初心者同志 -126ページ目

手。

部屋を散らかすのは得意なんだけど、
それを片付けるときのことを考えると、憂鬱だよなぁ

という声を、結構、周りからも聞くんだけど、
なぜだろう、私は全然平気だ。


むしろ、もっと掃除したり、きれいにしたりする機会がないかなあ、
と思うくらい。


あるとき、知り合いの人に頼まれて、人手が足りないというので、
ある料理店の皿洗いを手伝いに行ったことがある。

私はそういったバイトそれが初めてだったので、

その知り合いの人に予め、注意事項を聞いておいた。


それによると、


初めて会う人たちばかりの中に、ただ一人、

しかも一時的なお手伝いとして入っていくってことは、

結構大変なことだから、気疲れしたりすることもあるかも知れないけど

それは覚悟しておいたほうがいいよ、


ということだった。

のだけど、私は全然そんなこと気にならなくて、

むしろ大好きな洗いものができるということで、あまりに楽しくて、

ほとんど一日中、ニコニコしながらやってしまった。


で、あまりに楽しそうなので、
ちょうどそこを通りかかった従業員たちには気味悪がられて、
あとで聞いてみたら、


「何か変なやつがいるなあ」
「なにがそんなに楽しいんだ?」

「世の中には色々と変わった人間もいるもんだよ。触れてやるなよ」

なんて言われてたらしい。
くそっ、私は普通だいっ!


ただ、プロの人たちが働く職場というのは、やっぱり普通と違っていて、
洗いものに使う洗剤なんかも専用の特別なものを使っていたりして、
それを使って本当に汚れがよく落ちるのを見たりできたのは、
やっぱり楽しかった。


調理用に使っている鍋なんて、水の上に浮かべたら

大人一人くらいは軽く乗せて進めそうなくらい大きくて、
洗うのは一苦労なんだけど、きれいにするとすごい満足感がある。


長年使っている間についた墨汚れなんかの落とし方も教えてもらったりして、
その時のお手伝いは、私にとってはとても充実した時間になったのだった。


ただ、少し困ったのが私と一緒に洗い場を担当していたパートのおばさん。
とつぜん私の手をとったと思ったら、

「あら、あたなきれいな手をしてるのね」


とかいうんだぜ。


洗い物なんかしてると、手はどんどん荒れてしまって、
それってこういう仕事をする人たちにとっては、かなり悩みの種みたい。


で、そのおばさんは、私の手を見て少し羨ましかったみたいだ。
でも、手がきれい、なんていわれたのは初めてだったから、実感がなくて、
へぇ、これがきれいな手なんだ、て、

そのときは、自分でも驚いたくらいだった。


ただ、そのおばさん、褒めてくれたのはいいんだけど、
手をつかんだまま、なかなか離してくれないのは困っちゃった。


なにか今にも私の手を切りとって自分の手と付け替えそうな勢いなので、
私はあわてて、


「洗い物をつづけないといけいので!」


といって、それから逃げだしてきたのだった。

だって、目が真剣なんだもんなぁ。


そのあとの休憩時間、きれいな手て、どこの辺りのことを見てそういうのかなあ、と
自分の手をかざして、いろいろと見ていたら、
そこをちょうど通ったお店の従業員と目が合ってしまって、

ちょっと気まずくなってしまった。


わ、こらっ。

ちょっと、その、


「見てはいけないもの見てしまった」


みたいな顔はやめろくれっ!

私はなにも変なことしてないぞ。

だから、足早に立ち去るな!
その愛想笑いを返すのはやめろーっ!


