四国犬にまつわるエピソード 『虎毛の犬』(其の弐) | 未整理箱。古い四国犬の話でも入れておこうか

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主なテーマは以下です。
■二代目の箱「長春系四国犬の回顧録」
■三代目の箱「気が付けば犬がいた件」
■「遺伝子のつづら」(毛色で悩んでみる)
■「表現のつづら」(たぶん雑談)

【四国犬にまつわるエピソード】


~ 二代目の箱 番外編 ~


『虎毛の犬』(其の弐)


未整理箱。古い四国犬の話でも入れておこうか-イメージ画像_シマイヌ
※画像はイメージです。
記事でご紹介している犬ではありません。


続編のUPが遅くなり申し訳ありませんでした。今回も少々長文になりましたので3編に分けさせて頂きました。



■南方由来の表現。よく似た3頭

日本犬保存会のメンバーとして早くから活動していた真鍋叔父は、自宅で数頭の四国犬を飼育していました。そしてその内の1頭に虎毛のメス犬(仮に「母虎」と呼びます)が居たのです。

まだこの頃は愛好家が自ら良い地犬を探して、山を歩くことも珍しくありませんでした。
叔父によると母虎も銅山川流域に位置する富郷渓谷で見つけ、持ち主の猟師に自ら掛けあって連れて来たとのことでした。

このように実猟犬などのいわゆる“地犬”を「山出し」して観賞することができたのは、叔父の世代くらいまでだったでしょうか。その後は各地の地犬とも交雑が急激に進みました。

※私が社会人となり山を歩きだした昭和30年以降になると、地犬の面影はあっても「純モノ」と呼べる姿をした個体は殆どいませんでした。


当時まだ中学生の私は、叔父の住まいが我家の近所ということもあり、犬を目当てに叔父の家にしょっちゅう出入りしていました。

そういった訳で、母虎とはよく遊んでいましたので後日わが家に来た「子虎」より強い印象があり、よく覚えています。

この母虎について、最初に思い出したのは毛質のことでした。背中の差し毛は大変良質で水切れもよく、私はそのバリバリとした手触りが好きでした。毛色は温州みかんのような黄色系でかなり濃い赤毛をベースに、縞の部分は淡色ではなく黒胡麻です。縞があること以外は普通の四国犬とかわりありませんでした。

母虎は叔父の家にやって来た時から右の後足の指がありませんでした。若い頃に山中に仕掛けられたトラバサミのワナに掛かったのを自分で引き切って戻ってきたからだと聞きました。幸い足底球は挟まれずに済んだようですが、歩様に若干難が残っていました。
それでも他の犬よりよく猟をするということで、出里の猟師が叔父の家までわざわざ借りに来ていた事を覚えています。(そういう条件付きで山出ししたのでしょう)

彼女は冬の猟期の前に連れられて行き、猟期が終わると叔父の家に戻っていました。
小柄でおとなしいのにとても賢い犬でしたね。人間の言うことをじーっと見つめるように聞いて、言葉のニュアンスから内容をほぼ理解しているように思えました。


子虎は生まれた時から背中に縞が出ていました。この犬は肌が弱いのか皮膚病になりやすく(「長春丸裸」の逸話と同じ皮膚病です)少々手がかかりました。

成犬になるかならないかのうちに父が知人に譲ってしまいましたので、完成した姿を見ることはありませんでしたが、母虎によく似た仕上がりになったのではないかと思います。



さて同じ(旧)伊予三島市内には、虎毛の母子と同じ時期にもう1頭虎毛の四国犬がいました。
上記の“母虎子虎”に似た毛色と縞でしたが全体的に若干薄い色調でした。飼い主さんからは大館友重氏(後の純研会主宰)が富郷渓谷付近から山出しされた犬だと伺ったように記憶しています。
(仮に「大館虎」と呼びます)

面白いことにこれまたメスです。そして個体としての表現もよく似ていました。


特筆すべき共通点として体躯と頭部の造形があげられます。

このメス達はどれも小柄で体躯はかなり硬く、どちらかと言うと本川系の質感と見受けられました。頭部はちょっと変わっていて、平たい額に大きな耳が付いて耳間も広い。そのためかほんの少し首が短いような印象を受けました。


ちょっと話が脱線しますが、四国犬の二大系統の毛色はそれぞれの以下の傾向があるようです。

本川系】赤毛は山吹色系で黒四つ目と虎毛が出る。
幡多系】赤毛は緋赤でタンが薄い。淡赤~白が出る。

これは私の経験からそう感じているだけですが、それぞれの系統の由来を考慮するとこのような傾向が見られるのはごくあたり前なのかも知れません。


【参考記事】

四国犬の古典鑑賞14/主要系統の渡来経路考察Ⅰ~Ⅲ
http://ameblo.jp/be-so/entry-10078248467.html
http://ameblo.jp/be-so/entry-10078271889.html
http://ameblo.jp/be-so/entry-10078347282.html


■陸奥号とのマッチング

この昭和24年というのは、愛媛の四国犬愛好家にとって大きな出来事がありました。

奇しくもこの年、古城先生が綿密な計画の下に作出された、かの陸奥号(純系会3505)が(旧)伊予三島市にやってきたのです。


未整理箱。古い四国犬の話でも入れておこうか-陸奥号
陸奥号(純系会3505)
長春系(本川系)四国犬の品種を固定するため
古城先生の計画的なブリーディングによって作出された。


しかし、かわいそうな事にこの時の陸奥は「借金のカタ」としてこの地にやってきていました。当時の所有者から「返済できぬ分はこの名犬から得られる交配料で賄って欲しい」との旨、種オスとして数人の債権者に貸与されたのです。
陸奥にとってはかなり辛い使役だったのではないでしょうか。
私はこの時まだ子供でしたから一連の事情は後から知ることになるのですが、当時この界隈には無計画な交配によって生まれた陸奥の直子がけっこう居たようです。

そして奇しくもこの陸奥号の交配のお相手に「母虎」がいたという訳です。

私はこの時まだ陸奥号と出会っていませんでした…。(be-so)



_____________其の参につづく。


お待たせして申し訳ありませんでした。虎毛さらに続きますm(__;)m
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