フーリガン通信 -33ページ目

【野蛮人たちへ】

思い出したのは1982年のスペインW 準決勝西ドイツ対フランス、延長後半11分のシーンである。将軍プラティニから西ドイツDFの裏に絶妙のループパスが通る。抜け出したのはフランスのバチストン 。フランス人の誰もが「やった」と思い、ドイツ人の誰もが「やられた」と思ったその瞬間。バチストンがボールのバウンドにあわせて一瞬躊躇した時に、彼の前に残る唯一の西ドイツ選手であるGKハラルト“トニー”シューマッハーが猛然とペナルティーエリアを飛び出し、迷うことなくバチストンの正面からジャンプ一番、肘と膝が入った壮絶な体当たりを敢行した。飛び散るように地面に叩きつけられたバチストンは意識不明のまま担架で運び出され、そのまま入院生活を余儀なくされた。恐らくW杯史上最も邪悪なプレーの一つであろう。


そんなシーンが20日の東アジア選手権、中国対日本で再現された。延長ではない後半10分。中村(憲)中国DFラインの裏へパス。この日も左MF入った安田がスピードに乗って抜け出す。そこに飛び出してきたのは中国GKゾン・レイ。こちらも迷うことなくジャンプ一番、足の裏から踏みつけるようなカンフーキックが交錯する安田の脇腹に突き刺さった。苦悶の表情でうずくまる安田は、立ち上がることなく、そのまま担架でピッチから運び出された。シューマッハーの体重全てを正面から受けたバチストンと違って、蹴り一発の接触だったのが幸いしたのか、その後の診断の結果、安田は骨にも内臓にも異常はなかったようだが、サッカーであってはならない身の毛もよだつ戦慄のシーンであったことに変わりはない。


時代は変わった。マラドーナやジーコがシャツを引きちぎられ、何度も芝に顔をこすりつけた82年の夏から比べれば、ラフプレーに対する処罰も各段に厳しくなった。もう“ジェンチーレ”や“タルデリ”といった“壊し屋”という種族は欧州のピッチには殆ど生息していない。欧州からは汚いと称される南米ですら、“犯罪行為”は人の目に触れない場所で静かに実行するだけのデリカシー(狡猾さ)は持ち合わせている。しかし、サッカー文化の進化が遅れたアジアでは、まだそんな太古の野蛮な種族がピッチの至る所に姿を現す。しかも、頭に血が上り易い彼らは集団でそのような蛮行に走る。同じアジアの民族として情けないことこの上ない。もっとも、82年のシューマッハーには切られなかったイエローカードが、今回北朝鮮の主審によって掲げられれたことはほんのわずかな“進化”ではあったが・・・


中国は広大な国土と日本の10倍以上といわれる人口を背景に、近年急速な経済成長を遂げてきた。その証としてこの夏にはスポーツ最大の祭典であるオリンピックをその首都で開催するに至った。しかし、偽物が平然と出回る市場、違法行為が発覚したときの国家の対応を見る限り、もっとも古い文明を持つこの“大国”の現在の文化レベル、そして国民の品格は、世界の常識を大いに下回るレベルといわざるを得ない。この国がその経済力に見合った品格を持ち合わせる日は果たして来るのだろうか。


変化の兆候はあるようだ。中国のスポーツ紙「体壇週報」は、日中戦の自国代表のラフプレーに対し「中国チームは自らに最も野蛮なチームというレッテルを張った」と批判する記事を掲載した。この記事が、北京オリンピックへの世界の不安を打ち消すために画策された、形だけの“自省行為”でないことを祈るのみである。


魂のフーリガン






【ロジカル】

東アジア選手権が中国・重慶で開催されている。元々がアジアにおける東アジアの立場を強化するためという実はセコイ背景で始まった大会。しかも2003年の第1回大会は6月開催のはずがSARSの影響で12月にずれ込み、隔年開催の第3回目は2007年に行うはずが、アジアカップが同年に前倒し開催になったために、2008年のこんな時期に行う羽目に・・・。まったくハンドボールにせよ、サッカーにせよ、アジアというのは何事も計画的に進まない。


そんなハチャメチャな事情もあり、毎回この大会をどう闘うべきか、結果をどう評価すべきかという位置付けが難しかった。しかし、「岡田ジャパン」にとって、今回ばかりは開催時期がずれたことはありがたい。オシムの後を継いだばかりで、少しでも長く時間を共有し、1試合でも多く経験を積むことができるというのは願ってもないチャンス。W杯予選を前にしたこの大会を活かさない手はない。


しかし、しかしである。だからと言って加地の左SBはいかがなものか?元々代表の“レギュラー左SB”も広島の右サイドに君臨する駒野であるから、別に加地の左もあり・・・?ってポリバレントとはそういう話じゃないだろう。既にバレバレかも知れないが、「日本には左サイドに人材がいません」と改めて大穴宣言しているようなもの。仕舞いにはガンバの両翼を縦にならべ、しかも本来の左SB安田を前にあげるとは、いくら可能性を試すといってもやりすぎだろう。シーズン前の大事なキャンプ時期に多くの選手を代表に送り出しているガンバ西野監督にしてみれば、それこそたまったものではないだろう。加地も加地である。不動の右SBとしては若い内田に先発を取られただけで怒っていいはずなのに、左に回されて「経験になるから出たい」とは情けないことこの上ない。代表で試合に出れらない坪井の代表引退宣言は少し空しかったが、お前なら堂々と「ふざけるな!」と宣言してよい立場じゃないのか。