何となく、気疲れするかも、て最初にいわれた言葉の意味が、
それでわかった気がしたのだった・・・・・・。


友達。

その日、かかってきた一本の電話のことを、私はこの先も、

絶対に忘れないと思う。


それは数日後に成人式の日を控えていた、ある日。

私はそのとき20歳だった。


電話は小学校の同級生で、卒業後もよく会っていた友達だったけど、

その声を聞いたのは久しぶりだった。


電話の先から友達が伝えてきたのは、やはり小学校のときに同じクラスだった

私やその友人とも仲のよかった友達が、死んだ、という、とても現実離れした言葉だった。


そのときまで、私は自分が生きる時間というのは、自分で決められるのだ、と思っていた。

自分で生きたいと思っている限り、その自分は生き続けられるのだ、と思っていた。

私には、まだ死ぬ理由がない。

生きているのが楽しいとか、死ぬのが怖いとかじゃない。

自分が、死ぬ理由がないんだ。

だから、私は生き続けているのだと思っていた。


それがすべて間違いだということを、私はそのときに学んだ。

私の友達は20歳で、成人式を迎えていなかった。

まだ、もっとずっと生きつづけられる長い時間が、そのあとにもあるハズだった。


ちくしょう、なんでなんだ!


それから、私は自分の死ぬときのことを考えるようになった。

どんなに、死ぬ理由が自分になくても、

どんなに、もっと生きたいと願っても、

人には選べないタイミングで、予想もつかないときに、

死は、やって来る。


悔しい!

永遠に生きたいわけじゃない。

ただ、いつ来るかわからない瞬間に怯えて生きるんじゃなく、

普通に毎日を生きたいだけなんだ。


その友達は、私と同じ年に生まれ、同じ時間を生きていた。

でも、友達の時間は途切れ、私の時間は今も続いている。

この差ってなんなんだ?


まだ20年しか生きていないかった当時の私には、わからなかった。

ただ、かかってきた電話をつかんだまま、言葉を返すのも忘れて、

ずっと考えるばかりだった。


こんなこと、誰にも相談できない。


だって、生きることも死ぬことも、人に代わってもらうことなんて出来ないんだ。

何かの本を読んでも、偉い人の言葉をきいても、だめだ。

一人で考えるしかない。


そう思えたから、今でも私は自分でそのことについて考えている。


はたして、人はいつ来るか分からないモノに、ただ怯えていかなければ

いけない生き物なんだろうか。


あれから数年がたった今、

一人で考えに考えて、私はこう思っている。


死は、結果だろうか。


確かに、人はいつか死んでしまう。

そのあとには、転生を繰り返してまた別の人生を生きるのだとか、

天国や地獄のような世界があるだとか、人はいうけど、

そんなことに興味なんてない!


人が死ぬってことは、この世界で生きてきた時間が終わるってことだ。

もう生きていけないってことだ。

だったら、死は生きてきたことの結果、ということなんだろうか。


そうじゃないと思いたい。


確かにどんなことであっても、自分のしたことには、必ず結果がついてくる。

結果とは、避けられないもので、目をそらさず、受け入れて、

そのあとも背負っていかなくちゃ、いけないものだ。

死も同じなのか?


そうなのかも知れないけど、私はこう思いたい。


私たちは生きるている限り、なにかの目的がいつも、ある。

例えばその日一日、「ただ、楽して過ごしたいなぁ」と思うだけでも、

それも一応、楽をしたい、という目的だ。


私たちが生き続けるということは、目的を作り続ける、ということなんだ。

すぐにできてしまいそうな簡単なものから、

とても叶えられないような壮大な目的まで、

私たちは生きている間、ずっと目的を生み出しつづけている。


そして、目的は死なない。

人は死んでも、目的が死ぬことはない。


人が一番最初に、空を飛びたいと思ったのはいつの事だったんだろう。

宇宙に行きたいと思ったのは?

それを最初に思った人間は、実際にそれが実現した時には、もう、

生きてはいなかったはずだ。


でも、誰かが思わなければ、

誰かが目的となるものを作りだし、進みはじめなければ、

実現することも、ずっと、なかった。


もし、私たちが目的を作り、それに向かって努力をつづけ、

しかも、その目的が多くの人たちの賛同を得られたならば、

最初にそれを生み出した人間が死んでしまったとしても、

目的は生きつづけるんだ。


そのとき初めて、死は、ただの生きてきた結果、というものから解放されるんじゃないだろうか。



目的が失われず、そのあともその意志を受け継ぐ人がいたなら、

誰かが、いつか自分の意志を受け継いでくれるはずだと信じ、

実際にそれを疑うことなく託せる、信頼すべき人がいるのであれば、

生きたいと願いながらそれが叶わなかった人も、それを受け継いでいく人も、


すべて、永久に生きつづける、一つの命だ。



だから、私は思うんだ。

私もそのときが来たら、誰かに託せるなにかを持ちたい!


