。文化論を語りたい方は勝手にどうぞ。私が語りたいのは、番組で語られたオーストラリア戦の惨敗の分析である。


当時のキャプテン・宮本恒康は、日本が1-1に追い付かれた時にピッチ上の選手達の考えはバラバラであったという。DFは1-1のまま残り時間を耐えてグループリーグ初戦で勝ち点1を確保すべきと考え、攻撃陣は勝ち越しゴールを狙って攻めたかったというのである。ピッチ上で意志統一できないチームが、W杯の本大会で勝てるはずはない。どう闘うかの意志統一ができないまま、日本のゴールは勢いに乗ったオーストラリアにもう二回続けて揺らされた。


キャプテンの恒サマが言うことだから、言っていることは事実であろう。しかし、その事実をもって、反省の結果導かれた結論が、何故“「言語力」や「コミュニケーション能力」の不足”なのだろうか?あの時、日本代表に「自分の考えを相手に伝える技術」が備わっていれば、日本は意志統一ができてオーストラリアに敗れることはなかったのだろうか?


違うだろう。問題は「言語力不足」でも、「コミュニケーション能力不足」でもなく、まず選手達に「戦術の共通理解」がなかったためである。予め闘い方は決めてあったであろうが、相手がいる以上ゲームは思うようには進まない。環境が変わった時にどういう闘い方をするかの意思統一ができなかったということは、選手達自身の経験不足としかいいようがないだろう。日本選手には場面に応じた対処方法の引き出しが少なかったのだ。


選手はバカではない。環境が変わり、それぞれが自分なりに対策を考える。しかし、複数の選択肢の中からチームとして一つの方向に絞らなければならない。そこで必要になるのも「言語力」ではない。「リーダーシップ」である。


修羅場の中では人間は焦りが生じ、最適な意思決定が困難になる。したがって、このリーダーシップは強いものでなければならない。勝ち点3をとりに行くのか、勝ち点1を守りに行くのか。どちらが良いかと言う問題ではなく、リーダーの責任においてそのどちらかを選択し、後はその選択を徹底しなければならない。


宮本自身が大会を振り返って前述のような感想を述べているということは、彼自身にはそれができなかった、即ち、彼自身に「リーダーシップが不足していたということである。そんな男をキャプテンに選んだこと自体がジーコの失敗であり、宮本以外にリーダーの適任者がいなかったということは日本サッカー自体の問題であろう。


ご存知の通り、大会での惨敗の責任の大半は監督であったジーコが負わされた。確かにどんな時でも「戦術の共通理解」をが得られるようにチームを鍛えることができなかったのはジーコの責任である。しかし、Footballと言うスポーツは一度ゲームが始まってしまえば、監督は無力であることも理解しなければならない。ピッチ上の状況を把握し、意思決定を行うのは選手達である。やはり、「危機管理能力・問題解決能力」はまず選手に備わっていなければならない。「今、どうすべきか」は自分達で考えなければならないのである。オシムが言った「考えながら走れ」とはそういうことではないだろうか。


話を番組にもどそう。本当に日本人は「言語力」が不足しているのだろうか?


私はそうは思わない。昨年オシムはインタビューの中で日本人の長所として次のように語った。

「日本人の性質は、周囲が何を必要としているかをすぐに気付いて責任感がある。それが日本人ですね。」


日本が「日本人にあった日本独自のサッカー」を目指すのであれば、それを生かすべきではないか?

いきなり欧米のコミュニケーション手法の優れた点を学べと言っても、それは研修を受けただけで学べるものではない。背景の文化が違うのである。むしろ、相手のことを考えず、何でも自己主張するような選手が増えたらどうなるのか?中田英寿を11人集めても絶対にチームにならないことは自明である。


番組でも登場した日本サッカー協会の田嶋幸三専務理事は自身で『「言語技術」が日本のサッカーを変える」という本を書いており、その教育をJFAアカデミー福島で実践している。このJFAアカデミー福島という施設はフランスサッカー連盟が設立したユースアカデミー「クレールフォンテーヌ国立研究所」に習って2006年に開校したものである。アンリやテュラムを輩出したフランスのユース育成システムを日本に導入したのである。


先日、当通信で日本サッカー協会がスペインサッカー協会とパートナーシップ協定を締結したとお伝えした。育成年代の指導者を養成する機関を設置し、その設立と運営においてスペインサッカー協会から人的支援、技術指導、情報提供などの協力を仰ぐという。この協定の背後にはスペインとの関係が深い、現技術委員長・原博実氏の意志が働いたのはミエミエである。


フランスが強いと見るやフランスの選手育成システム、スペインが強いと見るやスペインの指導者育成機関・・・日本サッカーがこの先どんなに強くなるのか楽しみだ。


やはり日本に必要なのは「言語力」ではなく、まずは「日本人が自らの頭で考える」こと、これしかない。

では、考える頭を持たない協会幹部は・・・どうすればよいかは自分で考えろ!!


魂のフーリガン