日本代表はW杯での優勝が求められるチームではない。つまりどこかで“負ける”チームである。となると、問われるのは「負けるまで」いかに闘ったかということになる。従って負けに至る闘い方は“ロジカル”でなければならないし、負け方も“ロジカル”でなければならない。それが“ロジカル”であれば、次の目標に向かって“ロジカル”な準備が出来るのである。しかし、仕方がないかも知れない。日本サッカーの頂点に君臨する川淵三郎協会会長の北朝鮮戦後のコメントからして「うまい、へた、戦術どうこうではない。気持ちの問題。しゃかりきさが足りない!」という“超エモーショナル”なものなのだから・・・


ハチャメチャなアジア、ハチャメチャなサッカー協会、ハチャメチャな代表監督、そして無頓着な選手とノー天気なマスコミ。しかも代表に沢山の選手を取られたガンバは残ったメンバーで今年創設された日米豪クラブによるパンパシフィックチャンピオンシップ(環太平洋選手権)とやらでベッカムのLAギャラクシーと対戦するとか。しかも“ハワイ”で・・・


納得が行かないことが多すぎる。だれか“ロジカル”な説明をして欲しい。


魂のフーリガン





【“Game”と“Match”】

"Theatre of Dreams"・・・我が最愛のクラブ、マンチェスターユナイテッド(以下マンU)のホームスタジアム“Old Trafford"の俗称である。


2月10日にその“夢の劇場”で行われたマンUとマンチェスター・シティ(以下シティ)の試合は、イングランドでもっとも盛り上がるローカル・ダービーの一つという要素に加え、イングランド・サッカーに興味がある方なら誰でも知っている1958年2月6日にマンU起こった“ミュンヘンの悲劇”(語ると長いので詳細はいずれ)の50周年メモリアル・ゲームであった。当然の事ながら“劇場”は約7万6000人の観客で埋まり、マンUのイレブンは白い縁取りのVネック、胸にスポンサーネームもエンブレムもなしという1958年当時を模したシンプルな赤いシャツ、左腕に黒い喪章を巻いて登場した。一方のシティは現在のスタイル(ただしスポンサーネームなし)だったが、黙祷の1分間、スタンドではマンU 、シティサポーターが恐らくこのゲーム用に特別に配布されたであろうオールドスタイルのスカーフ(マンUは赤/白、シティは空色/白の縞々)が一斉に掲げられ、“劇場”は荘厳なムードに満ちていた。ここまでは良かった。


しかし、そんな演出の下で行われた試合の内容はまさに“悲劇”。先の水曜日のインターナショナル・マッチ・デーに多くの選手を供出したマンUは、疲労のためか全く良いところがなく、1-2で試合を落とす。しかも、ただの1敗ではない。ホームでシティに敗れるのは1974年以来、アウェイとホームで2回とも敗れるのは1970年以来という、不名誉な結果であった。スタンドにいた“ミュンヘンの悲劇”の生き残り、英国から“Sir”の称号を授与されたボビー・チャールトン氏は、どのような思いでこの“悲劇”を見届けたのであろうか。


試合内容をここで細かく語るつもりはない。NHK衛星放送でも放映されたから、ご覧になった方の感受性にお任せする。私が言いたいのは、サッカーの試合を、プレミア・リーグの1試合をかくも過剰に演出する必要があったかということなのだ。まず、観客はスタジアムに何を求めて行くのであろう。それは試合そのものであり、その試合をどう盛り上げようかという演出ではない。どういう展開になるか分からない「筋書きがない」ドラマを観に行くのである。そして敵陣と自陣が区切られておらずフィールドの全てで肉体的な接触が許されるサッカーの場合、必然的にその内容は「娯楽」や「技の応酬」ではなく、「闘い」や「何でもありの勝負」となる。だからこそ、血沸き肉踊るのだ。残念ながら、この試合にはその要素が足りなかった。


私は昔のOld Traffordを知っている。スタジアムはマンチェスター郊外の古い工場地帯に忽然と立ち、赤レンガ作りの建物は周囲の退廃的な雰囲気に同化していた。しかし、後に見事に改装され、現在はUEFA5つ星スタジアムに指定されるこの世界有数のスタジアムには、かつてはゴールのたびに男達の人並みが崩れ落ちた広大な立見席はない。ピッチとスタンドを隔てる金網もない。近代的なスタジアムはまばゆいばかりに明るく健康的で、独立シートが整然と並んだ安全な観客席はもう揺れることがない。“劇場”としての機能は間違いなく良くなり、観やすくなっているだろう。これはOld Traffordだけに限られたことではない。ArsenalのEmirates Stadiumもしかり、新しい聖地Wembleyもしかりである。しかし、“観劇”に最も必要なのは設備だろうか、演出だろうか。違うだろう。目の前で繰り広げられる生々しい男達の“闘い”であり、それに呼応するスタジアム全体の“殺気にも似た緊張感”である。


ご存知の通り、プレミア・リーグは現在、世界で最も成功したリーグであると言われている。しかし、その背景にはロシアのオイルマネー、アメリカの成金資本家、タイの汚職政治家などから莫大な資金が流れ込んで、マーケットを強引に活性化しているという事実がある。その結果としてサッカーはスポーツからビジネスになり、娯楽的要素がどんどん強まり、逆に50年前のような“殺気”や“緊張感”が徐々に失われているのではないだろうか。そんな気がしてならない。


イングランドでは試合のことを、ゲーム“Game”と呼ばずマッチ“Match”と呼ぶ。娯楽的な意味合いが含まれる“Game”に比べ、“Match”の方は力の均衡した競争相手とのタイマン勝負といった意味合いが強い。私は、そんなイングランドのサッカー、いやフットボールに対する感覚を少なからず肯定的に解釈し、一人納得もしていた。しかし、50年前の伝説を思い起こすように緻密に演出された“平凡”な試合を見ながら、私のそんな考えも少し揺らいでしまった。私は捻くれ者なのだろうか。


魂のフーリガン