目的と、それを受け継いでくれる仲間。


今の私には足りないものばかりだけど、いつか、その両方を

ちゃんと自分のものにしたい!


簡単なことじゃないのは、わかっている。

だからこそ、心の底から真剣に、そう思っているんだ。

車。

クルマの免許はもっている。

自分の車ももっている。

暮らしている部屋のすぐ前に駐車のスペースも借りているし、

時間があれば、汚れがめだつようになる前に、必ず洗車もする。


なのに、どうしてだろう。

私は、車にほとんど乗っていない。


どうしても大きな荷物をのせなければいけない用件でもない限り、

移動には、ほとんど自転車を使っている。

どれだけ遠い場所に行く場合であっても、だ。


MY ROAD BIKE


というのも、どうしても、車が苦手なのだ。


理由は、きっとなにかあるんだろうけど、

自分ではすぐに思い当たることがない。

うーん、ホントどうしてなんだろ。

そういえば、よく、飛行機が苦手、て人がいるけど、

あれと同じことなのかも知れない。


飛行機だと、あんな大きな鉄の塊が、

どうして空を飛んでいるのか理解できない、て話をよくきく。

うん、その気持ち、私もよくわかるぞ。

私も、車がどうして走るのかよくわからないもん。


いや、機関とか走るために動いている内部の動きとかは理解できる。

でもさ、アクセルのペダルを踏むだけでスピードが、グワワー、て出るのが

どうしても信じられないんだ。

だって、踏めば踏むだけでるんだぜ。

不思議だよなあ、あれって。


友達にいわせると、そんなことを考えるお前の頭のほうがずっと不思議だ、

ていうんだけど、

ええい、それは大きなお世話だいっ!


とにかく、自転車は自分の足でペダルを回せば、回した分だけ走る。

すごくわかりやすいぞ。

スピードも、車だと、もう人の手には負えないくらいになっても、

全然おかまいなしでドンドン出るけど、

自転車だったら、それなりにしか出ない。

安全だし、自分で常にコントロールしておけるから、とても安心だ。


世の中、みんな自転車で通勤したり移動したりしたらいいのになぁ。


ただ、ペダルを踏むとスピードがでるっていうのは不思議で面白いから、

それだけ別のことに生かしたらどうだろう。


自分の部屋でいうと、ベッドが結構大きくて場所をとってる。

これがなかったら、けっこう他にいろいろなものが置けるはすだ。

で、ペダルをつけて踏んでいるあいだだけでるベッドて、どうかなあ。

踏むつよさでベッドの大きさが変わるんだ。


ゆっくり一人で眠りたいときはかるく踏む程度でシングルサイズ。

2人で眠るときもう少し踏み込んで、ダブルサイズ。

王様気分は一番つよく踏み込んでキングサイズ。


あ、いいかも知れない。

それで、普段は床とかに収納されてるんだ。


ただ、こんなことになっても、責任はとれないと思う。


「今日、彼女が部屋に遊びにきたんで中に招き入れたら、

誤ってペダルを踏んでしまって、突然ダブルのサイズでベットが出てきて・・・・・・」


・・・・・・足元にだけは、注意するようにしよう。

朝。

朝、少しでも早く起きることで、その日を早くはじめたい。


結局、一日にとる睡眠時間は同じなのだから、

起きる時間が早くなれば、そのぶん、寝る時間が早くなってしまうわけだけど、


でも、早起きをして、まだ誰もが寝ていてもおかしくない時間に、

ゆっくりとした時間を過ごすのが、とても贅沢ですてきに思えるんだ。

ああ、私は朝が好きだ。


自分の仕事の関係上、私はいつも速く起きないといけない。


ずっと以前は、朝起きるのが、ほとんど全ての人と同じで苦手だった。

目覚まし時計をようやく止めたあとに、布団の中で身体を潜める数分が

なによりも心地よくて、特別な時間のように思えていた。


それが変わったのはいつの頃からだろう。

今の私は少しでも早く朝を味わいたくて、目が覚めると、

布団からすぐに飛びだすようになった。


時には目覚まし時計を追い越して、すっかりそのことを忘れて朝食をとっていたら

突然目覚ましがなりだして真剣に驚いたこともあったなあ。


寝起きが悪かったころに買った、とびきり激しい目覚まし時計だから、

目が覚めているときに鳴られると、ほとんど騒音。

もう、小さな公害だよなあ。


少し前までは、朝に雨が降っているととても憂鬱だった。

ああ、一日の始まりがこんな雨からはじまるなんて、と思っていた。

今はそれを楽しむ余裕がある。

雨が、ポッポッと外で窓を叩いている音を静かに楽しむこともできるようになった。

こんなのも、朝を少し早く起きた人間の特権だぞ。

うーん、早起きてすばらしいなぁ。


なんてことを、一緒に仕事をしていた人間に話したら、

不思議な顔をされて、こう言われた。


「おれは、少しでも長く眠っていたけどなぁ。

目覚ましだって遅刻しない時間ぎりぎりにいつもセットしてる」


あ、こいつ、朝の素晴らしさが分かってない。

わかれば絶対かわるはずだぞ。

ということで、早起きの良さをとくとくと話したんだけど、

そいつったら、私がすごい真剣に話してやっているってのに、

途中からどんどん不機嫌になっていくんだ。

このやろー、興味ないかどうかは別にして、友人の話くらい、

もう少し真剣に聞けっー!!

こっちは真面目に話をしてんだぞっ!


でも、その彼には彼なりの言い分があったみたいで、


「ばかやろうっ!話している間中、ずっと何度も何度もアクビしやがってっ!

それのどこが真面目なんだっ!」

と言われた。

うっ、仕方ないじゃんかぁ・・・・・・。

今日も朝早かったんだ。眠いんだよぉ・・・・・・。


ああ、早起きははすごくいいんだけど、お昼をすぎた頃から

アクビがどんどん出るのを止める方法はないものかなあ。

スタートボタン。

家庭用ゲーム機初のオンラインRPG、「PSO」が発売される!


当時、悲しいくらい貧相なインターネット環境にあったにも関わらず、

怖いもの知らずな私はそのゲームを迷うことなく予約!

ワクワクする気持を抑つつ、発売日を指折り待っていた私の元に送られてきたのが、

一枚の先行体験版お試しディスクだった、というわけ。


というわけで、これ以上の詳しいことはテーマの「オンラインゲーム」を参考。

さあ、ネットワークゲーム初体験だっ!



そのトライアルディスクには、一冊の薄い取扱説明書が
一緒についてきただけだった。
しかも!

その大半はネットワークに繋ぐための解説に費やされていて、
ゲームの操作方法や説明が載っていたのは僅かに6ページ程度。
もちろん

体験版なので、チュートリアルモードのような

初めての人でも安心、要素も用意されていなかった。
しかも、しかも!
戦うべき相手は、トライアルディスクだけの特別仕様で

通常より強化されて現れる凶暴なエネミーたち!

うーん・・、と、ここまで書くと、なんだか体験版といいながら、

初心者なユーザーはあっさり門前払いでもしそうな雰囲気

なんだけど・・・・・・。



game file01


ところが、そうじゃなかった。
私はやっぱり、初心者で、何も知らなかったんだ。

これは決してそんな簡単なことではなくて、

私はそれを全部、やってみて初めて知ることになったのだった。

オンラインRPGの世界。


そこで一緒に冒険をする仲間の冒険者は
決してプログラムされた通りにのみ動くキャラクターなどではなく、
どこか離れた場所から同じようにネットワークを介してやってきている、
自分と同じ一人の人間だった。

知らないことがあれば、聞けばいい。
となりにいた人は、答えてくれた。
強い敵がいれば、協力すればいい。
あと一度でも攻撃されたら殺されてしまう・・・・・・!という、その瞬間

となりにいた仲間はサッと間に入ってそのエネミーを倒してくれた。

私はコントローラーを握り、テレビの画面を見つめながら思っていた。
これって、すごいことかも知れない。

今、自分はすごい瞬間を体験しているのかもしれない。